極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~
04 彼との距離感
「藍」
「……あ、龍牙さん。いらっしゃいませ」
この広場で出店して四日目。彼はもうすっかり常連だ。昼も夕方も会いに来てくれている。彼が『藍』と話がしたくて来ているのだとわかっているからこそ胸が痛い。はやく一週間が過ぎればいいのに、と思っている。
今日も仕事後まで龍牙は藍子を待っていた。
夕方のほうが藍子の時間があるとわかると、彼は藍子が仕事を終えるまで広場のベンチで待っていてくれている。一度お昼に顔を出しお弁当を買ってくれているのに、夕方に来る時も買ってくれるので藍子にとっての常連客でもある。
夕方の売り上げは初日こそ良かったものの、数日経つと落ち着いていた。7時を過ぎたらもうほとんどお客さんは来ない。今日も7時には店じまいだ。待ってくれている龍牙の元へ向かう。
「龍牙さん、いつもお待たせしちゃってすみません」
「いや。俺が待ってるだけだ」
藍子は彼の隣に座った。彼の名前を呼ぶことも、隣に座ることも、もう慣れてしまった。今日も昼と夕方にお弁当を買ってくれて、きれいに平らげてくれていた。
彼が極道の人だとわかっているけれど、普通の会話をするのはなんら一般人と変わらない。彼が裏でどういう仕事をしているのかも教えてくれないので龍牙が善人なのか悪人なのかさえ判断がつかないままだ。
「藍……」
名前を呼ばれて彼に視線を向けるが、龍牙は言いづらそうに目をそらす。
「どうしたんですか?」
龍牙はたまに今のように挙動不審になることがあるが、今日は特別おかしい。視線が泳いでいて、深くため息を吐いたり空を仰いだり、明らかに落ち着きがない。
「藍は……その、恋人はいるのか?」
やけに言いづらそうに訊いてくる質問に藍子は息を飲んだ。
彼の『藍』に対する感情はまさかとは思っていたがその問いで察した。
「いない、です」
「……そうか。よかった」
どう答えればいいかわからず藍子自身について答えてしまった。本物の彼女はどうか、もちろん知る由もない。
「それなら、今度食事にでも行かないか」
「え、あ、でも……」
「嫌か?」
藍子は彼に嘘を吐いている身だ。食事をきっかけに嘘がバレてしまうかもしれない。そう考えるとこの場で会うことだけで精一杯だ。それに彼は極道の人だ。警戒心を忘れてはいけない。
藍子がどう断ろうか考えていると、龍牙は察したのか頷いた。
「わかった。諦めるよ」
「え?」
「大学の時も、極道ってことを気にしてたもんな」
『藍』もきっと龍牙の極道という身分を気にしていたのだろう。彼女と龍牙がどういう関係だったのかはわからないけれど、元恋人とかだろうか。龍牙が『藍』を好きだったのはなんとなくわかる。
藍子では気持ちに答えられるわけがないが、ドーベルマンのような人にこんなに寂しそうな顔をされたら同情心が芽生えてくる。――でも。
「……ごめんなさい」
それでも承諾するわけにはいかない。
「いや、俺こそ悪かった。……じゃあな」
龍牙は立ち上がりそのまま帰って行ってしまった。彼を傷つけてしまったんだろう。
誘いを断っても、誘いを受けて真実を話しても、どちらにしろ龍牙を傷つけることになる。これでよかったんだと自分に言い聞かせることしかできなかった。
翌日、龍牙はキッチンカーに来なかった。
いつもだったら昼と夜にはお弁当を買ってくれる。けれどお昼の時間帯には彼は来なかった。
さすがに昨日誘いを断ったせいだろう。でもこれでよかったはずだ。このまま日曜日まで過ぎればもう会うこともなくなるだろう。
夜の販売を終えても、やはり龍牙は来ない。お弁当はほぼ完売したし客数も減ったので藍子は彼のことを考えつつもそろそろ片付けをすることにした。
「お姉さん、すみません」
スーツ姿の妙齢の男性が立っていた。きっと会社帰りに夕飯のお弁当でも買いに来てくれたのだろう。
「すみません、今日はもう販売終了いたしまして」
「いえ。あの、これから飲み行きません?」
「えっ?」
知らない男性に突然誘われて藍子は驚きから声を上げた。
「弁当売ってるところずっと見てたんですけど、きれいな人だなって思って……」
「いえ、そんな」
初対面の男性に突然褒められ、慣れていない藍子はどういう反応をしたらいいのかと困惑する。藍子の動揺は気にせず男性はさらに近づいてくる。見るからに真面目な人という感じでナンパはしなさそうに見える。
「だから、飲み行きませんか?」
褒められたからといって、知らない男性との関わりは避けたい。
「……すみません。知らない方とはちょっと……」
「これから知ればいいじゃないですか。行きましょう」
男性は藍子の手を掴んだ。
知らない人に手を掴まれるのがこんなにゾッとするものだろうか。
「は、離してください!」
「いやです」
男性は余裕の表情でにこりと微笑む。男の強引さに言葉を失う。真面目な人どころかタチの悪い男だ。
「いいから、こっちに来い」
男は言葉遣いも荒々しくなっていき、本性が現れ始めているみたいだ。
「や、いやっ!」
掴まれた手を振りほどけない。
夜の広場では人も少なく、助けを求める先もない。自分でどうにかするしかないのに力では敵いそうにない。逃げられない恐怖に手足が震え始める。抵抗してもどうにもならずに手を引かれるまま歩き出すしかなかった。財布やスマホは車の中なので飲みに行くという話もどうでもいいみたいだ。こんなのはまるで誘拐だ。
その時、藍子の車の近くに人影が見えた。誰だかすぐにわかった。
「……龍牙さんっ!」
名前を呼ばれた龍牙は藍子の元へ走ってくる。彼の顔を見ただけでもう泣いてしまいそうだった。近づいた龍牙は藍子の状況に気づくと、藍子の手を掴んでいる男を睨む。
「おい、俺の女に何か用か?」
「は?」
男性は声をかけてきた龍牙を睨むが、彼の気迫に気づくと、一歩下がった。それでも藍子の手を離さない男の手を、龍牙が強引に引きはがしてくれた。
「……お姉さん、この男と知り合い?」
藍子は男性を睨みつつ頷いた。
「……そっち系かよ」
男はぽつりとつぶやくと、パッと表情が変わった。
「彼氏いるなら言ってくださいよ~。では」
そう軽く言って男はさっさと藍子たちに背を向け歩き出す。解放された藍子は心の底から安堵して、身体の力が抜けていく。
「おいてめぇ!」
龍牙は声を荒げ男を追いかけようとする。彼の職業柄これ以上ことを荒立たせたくないのでふらついた足のまま龍牙の腕を掴んだ。
「龍牙さん、大丈夫ですから、すみません」
「本当に大丈夫か?」
「……はい、助かりました。ありがとうございます」
あの男性の豹変っぷりはさすがに恐怖を感じた。飲みに行くだけではなく連れ去られるのではないかと思うくらいに。
「知り合いの男か?」
「いえ。初対面です。あまりに強引で驚きました」
「ナンパにしても、妙な野郎だな」
龍牙はまだ男が去った方向を睨んでいた。
「……龍牙さん、今日は来ないと思ってました」
「そのほうがいいと思ったんだが、顔が見たくて」
藍子は昨日彼の誘いを断ったというのに、龍牙はまだ会いたいと思ってくれているのか。藍子は彼に対して酷いことをしているというのに。
「あの、お礼をさせてください」
「そんなのはいい」
「だめです」
今日のことはお弁当一つではお礼にはならないほど感謝をしている。強い意志を持って龍牙を見上げると、彼は手を口元にあて、困った顔をしていた。
「じゃあ……飯を奢ってくれ」
少し考えたあと龍牙は言いづらそうにしながらもはっきりそう口にした。
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