極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

17 嫌なウワサ


「お待たせしました。朝食らしくないものですみません」
「……うまそうだな」

 龍牙のために用意した朝食はごくシンプルなものだ。白いごはん大盛りとお味噌汁。それからお弁当のおかずをアレンジしたチキン南蛮と副菜をいくつか。朝食としては重いかもしれないが、龍牙なら大丈夫だろう。それらをテーブルに並べると藍子はまたキッチンへ戻った。

「一緒に食べないのか?」
「ごめんなさい。私はお店の準備があるので……」

 藍子はごはんを食べている暇はなかった。二つの炊飯器で急いで米を炊き、何十個ものお弁当を用意していく。慣れているので一個一個があっという間にできていく。

「わかった。俺だけすまないが、いただきます」

 龍牙は勢いよく両手を合わせた。箸と食器がふれる音で彼が食べてくれているのだとわかる。

「藍子、うまい」

 狭い部屋ではキッチンにいても彼の反応が見える。狭いなりに良いところもあるんだなと実感した。

「よかったです」
「……これは俺のための飯だろ?」

 龍牙に『俺だけのために飯を作ってほしい』と言われていた。いつか作ることができたらいいなとぼんやり思っていたことが無意識に叶えられていたみたいだ。

「もちろんです」
「……そうか」

 龍牙は感慨深い顔をしてみそ汁をすする。

 急を要することでパパっと作ってしまったが、今度はもっと時間をかけて龍牙のために作りたい。そして藍子も一緒に食事をする。そんな些細なことだけれど今まではどうなるかわからなかった。けれど、想いが通じ合った今なら可能なことだ。

 今まで自由ばかりを追い求めていたけれど、龍牙と出会って些細な望みが増えていく。
 それは藍子にとって初めて知る感情だった。


 なんとか間に合いそうな時間に準備が終わり、一緒に藍子のアパートを出た。龍牙にお弁当をキッチンカーに積んでもらって、そのまま藍子の車で龍牙の組事務所まで送った。

「ありがとうな」
「いえ、龍牙さんも仕事がんばってくださいね」
「ああ、藍子もな。また店に行く」
「ありがとうございます。じゃあまた」

 龍牙に手を振り、そのまま今の出店場所である広場へと向かう。
 時間はかかったが龍牙にようやく本当のことを話すことができて、しかも気持ちも通じ合えて藍子はやる気に満ち溢れていた。

 ――なのに。

 11時半から店をセッティングして準備は万端だ。
 けれどランチのピークである12時になっても、12時半を過ぎても、お客さんが来ない。
 まだ今日の売り上げはほぼゼロだ。こんなことは今までなかった。全体の客数は昨日よりも多い。他のキッチンカーにはたくさん並んでいるのに、どうしてか藍子の店だけは誰も近寄ろうとしない異様な光景だった。

 昨日までは順調だったのに突然何があったというのだろう。
 理由もわからず暇な藍子は休憩をすることにした。車を降りて自販機でアイスティーを買う。車に戻る途中で女性二人が藍子の車に向かっているのが見えた。ようやくお客さんだ、と車に戻ろうと速足になる。

「あ、あれおいしそう! 私あそこにしようかな」
 女性のうちの一人は藍子のお弁当を見て気に入ってくれたみたいだ。

「ちょっと、やめときなよ」
「なんで?」
 もう一人の女性が、それを引き留め声を潜める。普通ではない雰囲気に藍子は耳を傾ける。

「知らないの? 暴力団のお店だよ」
「えっそうなの?」
「やばいお兄さんが出てきたらどうすんの」
「こわ……やめとこ」
 二人の会話内容を聞いて、藍子はいてもたってもいられなくなり彼女たちに近づいていく。

「あの、すみません!」
「ひっ!」

 女性の一人が藍子に声をかけられて悲鳴を上げた。

「あの、私ここの店主なんですけど、何か噂が流れてるんですか?」

 女性二人は顔を見合わせる。店主が怖い男ではなく藍子だったので彼女たちは驚きつつも多少気を許してくれたようだった。

「なんかこのお店のことがSNSで拡散されてましたよ」
「え!?」
「ほら、これ」

 女性がスマホの画面を藍子に向ける。
 画面を見るとSNSに藍子の店の写真が載っていた。それに加えて『極道の店』『ヤクザの女』とさんざんな言われようの文章付きだ。しかも無断で藍子の写真まで載っている。目隠しはされているが、藍子と龍牙が二人でいるところの写真だ。その写真を見て固まる藍子に、女性たちは困惑の表情を浮かべる。

「い、嫌がらせですかねえ?」
「あ……教えてくださってありがとうございました」

 女性二人は同情するような視線を向けている。けれど疑念を持たれたままなのが透けて見えて、藍子はお礼を言ってすぐに車へ戻った。

 自分のスマホでも確認すると、同様の情報を見つけた。
 さらにはどの広場で出店しているか、車の外観や店の名前などまでも。しかもそれがなぜか大きく拡散されている。
 ここまで書かれてしまったら、藍子の店だと丸わかりだ。SNSをチェックしている人にだったら藍子の店を見たらすぐにピンとくるだろう。

 お弁当が売れない原因はわかった。だが、その原因を作ったのは誰かということが問題だ。

 結局今日のお弁当はほとんど残ってしまった。
 噂を目にしていない人や興味本位で来る人以外は遠巻きに見ているだけなのでお弁当は売れず、今日は赤字確定だ。

 誰があんな噂を流したのだろう。龍牙にも迷惑をかけてしまう。もしかして、あの鷲上がまだ何か企んでいるのだろうか。
 スマホの着信音が鳴った。藍子は重い気持ちのまま手に取る。

「……はい。もしもし」
『お世話になっております、株式会社キッチンセレクトでございます。深山さまのお電話でよろしいでしょうか』
 キッチンカーの出店場所を提供してくれている仲介業者からの電話だった。

「はい。お世話になっております深山です」
『突然で申し訳ありませんが、明日からの出店は取りやめていただけるようお願いします。もちろん、代金は日割りで返金いたします』

 それは藍子にとって業務停止命令のようなものだった。
 売る場所がなければ藍子はなにもできない。毎回お世話になっているその会社にこんなことを言われるのは初めてのことだ。確実に、あの噂のせいだろう。

「どうしてですか。あの噂だったら、違います! うちの店は私一人で始めたので!」
『……だとしても、あそこまで広がるとうちも悪い人と関わりがあると思われたらやっていけないんです、すみません。返金対応につきましてはまた改めてご連絡させていただきますので』
「……わかりました」

 龍牙は悪い人ではない。でも極道の組員なのは確かだ。誤解を解くこともできずに藍子は電話を切った。

「どうしよう」

 今から新しい出店場所を探すにしても、実際売ることができるのは早くても来週からだろう。これだけ噂が広がっているのなら、他の場所も断られる可能性がある。
 順調だと思っていたキッチンカーの仕事が、突然落とし穴に落とされたように希望が潰えた。

 どうすればいいのだろう。
 とりあえず今日はもう家に帰るしかなさそうだ。

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