【コミカライズタイトル:恋と不眠と小説と】大好きな作家の担当編集になったけど、ワンナイトした男性でした

佐倉響

6章-1






 ここで私の恋愛遍歴を振り返ってみよう。

 ――と、考えて振り返るほどの遍歴がないので改める必要もないことに気づく。

 恋愛経験どころか、人生経験もそれほどない。私個人としては何か秀でたものがあるわけでもなく、人としてもまだまだ未熟で、これでどうして編集になれたんだろうと不思議に思う。

 現在一番の悩みは、私相手で作品の参考になるようなデートができるのかである。悠さんはお互い経験がない方がいい。もしも参考にならなかったら、その時にまた考えようと言っていたけれど、事前準備としてできることはやっておきたかった。

 どうしてここまでするのかと言うと、格好良い悠さんの隣に立つ自信がなかった。

 そんな時のこと。

 まるで私の願いを聞き取ったかのように、大学時代の同級生から連絡が来た。

『良かったら、合コンとか参加してみない? 興味ないのは分かってるんだけどさ、一人出られなくなって……』

 いつもであれば断っていただろう。

 だけど今の私は喜んで引き受けたい。

 夜遅くまでは付き合えないけど、それでもいいかと確認すると彼女は「えっ、本当にいいの?」と驚いていた。断られると思いながらも、一応聞いたのだろう。

「うん、場所はどこ?」

 聞くと、悠さんのマンションから三十分ほど歩いた場所だった。これなら、彼が寝る時間にも戻れるはずだ。

「合コンとか、苦手だと思ってたんだけど何かあった?」

「……合コンってどんな感じなのかなって気になって」

「香月さんらしい! でも同じ大学の人が半数だから、男女比率が同じだけの飲み会だと思って気楽に参加して」

「うん、ありがとう」

 正直、初めて合コンに行くと決めても、緊張はそれほどなかった。

 ワンナイトした男性が、担当する作家だった時の方が修羅場である。

 悠さんのマンションに帰った私は、二人で夕飯を食べている時に話を切り出した。

「二日後の金曜日なんですけど、その日は私、合コンに行くので……」

「わ」

 すべてを言い終わる前に、悠さんは掴んでいた箸を落とした。

「す、すみません」

 彼は椅子から立ち上がって箸を拾う。使っていた箸を洗って戻ると「ええと、何でしたっけ」と言いながら椅子に座った。

「金曜日は合コンに行くので、夕飯は必要なくなりました」

 悠さんはじっと視線を落として、黙り込む。何かを深く考えるような素振りだった。

「あ! ちゃんと夜には帰って黒澤さんが眠る時間には間に合わせますからね」

 彼にとってはこれがもっとも大切なことである。

「大丈夫なんですか?」

「場所もここから徒歩三十分と近い方なので、ちゃんと帰ってこれますよ」

「徒歩三十分が近いかどうかはさておき、それだと場所は駅の裏側にある飲み屋街の辺りですか?」

「そうです。まだ行ったことがなかったので、楽しみです」

「うん……」

「黒澤さん?」

「俺のことは気にせず、楽しんでください。香月さんがいいなと思う人がいれば、わざわざ夜に帰って来なくても大丈夫です。せっかくのきっかけが俺のせいで潰れてしまうのは……良くないですから」

「そんなことできません」

「いいえ。約束したでしょう。香月さんが止めたいと思ったらいつでも止める。好きな人ができたら、当然止めます」

 言葉が出なかった。体の中にある熱い部分に裂かれるような痛みが走る。

「俺のことを助けてくれるのは嬉しいです。でも、香月さんから出会いや機会は奪いたくない。大丈夫。俺は子どもではありません。あなたが罪悪感を持つ必要はないです」

「違うんです。私、別に出会いを求めて合コンに参加するわけじゃないです!」

「……え」

「私、今まで一度も合コンに参加したことがなくて、男性経験もそれほどなくて」

 本当は悠さん以外まったくないのに、さりげなく控えめに盛ってしまった。

「もうすこし大人の女性らしい経験をしようと思ったんです。だから男の人とどうこうなりたいとか、そういうことは考えていません」

 悠さんは驚いたように目を丸くした。あれ、何か変なことを言っただろうか。

「今の私の優先順位は悠さんが一番なんですから」

 これで誤解は解けただろうかと反応を窺う。

 なのに悠さんの頬や耳はみるみる赤く染まっていた。

「香月さんの気持ちはよく分かりました。……じゃあ、俺が寝るまでに帰ってきてください。それと何かあったら……電話してください。一応、携帯番号は知っていますよね」

「知っています。でも、筑波さんからよっぽどのことがない限り電話しては駄目だと聞いています」

「香月さん一人ではどうにもならない時にする電話は、よっぽどのことでしょう?」

「それは……そうかもしれないですけど……」

 できれば電話はしたくないと思った。程度は知らないけれど、礼儀正しい悠さんが苦手だからという理由だけで電話を避けているはずがない。

「でも、大丈夫ですよ。男性に絡まれても、うまくできます」

「うーん」

 悠さんが何を心配しているのかは、分かってきたので笑顔を作る。一度お酒で失敗したのを、彼はよく知っているからだ。

 私の作り笑顔を見ても、悠さんはまるで信じていないという顔だった。





 合コンに行く前に、一度マンションに戻った。さすがに着替えた方がいいと思った。白いブラウスに、グリーンのロングスカートをはいて、化粧を直す。

「じゃあ黒澤さん、いってきます」

「……いってらっしゃい」

 さすがに徒歩三十分の道を歩くのは大変なので、ちょうど停車していたバスに乗って駅まで移動した。

 男の人に見送られて行く合コン、という何だか変な場面だけれど、私と悠さんは恋人ではない。

 時間よりもすこし早く到着すると、私を誘ってくれた友人がいた。その子と一緒に居酒屋に入る。しばらくして、参加する人全員がそろった。

 合コンといっても、メンバーはほとんど落ち着きのある人ばかりだったので、穏やかな飲み会のような雰囲気だった。テンションについていけなかったらどうしよう、と不安はあったのでこれなら大丈夫そうだと安堵する。

 学生時代のことや、今の職場の話をしつつ、席を変えていく。真面目そうな人が多くて、私と同じように異性に免疫がないのだと分かる態度の人もいた。

 何かあったら連絡して欲しいと言っていたけれど、この調子であれば何もなさそうだ。私だって学習能力はあるので、お酒も一杯に留めておいた。

 悠さんと一緒にいるといつもドキドキするせいか、知らず男性に対する免疫がついたのだろうか。男性に褒められてもすぐに顔が赤くなったりするようなこともなく、「ありがとうございます」と笑って返せるようになっていた。

 和気藹々とした飲み会は二時間後、解散となった。

「香月さん、すこし話をしてもいいですか」

 さて帰ろう、とお店を出た時に一人の男性から声をかけられた。

 とても改まった口調なので、何か失礼でもあっただろうかと私は彼を見る。

「俺のこと覚えてますか。同じ大学で……学年は一つ上なんですが」

 言われてから、すこし考えてすぐに思い出す。

「覚えてますよ。演劇サークルにいた高倉さんですよね」

「……もしよかったら、この後すこしでいいので話を聞いてくれませんか」

 高倉さんとはそれほど親しいわけではなかった。でも、顔は知っている。

 時計を見る。まだ、悠さんが眠るまで時間があった。

 高倉さんはお酒も入っているけれど、表情は真剣そのもので、思い詰めているように見える。

「いいですよ」

 友人とも別れて、私は高倉さんと近くの喫茶店に入った。香ばしいコーヒーの香りにふわりと包み込まれる。

 まだ居酒屋で飲んでいる人の方が多い時間だからか、席は空いていた。広いヴィンテージソファーに、深みのある美しい赤色のテーブル。天井にある照明は鈴蘭のような形をしていて、可愛い。

 適当に近くのお店に入ったけれど、ここで悠さんがコーヒーを飲んでいたら絵になりそうだった。

 高倉さんと向かい合う形でソファーに座り、メニュー表を見る。文字だけでなく、色鉛筆で描かれたイラストもあってほっこりする。

「香月さん、どれにしますか」

「私はカフェラテで」

 水を運んできたウェイターに高倉さんが注文をする。彼はコーヒーを頼んでいた。注文したコーヒーとカフェラテはすぐに届き、高倉さんは緊張を吐き出すようにゆっくりと口を開く。

「俺のこと、覚えていてくれて嬉しいよ」

「覚えていますよ。あの頃の演劇サークル、活動も活発で私も公演を何度か見に行ったことがあります。高倉さんは主役を演じることも多かったですよね」

 大学の頃を思い出しながら、私は高倉さんのことで覚えていることを話す。大学生の頃には出版社で働きたいと思っていたので、勉強とは別で芸術関係には定期的に触れるようにしていた。

「俺が主役を演じる機会が増えたのは香月さんのおかげだ。客席で香月さんを見つけた時は嬉しかったよ」

「……私、ただ見に行っただけだと思うんですけど」

「そんなことない。俺が中庭で台本を読みながら頭を抱えていた時に、話しかけてくれたこともあったじゃないか。『何を読んでいるんですか』って」

 話しかけたことなんてあっただろうか。過去の記憶を思い返していると、同じようなことを言って話しかけたことがあった。それのことだろうか。

「あの時の……? でも、高倉さんのような見た目ではなかったような」

 小説だと思って声をかけたら台本だったことを思い出した。けれど、当時声をかけた男性は高倉さんのような容姿ではない。記憶の中の人は背は高いのに猫背で、前髪が長かった。比べて高倉さんは背筋はピンと伸びているし、声もはきはきして、髪の毛だってきっちりセットしてある。

「役作りのために、思い切ってイメチェンしたんだ」

 言われてみれば、どこか似た部分もある。一度しか話した記憶はないので、曖昧だけれど。

「それで、話って何ですか?」

 このまま思い出話で時間を使っていたら、帰るタイミングが分からなくなりそうだった。

「良かったら定期的に会って、役作りの手伝いをして欲しいんだ」

「……私はそういう専門の知識はないですよ」

「だけど俺は香月さんのアドバイスがあったからこそ、前に進むことができた。中庭で台本を読んでいた時、俺が役の気持ちが分からないと相談したら一度しか読んでいないのに事細かに説明してくれたじゃないか。おかげで初めてオーディションで主役に選ばれたんだ」

「それは私の個人的な解釈だったはずです。それで成功したのなら、高倉さんが努力した結果だと思いますよ。だって、話をしたのもその時だけじゃないですか。それ以降も高倉さんは活躍しています。私の助けなんて必要ないと思いますよ」

「いえ、そんなことないです! 香月さんのアドバイスがあった時と俺だけの力でやった時とでは全然違います」

(困った……)

 そんなことを言われても私は素人だ。演劇にはそれほど詳しくない。台本を読んだ時なんてアドバイスというよりは、色々な解釈ができて面白いですねと一部話しただけ。たまたま結果が出ただけに過ぎない。

 それを高倉さんに言って、納得してもらえるだろうか。目の前の彼は藁にも縋るような思いで私を見ている。こういう時、どうやって目を覚まさせるべきだろう。ちょっとやそっとでは分かってもらえなさそうな雰囲気だった。

「何か思い詰めているんじゃないですか? 冷静に考えてみてください。私では力になれないと思います」

「でも香月さんは編集として働いているでしょう。あなたならきっと俺を導いてくれる。定期的に会えませんか。やっぱり香月さんは俺の運め――」

「――失礼」

 聞き覚えのある凜として静かな声がした。横を見ると、悠さんがいる。普段あった笑顔は消えており、驚くほど無表情だった。その表情に驚いていると、悠さんは私を見てふっと口元を緩める。

 ――大丈夫。

 いつもの私を安心させてくれる笑みを浮かべると、高倉さんに向き直る。

「彼女は断っているようなので、そろそろ解放して頂けませんか」

「お前には関係ないだろう。これは俺と香月さんの話だ」

 高倉さんは突然現れた悠さんに驚きつつも、口調を荒らげた。

「それで? 素人の彼女に役作りの手伝いをしてもらうために定期的に会う、と。口説くための口実のようにしか思えないので、芽依さんの恋人である俺としては賛成できませんね」

「こ、恋人!?」

(恋人!?)

 驚きすぎて顔に出そうになる。高倉さんが悠さんの方を注視していて助かった。

「恋人です」

 もう一度、悠さんは力強く主張した。

「人数会わせのために合コンに参加すると言っていたのですが、心配だったのでここで待っていたんです。まさか芽依さんの良心を利用して近づこうとする卑怯な人と遭遇するとは思いませんでした」

「なっ……こっちはちゃんとした相談だ」

「それならどうして大学にいる間に話しかけなかったんですか。一度香月さんから話しかけられた後、あなたは自分から話をしに行ったんですか?」

「それは……まだ、その時話しかけられた人がどこにいるのか分からなくて……」

「おや? このお店に入ってきた時から会話は聞いていましたが、おかしいですね。香月さんが公演を観に来ていたことは知っていたんでしょう。なら、チャンスはあったはずだ。お礼を言って、話をすれば良かった。何年も経って再会した後になって、こんな頼み事をするのは不自然です」

 何だかすごいことになった。

 悠さんの話を聞いていると、そういえばそうだなという気持ちになる。

 だけど、高倉さんが私相手に恋愛感情を抱くなんてあるのだろうか……。

「行こうか、芽依」

「う、は……はい!」

 唐突に顔を近づけて話しかける悠さんに、私は真っ赤になって首を縦に振った。立ち上がると、悠さんはテーブルの端に置いてあった伝票を取りレジへと向かう。私も後についていき、素早く支払いを済ませてお店を出た。

「すみません、もうすこしだけ」

 手が悠さんの指先と絡まる。硬く骨張った指は遠慮がちに力が込められた。

 私はまだ全然気持ちが落ち着かなかった。周囲にはたくさん人が居るのに、耳は悠さんの声と私の心音ばかり拾う。

 高倉さんのお願いを断るため、恋人だと嘘を吐いたから念のため手を繋いでいるのだろう。分かっている。でも、ドキドキするのを止めることができなかった。

「あっあの、黒澤さんはどうしてここに?」

「香月さんがこの飲み屋街にいることは聞いていたので、美味しいコーヒーでも飲みに行こうかと」

「……どこにいたんですか」

「一番奥の席にいました。まさか来るとは思わなくて、どうしようか悩みましたよ」

 高倉さんは、はきはきと喋る分声量があった。店内には人も少なかったから、私の声が聞こえたかどうかはともかく会話のほとんどは聞こえていただろう。

「やっぱり、俺がしたことは迷惑でしたか? 今からさっきの喫茶店に向かえば間に合うと思いますよ」

 自信なさそうに彼は眉を寄せる。

「思い返すと、あんな風に強引なことをしたのは初めてだったので……ちょっと……不安に」

「私は助かりましたよ。実はどうやって断ろうかと考えていたんです。でも、何を言っても分かってもらえなくてどうしようって思っていました」

「それなら良かったんです」

「でも、飲み屋街にあんなに素敵な喫茶店があるなんて知りませんでした。雰囲気も素敵でしたし、次に行く時はちゃんとコーヒーが飲みたいです」

「今度一緒に行きますか? 俺も散歩がてら行くことがあるんです。美味しいですよ」

「いいんですか」

「はい」

 それから私と悠さんは手を繋いだまま並んで歩いた。悠さんに聞かれて、合コンでのことを話したり、さきほどいた喫茶店の美味しいサンドイッチについて悠さんから聞いたりもした。徒歩三十分の距離はあっという間に終わり、マンションに帰ってもしばらくは話をし続けた。

「それにしても、合コンって少女漫画だと途中で抜け出したりする男女とか、終わったタイミングでこっそりどこかに行く話が多いんですけど、そういうのを見かけたりすることがなくて残念でした。やっぱり現実にはないんですかね、黒澤さん……?」

 会話が途切れたので、合コン名物だと勝手に思っていた出来事に遭遇できなかったことを話すと、悠さんの表情が固まる。

「あのー、黒澤さんどうかしましたか」

「香月さんが純粋なまま成長できたことについて考えていました」

「私はそんなに純粋ではないと思いますよ!?」

「……でも、俺と一緒に寝る約束がなかったら喫茶店で話していた男性に一度は協力したんじゃないですか?」

 言われてみて、一度考えてみる。

 あれほど強く頼られて、私は流されてしまいそうだった。だけど……。

「協力はしないと思います。分かってもらえるまで、説得します」

「なら相手が痺れを切らして、告白してきたら?」

「えっ、どうしてそうなるんですか」

「もしもの話なので気軽に答えてください」

「うーん、ごめんなさいって言います……」

「試しに付き合ってみようとは思わなかったんですか」

「そういう考え方はしたことないですね。そもそも高倉さんのことは、私、よく知らないんです。舞台にいる時の姿は知っていますけど、個人的に会話をしたのは一回だけです。恋愛感情はさておき、人として好きかどうかさえ分からないんですよ」

「それを聞いてすこし安心しました」

「大丈夫ですよ、黒澤さん。私、恋愛にはあまり興味はないですし、結婚願望もないんです。だから黒澤さんがぐっすり一人で眠れるまで協力しますから」

 励ましたつもりだったのに、悠さんは困ったように笑った。





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