【コミカライズタイトル:恋と不眠と小説と】大好きな作家の担当編集になったけど、ワンナイトした男性でした
9章-3
悠さんから語られる過去は、私には想像もつかない話だった。
彼の体に乗っていたはずの私は、いつの間にやらベッドの上で横になっている。溢れて止まらない涙をそっと拭ってくれる指先が心地良かった。
悠さんの優しさがどこから来たのか分かった気がした。彼が今まで積み重ねてきたものを知って、言葉が出ない。無邪気に、何度も感想を送った自分が恥ずかしかった。同じ立場の人間なら、私の行いに苛立つ人だっているのではないか。
だけど、誤解は解かないといけない。
なのに口を開けば、喉の奥から嗚咽が漏れる。私だけ子どもみたいにわんわん泣いていた。
「は……はがき、は……ぅうう」
「はい」
「はがきは……ち、ちが……違うんです、嫌とか……逃げ……逃げは……しまし、たけど」
逃げるという表現はとても正しかった。私個人に届いた悠さんからのはがきは刺激が強すぎてどうしていいのか分からなかった。まさか傷つけることになるなんて知らなかった。
「う……嬉しくて、心臓……止まり……そうで、何も手に付かなくて……」
「だから嬉しいけどもう送らないで欲しいって逃げたんですね。本当に言葉通り」
「ごめんなさい……」
「そんなに泣かないでください。俺は香月さんにすごく助けられたってことを伝えたかったんです。他にもファンレターを送ってくれる人はいたけれど、香月さんかもらうファンレターは特別だった。言葉を飾らず、喋る時の変わらない口調で、小説の話をずっと聞かせてくれた。顔も知らないのに、目を閉じるとどんな顔をして話しているか分かるくらいに」
「……私、そんなにすごい文章書いてないです」
「俺は香月さんらしくて好きです」
悠さんの目が細くなる。彼の視線が私の心を撫でるように下から正面に動いた。
止まらなかった涙が止まってしまうほど、動悸がする。これは文章の話なのに、悠さんの口から「好きです」と言われると頬が溶けてしまいそうなほど熱くなった。
「ね、香月さん」
甘く爽やかな香りがする。黒曜石のような瞳は蜂蜜みたいに輝いて見えた。
「返事を聞かせてください」
「何の……ことですか」
喉のずっと奥がぎゅうっと詰まる。
「このまま放さなくてもいいかどうか」
「私、は」
悠さんはいつものように穏やかな顔をしていた。私が何を言っても受け入れてくれる。そんな予感があった。だけど、全然嬉しくない。
「悠さんが私を放しても、私はそばにいます」
「あなたという人は……」
悠さんは私を抱きしめなおすと、顔を近づける。
しかし、何を思ったのか唇に触れかかった直前、横に逸れた。過労から体調を崩したとはいえ、万が一のことを考えてしまったのだろう。
「うつしてもいいんですよ」
「駄目です」
すねたような態度で悠さんは言った。何だか可愛くて笑っていると、彼の表情が緩む。
キスができない代わりに、悠さんは腕に力を込めた。
「明日、いっぱい抱きます」
とんでもない予告だった。いっぱいってどれくらいなんだろう。具体的に何回、もしくは何時間なのか。
「……風邪がちゃんと治ってからにしてくださいね」
私も腕を広げて抱きかえす。硬く、すこし弾力のある体に触れると安心した。今はこれだけで充分、満たされていく。
「大好きです、芽依さん。おやすみなさい」
額に柔らかいものが触れた。一拍置いて、何をされたのか気づく。ハッとなった時には、悠さんは気持ちよさそうに眠っていた。
「……私も大好きです」
安らいだ顔をしている彼の頬に、そっと顔を寄せた。
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