極道、溺愛。~若頭の一途な初恋~

春密まつり

01 出会いと嘘

 誰か助けて、と願ったところで誰も助けてくれる人なんていない。
 この街には知り合いは一人もいないのだから。

 夕暮れ時。会社勤めの人が帰宅する時間を狙って訪れた広場にキッチンカーを停めた。弁当の売れ行きは上々だったのだが――深山藍子みやまあいこは今、中年男性に言いがかりをつけられている。

「だから、高すぎだって言ってるんだろうが!」

 まだ夕方だというのにくたびれたスーツ姿の男は酒が入っているのかふらふらしながら藍子を指差す。
 実家を出て2年、それからキッチンカーを始めて半年。ようやく軌道に乗りかけたところで初めてのトラブルだった。さんざん頭を下げても男の興奮は収まらない。他のお客さんの迷惑にもなっているし、もういい加減腹が立ってくる。

「だから、うちはこの価格なんです! 他のお客様のご迷惑になりますのでもうお引き取りください!」
 藍子はポニーテールにしている黒く長い髪を揺らしながら、男に言い返す。

 お弁当の価格はおかずのみで400円から600円だ。ごはんは別売りだと説明をした途端怒り始めてしまった。
 コンビニやお弁当屋さんに比べたら高価格帯だろうけれど、他のキッチンカーと比べても適正価格のはずだ。さんざん調べたのだから藍子に自信はある。おかずとごはんを別にするのだって理由がある。何度説明をしても謝罪をしても無理なら追い返すしかない。

「なんだと!?」

 藍子の強気な態度に男はさらに顔を真っ赤にする。しまった、と思ったが興奮する男を止める術がわからない。クレーマーに負けないようにと対応したつもりだったのに逆効果のようだ。他に並んでいたお客さんたちも離れていく一方だ。買ってくれようとしていた人が帰っていくのが視界に入って焦り落ち込む。

「おい、ねえちゃん! 外出てこいよ!」

 その間にも男はさらにヒートアップしていく。ここまで興奮してしまった人をどう収めたらいいのかわからないし、車外に出てしまったら暴力を振るわれてしまうんじゃないかという恐怖もある。でも外に出ないと話はつかなそうだ。いつでも警察を呼べるようにスマホを片手に、車を降りようとした。

「騒がしいな」
 低い声がその場に響く。

 中年の男が喚いていてうるさかったはずなのに、その男の一言で静まりかえるようだった。藍子も男もその声の主に視線を向ける。
 そこに立っている男の雰囲気に息を飲む。

 身長が高くガタイも良く、漆黒のスーツに身を纏いネクタイをきっちり締めている姿は映画俳優のようで絵になる。髪もスーツと同じく黒く、前髪を上げて固めている。一見ちょっとコワモテのサラリーマンに見えるが表情はやけに険しく、迫力があった。

「お、おい! 兄ちゃんも言ってくれ! この値段はぼったくりだろ!」
 中年の男は良い味方を見つけたとばかりに彼にすり寄り、藍子を敵に回そうとする。
「ぼったくりなんてそんな!」
 個人経営ではこれが限界だ。

 藍子は助けを求めるように彼に視線を向ける。目が合った男はチラリとメニュー表を見た。
 再び視線が合うと彼の視線は鋭くなっていて背筋が凍る。このおじさんだけならまだしも、強面の男にまで絡まれたら終わりだ。藍子は男たちには死角となる場所でスマホを操作し、110と番号だけを押して待機する。
 黙ったままだった男は、藍子ではなく中年の男をぎろりと睨んだ。

「……イチャモンつけてんじゃねえよ。それが商売だろ」

 ドスのきいた低い声と鋭い眼差しに身体が固まる。
 まさか自分の味方をしてくれるとは思わず、藍子は唖然としていた。同じく中年の男も呆然とした後、何を言われたのか理解したらしくハッとした。酔いがさめたのか先ほどとは顔色が違う。

「……そ、そうだな。悪かったなねえちゃん! じゃあ俺はここで……」
「え? あ、ちょっと!」

 さんざん怒鳴っておいて強そうな男が味方してくれないとわかるやいなや、中年の男は薄ら笑いを浮かべながら足早に去って行った。酷い目にあった。今の騒動のせいでたくさんのお客さんを逃してしまった。

「……なんなのよもう……。すみませんありがとうございました」
 藍子は助けてくれたコワモテの男に頭を下げた。
「いや」

 助けてくれた身なのに彼と話すのは怖い。男はそれほどのオーラを放っていた。口数も少ないので話は続かない。男は平然として立ち去ろうとするが、お礼を言っても反応が薄いからか物足りなさを感じた藍子は彼を引き留めた。

「あ、あの! ちょっとだけ待っててもらえませんか!」

 彼は黙ったまま頷いて、広場内にあるベンチに移動したのを見届けた。
 騒動が落ち着いたおかげでお客さんは戻ってきて「大変だったね」などと声をかけてくれる。でも見ているだけで誰ひとり助けてくれはしなかった。きっと逆の立場でも助けることなんかできないだろうから他人を責めることはしないけれど、一人でこの仕事をやっているからにはもっと強くならなければいけないと身に染みた。

 十数分過ぎると人の波も落ち着いた。いつもよりもお客さんが減ってしまったせいでお弁当がいくつも残っていて、彼のためにとっておく必要もないくらいだった。藍子は取っておいたお弁当を手に、車を降りる。

「すみません、お待たせしました!」
 彼が十数分も大人しく待っていてくれたことを意外に思いつつベンチに走り寄る。
「何か用か?」
 近くで見るとさらに迫力がある顔つきだ。鋭い眼光に眉間の皺、薄い唇の口角は基本的に下がっていて不機嫌そうに見える。その迫力に圧倒されるけれど、落ち着いて見てみると目は少し垂れているところが優しそうにも見えるし、鼻筋は通っていて男らしい精悍な顔立ちだ。

「あの、これ……先ほどのお礼です」
 藍子の店で売っているお弁当を差し出した。
「どんなものが好みかわからないんですけど、うちの店で一番人気のお弁当です。こんなものでお礼になるかわからないんですけど……」

 藍子の店である『リベルテ・イート』の一番人気のお弁当は日替わり幕の内弁当だ。その日のおかずが全種類詰め合わさった豪華なお弁当なので他のお弁当よりも100円高い。先ほど文句を言われたのもこのお弁当の価格だった。
 彼は差し出した弁当に視線を落としたまま微動だにしない。お弁当をお礼として差し出すのはおかしかっただろうか。

「……いらない、ですかね」

 お弁当を引っ込めようとすると、彼の手が伸びてきてお弁当を掴んだ。その強い力に身体が前のめりになり、手を離した。

「いや、もらっておく。いま食っていいか?」
「も、もちろんです!」
 男はお弁当を開け、そのまま本当に食べ始めてくれた。藍子はここで一緒にいる必要もないので立ち去ろうとする。

「じゃあ、あの、本当にありがとうございました」
「待て」
「はい?」
 引き留められ足を止めて振り返る。

「……あんた、名前は?」

 まさか名前を聞かれるとは思わず、藍子は一瞬躊躇う。けれど彼はじっと藍子を見つめ、返事を待っている。彼は藍子を助けてくれたので名乗るのを拒否するのも失礼だろう。

「ええと、みや……間宮まみや……あ、あいです」
 だとしても念のため本名を言うわけにはいかず、藍子はとっさに考えた偽名を伝えた。実家があまりに有名なので何かあったら困る。

「……間宮、藍?」

 嘘を吐いているのが後ろめたくて藍子はゆっくり後ずさる。
「……あの、では、仕事があるので失礼しますね」
「待て!」
「きゃっ!」
 突然手首を掴まれ、声を上げていた。

「……悪い」

 大きな声を出されるとは思わなかったのか、彼は驚いた顔をして手を離した。少し引っ張られただけなのにあまりにも強い手の力は今も手首がジンとしているほどだ。

「いえこちらこそ、すみません」
「座ってくれ」
「は、はい」

 彼に気圧され、藍子は少し距離を置いて隣に座った。いったいなんの用があるのかと恐ろしくなってくる。スーツを着ているけれどサラリーマンにしては無口すぎて雰囲気が怖すぎる。お礼がお弁当だけでは足りなかったのだろうか。

「……俺を覚えてないか?」
「……へ?」

 隣の彼を見ると、じっと藍子を見つめる双眸があった。
 名乗ったことによって彼の表情が和らいだ気がする。それどころか藍子のことを知っているみたいだ。

「お前を見た時、もしかしてと思ったんだ。藍、元気だったか」
「え……ええと」

(知られてる、と思ったけれどもしかして偽名のほう?)

 名乗った偽名が彼の知り合いと同じだったのだろうか。そんな偶然があるとは思いたくない。

「わからないか? 常磐龍牙ときわりゅうがだ。大学が一緒だっただろう」

 藍子が通っていたのは名門の女子大だ。しかも周囲の人付き合いは親に決められていたので彼と知り合いであるわけがない。最初はもしかしたら知り合いかと思ったけれど、どう考えても彼も勘違い、というか藍子の偽名のせいで勘違いをさせてしまっている。
 はやく本当のことを話さないといけないのに、こんなに喜んでいる人を前に、嘘でした、とは言いづらくなってしまった。

「龍牙……さん?」

 藍子が恐る恐る彼の名前を呼ぶと、さらに彼はパアッと表情を明るくさせた。笑っているわけではないのになんとなくそれはわかった。あの怖い顔をした番犬のような人とは思えない。

「そうだ。久しぶりだな……大学以来か」
「そ、そうですね……」

 彼のいう『藍』とはどういう関係だったのかわからないので何も言えない。呼び方が合っているのかも、口調もわからないけれど彼にとっては違和感がないようで安堵した。

「仕事は何をしてるんだ?」
「あの車で、半年前からキッチンカーをやってます」

 つい正直に今の自分の仕事を答えていた。嘘を吐くにしても『間宮藍』のことなどなにも知らない。

「……そうか。立派だな。俺は相変わらずだよ」

 彼がどんな仕事をしているのかわからないけれど、『藍』は知っているらしいので詳しく聞くことができない。それより嘘がバレる前にはやくこの場を去りたくて仕方がない。

「藍は……」

 龍牙は言いかけて口をつぐんだ。藍子は龍牙の言葉を待つが、その先がなかなか出てこない。さっきまでは堂々としていた男性の口ごもる姿はギャップがあり藍子も困惑していた。

「いや、なんでもない。……じゃあな、弁当うまかった。またここに来るか?」

 龍牙はお米一粒残らずお弁当を平らげてくれた。目の前ですべて食べてくれる人を見るのは初めてだったのでちょっとした感動があった。

「はい、今週はここにいます」

 ここにいるのは今日だけだと嘘を吐いてもよかったけれど、また彼に会ってしまうとすぐに嘘がバレる。首を横に振ることはできなかった。

「わかった。ご馳走さん」
 龍牙は立ち上がり、広い背中を藍子に向けてゆっくり去って行く。

 藍子を助けてくれた人が、藍子の偽名と同姓同名の知り合いがいる人なんて、こんなことはそうそう無いだろう。

 藍子は車に戻り、片付けを始める。
 変な中年男性に絡まれたけれど、この広場は売り上げ的に良い場所だった。中年男性のせいで売り上げが落ちたかなと思っていたが同情で買ってくれた人や初めての場所だったための物珍しさもあったのか、トータルでは今までで一番の売り上げだ。

 昼間なら龍牙は仕事中だろうし会うこともないだろう。一週間分の出店代は払っているのでその後この場所は避けるとしても、昼の売り上げが楽しみだ。
なんせ藍子にはこの仕事で一人で食べていかなければいけないのだ。

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