極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

11 その前に


 あれからも雨は強く降り続け、今日の販売は困難だと判断した藍子は仕事を切り上げて家に帰った。たくさんのおかずが無駄になってしまった。こんな時が一番悲しい。冷凍できるものは冷凍して自分のごはんにして、明日の仕込みに取り掛かっている。

「……明日は晴れるといいけど」

 予報では雨になっていた。いつもよりも数を減らしたほうが良さそうだ。それにしても龍牙は雨に濡れて風邪をひいていないだろうか。仕事のことを考えていたはずなのに、いつの間にか頭の中は龍牙のことでいっぱいになる。

 組長が撃たれたと言っていたが無事だろうか。そんな事件があったのなら常盤組の若頭である龍牙の命も危ないんじゃないかと不安になる。

 そう考えてぞっとした。

 極道映画にあるような戦いが実際起こっているのかはわからない。でも撃たれたということは銃が存在しているということだ。龍牙も同じ目にあったとしたら――。
 そこまで考えてあまりに恐ろしく、頭を振った。

 その時、スマホが鳴った。画面を見ると知らない番号だったが仕事の電話かもしれないので不思議に思うことなく通話ボタンを押した。

「はい」
 電話に出ても返事がない。

「もしもし? どなたですか?」
 それでも返事はなかった。間違い電話だろうか。さすがに電話を切ろうとした時、息を吸う音が聞こえた。

「……藍子?」
「っ!」
 そのおっとりとした声を聞いて藍子の心臓が飛び跳ねる。

「……お、お母さん?」

 数年ぶりに聞く母親の声だった。
「なんで、この番号知ってるの」
 実家を出た時にスマホを買い替えたので、番号は教えていない。

「お父さんとみどりが調べたの」
「調べた、って……」
「あなたお店やってるでしょう?」
 しまった、と心の中で呟いた。

 父は欲しいものがあったら何がなんでも手に入れる人だ。
 キッチンカーを始めるにあたって、名前や連絡先は必須だしそれに宣伝のためにSNSもやっている。藍子の兄である碧ならインターネットですぐに見つけてしまえるだろうし、父のことだから探偵でもなんでも使ってくるだろう。とはいえ、2年が経過した今でも父がまだ自分のことを探しているとは思わず、安心しきっていた。

「それで、なんの用?」
「藍子、家に戻ってきたら? お父さんも心配してるわよ」
「……どうせお見合いでもさせる気でしょ」
「もうそんなことはしないって言ってるわ」
「……口だけでしょう」

 父には何度も嘘を吐かれ、裏切られてきた。もう今さら何を言われても信じられない。
 母も、いつでも父の味方だった。
 おっとりした性格で父の言うことはなんでも聞く。それがたとえ子どもが嫌がっていることでも。藍子はそんな母にも、自分の思い通りにならないことが我慢ならない父にも、嫌気が差していた。

「お兄ちゃんがいれば十分でしょ。私は帰らないから。勘当してもらっていいし」
「藍子……」
 母の困った声はさらに藍子を苛立たせる。

「もう電話もしてこないで。私のことは忘れて!」
「あっ……」
 母が何か言う前に藍子は通話を終わらせた。

 久しぶりの母の声に心臓がバクバクうるさいくらいに鳴っている。胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。忘れていたはずの実家での記憶が一気によみがえってくる。
 がんじがらめで父の言いなりだった子ども時代、成長しても藍子の主張はすべて我儘だと捉えられ、自由なんてなかった。ようやく自分のしたいことを見つけたのに、またあの家に戻って邪魔をされたくはない。

「……龍牙さん」

 今はなんだか龍牙の存在がひどく愛おしい。
 藍子は自分の身体を抱きしめ、彼の温もりに思いを馳せていた。



 龍牙は忙しいのか、あれ以来会えていない。
 組長が撃たれたと聞いた時からもう一週間が経過していた。
 その間に藍子はまた契約上の関係で出店場所を変えた。さすがに彼には場所を連絡しているが、数日経っても龍牙は現れない。

「ありがとうございましたー」

 キッチンカーでの売り上げは順調で、黒字が続いている。でもずっと同じようにはいかないだろうし、次の戦略も考えなくてはいけない。全部自分の責任。それは今まで味わったことのない仕事で、藍子にとってやる気の源だ。

「もう終わりか?」
 仕事を終え片付けていると、声をかけられた。今日は好調でお弁当はもう完売してしまった。
「はい、すみませ……」
 顔を上げるとそこには黒いスーツを着た強面の男。

「……龍牙さん」
「藍子、久しぶりだな」

 口角を上げる彼の顔を見るのは久しぶりだ。龍牙はどこかやつれているように見えた。でも生きている姿を見ることができただけで藍子は泣きそうになる。

「無事だったんですね」
「ああ」
「組長さんも?」
「ああ。命に別状はない」
「……よかったです」
 組長には会ったことがないとはいえ龍牙の父だ。彼が悲しむ姿は見たくなかったので心の底から安堵する。

「久しぶりに話さないか?」
「はい! もうすぐ片づけ終わりますので」
「あっちで待ってる」

 そう言うと龍牙は車から離れ、ベンチに座った。久しぶりのその光景に藍子は口元を緩ませながら、急いで片付けを進めた。

「龍牙さん、お待たせしました」
「たいして待ってない。おつかれ」

 龍牙に缶コーヒーを差し出される。龍牙はすでに缶コーヒーを開けて飲んでいた。
「ありがとうございます」
 ベンチに座ってゆっくり二人で話をするのはいつ振りだろう。いつからか藍子はこの時間に居心地の良さを感じていた。

「龍牙さん痩せました?」
「そうか? 鍛えてはいるんだが」
 龍牙は腕を上げて力こぶを作って見せる。スーツの生地が張り、筋肉があるのは素肌を見なくても想像ができた。

「親父も鍛えてはいたが、チャカには勝てねえよな……」

 龍牙がぽつりと呟く。会えなかった間彼に何があったのだろう。仕事のことだろうから聞きたくても聞けなかった。

「……龍牙さんのお父さんのお見舞いに行きたいです」
「それはありがたい話だが、無理だな。部外者は入れない病院だ」
「そう、ですか」

 部外者と言われたことに少なからず傷ついていた。藍子はまだ嘘を吐いたままだというのに。

「気持ちはうれしい。ありがとな」
 龍牙の手が藍子の頭を撫でる。
「私、子どもじゃないですよ」
「そうだったな」

 龍牙は俯いて、ふっと息を吐いた。笑ったようにも見える。龍牙は俯いたまま両手を組んで何かを考えているみたいだった。いつもとは様子が違う。

「龍牙さん?」
「……これから忙しくなりそうで、しばらく会いに来られないかもしれない」
 龍牙の静かな声に真剣さが伝わってくる。

「なにかあったんですか?」
「恐らく、内部抗争だろうな」

 抗争、という物騒な言葉に心臓が揺れた。たまにニュースで流れてくる『抗争』では必ず死者や逮捕者が出ていた。

「いや、そこまではでかくならないかもしれない。まだハッキリしてないんだ」
 彼はずっと犯人を捜していたのだろうか。

「でも、組長を撃った犯人の目星はついてる。俺は若頭としてヤらなきゃいけない」
「それって、こ、殺したり……」
 龍牙が首を振った。

「それは組長や俺の仁義に反する。相手の出方によるかもしれないが……」
「そう、ですか」

 龍牙が殺す気はなくても、相手が殺す気だったら手を出さざるを得ないということだ。まさに漫画や映画の中の世界。藍子の想像には限界がある。きっと現実はそれ以上に恐ろしいんだろう。龍牙がその現実に立ち向かっていくことを想像するだけで手が震えてくる。

 藍子は自分の手をきゅっと握った。すると、龍牙がその手を片手で包み込む。

「もしそんなことになったら会えなくなるかもな」
「えっ」
 ふれられた手を龍牙の大きな手がぎゅっと強く握った。

「俺に会えないのは嫌か?」
「当たり前です」
 ずるい聞き方だ。でも藍子は自分でも驚くくらい迷いなく答えていた。

「……そうか。俺もだ」

 龍牙は大きく息を吐いて、吸った。

「だから、その前に藍を抱きたい」

 何度も藍子を戸惑わせたまっすぐな告白。藍子はもう驚きはしなかった。ただ、ほんのわずかな迷いはある。

「やっぱり嫌か?」

 藍子は彼に真実を打ち明けていない。
 でも今伝えてしまったら、きっとこれきりだ。怒った彼は離れていってしまうだろう。その前に抱かれたかった。『藍』としてでもいいから、龍牙に抱かれたい。

「……嫌じゃ、ないです」

 藍子は龍牙の手を離し、彼の片手を包み込むように握り直した。
 その手は熱く、藍子の身体に熱を灯した。

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