色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて

ながみ

2-2. 遠い夏の夜の記憶

————とはいえ、まさか本当に来るとは思わなかった。しかも3日後に。

「榊原さんにお願いして今日も来てみたはいいけど、リリちゃんいるかどうか分かんなかったから不安だったんだよね。会えてよかった」

 安心したような笑みを浮かべながら、加賀谷さんは私にそう話しかけてきた。仕立ての良いスーツを少し気崩した彼はリラックスした様子でお酒に口をつける。

「びっくりしました。まさかこんなにすぐいらっしゃるとは思わなくて」

「だよね。榊原さんにも驚かれた」

 口元に手を当てた彼はくすくすと笑う。超絶美形がそんな仕草をするとまるでCMみたいだな……と半ば現実逃避しながら私はそう思った。

 実は私は異性がやや苦手だったりする。おまけに恋愛経験もない。友人である詩織は当然このことを知っている。だからこそ、最初にこのバイトを紹介されたときは訳が分からなかった。お酒を注がれながら「社会に出たら男の人と接する機会もっと増えるだろうし、荒療治だと思ってやってみなよ!ね!」とそれらしい口実を口にする詩織に見事に言いくるめられてしまったけど、何故よりによって私にこのバイトを勧めたのか。本当に謎だ。

 もっとも、バイトそのものは案外平気だった。仕事だと割り切っているせいなのか、あるいは客層のおかげなのか。年齢が離れた男性の相手をするのは思ったよりも苦ではなかった。バイトを始めてから気がついた意外な事実に自分でも少し驚いた。よくよく考えてみれば、日頃お世話になっている大学の先生も男の人が多い。だから、案外どうとでもなるんだなと最近思っていたのだが————加賀谷さんを前にすると話は別だ。

「この前はせっかく横に座ってもらったのに、ほとんど話せなかったのが本当に心残りで……しかも仕事の話ばっかりしてたからつまんなかったよね」

 私の顔を覗き込みながらそう告げる加賀谷さんはおそらく20代後半で、ちょうど私が普段接することの少ない年齢の男性な上に————とんでもない色男だ。

 一流企業のコンサルタントというよりモデルや俳優だと言われた方が納得感のあるヴィジュアルの彼は、私が今まで実際に見たことのある人々の中でダントツに綺麗な男の人だった。そんな彼に初対面で口説かれて、こうしてまた会いにこられてしまっては緊張して仕方ない。

「いえ、皆さんとっても楽しそうにお話されていたので私も聞き入ってしまいました。専門的な話は難しくてよく分からなかったんですけど、普段から熱心にお仕事されているのが伝わってきて素敵でした」

「ほんとに?俺、仕事の話になると怖いって言われることが多いから心配なんだけど」

「ふふ、確かに加賀谷さんは真剣な表情でお話されてましたよね。でも、嫌な感じは一切しませんでしたよ。格好良くて、思わず横顔に見惚れてしまいました」

「……そんなこと言うのは反則だって、リリちゃん」

 ありがとうね、と少し照れながら話す加賀谷さんの顔を見て意識が遠のく。何とか踏みとどまったが危なかった。気を失いそうだった。なんてことはないように会話をこなしているが、心の中は大パニック。どうにか笑顔を浮かべて、彼の方を見ないよう無駄にテーブルを片付けながら意識を保っている。

 前回、加賀谷さんが来た時はすでに他のテーブルでお酒を飲んだ後だったので多少マシだった。でも、今はほぼ素面なので色々と厳しい。乾杯の時に口をつけて以来飲んでいなかったお酒をさりげなく飲み進める。詩織にはまんまとしてやられたが、お酒はそれなりに強い方なのだ。このイケメンとの会話を切り抜けるにはお酒の力を借りるしかない。

 前回は碌に話せなかったし、今日は改めて自己紹介させて?と加賀谷さんは自分のことを話し始めた。前回渡された名刺にも書いてあった通り、彼はUNIで働いているらしい。若手コンサルタントとして幅広い案件にチャレンジしていると言う。今は榊原さんの下で経営戦略と金融業界ついて学んでいるんだとか。大学卒業後、そのままUNIに就職したそうで年齢は27歳だと教えてくれた。

 他にも家族構成や趣味についてなど色々話してくれたのだが、まさかの同じ大学出身だということに気を取られてしまってその辺りのことはほとんど覚えていない。歳が離れているし、学部も違うので共通の知り合いがいるということはなさそうだが、なんとなく背中に冷や汗をかいた。加賀谷さんはそんな私の様子には気づいていないようでさらに話を続ける。

「そういえば俺、実はアメリカ国籍でね。西海岸の海の見える街で生まれ育って、高校まで住んでたんだ。今でも実家は向こうにあるんだよ」

「ええ、そうなんですか!?」

「大学で日本に来てからずっとこっちで暮らしてるし、もうあんまり違和感ないと思うんだけど、今でもたまに変な日本語使ってるって会社の同期に言われたりするんだよね」

 さすがにその話にはびっくりして目を見開いた。外資系企業のUNIに勤めているくらいだし、英語は堪能だろうなとは思っていたが予想外だった。

「なら良かった。向こうにいるときは家族以外と日本語で話す機会があんまりなかったからこっちに来た当初は結構苦労したんだ。おかげでこうしてリリちゃんと話せてるし、頑張って良かったな」

 話し過ぎて喉が渇いたのか加賀谷さんはグラスを手に取って傾ける。私も同じタイミングでお酒を飲んでいると、何かを思い出したかのような顔をした彼が私の耳元に近づいてきた。

「あちらで育った影響なのか、俺は気になる人への愛情表現は惜しまない方だと思うよ」

 囁かれた言葉とその吐息の熱さに私は盛大に咽せた。急いで口元におしぼりを当てる。どうにかお酒を吹き出さずには済んだが、同じテーブルを囲んでいた榊原さんと七瀬ママが目を丸くして私を見ている。何とかジェスチャーで問題ないことを伝えたが、榊原さんには声を出して笑われてしまった。

 口元を押さえたまま加賀谷さんを睨むと、ごめんごめんと謝りながらも小さく笑っていた。その流れで彼にさりげなく背中を撫でられて焦る。思わず七瀬ママの顔を見たが、微笑ましいと言わんばかりの表情をされた。過度なスキンシップは当然NGだが、この程度であれば許容範囲らしい。そんな事実を知ったところでこの状況は変わらない訳だが、安心した途端に加賀谷さんの手の温かさを感じてしまって何だか変な気分になってきた。私の背中を撫でるその手は優しくて心地よい。なのに、心が騒めいて仕方なかった。 

 しばらくして加賀谷さんの手が私の背中から離れていった。私が落ち着きを取り戻したのを確認すると、彼は殊更に明るい声で話を振った。

「次はリリちゃんのことを教えて欲しいな!本業としてここで働いてる訳じゃなさそうだけど、普段は学生とか?」

「はい、普段は専門学校に通ってます。今は夏休みなので週2‐3くらいのペースでここに来てますね」

「へぇ、何系の学校なの?」

「美容とかメイクとかそんな感じです。3年制の学校で、今は2年生なんです」

 ちなみに年齢は20です、と笑顔で嘘を吐く。詩織からのアドバイスでお店で話す内容にはフェイクを混ぜている。いくら客層が良いとはいえ、後々トラブルを起こさないように予防線を張っておいた方がいいらしい。本当の私は4年制大学の法学部に通っているし、年齢も21歳だ。美容やメイクへの関心も人並み程度だろう。ただ、40代以上の男性客がほとんどのこの店で化粧品等に興味のあるお客様は少ないだろうと踏んでそう答えているだけだ。事実であろうとなかろうと、プライベートな話を探られたくなかった。

 他のお姉さんたちも大抵そうしているようで、昼間は大学院で研究しているのに夜1本で働いてるとか、長年付き合ってる彼氏がいるのにもうずっと彼氏いないだとか、本当は30超えてるのに20代半ばだと言っていたりする。お客様がいないところでは本当の事情をオープンにしている人が多いので、意外な素顔を知ってびっくりすることが多い。

 こういった店で遊び慣れているお客様は私たちが嘘を吐いていることなんて当然察していて、ラウンジ嬢の話など軽く流す……のだが、加賀谷さんは合槌を打ちながら私の話をしみじみと聞いている。どうやら私の話を信じているらしい。

「そうなんだ。じゃあ、卒業後もそういう業界で働く感じ?」

「はい、そのつもりです。化粧品会社とか見てるんですけど、凄く人気があって就活難しそうで……これから頑張らなきゃなって思ってます」

「化粧品会社か……」

 加賀谷さんが顎に指を添えて何か考えている。リリに関する話はほとんど嘘なのだからそんなに真剣に考え込まなくてもいいのに。じわりと罪悪感が込み上げた。
 
「俺で良ければ相談に乗るよ。仕事柄、調べ物は得意だからね」

「え、はい。ありがとうございます」

 どこか鋭さを感じる表情をした彼に動揺して、私はうっかり返事をしてしまった。

「じゃあ、次までにリリちゃんは化粧品会社に入ったら何がしたいのか考えてみて」

 就活準備だと思って気楽にね!と加賀谷さんは言葉を続けた。まさかの提案だ。本当は大学3年生で、リアルに就活が近づいて来ている身の私はおもわずゴクリと唾を飲み込んだ。なにせ、就活最難関と名高いUNIの社員が直々に就活相談に乗ってくれるというのだ。ちょっと、いや相当気になる。

「っていうか、7歳差って…まじか……リリちゃんから見たら俺ってもしかして………」

 私が考え込んでいる隙に加賀谷さんが1人で何かぼやいていたが聞き取れなかった。どうしたんですか?と尋ねると微妙な顔でなんでもないよと言われた。



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