極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~
26 母と兄
部屋に閉じ込められて数時間、藍子はすることもなく、ベッドの上で一人作戦会議をしていた。
どうしたら家に出られるか。せめてスマホを取り戻せたらいいのだけど、部屋に出ると何をするにしても秘書たちがついてくるので動きづらい。
どうすればいいのかとぼんやり考えていると、部屋のドアがノックされた。
「……はい」
「藍子、ちょっといいかしら」
「お母さん……なに?」
てっきり秘書だと思っていたので、むくりと起き上がってドアを少しだけ開けた。ドアの向こうには、母が家政婦とともに立っていた。
「久しぶりに会ったんだから、お茶でもどうかしら。おいしいケーキももらったの。……さっきは話ができなかったでしょう」
家に戻ってからは父をどう説得するかばかり考えていたので、母とはゆっくり話をしていない。今はすることもないし、藍子は招き入れることにした。
「……わかった」
お茶やケーキを藍子の部屋に運ばれて、お茶会のような光景が出来上がる。こういう豪華なおやつも久しぶりだ。母は甘いものも好きだったのでよく付き合わされた。準備を終えると家政婦は出ていき、母と二人きりになる。
「……おいしいわね」
母は紅茶を一口飲んで、上品に笑う。母はもともとお嬢様育ちで父とは見合い結婚だった。望んでいないお見合いだったら藍子の気持ちもわかるはずなのに、母はずっと父の味方だ。
ショートケーキを出されて、食欲はなかったけれど仕方がなく口にした。良いお店のケーキなのだろう。甘さが控えめでさっぱりして美味しかった。
「お母さんが私と話なんてめずらしいね」
「まあたまにはねえ」
「いつになったら私はこの家を出られるの?」
「……そうねえ」
母は考え込んだあと、にこりと微笑んだ。
「お父さんも、あれはあれで藍子のことを心配してるのよ」
「……そうは思えないよ」
「藍子にはわからないかもしれないけど、お父さんなりの考えがあるの。藍子の幸せを願ってのことよ」
「それは理解しようとしてるつもり。でも、お父さんは私の考えを一切理解しようとはしない。それじゃあ話し合いもできないよ」
「お父さんはそういう人だからねえ」
母ののんびりとした口調が、今は腹立たしい。
「……藍子は家を出てどうしたいの?」
初めて母に聞かれた問いかけに目をまるくする。何か心境の変化があったのだろうか。藍子の気持ちは決まっている。
「家を出て、自由になりたい。両親の決められたことをするんじゃなくて、自分の意志で自分の行動を決めたい」
「……かっこいいわね。私にはできない。父さんに似たんでしょうね。私も最初は藍子のような生き方に憧れてたけれど、いつからか諦めることに慣れちゃったわ」
お嬢様育ちで見合いのまま父と結婚し、母も藍子と同じように自分の意志など関係なく人生が決まったんだろう。母がその人生を嫌がったかどうかはわからないが母は母で思うところはあったのだろう。
「……藍子、私は父さんも碧も藍子も同じくらい大切よ。でも、父さんはいくらお母さんが説得したからって考えはかわらない。……だから藍子は好きに生きていいからね」
「……うん。ありがとう」
「ごめんね」
父を説得できない自分を責めているのか、申し訳なさそうにしている。今まで母は父の言いなりだと思っていたけれど、母なりの事情があったのだと思えた。
「ところで極道のかたと付き合ってるっていうのは本当なの?」
「えっ……あ、まぁ……」
「どんなかたかしら。写真はないの? 会ってみたいわぁ。悪い男って憧れてたのよね」
母は両手を組んで少女のようにキラキラした目をしている。今さら知る意外な一面だ。
「そんなこと言ったらお父さんに怒られるよ」
「そうだったわね。気を付けないと」
母の可憐さには憧れていたこともあったが、藍子とはあまりに違いすぎる。
話しながら食べていたらショートケーキを食べ終えていた。食欲がなかったのに、母と話をしていたら気分転換になったみたいだ。緊張もしていたらしく、ようやくリラックスしてきた。
「ケーキ美味しかった。ありがとう」
「よかったぁ。さすがあのお店のケーキだわ」
母と話ができてよかった。今まで冷たいことばかり言って反抗してきたことを心から反省していた。
「お母さん、今までごめんなさい」
「何言ってるの。お母さんだって藍子の気持ちをわかってあげられなくてごめんね」
母の言葉に涙ぐむ。けれど涙は見せたくなくて、きゅっと唇を噛みしめて我慢しながら首を横に振る。
「……お父さんが許してくれるといいけどね」
「まずはこの家から出るところからだね」
「そうね……また抜け出す?」
母はなぜか楽しそうだ。でも藍子は首を振った。
「ううん。それはしたくない。ちゃんとお父さんに認めてもらって家を出たいから」
勝手に家を出るのは母の協力があればできるだろうけれど、そうしたらまた同じことの繰り返しになる。
「……立派になったわね、藍子。極道さんのおかげ?」
「極道さんって……龍牙さんっていうの。いつかお母さんにも会わせてあげられたらいいな」
それは現実的ではない願いだが、口にするくらいならいいだろう。
「そうね。会えるのを楽しみにしてるわ」
「お母さんもお父さんの相手がんばってよ」
あの人の妻は大変そうだ。
「そうね。お見合いとはいえちゃんと愛してますからね」
「……恥ずかしいことを娘に言わないで」
あの父は父で、良いところもあるんだろう。それはわかっているが、今は藍子の敵だ。
「……お兄ちゃんは何か変わったことあった?」
兄のことも気がかりだった。兄が藍子を陥れるようなことをするわけがないと思っていたから。
「碧? 碧はいつも通りね。淡々と仕事をしてるわ。呼んでこようか?」
「……お願い。お兄ちゃんとも話がしたい」
「わかった。ちょっと待っててね」
「うん。ご馳走さま」
母は席を立ち、家政婦を呼んだ。
藍子と父の間で挟まれていただろうし、母を恨んではいない。母にもいろいろと葛藤はあったのだろう。母の気持ちを知ることができてよかった。
母が部屋を出てしばらくするとノックの音が聞こえた。兄だろう。
「どうぞ」
「……藍子久し振りだね」
兄の碧は柔らかい雰囲気の優しい人だ。藍子が実家を出る前からも藍子の苦しみは理解してくれていて、逃げ出す時にも少し協力してもらった。ただ、父に知られないようにすることが最優先だったので連絡もしておらず、両親同様久し振りに顔を見た。
「お兄ちゃん、私の写真をSNSにあげたの?」
「……ああ、それ」
兄はため息を吐いて、イスに座り項垂れる。
「ごめんね。逆らえなかったんだ……」
母と同様、兄も葛藤があったみたいだ。藍子だけ家を出てしまったことで彼らには迷惑をかけてしまった。
「逃げてしまったことでお兄ちゃんにこんなことをさせるはめになってごめんなさい。もうちゃんとお父さんと向き合うから」
「戻ってくるってことか?」
藍子は黙って首を振った。
「……そうか。そうだよな。知らないどっかの社長と結婚なんか嫌だよな」
「お兄ちゃんはお父さんの跡を継ぐんでしょ? それでいいの?」
それが一番気になっていることだった。
藍子は実家を出てしまったけれど、長男である碧は会社を継ぐために藍子よりも厳しく育てられていた。
「うん。俺は親父の仕事ぶりも尊敬してる。だから継ごうと思ったし、父さんに強制されたからやってるわけじゃないよ」
「……よかった」
「ただ、結婚相手だけはさすがに自分で選ぶよ。藍子みたいにね」
「私みたい、って」
兄までも龍牙のことを言っているのだろうか、と恥ずかしくなってくる。
「あんなに逞しい恋人がいたら藍子も強くなるだろうね」
「……うん」
藍子は素直に頷いた。
「お兄ちゃんの気持ちが知れただけでもよかったよ」
兄まで我慢しているんだとしたら彼を犠牲にしているようでつらい。そうじゃないと知られただけでもこの家に戻ってきてよかったと思える。
「……藍子、なんか変わったね」
「そう?」
「うん。逃げるだけじゃなくて現実と向き合ってるっていうか……なんか逞しいよ」
「それ妹に言うセリフかな」
「それはそうだね」
二人笑い合った。久し振りの兄との時間を実感する。
「まあ会社のことは気にしないで、俺がなんとかするから。ただ、藍子が出て行くことについては父さんは意固地になってるから、いくら言ってもダメなんだ。頼りない兄でごめんな」
兄は申し訳なさそうに眉を下げる。もとから優しい性格の彼には父の説得など酷だろう。
「……ありがとう。それは私が自分でがんばらなきゃいけないことだから大丈夫」
母も兄も、藍子の考えをわかってくれているとは思うけれど、この家には父に逆らえる協力者は残念ながらいない。
父に対してはなんとしてでも一人で戦わなければいけないみたいだ。
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