極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

09 濡れたキス


 雨だけではなく風も強くなってきて、店頭に出している看板が倒れてしまった。藍子は車から降り、雨を手で避けながら倒れて飛ばされた看板を拾おうとすると、藍子よりも先に看板を拾ってくれた人がいた。

「あ、ありがとうございま……」
 見上げて雨の中助けてくれた人を見上げると、よく知った顔だった。

「龍牙さん!?」

 どうしてこんなところに。

「濡れるぞ。手伝う」
 藍子が呆然と彼を見上げたままでいると龍牙に促される。
「あ、ありがとうございます!」

 藍子の代わりに龍牙が看板やのぼりを車の中に仕舞ってくれた。外に出たせいで二人揃ってびしょ濡れになってしまったので車に積んでいるタオルを彼に渡す。雨に濡れた龍牙はどことなく色気があって最後に別れた時のキスを思い出してしまった。

「ま、また助けてもらっちゃいましたね。ありがとうございます。……でもなんでここに?」
「会いに来た」
「え……」

 龍牙は簡単に言うが、藍子は彼にこの出店場所は伝えていない。藍のキッチンカーのSNSをチェックしていればわかるようなことだが、彼がそこまで詳しいとは思えない。

「それより、弁当一ついいか」
「あ、は、はい!」

 出店場所を変えたのに龍牙がここにいることが信じられなくて、ぼんやりしてしまった。
 売れ残っているお弁当はたくさんある。龍牙が好きだった日替わり幕の内弁当と、ごはんの大を彼に渡した。

「あっちで待ってる」
 それはいつものセリフだ。でも今日はこの雨では食べる場所もないだろう。この広場にはベンチはあるが、屋根が設置されている場所はない。

「でも濡れちゃいますよ」
「……そうだったな」
「よければ、車の中で食べますか? 二人分ならスペースあります」

 屋根のない広場で待ってもらうことはできない。車の運転座席と助手席なら空いているので藍子の休憩場所でもある。

「悪いな、そうさせてもらう」
 龍牙をより広い助手席に案内する。藍子も弁当を持って運転席に座った。

「お客さんもいないので、私も休憩します」

 夕方までには止めばいいのだけど。
 それよりも気になるのは龍牙がここにいることだ。

「龍牙さん、どうして私がここで店を出すことを知っていたんですか?」
「探し回った。というか、下のモンに調べさせた」
「……なるほど」

 一見物騒に聞こえるが、彼の気持ちを知っているだけに迷惑だとは思わなかった。むしろ、また会えてうれしいとすら思ってしまっていた。

「お前は会いたくなかっただろうが、藍のことを忘れられなかった。悪い」

 彼は苦々しい顔をして項垂れる。大きな身体の彼にこんな顔をさせるのは何回目だろう。ここまでしてくれる龍牙に藍子の感情は揺さぶられる。逃げるように彼の元を離れても龍牙のことばかり考えたのは、罪悪感があるからでも、連絡が来るからでもない。龍牙に惹かれているからだ。

「謝らないでください。……私も、です」

 素直になるのは恥ずかしくてうつむいてしまったが、隣に座っている龍牙の身体が動揺で揺れるのがわかった。彼が藍子のほうをじっと見ているのが視界の端に映る。藍子は自分の手をきゅっと握り、彼を見上げた。

「藍……」

 龍牙に見つめられ、甘い雰囲気が漂う。恐る恐る近づいてきた龍牙の手が藍子の頬を撫で、耳を撫で、ゆっくり後ろ頭へまわる。そのまま強く引き寄せられ唇が重なった。

「んっ」

 雨で濡れているのか、湿った唇が藍子の唇を覆う。何度かふれ合うと彼の舌は藍子の唇をこじ開ける。あの日のような情熱的なキスだ。歯列をなぞり咥内へ入ってくる分厚い舌先は藍子の舌をいやらしく絡めとる。

「ん、ん」
 激しいキスに藍子の息が漏れる。

 頭を押さえている手と反対側の手が藍子の耳にふれ、耳朶を指先で弄ぶ。耳をさわられているだけのはずなのに、くすぐったいとは違う感覚が藍子を襲う。甘い声が出てしまいそうになるが龍牙に飲み込まれる。

 食べられるようなキスが長く続き息が苦しくなってくる。でも彼をとめることはせず、藍子も甘いキスに浸っていた。
 ずっと龍牙とまたキスをしたいと思っていた。
 自分を欺し続けていたけれど、それが正直な気持ちだった。

「は、ぁ……」

 長いキスが終わり瞼を開くと、熱のこもった視線と目が合って早鐘を打っていた心臓はさらに速度を増す。

「藍、お前を抱きたい」
「……え……」

 ストレートな言葉に藍子は言葉を失った。

「コレだけじゃ足りねえ」
 龍牙は苦しそうに眉根を寄せる。

 そんなにハッキリ言われたことのない藍子は動揺し、キスのせいもあって呼吸が浅くなる。この前初めてキスをしたばかりなのに抱きたいなんて、藍子は気持ちも身体も追いつくのに必死だ。

「藍、だめか?」

 それなのに藍子は嫌だとは言いたくなかった。龍牙が求めてくれるのなら藍子もそれに応えたい。嘘を吐いている罪悪感はあるのに自分の気持ちを抑えられない。

「私……」

 彼の弱気な問いかけに頷きかけた時、きゅう、とお腹が鳴る可愛い音がした。
「あ」
 お腹の音の犯人はわかりやすくお腹を押さえて顔を赤らめる。藍子はつい笑ってしまって、龍牙と目が合うと彼は口をへの字にして顔を赤くする。

 甘い雰囲気は一気に崩された。
 お弁当を持って運転席に座ったはいいが、二人ともまだ一口も食べていなかった。藍子もお腹は減っているし、彼のお腹も限界らしい。

「……クソ、かっこつかねえ」
 龍牙が顔を赤くしたまま舌打ちをする。そんな龍牙を藍子は可愛いと思ってしまった。

「先にお弁当、食べましょうか」
「あ、ああ」

 お弁当を開き、一口。彼の一口は大きくて唐揚げをひとつとごはんをたっぷり口に含んでいた。久し振りに龍牙が藍子のお弁当を食べる姿を見る。その勢いは気持ちがいい。

「やっぱり藍の弁当はうまいな」
「ありがとうございます」

 おいしい、と言われることがこんなに自分を満たしてくれる。キッチンカーを始めるまで知らなかったことだ。龍牙はおいしそうにもりもり食べてくれて、思わず見入っていた。
 ずっと見ているわけにもいかないので、藍子も自分のお弁当を食べ始める。

「そういえば、久し振りだな。元気だったか?」

 遅すぎる挨拶だ。それに久し振りといっても数日振り程度だ。なのに藍子も久し振りに感じるのは会いたくてたまらなかったせいだろう。

「はい。龍牙さんもお元気そうでよかったです」

 龍牙とまた会っていることにも驚きだが、彼の仕事の邪魔になっていないか心配はある。極道だってきっと忙しいはずだ。

「……龍牙さんは普段、どういう仕事をしてるんですか?」
 聞いていいか悩んだが『藍』だとしても誤魔化すことができそうな質問をした。
「どういうっていうと説明が難しいな。俺は会社を任されてるな。あとは他の組織との会議に出たり組内の指導をしたり……色々だな」
「なんか忙しそうですね……」

 想像は難しいがやることが多いのはなんとなくわかった。ただ、もっと怖いことをしているイメージがあったので拍子抜けする。龍牙があえて隠しているだけだろうか。

「まあな。でもやりがいはある」
「お仕事楽しいですか?」
「楽しいかと聞かれるとどうだろうな。でも人のために働いてる時は楽しいかもしれないな」
「人のために……」

 極道が組のためではなく人のために働いているイメージは無かった。彼が普段どんな生活や仕事をしているのか、さらに興味が湧いた。

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