【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)
Promise.Ⅴ〈2〉
ゲストハウスのオープンイベントとして行われたチャペルでの模擬挙式には、席がいっぱいになるほどのゲストが詰め寄せていた。
全面ガラス張りの明るいチャペルで行われた模擬挙式は予想以上に素敵で。私は濱崎さんに案内してもらったスタッフ用の立ち見席で、イベントを堪能した。元婚約者の結婚式に出たことは0カウントとして、自分のブーケが使われている挙式を見るのは初めてだ。余計な感情がない分、純粋に式場の雰囲気を楽しめる。
陽の光がきらきらと差し込むバージンロードを歩く花嫁様の姿はとても綺麗で。そんな彼女が私の作ったブーケとクラウンを身に着けていると思うと、嬉しくてにやけてしまいそうだった。
挙式が終わると、チャペルに集まったゲストはガーデンを散策したり、披露宴会場に足を運んだりと、ゲストハウスの中を自由に見学し始めた。その間に資料コーナーに移動した私は、ゲストハウス側が用意してくれたブースに立った。
資料コーナーではTateuchi Bridal Companyと提携しているドレスブランドがウェディングドレスの展示を行っていて。広いスペースを取って、たくさんのゲストを集めていた。
挙式で使ったブーケとクラウンを展示してパンフレットを並べたBelle Fleur《ベル・フルール》のブースは最初は閑散としていたけれど、ウェディングドレスを見終わったゲストがぽつぽつと足を運んでくれた。
パンフレットを見せたり、簡単なサービスや料金の説明をして対応に追われているうちに、あっという間にイベントの終了時間になった。持ってきたパンフレットをすべて掃けることはできなかったけれど、Belle Fleur《ベル・フルール》のブーケに興味を持ってくれた方は意外にも多くて。麻耶さんの店の良い売り込みができたと思う。
イベントが終わって、ゲストハウスのスタッフと一緒に資料コーナーの片付けを手伝ったあと、私は事務所へと向かった。
濱崎さんとタローさんに挨拶してから帰りたかったけれど、事務所にいたのは濱崎さんだけだった。そういえば、忙しくて全く気付かなかったけれど、イベント中にタローさんの姿を一度も見かけていない。
「あの、お疲れ様です。今日はありがとうございました」
事務所の入り口の外から声をかけると、濱崎さんが私に気付いて笑顔で歩み寄ってきてくれた。
「お疲れ様です。こちらこそ、どうもありがとうございました」
にこやかに頭を下げる濱崎さんは、最後まで綺麗で感じが良い。
「あの、館内社長にもご挨拶してから帰りたいんですけど、今はどちらにいらっしゃいますか?」
忙しくて私になど構っている暇はないかもしれないけれど、できればお礼が言いたい。
「館内でしたら、モデルを務めてくれたお二人に挨拶するために控室に行きましたよ。そのうち事務所に戻ってくると思いますけど、応接室で待たれますか?」
迷いながら訊ねた私に、濱崎さんが親切に教えてくれる。
「ありがとうございます。控室のほうに行ってみます」
忙しそうな事務所でぼんやりと座って待つのも気が引けるから、控室に見に行ってみることに決めて、濱崎さんに頭を下げた。
二階建てのゲストハウスは、結構広い。ここへ来たときに濱崎さんが案内をしてくれたのに、控室までの道順がうろ覚えで。辿り着くまでに迷って、何度か通路を間違えた。
少し苦労して控室まで辿り着くと、ドアは開放されていて、中には誰もいなかった。
イベントが始まる前は設置されていた机や椅子は綺麗に片付けられていて、置かれていた荷物もない。迷っている間にみんな帰ってしまって、タローさんとも入れ違ったらしい。
こんなことなら、おとなしく事務所で待っていればよかったかな。
「あの、すみません。スタッフの方ですか?」
空っぽの控室を覗いて苦笑いを浮かべていると、不意に後ろから誰かに声をかけられた。ふわりと漂ってくる甘い香りを感じて振り向くと、そこには新婦役を務めたモデルの女性が立っていた。
「あ……」
間近で見た彼女は、遠目で見るよりもずっと綺麗で。見惚れて息を飲んでしまう。
「あなた……」
だけど彼女のほうは私の顔を見て、睫毛の長い大きな瞳の上にある柳眉を嫌悪感たっぷりに歪ませた。彼女が不機嫌そうに口を閉ざしてしまった理由がわからず、少し困惑する。
「あの、私はゲストハウスのスタッフではなくて、イベントで使っていただいたようなウェディング向けのブーケを作っている店のものなんです。今日はお疲れさまでした。イベントでのウェディングドレス姿、とても綺麗で感動しました」
「どうも」
私の言葉に、彼女が面倒くさそうに首を縦に動かす。
素っ気ない彼女の態度は、イベントのときのキラキラしたイメージとは少し違って不愛想だった。ゲストハウスのスタッフでもないのに突然話しかけたから、警戒されているのかもしれない。
「余計なこと言ってすみません。ゲストハウスのスタッフに用事があったんですよね。私、呼んできましょうか」
「ちょっと待って」
事務所に向かって歩き出そうとした私を、彼女が引き留める。
「はい。どうかされましたか?」
立ち止まって振り向くと、彼女が険しい顔で私のことをじっと見てきた。しばらく待ってみたけれど、彼女は私のことを睨むように見つめるばかりで何も言わない。
私に用があったんじゃないのかな……。
このままとどまるべきか、彼女に断って事務所に戻るべきか迷う。困って視線をさげた私は、手に持ったままでいた紙袋のことを思い出した。
「そうだ。よかったら、イベントで使ったブーケを持って帰りませんか?生花なのであまり長持ちはしませんけど、もしよかったら」
シンとしてしまった場の空気を変えるために、紙袋の口を開いてブーケを差し出してみる。だけど彼女はブーケを一瞥して、紙袋ごと私の手を軽く振り払った。
「そんなもの、要りません」
きっぱりとした拒絶の言葉に、少し傷付く。余計なことをしたのは私だけれど、それにしては初対面の彼女の反応は冷たすぎる。よくわからないけれど、彼女に嫌われているらしいということはなんとなく察知した。
「すみません。やっぱり私、ゲストハウスのスタッフの方を呼んできますね」
「あなたは、蒼大郎さんの何なんですか?」
作り笑いを浮かべて立ち去ろうした私に向かって、彼女が急に強い口調で問いかけてくる。
彼女の口から出た名前がタローさんのことだと認識するのに少し時間がかかったし、彼女がそんなことを訊ねてくる理由もよくわからなかった。
「あの、何、とはどういう意味ですか?」
「どうしてそんなこと聞き返してくるんですか?」
私の言葉が気に障ったらしい。彼女がイラついた声でそう言った。
「あなた、この前の美藤グループの婚約パーティーに蒼大郎さんと一緒に来てましたよね?本来、彼と一緒にあの場に出向くのはレイナのはずだったんです。レイナが彼と別れたのは、もしかしてあなたが原因?」
ひさしぶりに聞いた『レイナ』という名前に、私の耳が敏感に反応する。
彼女が言っている『レイナ』は、タローさんの元婚約者のことだろう。美藤グループの婚約パーティーとは、私がタローさんの婚約者のフリをして参加したあのパーティーのことかもしれない。
だけど、目の前の彼女とレイナさんの関係性も、話の要領もつかめない。
「ごめんなさい。あなたが思っているパーティーと一致しているかはわからないけれど、頼まれて一度だけ何かのパーティーには参加しました。でも私と彼は別に何も──」
「とぼけないで! レイナは婚約中もずっと、蒼大郎さんの気持ちが自分にないんじゃないかってずっと悩んでいて、それで彼との婚約を破棄したの。あなた、レイナが蒼大郎さんとの婚約を破棄する前から彼と付き合ってたの?」
そこまで言われて、ようやく少しだけ話が見えてきた。
どうやら私はタローさんの婚約者のフリをして出席したパーティーで彼女に姿を目撃されていて、そのことで誤解を受けているらしい。
「あの、だから、私はそんなんじゃ──」
「どうやって蒼大郎さんに近付いて、彼のことを誑かしたの? あなたなんかより、レイナのほうがずっと蒼大郎さんに似合ってた」
パーティーでタローさんの隣にいた私が彼に似合ってなかったことは認める。
それでも少し傷付くな。それに、タローさんのことを誑かしただなんてとんでもない。
誤解を解きたいのに、興奮気味に責めたててくる彼女が私の言葉を何度も遮るので、冷静な話ができそうになかった。
「あなたの存在があったことは、レイナに報告させてもらう」
「ミナミちゃん?」
彼女が綺麗な顔で私のことをキッと睨みつけたとき、タローさんの声がした。
「蒼大郎さん……」
タローさんの顔を見た途端、「ミナミちゃん」と呼ばれた彼女が気まずげな顔をする。
「さっき玄関の車まで見送ったところだよね。どうかしたの?」
ミナミさんと私の話しはどこかから聞かれていたはずなのに、タローさんはそのことについて触れようとはしなかった。
「これ、つけたままにして忘れていたから返そうと思って」
視線を落としたミナミさんが、左手に嵌めていた指輪を外してタローさんに差し出した。
「あぁ、模擬挙式のときのレプリカの。わざわざ、ありがとう」
シンプルなシルバーリングのレプリカを受け取ったタローさんが微笑むと、ミナミさんは俯いて首を横に振った。
「それを返したかっただけだから、あたしはこれで……」
「玄関までの道順、わかる?」
「わかります。蒼大郎さん、また」
「うん、今日はありがとう。またね」
ミナミさんは、笑顔のタローさんからふいっと顔を背けると、最後に私を冷たい目で一瞥してから去って行った。
「えーっと。ごめんね、ハナちゃん。濱崎からハナちゃんが控室のほうに行ったって聞いて探しに来たんだけど……。また、嫌な想いをさせたよね」
タローさんが気遣わしげに私を振り向く。タローさんの反応からして、私とミナミさんの話は途中から聞かれていたらしい。
「彼女、俺の元婚約者の幼馴染なんだ」
タローさんと元婚約者のレイナさん、それからミナミさんのお父様はそれぞれに企業の代表や重役を勤めていて、親同士が交流があるそうだ。その関係もあって、本業でモデルの仕事をしているミナミさんには、ときどきTateuchi Bridalのゲストハウスで行われるイベントのドレスモデルや模擬挙式の新婦役を頼んでいるらしい。
今日のイベントの新婦役に彼女が起用されたのは、タローさんやミナミさんの父親の顔をたてる目的もあったのだとか。そんなミナミさんとレイナさんは、親の繋がりを通じて幼い頃なら仲が良いらしい。
「ごめんね。ミナミちゃんは小さい頃から俺の元婚約者と仲が良いから、いろいろと感情移入しちゃうみたいなんだ。でも、今度会ったらハナちゃんとの誤解は解いておくから」
「いえ、気にしないでください」
タローさんは、以前のパーティーで私が『レイナ』と言う名前に過敏に反応したことを気遣ってくれているのか、レイナさんのことを頑なに「元婚約者」としか言わない。
タローさんの気遣いは嬉しいけれど、今日の私は『レイナ』の名前を聞いても以前のように心がかき乱されたりはしなかった。
ミナミさんの言いがかりにはちょっと……。というより、かなりびっくりしたけれど。
私はもう元婚約者とのことを、自分でも思う以上に吹っ切れている。
それはきっと、タローさんがパーティーのときに私に言ってくれたからだ。『比べる必要なんてないよ。ハナちゃんはハナちゃんでいいって思う人間もいるんだから』って。
「それで、ハナちゃんが俺を探してくれてたのは……」
ぼんやり考えていると、タローさんが話題を替えるようにそう切り出してきた。
「あ、はい。お礼を言いたくて。今日はオープンイベントに呼んでいただいてありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。お店のPRはしっかりできた?」
「おかげさまで。イベント用のブーケを作らせてもらえたことも、いい経験になりました。タローさんに出会ってから経験するのは、本当に初めてのことばかりです」
「それは、いい意味で受け取っていいのかな?」
タローさんが私を見つめて、クスリと笑う。
「そう、ですね」
今回のイベントもそうだし……。婚約者のフリをしてセレブのパーティーに参加したのも、超高級指輪を嵌めたのも、それから酔っ払って目覚めたらホテルのスイートルームにいたことも……。
肯定したあとから芋づる式に思い出したのは、タローさんと出会ったときの失態で。ちょっと恥ずかしくなった。
「あ、いえ。とにかく、私が伝えたかったのは『ありがとうございました』ってことです」
顔を赤くしながら纏めると、何がおもしろいのか、タローさんにクスクスと笑われた。
「こちらこそ、どうもありがとう。これからも提携店として頼りにしてると、店長の佐々井さんにも伝えてください」
「わかりました」
そう答えたあと、私とタローさんのあいだに妙な沈黙が流れた。
次にタローさんと顔を合わすのはいつになるだろう。
Tateuchi Bridalと麻耶さんの店は提携契約を結んだけれど、実際に店を利用するのは主に花嫁さまだ。またこんなふうにイベントの依頼でも受けない限り、Tateuchi Bridalの社長であるタローさんと話すこともないのかもしれない。なんとなくそんなことを考えながら、ぺこりと頭を下げる。
「では、これで。失礼します」
「ハナちゃん」
笑顔で立ち去ろうとすると、タローさんが私を呼び止めてきた。
「あー、えっと……」
振り向くと、タローさんが少し考えるように斜め上に視線を向ける。それから、私が手に持ってきた紙袋を指差した。
「そのブーケ、このあとどうするの?」
「そうですね……。しばらく私の部屋か店に飾ろうと思います」
「じゃぁ、俺が記念にもらって帰ってもいいかな?」
「それはもちろん、かまいませんけど……」
ミナミさんには「要らない」と言われてしまったブーケ。それをタローさんが欲しがるとは思わなかった。ミナミさんとの会話を聞いていた彼が、私に気を遣ってくれているのだろうか。
「あの、ミナミさんのことで気を遣ってくれてるなら大丈夫ですよ。私は本当に、何も気にしてないので」
「ミナミちゃんのことは関係なく、もらいたいんだ。イベントの依頼をするときにも話したと思うけど、俺はハナちゃんの作るブーケが好きだから」
タローさんがふっと優しく笑いかけてくる。
タローさんが「好きだ」と言ってくれたのは私が作ったブーケなのに。彼の言葉に、なんだか胸が高鳴った。
「ありがとうございます。じゃぁ、これはタローさんに……」
「うん」
「そんなに気に入ってもらえて、嬉しいです。いつかタローさんが結婚するときは、ブーケの依頼をくださいね。サービスさせてもらいます」
冗談交じりの営業トークを付け足して、タローさんにブーケの紙袋を手渡す。軽口のつもりで「いつか」なんて言ったくせに、タローさんの隣にレイナさんに替わる相手が立つ日が来ることを考えたら、チクリと胸が痛んだ。
「じゃぁ、私はこれで……」
今度こそ本当に立ち去ろうとしたとき、タローさんが私の手をつかんだ。
「ハナちゃん、これから時間ある?」
「え?」
「もしよかったら、一緒にご飯でもどうかなって」
いつも余裕そうな笑みを浮かべているタローさんが、珍しく困ったように眉尻を下げて誘いかけてくる。
「仕事の話、ですか?」
以前、Belle Fleur《ベル・フルール》の近くにあるカフェで一緒にランチをしたときに、タローさんが言っていた。仕事関係の人と食事をするのは、仕事の打ち合わせがあるときだけだって。
あのランチのときは、仕事に関係なく私と食事したみたいだけど、今回は──?
「仕事じゃなくて……、お礼、かな」
「お礼?」
「そう、ハナちゃんからブーケをもらったお礼」
タローさんが無理矢理にこじつけたみたいにそう言って、紙袋を持ち上げる。
そういえばタローさんは、初めて出会った夜も私が渡したブーケのお礼に超高級エンゲージリングを渡そうとしてきたな。
あのときは、必要のなくなったものの処分に困っていただけなのかもしれないけれど。それにしても、タローさんのブーケに対する代価はいつも高すぎる。
「お礼なんていらないですよ。それは今日のイベントのためにタローさんに依頼されて作ったんですから。その代価は既にいただいてます」
「そうだよね」
手を振って笑う私を見て、タローさんが苦笑いする。
「じゃぁ、プライベートで俺との食事に付き合ってくれる?」
「え?」
タローさんの誘いに、心臓が大きくドクンと跳ねた。
「いや。単純に俺の我儘なんだけど、もう少しハナちゃんと話したいな、と思って。イベントも終わったし、これからしばらくハナちゃんと顔を合わす機会がなくなりそうだから」
「そう、ですね……」
私もちょうどさっき似たようなことを考えていたところだったから、タローさんの言葉に胸が騒いだ。
このままここで別れてしまえば、私たちが次にいつ顔を合わすかはわからない。もしかしたら、この後何年も会うことはないかもしれない。
タローさんはそのことを、淋しいと思ってくれているんだろうか。
「もちろん、ハナちゃんが良ければだけど」
黙って考え込んでいると、タローさんが遠慮がちに笑いながらそう付け加える。
もしタローさんが、仕事以外でも私との繋がりを持ちたいと思ってくれているのだとしたら……。私はその繋がりを切りたくない。
ミナミさんには、タローさんとはなんの関係もないと言い切ったくせに。本当は、そんなのウソだ。
タローさんはどう思っているかわからないけれど、少なくとも私には彼に対して特別な気持ちがある。
「私でよければ……。ご一緒させてください」
「よかった」
タローさんが、軽く目を細めて優しく笑う。その笑顔に、私の胸は確実にときめいていた。
全面ガラス張りの明るいチャペルで行われた模擬挙式は予想以上に素敵で。私は濱崎さんに案内してもらったスタッフ用の立ち見席で、イベントを堪能した。元婚約者の結婚式に出たことは0カウントとして、自分のブーケが使われている挙式を見るのは初めてだ。余計な感情がない分、純粋に式場の雰囲気を楽しめる。
陽の光がきらきらと差し込むバージンロードを歩く花嫁様の姿はとても綺麗で。そんな彼女が私の作ったブーケとクラウンを身に着けていると思うと、嬉しくてにやけてしまいそうだった。
挙式が終わると、チャペルに集まったゲストはガーデンを散策したり、披露宴会場に足を運んだりと、ゲストハウスの中を自由に見学し始めた。その間に資料コーナーに移動した私は、ゲストハウス側が用意してくれたブースに立った。
資料コーナーではTateuchi Bridal Companyと提携しているドレスブランドがウェディングドレスの展示を行っていて。広いスペースを取って、たくさんのゲストを集めていた。
挙式で使ったブーケとクラウンを展示してパンフレットを並べたBelle Fleur《ベル・フルール》のブースは最初は閑散としていたけれど、ウェディングドレスを見終わったゲストがぽつぽつと足を運んでくれた。
パンフレットを見せたり、簡単なサービスや料金の説明をして対応に追われているうちに、あっという間にイベントの終了時間になった。持ってきたパンフレットをすべて掃けることはできなかったけれど、Belle Fleur《ベル・フルール》のブーケに興味を持ってくれた方は意外にも多くて。麻耶さんの店の良い売り込みができたと思う。
イベントが終わって、ゲストハウスのスタッフと一緒に資料コーナーの片付けを手伝ったあと、私は事務所へと向かった。
濱崎さんとタローさんに挨拶してから帰りたかったけれど、事務所にいたのは濱崎さんだけだった。そういえば、忙しくて全く気付かなかったけれど、イベント中にタローさんの姿を一度も見かけていない。
「あの、お疲れ様です。今日はありがとうございました」
事務所の入り口の外から声をかけると、濱崎さんが私に気付いて笑顔で歩み寄ってきてくれた。
「お疲れ様です。こちらこそ、どうもありがとうございました」
にこやかに頭を下げる濱崎さんは、最後まで綺麗で感じが良い。
「あの、館内社長にもご挨拶してから帰りたいんですけど、今はどちらにいらっしゃいますか?」
忙しくて私になど構っている暇はないかもしれないけれど、できればお礼が言いたい。
「館内でしたら、モデルを務めてくれたお二人に挨拶するために控室に行きましたよ。そのうち事務所に戻ってくると思いますけど、応接室で待たれますか?」
迷いながら訊ねた私に、濱崎さんが親切に教えてくれる。
「ありがとうございます。控室のほうに行ってみます」
忙しそうな事務所でぼんやりと座って待つのも気が引けるから、控室に見に行ってみることに決めて、濱崎さんに頭を下げた。
二階建てのゲストハウスは、結構広い。ここへ来たときに濱崎さんが案内をしてくれたのに、控室までの道順がうろ覚えで。辿り着くまでに迷って、何度か通路を間違えた。
少し苦労して控室まで辿り着くと、ドアは開放されていて、中には誰もいなかった。
イベントが始まる前は設置されていた机や椅子は綺麗に片付けられていて、置かれていた荷物もない。迷っている間にみんな帰ってしまって、タローさんとも入れ違ったらしい。
こんなことなら、おとなしく事務所で待っていればよかったかな。
「あの、すみません。スタッフの方ですか?」
空っぽの控室を覗いて苦笑いを浮かべていると、不意に後ろから誰かに声をかけられた。ふわりと漂ってくる甘い香りを感じて振り向くと、そこには新婦役を務めたモデルの女性が立っていた。
「あ……」
間近で見た彼女は、遠目で見るよりもずっと綺麗で。見惚れて息を飲んでしまう。
「あなた……」
だけど彼女のほうは私の顔を見て、睫毛の長い大きな瞳の上にある柳眉を嫌悪感たっぷりに歪ませた。彼女が不機嫌そうに口を閉ざしてしまった理由がわからず、少し困惑する。
「あの、私はゲストハウスのスタッフではなくて、イベントで使っていただいたようなウェディング向けのブーケを作っている店のものなんです。今日はお疲れさまでした。イベントでのウェディングドレス姿、とても綺麗で感動しました」
「どうも」
私の言葉に、彼女が面倒くさそうに首を縦に動かす。
素っ気ない彼女の態度は、イベントのときのキラキラしたイメージとは少し違って不愛想だった。ゲストハウスのスタッフでもないのに突然話しかけたから、警戒されているのかもしれない。
「余計なこと言ってすみません。ゲストハウスのスタッフに用事があったんですよね。私、呼んできましょうか」
「ちょっと待って」
事務所に向かって歩き出そうとした私を、彼女が引き留める。
「はい。どうかされましたか?」
立ち止まって振り向くと、彼女が険しい顔で私のことをじっと見てきた。しばらく待ってみたけれど、彼女は私のことを睨むように見つめるばかりで何も言わない。
私に用があったんじゃないのかな……。
このままとどまるべきか、彼女に断って事務所に戻るべきか迷う。困って視線をさげた私は、手に持ったままでいた紙袋のことを思い出した。
「そうだ。よかったら、イベントで使ったブーケを持って帰りませんか?生花なのであまり長持ちはしませんけど、もしよかったら」
シンとしてしまった場の空気を変えるために、紙袋の口を開いてブーケを差し出してみる。だけど彼女はブーケを一瞥して、紙袋ごと私の手を軽く振り払った。
「そんなもの、要りません」
きっぱりとした拒絶の言葉に、少し傷付く。余計なことをしたのは私だけれど、それにしては初対面の彼女の反応は冷たすぎる。よくわからないけれど、彼女に嫌われているらしいということはなんとなく察知した。
「すみません。やっぱり私、ゲストハウスのスタッフの方を呼んできますね」
「あなたは、蒼大郎さんの何なんですか?」
作り笑いを浮かべて立ち去ろうした私に向かって、彼女が急に強い口調で問いかけてくる。
彼女の口から出た名前がタローさんのことだと認識するのに少し時間がかかったし、彼女がそんなことを訊ねてくる理由もよくわからなかった。
「あの、何、とはどういう意味ですか?」
「どうしてそんなこと聞き返してくるんですか?」
私の言葉が気に障ったらしい。彼女がイラついた声でそう言った。
「あなた、この前の美藤グループの婚約パーティーに蒼大郎さんと一緒に来てましたよね?本来、彼と一緒にあの場に出向くのはレイナのはずだったんです。レイナが彼と別れたのは、もしかしてあなたが原因?」
ひさしぶりに聞いた『レイナ』という名前に、私の耳が敏感に反応する。
彼女が言っている『レイナ』は、タローさんの元婚約者のことだろう。美藤グループの婚約パーティーとは、私がタローさんの婚約者のフリをして参加したあのパーティーのことかもしれない。
だけど、目の前の彼女とレイナさんの関係性も、話の要領もつかめない。
「ごめんなさい。あなたが思っているパーティーと一致しているかはわからないけれど、頼まれて一度だけ何かのパーティーには参加しました。でも私と彼は別に何も──」
「とぼけないで! レイナは婚約中もずっと、蒼大郎さんの気持ちが自分にないんじゃないかってずっと悩んでいて、それで彼との婚約を破棄したの。あなた、レイナが蒼大郎さんとの婚約を破棄する前から彼と付き合ってたの?」
そこまで言われて、ようやく少しだけ話が見えてきた。
どうやら私はタローさんの婚約者のフリをして出席したパーティーで彼女に姿を目撃されていて、そのことで誤解を受けているらしい。
「あの、だから、私はそんなんじゃ──」
「どうやって蒼大郎さんに近付いて、彼のことを誑かしたの? あなたなんかより、レイナのほうがずっと蒼大郎さんに似合ってた」
パーティーでタローさんの隣にいた私が彼に似合ってなかったことは認める。
それでも少し傷付くな。それに、タローさんのことを誑かしただなんてとんでもない。
誤解を解きたいのに、興奮気味に責めたててくる彼女が私の言葉を何度も遮るので、冷静な話ができそうになかった。
「あなたの存在があったことは、レイナに報告させてもらう」
「ミナミちゃん?」
彼女が綺麗な顔で私のことをキッと睨みつけたとき、タローさんの声がした。
「蒼大郎さん……」
タローさんの顔を見た途端、「ミナミちゃん」と呼ばれた彼女が気まずげな顔をする。
「さっき玄関の車まで見送ったところだよね。どうかしたの?」
ミナミさんと私の話しはどこかから聞かれていたはずなのに、タローさんはそのことについて触れようとはしなかった。
「これ、つけたままにして忘れていたから返そうと思って」
視線を落としたミナミさんが、左手に嵌めていた指輪を外してタローさんに差し出した。
「あぁ、模擬挙式のときのレプリカの。わざわざ、ありがとう」
シンプルなシルバーリングのレプリカを受け取ったタローさんが微笑むと、ミナミさんは俯いて首を横に振った。
「それを返したかっただけだから、あたしはこれで……」
「玄関までの道順、わかる?」
「わかります。蒼大郎さん、また」
「うん、今日はありがとう。またね」
ミナミさんは、笑顔のタローさんからふいっと顔を背けると、最後に私を冷たい目で一瞥してから去って行った。
「えーっと。ごめんね、ハナちゃん。濱崎からハナちゃんが控室のほうに行ったって聞いて探しに来たんだけど……。また、嫌な想いをさせたよね」
タローさんが気遣わしげに私を振り向く。タローさんの反応からして、私とミナミさんの話は途中から聞かれていたらしい。
「彼女、俺の元婚約者の幼馴染なんだ」
タローさんと元婚約者のレイナさん、それからミナミさんのお父様はそれぞれに企業の代表や重役を勤めていて、親同士が交流があるそうだ。その関係もあって、本業でモデルの仕事をしているミナミさんには、ときどきTateuchi Bridalのゲストハウスで行われるイベントのドレスモデルや模擬挙式の新婦役を頼んでいるらしい。
今日のイベントの新婦役に彼女が起用されたのは、タローさんやミナミさんの父親の顔をたてる目的もあったのだとか。そんなミナミさんとレイナさんは、親の繋がりを通じて幼い頃なら仲が良いらしい。
「ごめんね。ミナミちゃんは小さい頃から俺の元婚約者と仲が良いから、いろいろと感情移入しちゃうみたいなんだ。でも、今度会ったらハナちゃんとの誤解は解いておくから」
「いえ、気にしないでください」
タローさんは、以前のパーティーで私が『レイナ』と言う名前に過敏に反応したことを気遣ってくれているのか、レイナさんのことを頑なに「元婚約者」としか言わない。
タローさんの気遣いは嬉しいけれど、今日の私は『レイナ』の名前を聞いても以前のように心がかき乱されたりはしなかった。
ミナミさんの言いがかりにはちょっと……。というより、かなりびっくりしたけれど。
私はもう元婚約者とのことを、自分でも思う以上に吹っ切れている。
それはきっと、タローさんがパーティーのときに私に言ってくれたからだ。『比べる必要なんてないよ。ハナちゃんはハナちゃんでいいって思う人間もいるんだから』って。
「それで、ハナちゃんが俺を探してくれてたのは……」
ぼんやり考えていると、タローさんが話題を替えるようにそう切り出してきた。
「あ、はい。お礼を言いたくて。今日はオープンイベントに呼んでいただいてありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。お店のPRはしっかりできた?」
「おかげさまで。イベント用のブーケを作らせてもらえたことも、いい経験になりました。タローさんに出会ってから経験するのは、本当に初めてのことばかりです」
「それは、いい意味で受け取っていいのかな?」
タローさんが私を見つめて、クスリと笑う。
「そう、ですね」
今回のイベントもそうだし……。婚約者のフリをしてセレブのパーティーに参加したのも、超高級指輪を嵌めたのも、それから酔っ払って目覚めたらホテルのスイートルームにいたことも……。
肯定したあとから芋づる式に思い出したのは、タローさんと出会ったときの失態で。ちょっと恥ずかしくなった。
「あ、いえ。とにかく、私が伝えたかったのは『ありがとうございました』ってことです」
顔を赤くしながら纏めると、何がおもしろいのか、タローさんにクスクスと笑われた。
「こちらこそ、どうもありがとう。これからも提携店として頼りにしてると、店長の佐々井さんにも伝えてください」
「わかりました」
そう答えたあと、私とタローさんのあいだに妙な沈黙が流れた。
次にタローさんと顔を合わすのはいつになるだろう。
Tateuchi Bridalと麻耶さんの店は提携契約を結んだけれど、実際に店を利用するのは主に花嫁さまだ。またこんなふうにイベントの依頼でも受けない限り、Tateuchi Bridalの社長であるタローさんと話すこともないのかもしれない。なんとなくそんなことを考えながら、ぺこりと頭を下げる。
「では、これで。失礼します」
「ハナちゃん」
笑顔で立ち去ろうとすると、タローさんが私を呼び止めてきた。
「あー、えっと……」
振り向くと、タローさんが少し考えるように斜め上に視線を向ける。それから、私が手に持ってきた紙袋を指差した。
「そのブーケ、このあとどうするの?」
「そうですね……。しばらく私の部屋か店に飾ろうと思います」
「じゃぁ、俺が記念にもらって帰ってもいいかな?」
「それはもちろん、かまいませんけど……」
ミナミさんには「要らない」と言われてしまったブーケ。それをタローさんが欲しがるとは思わなかった。ミナミさんとの会話を聞いていた彼が、私に気を遣ってくれているのだろうか。
「あの、ミナミさんのことで気を遣ってくれてるなら大丈夫ですよ。私は本当に、何も気にしてないので」
「ミナミちゃんのことは関係なく、もらいたいんだ。イベントの依頼をするときにも話したと思うけど、俺はハナちゃんの作るブーケが好きだから」
タローさんがふっと優しく笑いかけてくる。
タローさんが「好きだ」と言ってくれたのは私が作ったブーケなのに。彼の言葉に、なんだか胸が高鳴った。
「ありがとうございます。じゃぁ、これはタローさんに……」
「うん」
「そんなに気に入ってもらえて、嬉しいです。いつかタローさんが結婚するときは、ブーケの依頼をくださいね。サービスさせてもらいます」
冗談交じりの営業トークを付け足して、タローさんにブーケの紙袋を手渡す。軽口のつもりで「いつか」なんて言ったくせに、タローさんの隣にレイナさんに替わる相手が立つ日が来ることを考えたら、チクリと胸が痛んだ。
「じゃぁ、私はこれで……」
今度こそ本当に立ち去ろうとしたとき、タローさんが私の手をつかんだ。
「ハナちゃん、これから時間ある?」
「え?」
「もしよかったら、一緒にご飯でもどうかなって」
いつも余裕そうな笑みを浮かべているタローさんが、珍しく困ったように眉尻を下げて誘いかけてくる。
「仕事の話、ですか?」
以前、Belle Fleur《ベル・フルール》の近くにあるカフェで一緒にランチをしたときに、タローさんが言っていた。仕事関係の人と食事をするのは、仕事の打ち合わせがあるときだけだって。
あのランチのときは、仕事に関係なく私と食事したみたいだけど、今回は──?
「仕事じゃなくて……、お礼、かな」
「お礼?」
「そう、ハナちゃんからブーケをもらったお礼」
タローさんが無理矢理にこじつけたみたいにそう言って、紙袋を持ち上げる。
そういえばタローさんは、初めて出会った夜も私が渡したブーケのお礼に超高級エンゲージリングを渡そうとしてきたな。
あのときは、必要のなくなったものの処分に困っていただけなのかもしれないけれど。それにしても、タローさんのブーケに対する代価はいつも高すぎる。
「お礼なんていらないですよ。それは今日のイベントのためにタローさんに依頼されて作ったんですから。その代価は既にいただいてます」
「そうだよね」
手を振って笑う私を見て、タローさんが苦笑いする。
「じゃぁ、プライベートで俺との食事に付き合ってくれる?」
「え?」
タローさんの誘いに、心臓が大きくドクンと跳ねた。
「いや。単純に俺の我儘なんだけど、もう少しハナちゃんと話したいな、と思って。イベントも終わったし、これからしばらくハナちゃんと顔を合わす機会がなくなりそうだから」
「そう、ですね……」
私もちょうどさっき似たようなことを考えていたところだったから、タローさんの言葉に胸が騒いだ。
このままここで別れてしまえば、私たちが次にいつ顔を合わすかはわからない。もしかしたら、この後何年も会うことはないかもしれない。
タローさんはそのことを、淋しいと思ってくれているんだろうか。
「もちろん、ハナちゃんが良ければだけど」
黙って考え込んでいると、タローさんが遠慮がちに笑いながらそう付け加える。
もしタローさんが、仕事以外でも私との繋がりを持ちたいと思ってくれているのだとしたら……。私はその繋がりを切りたくない。
ミナミさんには、タローさんとはなんの関係もないと言い切ったくせに。本当は、そんなのウソだ。
タローさんはどう思っているかわからないけれど、少なくとも私には彼に対して特別な気持ちがある。
「私でよければ……。ご一緒させてください」
「よかった」
タローさんが、軽く目を細めて優しく笑う。その笑顔に、私の胸は確実にときめいていた。
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