極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

12 はじめての温もり


 車を停めるために一度家に帰り、彼に指定されたホテルへ向かう。念のため現地で待ち合わせをしようとのことだった。

 呼び出されたのは高級ホテルの一室だった。

 てっきりラブホテルか安いホテルにでも行くのだと思っていたので、その名前を聞いた時には信じられなかった。けれどフロントで名前を告げると当たり前のようにルームキーを手渡される。

 天井も高くとんでもなく広いロビーにいる人たちは藍子から見ると特別な人たちに見える。キョロキョロしてしまっているのが恥ずかしい。エレベーターに案内され、乗り込み、ぐんぐん上昇していく。部屋番号を聞いたときはまさかとは思ったが、予想通り最上階だった。

 エレベーターから降りるとフロアは静まりかえっている。普通のホテルの廊下よりもドアとドアの間が広く、一部屋の広さを感じた。
 高級感のある絨毯を踏みしめながら緊張しつつ部屋に向かう。指定された部屋は一番奥にあった。ドアを開けると広い空間と眩いほどの夜景が藍子を出迎えた。

 龍牙は仕事が終わっていないと言っていたので、まだ来ていないみたいだ。

「まさか、スイートルーム?」

 普通のホテルだと一室のはずだが、この部屋は二室ある。ベッドルームとソファがあってくつろぐ部屋が別になっていた。こんな豪華な部屋、来たこともなければ見たこともない。藍子はしばらくはしゃぎルームツアーをした。化粧室やバスルームもきっちり分かれていて広い。床は大理石で出来ていて高級感は十分だ。ベッドはキングサイズの大きなベッドで、ふかふかの寝心地は最高だ。
 藍子の収入では絶対にこんなところ泊まることはできない。

 一通り堪能したが、龍牙はなかなか来ない。
 じっと待っていることもできずに一足先にシャワーを浴びることにした。龍牙とこれから身体を重ねることを考えると緊張が高まっていく。せっかくの広々としたバスルームも堪能する余裕などなく、すぐに上がった。

 髪を乾かし、ナチュラルなメイクをすることにした。
 こんな経験は初めてなのでどの程度準備をすればいいかわからず余計なことをしていそうで怖い。
 メイクを終えると、ちょうど部屋のチャイムが鳴りドアへ走る。バクバクと心臓がうるさい。

「……はい」
「俺だ。入るぞ」
 扉の向こうから龍牙の声がした。ドアが開くと、私服姿の龍牙が部屋に入ってくる。

「悪い。遅くなった」
「いえ。スーツじゃないんですね」
「仕事じゃないからな。……もしかしてシャワー浴びたのか?」
「だ、だめでしたか?」

 バスローブ姿の藍子の姿を見れば一目瞭然だろう。さっそく余計なことをしてしまっただろうかと彼を窺う。龍牙は藍子の身体に視線を落としてから、すぐに目をそらした。

「いや。俺も浴びてくる」
「……はい」

 龍牙はすぐにバスルームへ向かった。少ししてシャワーの音が聞こえ始めた。
 彼はこの部屋を見ても驚きもしていなかった。きっとこういうことは慣れているのだろう。そう考えると嫉妬心が沸いてくる。

 なんせ藍子は初めてのことだ。

 龍牙に抱かれることは迷わなかった。ただ、未経験の自分で満足してもらえるのかが不安だ。この年齢で処女というのも、呆れられそうで怖い。
 せめて面倒がられないように、先回りして準備をする。部屋の明かりを暗くして、ベッドの端に座り彼を待った。

 龍牙はすぐにバスルームから出てくる。彼もバスローブを着ていた。
「……待たせた」
「は、はい」
 龍牙は藍子を見てため息を吐いた。

「準備が出来すぎてるな」
「……だって」

 手間取らせてはいけないと思ったのだ。そうでなくても処女は面倒がられそうだから。

「俺は風俗に来たわけじゃないんだぞ」
 龍牙はむすりとしながらベッドに座る。彼の体重でベッドが沈んだ。

「怒ってます?」
「ああ」
 龍牙は素直に頷いた。よほど怒りをかってしまったのだろう。

「ご、ごめんなさい」
「いや、俺が藍の服を脱がしたかっただけだ」
「あっ……」

 ベッドに押し倒され、バスローブの紐を解かれる。露わになった藍子の身体に視線が注がれる。

「……緊張する」
 龍牙の喉仏が上下し、ぼそりと呟く。思いもよらない言葉に藍子は目をまるくする。

「龍牙さんはこういうの慣れてるんじゃないですか?」
 勝手な妄想だが、極道の人は女性関係が乱れていそうだ。

「まさか。俺は経験がない」
「え!?」

 とんでもない発言に藍子は目を見開く。あまりにも見た目とギャップがありすぎる。

「いや、あるにはあるが、本当に好きになった女を抱いたことがない」
「……そういうことですか」
「だから、藍が初めてみたいなもんだ」

 つまり、仕事や風俗で経験があるということだろう。だとしても、彼の言葉を信じるならば本当に好きになった女性は藍子が初めてだということだ。たとえそれが『藍』に対する感情だとしても、藍子は十分だった。

「実は、私も経験がないんです」
 藍子も素直に告白をすると、意外だったのか龍牙も目を見開く。

「彼氏がいたんじゃないのか?」

 そうだ。『藍』はそういう設定にしていたんだった。藍子は慌てて理由を考える。

「私も、そこまでの関係にはなれなかった、というか」
「……そうか。俺が初めてでいいのか?」
「嫌だったらここに来てませんよ」

 こんなに大事なことを、どうでもいい人にあげるわけがない。迷いがあるならそれは藍子が彼を騙しているということだけだ。
 心の中で龍牙に謝った。
 最初で最後だから許してください、とも。

「なるべく優しくする」
「……お願いします」

 龍牙の手が優しく頬を撫でる。愛おしげに見つめる瞳はなぜか泣きそうに見えた。彼もバスローブを脱ぐ。すると筋肉質な身体があらわになり、腕には鮮やかな刺青が入っていた。

 初めて見る素肌に藍子は思わず手を伸ばしていた。きっと背中にも彼の覚悟が彫られているのだろう。恐怖はなく興味が芽生えてくる。彼の背中も見てふれてみたい。
 龍牙の二の腕を撫でている藍子の手を龍牙が掴んだ。その目は真剣で、藍子は視線を離せない。

「藍子。朝になったら俺はいなくなる」
「……わかりました。無事で会いに来てくださいね」
 寂しいし怖いけれど、それが龍牙の仕事だ。藍には彼を止める権利などない。

「ああ。約束する」

 始まりの合図のように、唇が重なった。
 優しくふれる唇は次第に激しくなり、藍子の身体を徐々に熱くさせる。キスをしているだけなのに鼓動はうるさいくらいに鳴り響き、呼吸が荒くなる。見下ろしてくる龍牙も次第に余裕をなくしていくのがわかった。

 激しくも甘い舌先は藍子の咥内を丹念に舐り続け、緊張で硬くなっていた藍子の身体を弛緩させていく。伸びてきた手は藍子の手を握り指を絡め、ベッドに縫い付けた。

「……藍」
 彼の低い声が甘く囁く。

 たとえ彼が『藍』だと思っていても、こんなに幸せな夜はない。ただ、自分の本当の名前を呼んでもらいたいという気持ちは拭えなかった。
 嘘を吐いてしまった自分が悪い。そう思っていても彼が『藍』と呼ぶたびに、胸がしくしく痛んだ。



「……んん……」
 カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて目を覚ますと、予告通り龍牙はいなくなっていた。
 重だるい身体を持ち上げると、ベッドサイドテーブルにメモ帳が残っているのが見えた。

――必ず会いに行く。

 スマホにメッセージを残されるよりも手書きのメッセージは心に響く。
 たった一言残されたメモ帳を、藍子は抱きしめた。

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