色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて

ながみ

ex 1-1. 期間限定の社内恋愛

「ねぇ、UNIの加賀谷さんが会社のエントランスで誰かと口論してるって!」

 思わず手に持っていたバッグを床に落としてしまった。冷静を装いながら「へぇ、そうなんだ」と相槌を打つ。言うまでもなく、バッグを拾い上げる手は震えている。

 金曜の終業後、帰り支度をしていると瑞希が「大ニュース!」と言いながら私の元に駆けてきた。事実上婚約状態になってからも、私たちの関係は秘密にしている。春都は「もうオープンしてもいいんじゃない?」と言っているが、私が困る。なぜなら、春都はうちの女子社員たちの目の保養として常に好奇の目を向けられているのだ。不思議とUNIの社員たちはそういう目で彼を見ていないようだが、あのルックスの彼だ。女性陣が色めき立つのは無理もない。

 春都は女性社員に飲みに誘われたり、告白されたりするような事態にならないよう上手く立ち回っている。ちなみに、会社でのあのクールな彼は素が7割、打算が3割らしい。仕事に集中すると自然と表情が少なくなる傾向にあるらしいが、昔はそれでも愛想良く振る舞うよう心掛けていたという。しかし、そのせいで職場の女性たちから告白されることが何度か続いてうんざりしたんだとか。

 話は逸れたが、とにかくうちの女性社員たちの間では春都の話題で持ちきりなのだ。案件の終了期間が予め決まっていることもあって、夏限定のアイドルのような扱いを受けている。恋人としては複雑な反面、春都の苦労も分かるので何も考えないようにしていた。彼とは比べものにならないが、思春期の頃に見知らぬ異性から好奇の眼差しを向けられることが多かった私にもその苦悩や煩わしさは想像できる。

 とはいえ、こうして春都の話が耳に入る事もある訳で。しかも誰かと口論してるって?私がぐるぐると考え込んでいると、瑞希に腕を引っ張られた。

「玲奈、もう帰るとこなんでしょ?せっかくだし見に行ってみようよ!玲奈はあんま加賀谷さんの話題に興味なさそうだけど、ね!」

「……そうだね」

 彼の話題に興味がない訳がない。余計なことを聞いて、あれこれ考え込みたくないから敢えて彼の話題を聞かないよう気をつけているのだ。

 そんな私の気持ちを知らない瑞希に連れられて会社のエントランスに向かう。途中で「え、あの加賀谷さんが?それは気になるねぇ」と何故か三木課長まで加わり、3人で野次馬することになった。

 大手化粧品メーカーということもあって、瑠璃香本社のエントランスはかなり洗練されている。季節の花々に彩られた美しい空間は、映画やドラマのロケに使われることもあるくらいだ。そんな煌びやかなエントランスの片隅で、長身の男性2人が何やら話し込んでいる。口論しているという話だったが、大声で言い争っている訳ではなさそうだ。少し安心した。

 ただ、2人からは剣呑な雰囲気が醸し出されていて周囲には誰もいない。私たちと同じように噂を聞きつけて集まったのであろう女性社員たちが散見されるが、皆揃って遠巻きに彼らの様子を窺っている。なんだか嫌な予感がして逃げようとしたのだが、楽しげな雰囲気の瑞希に腕を引かれて結構近くまで来てしまった。渋々、彼らの方に顔を向けて様子を見ることにする。

 何度か目にしたことのある黒い笑みを浮かべた春都と話し込んでいるのは、派手なスーツを着熟した金髪に明るいブラウンの瞳の外国人男性————ノアだ。

 予想外のノアの存在に青褪めた私は、瑞希と三木課長の後ろにサッと隠れた。何故、彼がうちの会社にいるのだろう。まさかとは思うが私に会いに来たんじゃ……というか、春都と何を話しているのだろう。しかも、なんで英語なんだろう。

「うーわ、加賀谷さんが英語ネイティブだって話本当だったんだね。すんごい流暢ってか、早口じゃん。全然何言ってるかわかんないわ」

 思わずと言った様子で瑞希がまじまじと2人を見ている。あんな不穏な2人をよく直視できるな……と瑞希の胆力に慄いた。私はというと、極力2人を見ないようにしながら会話を聞き取ろうと頑張ってみたが1ミリも分からなかった。春都が何を言っているかすらさっぱりだった。海外研修のこともあって、最近彼に英語を教えてもらっているのだが、こんなに早口で話しているのは聞いたことがない。それに、話し方そのものや使っている語彙もなんだかいつもと違う気がする。ノアはノアで、イギリス人ということもあって聞きなれないアクセントの英語を話している。当然、こちらも私には理解不能だった。

「へぇ、加賀谷さんって……意外と口が悪いんだね」

 ネイティブ2人の会話を聞くことを諦めて、いかにノアに気づかれないようにこの場から脱出するか考えていると思わぬ感想が聞こえてきた。しみじみとそう話しているのは、なんと三木課長だ。瑞希がすかさず私の言葉を代弁してくれた。

「え、課長。あの2人が言ってること分かるんですか!?」

「大体はね。こう見えて実は子供の頃、イギリスに長いこといたんだよ。金髪の彼が言ってることはほぼ分かるよ」

 いつもの柔和な顔をした課長が楽しそうに微笑んでいる。まさかの帰国子女だった。思わぬ事実に私たちが驚いているとさらに教えてくれた。

「でも、加賀谷さんが言っていることは半分くらいしか分かんないや。アメリカの西の方出身なのかな?でも、それにしても結構スラングとか……なんというか、イケイケな話し方してるからおじさんの僕にはよく分かんないね」

 イケイケという課長らしからぬ言葉に瑞希と顔を合わせて小さく吹き出した。それにしても、春都は英語だとそんな話し方をしているのか。

「それで、あの2人はなんの話をしてるんですか?」

「んー……これ、言っちゃっていいのかな。多分あんまり話を聞かれたくないから英語で、しかもあんなに早口で会話してるんだと思うけど」

「ええ、そんなこと言われたらますます気になりますって!勿体振らずに教えてくださいよ!」

 小声なのに掴み掛からんばかりの勢いを感じさせる口調で瑞希が課長に詰め寄る。その瞬間、ノアが激怒する声が聞こえてきて思わず身体を竦めた。しかも”レナ”という言葉が聞こえたような気がしてうっかり彼らの方を向いてしまった。なんと、ノアが春都の胸ぐらに掴みかかっている。

 さすがに心配になって瑞希と課長の背後から顔を出すと、こちらを向いていた春都と目が合った。その顔は薄く微笑んでいるが、どう見ても怒っていた。これは、今夜はやばいかもしれない。愛しい人のその表情に身体が凍りついた。

「あの金髪の人、結婚がどうたらって叫んでませんでした?」

「あー、さすがに聞こえちゃった?うん。そうなんだよね。どうやら加賀谷くん、それはそれは大切に想ってる恋人がいるらしいんだけど、あの金髪の彼もその女の子のことが好きみたいで。しかも、まだ付き合い始めて日が浅いみたいだね。だから、金髪の彼はまだ自分にチャンスがあるって思ってるみたいで……ああ、これは伏せた方がいいな。それで、ずっと揉めてたみたいなんだけど、いい加減うんざりしてきたのか加賀谷くんが爆弾を落とした訳さ。もう彼女は自分と結婚するって約束してくれたから一生手放す気はないってね」

 待って…待って、三木課長。詳しく解説しすぎです、っていうか本当にあの2人の超絶早口な英会話を理解できてるんですね。すごーい。きっとぼかしてくれた部分は加賀谷さんの相手とやらがうちの会社の人だってことですよね………え、嘘。ちらっと私の方見て、親指立ててるんだけど。椎名さんには内緒にしておくから!みたいなジェスチャーまでしてるし。

————よりによって、一番最初に直属の上司にバレるなんて。思わず両手で顔を覆ってしまった。

「え、なんかこっち来たんだけど」

 私と三木課長がこの場の空気に似つかわしくない滑稽なジェスチャーを繰り広げていると、瑞希が驚いた声で呟いた。何事かと振り返ろうとすると、横から誰かに腰を抱かれた。

「玲奈、お待たせ。早く帰ろう」

「え、ちょっと!?はる……加賀谷さん、何してるんですか!??」

「やっぱりもうオープンにしよう。そうしないとまたああいう奴が出てきて俺が困るから」

 ちゅっ、と音を立てていつものように頬にキスをされた。事情を察していた三木部長はもちろん、何も知らない瑞希は目が零れ落ちそうなほど驚いている。

 呆然としたまま彼に連れられて会社を出ると、エントランスにいた人々のどよめく声が聞こえてきた。それは、そうなるだろう……改めて何が起きたのか思い出して、週明けに出社するのが憂鬱になってきた。

「それにしても………取引先であいつと遭遇したんだって?なんで教えてくれなかったの?っていうか、あの婚活アプリまだ続けてたりしないよね?」

 美しい顔で私に微笑みかける春都は、いかにも怒ってますというオーラを放っている。

 ノアのことは春都にちゃんと伝えようと思っていた。なのに、その日の朝に私がうっかり春都に逆プロポーズしてしまったせいでそれどころではなくなった。そして、ノアのことはそれっきりすっかり忘れていた。まぁ、私としては最後にノアに連れていかれたカフェではっきりと彼の気持ちには応えられないと伝えていた訳で、もう終わったことだと思っていた。だから、まさか会社に来るなんて思ってもみなかった。

「玲奈?何考えてるの?」

「いや……その、あの」

「まぁ、いいよ。帰ったら君の身体に聞くから」

 瞳に激しい嫉妬の色を浮かべた愛しい人が嫣然と笑っている。週明けのことを心配している場合ではなかった。無事、週末を乗り切ることができるんだろうか。



「色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く