極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

10 悪い知らせ


 藍子も最初は自分の自由や夢のためだったこの仕事は、いつしか人に喜んでもらえるようにと日々考えていた。そう思えばまったく違う仕事でも似たようなものだ。

「藍は、なんでこの仕事をしてるんだ?」

 龍牙の問いかけに藍子は息を飲む。今まで誰にも話していなかった自分のことを聞いてもらえる人ができたのは、藍子にとって大きなことだった。

「夢だったんです。家を出て一人暮らしをして、カフェをやることが。でもカフェを始める資金がなかなか貯められなかった時、キッチンカーの存在を知って、コレだ! と思って」

 夜勤帰りのオフィス街で見たキッチンカーの光景。可愛い車が何台もありおいしそうな匂いがした。それに並ぶ人々の波。藍子も思わず並んでいた。お弁当を買って公園のベンチで食べた。外で食べる楽しさも相まってあの時のおいしさは言葉にできないほどだ。しっかりと頭に残っている。

「そうか。立派だな」
「……そんなことないです。龍牙さんのほうがすごいです」

 自由を求めて実家を出て、当時は逃げだと自分でも思っていたが、初めてぼんやりしていた夢がハッキリした。それから必死になって、2年以上かかってようやく夢のキッチンカーを始めることができた。人生で今が一番楽しいと自信を持って言える。

「応援するよ」
「ありがとうございます」

 気づけば龍牙はもうお弁当を食べてしまっていた。ごはんもたくさんあったのにもう空だ。藍子はまだ半分も残っているのに。

「……でも、今度は俺だけのために飯を作ってくれないか」

 そういえば、不特定多数の人へのお弁当は毎日作っているけれど、誰か一人のためにごはんを作ったことはなかった。彼に気持ちが傾いている今、龍牙のためだけにごはんを作るのも楽しそうだ。彼の好物ばかりが入ったお弁当を作りたい。
 でも、藍子には先に話さなければいけないことがある。

「……その前に、龍牙さんに話しておきたいことがあるんです」
「なんだ?」

 藍子は緊張から姿勢を正した。藍子の表情を見て龍牙も何かを察したのか、真剣な表情になる。
 さすがに彼に伝えなければいけない。本当ならもっと早く言うべきだったが、覚悟ができていなかった。でもここまでして『藍』を求める彼に、これ以上嘘を吐くことはできない。

「ごめんなさい、私実は……」

 緊張しつつ彼に真実を伝えようとすると、着信音が聞こえた。龍牙が胸ポケットからスマホを取り出す。

「悪い、電話だ。中でいいか?」
「は、はい、どうぞ」

 仕事の電話なのだろう。彼はすぐに電話に出た。外に出ようとしたみたいだったが雨はさらに強くなっている。

「もしもし?」
 電話の向こう側から男の人の声がした。内容は聞こえないけれど、相手が興奮している様子なのは伝わってくる。

「なに、組長が!?」

 龍牙の大きな声に藍子は身体をビクつかせた。彼は顔を硬くしている。何か悪いことが起こったのだとすぐにわかり、心がざわつく。

「……わかった。すぐに戻る」
 深刻な表情のまま電話を切ると龍牙はすぐにドアに手をかけた。

「藍、悪い。用事ができた」
「なにかあったんですか?」
 いつも以上に龍牙の眉間の皺が深く刻まれている。

「……組長が撃たれたらしい」
「え……」

 物騒なセリフに藍子の思考が止まる。一緒にいると穏やかな時間なので彼が極道の人だということを忘れてしまいそうになるが、忘れてはいけない大事なことだ。知識のない藍子にでも『組長』がどんな立場の人かはわかる。きっと常盤組にとって重大事件だ。

「じゃあな、また来る」
 詳しく話を聞いている余裕はない。龍牙はドアを開けて車を降りた。
「は、はい! 気をつけて!」

 龍牙は雨の中走って行ってしまった。ぱしゃぱしゃと足音が響き、やがて聞こえなくなる。隣の存在がいなくなるだけで狭い車内がやけに広く感じた。
 藍子は残りのお弁当をゆっくり食べ進めながらおいしそうに食べてくれていた龍牙のことを思い浮かべる。

 彼は世界が違う人なんだ。
 もしここで藍子の想いを伝えたところで、未来があるのだろうか。
 彼に歩み寄るべきか、また別れを告げるすべきか、藍子は考えあぐねていた。

***

「……親父っ!」

 龍牙は病室のドアを開けると同時に声を荒げた。
 広々とした個室の奥にある大きなベッドに龍牙の父親――常盤組二代目組長、常磐龍一郎りゅういちろうは横たわっていた。龍牙と同じく眉間には深い皺が刻まれている。

「……うるせぇな。傷に響く」

 ベッドに寝ている常盤組長の肩には包帯が巻かれている。不機嫌そうではあるがとりあえず意識があることに安堵しつつ龍牙は乱れた息を整えながらベッドにゆっくり近づいた。

「お前ら、外に出ろ」

 組長の一言で、病室にいた二人の構成員が病室を出ていく。組長と龍牙の二人きりになった。龍牙はベッド脇のイスに座る。父親である組長のこんな姿を見るのは初めてでわずかに動揺していた。

 組長は事務所を出たところで車に乗る直前で遠い場所から撃たれたらしい。車のドアが邪魔をして命中はしなかったが、命中していたら確実に仏になっていたそうだ。龍牙はそれを聞かされた時、手足が震えうまく走ることができなかった。

「親父、無事……ですか」
 肩は包帯が巻かれているが、目を覚ましている組長を見て龍牙はようやく落ち着いた。
「ああ、とりあえずはな。……若頭がそんな顔するな」
「……は、はい。すんません」

 龍牙はハァ、と深い安堵の息を吐く。藍子の車を出てから龍牙はすぐに組員の車に乗り込んだが、気が気ではなかった。組長であり父親だ。心配しないわけがない。

「それで、誰にやられたんですか。他の組ですか」
 大事なのはそこだ。相手によっては組同士の大抗争の勃発だってあり得る話だ。
「いいや。俺もわからない。だが内部だと思ってる」
「は!?」
 龍牙は驚きの声を上げた。

「最近はどこの組も大人しいし龍牙の外交のおかげでうまくやってたはずだろ。唯一うまくまわってないのは組内だけだろう」
「そんな……」

 組の内部に組長を撃つような男がいるとは思えない。全員が組長を尊敬し、どんな形であれ仁義を貫いていると思っていた。それは自分にも言えることで、子どもの頃は反抗していたが、今は本物の『極道』を極めている人だと、尊敬していた。

「おい若頭のお前が把握してねえのか?」
「……すんません」
 龍牙は膝に手をつき頭を下げた。

「まぁ、俺みてぇなのは今の若いモンにとっては甘い考えなんだろうな」
 組長が窓の外を眺めながら呟く。

「そんなことないです。ついて来れない奴が悪いんです」
「そうとも限らない。いつも言ってるが、視野は広く持てよ」
「……はい」

 龍牙は、組長は撃った犯人のことをわかっているのかもしれないと思った。けれどあえて口にはしない。後継者である龍牙を試しているのだろう。組長はたとえ自分が撃たれてもそいつを殺せとは言わない。それが組長の考え方だ。

「お前がはやく一人前になってくれねえと、俺ぁ引退できねえぞ」
「……はい」
 龍牙は、悔しさから強く拳を握りしめた。

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