ゴミ屋敷令嬢ですが、追放王子を拾ったら溺愛されています!
第十二話
「部屋に鼠が出たの。こ、怖くて」
「ねずみだぁ??」
この令嬢は、鼠が怖いと言ったのか?
いや、確かに一般の令嬢であればそういうこともあるかもしれない。けれど、ベアトリクスはひとりでサイクロプスを倒すような女だ。鼠ごときが怖いとは一体どういうことか。
「怖いなら始末すればいいだけだろう。おまえなら簡単だろ」
「当然、始末はもうしたわ」
「あ、そう」
ではなにが問題なのか? 女心がわからないルシファーは首をひねる。
「鼠が出たと思うと、どうしても嫌で……! わたくし必要に迫られれば魔物と戦うことも辞さないですけれど、鼠だけは本当に苦手なの」
どうやら、あの妙な質感の尻尾が苦手らしい。
だから、この屋敷はゴミ屋敷にみえるけれど実際は清潔だし、こと自室に関しては念入りに清掃をしているのだという。
「明日はゴミ拾いを中止して、屋敷の大掃除をすることにしたわ。だからお願い。今晩だけ一緒に寝てくれない?」
「……」
はいとは言えないルシファー。涙目で迫るベアトリクスからそっと目を逸らす。
その行動を拒絶と受け取ったのか、うっと唇を噛んだベアトリクスは強硬手段に出た。
「ここはわたくしの屋敷だし、なんならこの部屋は元わたくしの部屋ですわ! 嫌とは言わせませんわよ!!」
あっという間にルシファーを担ぎ上げ、ずんずんとベッドに進むベアトリクス。
「おい! やめろ!! だったら俺は床で寝るから、おまえがベッドを使え!!」
「子供を床で寝せるなんてできないわよ! このベッドは広いから、二人なら十分寝られるわ!」
じたばたと暴れるルシファーだが、A級冒険者並みの身体能力を身に着けているおかしな令嬢は余裕の表情だ。
彼をベッドにおろし、自分もさっと横に滑り込む。
「ほっ、ほんとうにやめてくれ。俺は床でも平気なんだ。床よりもっとひどいところで何か月も寝ていたこともあるし」
戦場では野営が基本だった。テントがあればかなりいいほうで、王子とはいえ最前線にいることが常だったルシファーは、敵や味方の死体の隣で寝たこともあった。
だから、屋根があり床がある空間はむしろ贅沢なのだ。しかし、当然そんな事情は知らないベアトリクスは悲壮な顔になる。
「ルシファー。ほんとうに辛い思いをしてきたのね。路地裏で寝たり、橋の下で雨風を凌いだり、きっとそんな生活ばかりだったのでしょう。大丈夫、わたくしはあなたを捨てたりしないわ。この世に不要なものなんて何一つありませんもの」
慈愛に満ちた表情を浮かべ、がしっとルシファーを抱きしめるベアトリクス。
「ゔっ!! くっ、苦しい……」
伯爵令嬢とは思えないその力の強さに、ルシファーはだんだんと頭に白く靄がかかっていく。ベッドの中で抱きしめられている恥ずかしさより、酸欠で死ぬのではないかという危機感が上回り始める。
「……あら? ルシファー?」
くたりと脱力し、意識を飛ばしたルシファー。それは完全に締め落とされたからなのだが、ベアトリクスは寝たのだと勘違いをした。
「ふふっ。慣れない仕事で疲れていたんでしょう。強がっていても、まだまだ子供ね。おやすみなさい」
かつて優しかった乳母がしてくれたように、ルシファーの形の良い額に唇を落とすベアトリクス。漆黒の髪は子供らしく柔らかで、撫でると気持ちがよい。
(……メアリが亡くなって、もう五年が経つのね)
父と母は自分を可愛がってくれていたが、それは〝いつか良家に嫁に出すため″だということをベアトリクスは理解していた。社交界一厳しいというマナー講師に指導を受け、どこに出しても恥ずかしくない立ち居振る舞いを叩きこまれた。刺繍に歌にと、貴族女性のたしなみは一通り習った。「ベアトリクスは素晴らしいわね」「自慢の娘だ」父と母が声を掛けてくれるのは、いつだって習い事の前と後だけだった。
乳母で侍女のメアリだけが、どんなときも隣に寄り添い、ベアトリクスの会話の相手になってくれた。「ベアトリクス様がご結婚なさった暁には、どうぞこのメアリもお連れ下さいませね」と言ってくれた時は、本当にうれしかった。親切なメアリに良い暮らしをさせてあげたくて、稽古事を頑張っていたと言っても過言ではなかった。
そんなメアリはある日突然帰らぬ人となった。
屋敷の用事で街に買い物に出ていた際、果実の皮に滑って転び、石畳に強く頭を打ち付けたのだ。当たり所が悪く、ほとんど即死だったろうと診察した医者は言った。
このときのベアトリクスのショックは筆舌に尽くしがたい。
泣き腫らした顔を黒いヴェールで覆い、花を手向けに事故現場へ向かった。
習い事で忙しく、ここ数年屋敷から出たことがないベアトリクスは愕然とした。街はこんなにも汚かったのかと。
散らばる生ごみに、汚い衣類、なぜ転がっているのか分からない片方だけの靴など。道行く人は、あまりに多いゴミを避けるでもなく、踏んづけて歩いている。
『ゴミのせいでメアリは……』
力なく膝をつくベアトリクス。
グラディウス王国は騎士と冒険者の国だ。街には飲み屋が多く、必然的にゴミが多く出る。この風景が、もはや人々の日常なのだ。
『こんなの、間違っていると思うわ』
彼女の小さな声は、誰に届くこともない。
街を綺麗にしたいと両親に願い出ても、なにを言っているんだと叱られた。結局ベアトリクスはの淑女教育はいっそう厳しくなり、こっそり美化活動する暇すら奪われてしまった。
数年が経ち、結婚適齢期になったベアトリクスだったが、メアリのことは片時も忘れたことがなかった。
(いつかこの国をゴミ一つない美しい国にしたいわ。あなたの死を無駄にしないためにも)
――――だから、ルシファーの呪いを受けたことはベアトリクスにとって幸運以外の何物でもなかった。大手を振ってゴミ拾いができるようになったのだから。
伯爵家にとって役立たずになった娘を、夫妻は惜しむことなく捨てた。屋敷が餞別だと、そう言い残して。
◇
「……んっ……」
翌朝、いつもの時間に目を覚ましたベアトリクス。昨夜メアリのことを思い出していたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
鼠が出たので今日は気合を入れて屋敷の掃除をしなければ。ルシファーには引き続き店番をお願いしよう。
隣で寝息を立てる新しい家族に目を向けると――。
「……えっ??」
そこにいるのは十歳の男の子ではなく、どう見ても成人している、とても美しい青年だった。
「ねずみだぁ??」
この令嬢は、鼠が怖いと言ったのか?
いや、確かに一般の令嬢であればそういうこともあるかもしれない。けれど、ベアトリクスはひとりでサイクロプスを倒すような女だ。鼠ごときが怖いとは一体どういうことか。
「怖いなら始末すればいいだけだろう。おまえなら簡単だろ」
「当然、始末はもうしたわ」
「あ、そう」
ではなにが問題なのか? 女心がわからないルシファーは首をひねる。
「鼠が出たと思うと、どうしても嫌で……! わたくし必要に迫られれば魔物と戦うことも辞さないですけれど、鼠だけは本当に苦手なの」
どうやら、あの妙な質感の尻尾が苦手らしい。
だから、この屋敷はゴミ屋敷にみえるけれど実際は清潔だし、こと自室に関しては念入りに清掃をしているのだという。
「明日はゴミ拾いを中止して、屋敷の大掃除をすることにしたわ。だからお願い。今晩だけ一緒に寝てくれない?」
「……」
はいとは言えないルシファー。涙目で迫るベアトリクスからそっと目を逸らす。
その行動を拒絶と受け取ったのか、うっと唇を噛んだベアトリクスは強硬手段に出た。
「ここはわたくしの屋敷だし、なんならこの部屋は元わたくしの部屋ですわ! 嫌とは言わせませんわよ!!」
あっという間にルシファーを担ぎ上げ、ずんずんとベッドに進むベアトリクス。
「おい! やめろ!! だったら俺は床で寝るから、おまえがベッドを使え!!」
「子供を床で寝せるなんてできないわよ! このベッドは広いから、二人なら十分寝られるわ!」
じたばたと暴れるルシファーだが、A級冒険者並みの身体能力を身に着けているおかしな令嬢は余裕の表情だ。
彼をベッドにおろし、自分もさっと横に滑り込む。
「ほっ、ほんとうにやめてくれ。俺は床でも平気なんだ。床よりもっとひどいところで何か月も寝ていたこともあるし」
戦場では野営が基本だった。テントがあればかなりいいほうで、王子とはいえ最前線にいることが常だったルシファーは、敵や味方の死体の隣で寝たこともあった。
だから、屋根があり床がある空間はむしろ贅沢なのだ。しかし、当然そんな事情は知らないベアトリクスは悲壮な顔になる。
「ルシファー。ほんとうに辛い思いをしてきたのね。路地裏で寝たり、橋の下で雨風を凌いだり、きっとそんな生活ばかりだったのでしょう。大丈夫、わたくしはあなたを捨てたりしないわ。この世に不要なものなんて何一つありませんもの」
慈愛に満ちた表情を浮かべ、がしっとルシファーを抱きしめるベアトリクス。
「ゔっ!! くっ、苦しい……」
伯爵令嬢とは思えないその力の強さに、ルシファーはだんだんと頭に白く靄がかかっていく。ベッドの中で抱きしめられている恥ずかしさより、酸欠で死ぬのではないかという危機感が上回り始める。
「……あら? ルシファー?」
くたりと脱力し、意識を飛ばしたルシファー。それは完全に締め落とされたからなのだが、ベアトリクスは寝たのだと勘違いをした。
「ふふっ。慣れない仕事で疲れていたんでしょう。強がっていても、まだまだ子供ね。おやすみなさい」
かつて優しかった乳母がしてくれたように、ルシファーの形の良い額に唇を落とすベアトリクス。漆黒の髪は子供らしく柔らかで、撫でると気持ちがよい。
(……メアリが亡くなって、もう五年が経つのね)
父と母は自分を可愛がってくれていたが、それは〝いつか良家に嫁に出すため″だということをベアトリクスは理解していた。社交界一厳しいというマナー講師に指導を受け、どこに出しても恥ずかしくない立ち居振る舞いを叩きこまれた。刺繍に歌にと、貴族女性のたしなみは一通り習った。「ベアトリクスは素晴らしいわね」「自慢の娘だ」父と母が声を掛けてくれるのは、いつだって習い事の前と後だけだった。
乳母で侍女のメアリだけが、どんなときも隣に寄り添い、ベアトリクスの会話の相手になってくれた。「ベアトリクス様がご結婚なさった暁には、どうぞこのメアリもお連れ下さいませね」と言ってくれた時は、本当にうれしかった。親切なメアリに良い暮らしをさせてあげたくて、稽古事を頑張っていたと言っても過言ではなかった。
そんなメアリはある日突然帰らぬ人となった。
屋敷の用事で街に買い物に出ていた際、果実の皮に滑って転び、石畳に強く頭を打ち付けたのだ。当たり所が悪く、ほとんど即死だったろうと診察した医者は言った。
このときのベアトリクスのショックは筆舌に尽くしがたい。
泣き腫らした顔を黒いヴェールで覆い、花を手向けに事故現場へ向かった。
習い事で忙しく、ここ数年屋敷から出たことがないベアトリクスは愕然とした。街はこんなにも汚かったのかと。
散らばる生ごみに、汚い衣類、なぜ転がっているのか分からない片方だけの靴など。道行く人は、あまりに多いゴミを避けるでもなく、踏んづけて歩いている。
『ゴミのせいでメアリは……』
力なく膝をつくベアトリクス。
グラディウス王国は騎士と冒険者の国だ。街には飲み屋が多く、必然的にゴミが多く出る。この風景が、もはや人々の日常なのだ。
『こんなの、間違っていると思うわ』
彼女の小さな声は、誰に届くこともない。
街を綺麗にしたいと両親に願い出ても、なにを言っているんだと叱られた。結局ベアトリクスはの淑女教育はいっそう厳しくなり、こっそり美化活動する暇すら奪われてしまった。
数年が経ち、結婚適齢期になったベアトリクスだったが、メアリのことは片時も忘れたことがなかった。
(いつかこの国をゴミ一つない美しい国にしたいわ。あなたの死を無駄にしないためにも)
――――だから、ルシファーの呪いを受けたことはベアトリクスにとって幸運以外の何物でもなかった。大手を振ってゴミ拾いができるようになったのだから。
伯爵家にとって役立たずになった娘を、夫妻は惜しむことなく捨てた。屋敷が餞別だと、そう言い残して。
◇
「……んっ……」
翌朝、いつもの時間に目を覚ましたベアトリクス。昨夜メアリのことを思い出していたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
鼠が出たので今日は気合を入れて屋敷の掃除をしなければ。ルシファーには引き続き店番をお願いしよう。
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