極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~
03 彼の正体
ようやく落ち着いた1時半。
お昼用のお弁当はほぼ完売した。今日はこのあたりで店じまいをしてしまおう。片づけている途中で、龍牙が待っていることを思い出した。藍子は自分用にとっておいた弁当を一つ持って彼の座っているベンチへ向かった。
「お待たせしてしまってすみません! お仕事大丈夫ですか?」
「……ああ。隣、座れよ」
「……はい。あ、お弁当全部食べてくれたんですね」
龍牙の手元にはカラになったお弁当箱があった。昨日のおかずとは違ったけれどきれいに平らげてくれたみたいだ。
「ああ、うまかった」
「よかったです。私も休憩しようと思ってお弁当を持ってきました」
お昼のピークを過ぎれば、休憩してから夕方に向けての準備をしている。残ったお弁当を食べながらいつもだったら夕方のお弁当の数について考えていたけれど、今は隣に龍牙がいるのでそれどころではない。
「藍はどこに住んでるんだ?」
「この近くの安アパートですよ」
実家を出てからキッチンカーを始めるために生活していたので節約が必須だ。都内ではあるけれど安い木造アパートで生活をしている。龍牙はその見た目からも良いところに住んでいそうだ。チラリと見えた時計や靴も、高そうだ。
そんなことよりも、藍子は彼に話さなければいけないことがある。
緊張するけれど彼に正直話さなければいけない。
「あの」
「あのな、藍……」
藍子が言いかけた時、龍牙も同時に口を開いた。
彼からはどこか緊張感が伝わってきて、藍子は口を閉ざして彼をじっと見つめていた。
「若頭!」
スーツ姿の男性がそう声を上げてこちらへまっすぐ走ってくるのが見えた。彼の知り合いだろうか。でも今、なんて呼ばれていた?
走ってくる男性は藍子たちの目の前で立ち止まる。
「若頭、ここにいたんですね」
「……虎珀か」
(今、若頭って言った?)
聞きなれない言葉だけどテレビドラマや映画の中でたまに耳にする単語だ。男性は藍子にチラリと視線を向けた。
「若頭が女性と話をしているなんて珍しいですね」
「うるせえ」
一瞬聞き間違いかと思ったけれど、もう一度『若頭』と聞こえた。彼の名前は『常磐龍牙』なので、あだ名が『若頭』とか? 見た目的には納得だがいい大人がそんな珍しいあだ名で呼ばれている……とは考えづらいだろう。彼の風貌からもしかして本物の可能性もあるかもしれない。無いと思いたいけれど。
「喉か沸いた。飲み物買ってくる」
「若頭、私が買ってきます」
「いや、いい」
虎珀と呼ばれた男を断り、龍牙は自分で自販機に向かっていた。キッチンカーでは飲み物も一緒に販売したほうが良さそうだと考えながら、初対面の彼と二人残されては気まずい思いを抱える。けれど、探りを入れるにはちょうどいい。
「あの、龍牙さんって今も若頭を……」
「はい。このあたりを仕切っている常盤組の若頭です」
はっきりと告げられ、現実を突きつけられる。
「で、ですよね……」
(まさか、本物の極道ってこと?)
「あなたは若頭とどのような?」
彼の目が光る。スーツ姿の彼は龍牙と同様にネクタイをきちっと締めている。シュッとしていて龍牙とは違ったタイプで、弁護士とかそういう仕事をしていそうな雰囲気がある。切れ長の目の奥は鋭い視線で、そこは龍牙に似ていた。
「……間宮藍と申します。龍牙さんの、昔の知り合いというか……」
龍牙に吐いた嘘を、彼にも吐くしかなかった。
「そうでしたか。あの人にも女性の知り合いがいたんですね。私は若宮虎珀といいます。若頭補佐やらせてもらっています」
「は、はぁ……」
聞けば聞くほど信ぴょう性が増していく。
龍牙が極道の人だとは信じたくないけれどこの状況で彼らが冗談を言っているようには見えない。それどころか彼らの見た目はもうそれにしか見えなくなっていた。
戻ってきた龍牙はペットボトルを2本持っている。龍牙はそのうちの一本を藍に差し出した。
「藍はウーロン茶でよかったか?」
「私の分まで、ありがとうございます」
ペットボトルを受け取るとさっそく一口飲んだ。
龍牙もウーロン茶をごくごくと飲んでいる。横から見ると彼の逞しい喉仏が揺れていて、どこか色気がある。彼は喉が渇いていたのか、半分以上一気に飲み干していた。
「で、何の用だ虎珀」
「……若頭、組長が呼んでます」
「なんの用だ」
龍牙の顔は明らかに嫌がっていた。虎珀は藍子をチラリと見てから声をひそめた。
「それはここではちょっと」
一般人の藍子には聞かせられないようなことなのだろう。龍牙は大げさにため息を吐いて渋々立ち上がった。
「藍、昼もいつもここで売ってるのか?」
「そうですね」
昼も夕方も、一週間はこの場所で売るしかない。
「また来るが、一応連絡先を教えてくれ」
「……ええと……はい」
迷いながらも断る理由も思い浮かばず、スマホを取り出して龍牙と連絡先を交換した。交換、してしまった。彼はスマホを見て口角を上げ、どこかうれしそうだ。
「若頭がこんなに女性に積極的なのは初めて見ました」
「うるせえぞ、虎珀!」
龍牙の頬がなぜか赤くなる。こんな怖い顔をして頬を染めるなんて、そのギャップになぜか胸が鳴った。
「じゃあな、藍」
「……はい」
立ち去る二人の背中を見て、頭の中で整理する。
結局藍子の名前は嘘だと言えなかった。というよりもまさか常盤組の若頭だったなんて。
このあたりで仕事をすることと決めた時に街のことを調べていたら『常盤組』という名前が出てきた程度だ。深い知識はないしどれほど怖い勢力かも知らない。
確かに風貌は普通のサラリーマンとは気迫が違うと思っていた。にしても極道の人だなんて想像もしていなかった。自分とはかけ離れた存在だったからだ。
龍牙は藍子を助けてくれたので関わったことに後悔はないが、もしかしたら名前が嘘だとバレたらとんでもない目に遭うのでは……。
そう考えたらぞっとした。
今日本当のことを話そうと思っていたのに、さらに言いづらくなってしまった。
いや、恐ろしくてもう正直に話すことはできない。
一週間の我慢だ。
それを過ぎたらこの場所に来なければいい。連絡先を交換してしまったのが気がかりではあるけれど、なんとかなるだろう。仕事場としても良い広場を見つけたと思っていたからそれは残念でならない。
藍子の罪悪感は膨らむばかりだ。
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