【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)
Promise.Ⅳ〈2〉
麻耶さんとタローさんの打ち合わせが始まって三十分ほど経った頃、ネットからのオーダー状況をチェックしていた私の背後で事務所のドアが開いた。
「ハナちゃん、少しいい?」
事務所から出てきたのは、麻耶さんひとりきり。嬉しそうな笑みを浮かべた麻耶さんが、私を手招きする。
なんだろう。麻耶さんに歩み寄ると、彼女がまだタローさんがいる事務所のほうを気にしながら、私にこそっと訊ねてきた。
「ねぇ、ハナちゃん。イベント用のブーケを作ってみる気ない?」
「イベント用、ですか?」
「そう。来月、Tateuchi Bridalが新しくオープンするゲストハウスで、オープン記念を兼ねたブライダルフェアを行うんだって。たった今、舘内社長から、イベントの模擬挙式で使うブーケをうちに依頼したいっていうお話をいただいたんだけど……ハナちゃんが作ってみない?」
「え、私がですか?麻耶さんじゃなくて?」
「そう、私じゃなくてハナちゃん」
麻耶さんが私の肩を人差し指でちょんっと突いて、にこりと笑う。
「この前ブーケの取り違えのミスがあったとき、舘内社長が梨木様のブーケをゲストハウスまで届けてくれたでしょ。舘内社長、あのブーケの雰囲気がすごく気に入ったんだって」
「え、ほんとですか?」
麻耶さんの言葉が俄かに信じられなくて、大きく目を見開く。
あの日取り違えてしまった、ピンクを基調に纏めたブーケは、私がアレンジしたものだった。麻耶さんに比べたらまだまだ技術は劣るけど、ふわっとした柔らかな雰囲気の花嫁様をイメージして、想いを込めて一本一本花を選んだ。それが気に入られたのなら、すごく嬉しい。
「そもそも舘内社長がうちにコンタクトを取ってみようと思ったのも、ハナちゃんが作ったブーケがきっかけだったみたいなのよね」
「どういうことですか?」
「何ヶ月か前にハナちゃんが、Tateuchi Bridalで挙式された若いご夫婦のウエディングドレス用ブーケを作ったのって覚えてる?」
「上野様、ですかね……。花嫁様が、まだ大学出たばかりくらいの」
「そうそう。モデルさんみたいに綺麗な顔立ちをしていた花嫁さん。ハナちゃんがその方をイメージして、大きめの花をいくつも使ったすっごく可愛くて華やかなブーケを作ったじゃない?そのブーケが、舘内社長がうちの店にコンタクトを取ろうと思う決め手になったみたい」
「それ、本当ですか?」
「もちろん、たった今聞いたばかりの本当の話よ。ハナちゃんのブーケがなかったら、舘内社長はうちにコンタクトを取ってこなかったかもしれない。だから、今回のTateuchi Bridalからの初仕事は、ハナちゃんに担当してもらうのがいいんじゃないかと思ってる」
麻耶さんが、そう言って笑いかけてくる。
麻耶さんの言葉はありがたいし、タローさんが本当に私の作ったブーケを気に入ってくれていたのならとても嬉しい。
でも、Tateuchi Bridal Companyからの初仕事を、店のオーナーである麻耶さんを差し置いて私が……、というのはいくらなんでも抵抗があった。
「私に遠慮しないでね。これは、ハナちゃんに巡ってきたチャンスなんだから」
困っていると、麻耶さんに笑顔でぽんと肩を叩いてくる。
「Belle Fleur《ベル・フルール》は私が立ち上げたけど、今やもうハナちゃんあっての店なのよ。だから、今回はハナちゃんに任せてみたいと思ってる。どうかな?」
肩に置かれた手や、ジッと見つめてくる眼差しから、私に対する麻耶さんの信頼がひしひしと伝わってくる。
これは、断るほうが良くないのかもしれない。かなり迷ったけれど、私は最終的に麻耶さんの言葉に頷いていた。
「そこまで言ってもらえるなら、やってみようかと思います」
「ありがとう、ハナちゃん。そうと決まれば、舘内社長に挨拶しに行こう。ハナちゃんを紹介したあとは私が店番を変わるから。イベントについての詳しい説明を、社長から聞いておいてくれる?」
「はい」
緊張気味に返事した私に、麻耶さんが柔らかく笑いかけてくる。
「ハナちゃん、そんなに緊張しなくても大丈夫。舘内社長、優しくて話しやすい人だよ」
「はい」
タローさんが優しくて話しやすいことは、私もよく知っている。でも、これから仕事相手として対面するのだと思うと緊張する。
私は大きく深呼吸すると、昂る左胸を抑えながら、麻耶さんの後をついて事務所へと足を踏み入れた。
「舘内社長。こちらが、先程お話しした広谷です」
「アシスタントをしている、広谷 玻奈子です。よろしくお願いします」
麻耶さんに紹介されて、応接ソファーに座るタローさんに名刺を差し出すと、立ち上がった彼が素知らぬ顔で私からそれを受け取った。
「舘内です。よろしくお願いします」
名刺の名前をよく確認したのちに、タローさんが軽く会釈して笑いかけてくる。強張った顔で会釈を返すと、麻耶さんがさりげなく私の肩に手をのせた。
「舘内社長、広谷にはイベントについて簡単に説明してあります。私は店を無人の状態にはできないので、詳細は社長からお話していただけますか?」
「わかりました。それでは少しお時間をいただいて、広谷さんと打ち合わせをさせていただきます」
「よろしくお願いします。お話が終わったら、お声かけください」
「わかりました」
丁寧に頭を下げて事務所を出て行く麻耶さんを、タローさんが笑顔で見送る。
麻耶さんの姿が完全にドアの向こうに消えてしまうのを確認してから、タローさんが応接ソファーにドスッと腰かけた。
「座らないの?」
長い脚を組んだタローさんが、私を見上げて優美に微笑む。
私の前にいるタローさんはとても寛いでいて、店に入って来たときの他人行儀な態度とは全然違う。タローさんの態度の変化に困惑していると、私の名刺を指に挟んだ彼がそれを見てクスリと笑った。
「ちゃんと本名だったんだね、玻奈子って」
「今さらですか? ていうか、疑ってたんですか?」
「初めて会った夜に『ハナコだ』って言われたときは、少しだけ。もしかしたら適当な偽名なのかな、って」
「だから、そちらも『タロー』だって名乗ったんですね」
「俺も一応立場があるからね。むやみやたらには、身分や名前を晒せない」
「だから、一度目に店に来たときも、今日も私とは他人のフリをしたんですか?」
ジトっとした目でタローさんを睨むと、彼が私を見上げて頬を緩めた。
「どっちも俺なりの気遣いだよ。一度目は、あんな出会い方をした男が急に仕事相手として現れたら戸惑うんじゃないかと思ったから。今日は、この前君がしてくれたことを店長さんに知られたくないんじゃないかと思ったから」
気遣いだと言われたら、なんとも反論できない。唇を真横に引き結ぶと、タローさんが私を見上げて口元に笑を浮かべた。
「それとも、フレンドリーに話しかけて店長さんにいろいろバラしたほうがよかった? 酔っ払ったハナちゃんと一夜を過ごしたときのこととか、店との業務提携のためにハナちゃんが俺の婚約者役を引き受けたこととか」
「いえ、それは困ります……」
ボソッと答えて顔を赤くすると、タローさんがクスクスと笑った。
「そうでしょ? わかってくれたなら、そろそろ仕事の話をしよう。拗ねてないでそこに座ってもらってもいいかな?」
「拗ねてません」
「それはごめんね。俺には、ハナちゃんが他人のフリをしたことを怒っているみたいに見えたから」
タローさんが組んだ脚の上で頬杖をついて、揶揄うような目で私を見上げてくる。これ以上タローさんの挑発に乗せられていてはキリがないので、私はおとなしく彼と向かい合って腰かけた。
「それでは、改めて。今回、ハナちゃんが俺の要求を聞き入れてくれてよかった」
無言の私に、タローさんが優美に笑いかけてくる。
「今までうちが出してきたゲストハウスは、ヨーロッパ風のお洒落な雰囲気だったり、非日常の中のラグジュアリー感を演出してみたり、割と華やかな感じの式場が多かったんだけどね。来月オープンするゲストハウスのコンセプトは『ナチュラル・ウェディング』なんだ」
「緑のガーデンで式を挙げるような、そんな感じですか?」
「イメージはハナちゃんの想像で合ってると思う。あんまり形式ばらずに、自然体で結婚式をあげてもらえる式場を目指してる」
「じゃぁ、オープンイベントのときもガーデンで模擬挙式を?」
「ガーデンでの挙式や演出はもちろん可能なんだけど、今回のイベントではお客様にチャペルのほうを見せたいから。模擬挙式はそっちでするつもり。チャペルは雰囲気はこんな感じ」
タローさんが説明しながら、応接テーブルに置いてあったタブレットで式場の写真を見せてくれた。
石畳を思わせる床に、木目調の椅子。バージンロードには緑で装飾されたキャンドルが並べられ、ほぼ全面ガラス張りのチャペルには自然光が眩く差し込んでいる。
特別天気の良い日に撮られた写真なのだろうけど、つい見惚れてしまうほど美しいデザインのチャペルだった。
「新婦役のモデルさんには、エンパイアラインのウェディングドレスを着てもらおうと思っていて。ブーケもドレスやチャペルの雰囲気に合わせてナチュラル感のあるものにしたいんだ。店長さんの作るブーケも洗練されてて、華があってすごく魅力的なんだけど、新しいゲストハウスのイメージに合うのはハナちゃんの作るブーケかなって」
タブレットの写真を見ながら話を聞いていた私は、タローさんの言葉にふと思うことがあって顔をあげた。
「それって、麻耶さんの作るブーケには非凡さが見られるけど、私の作るブーケは平凡だってことですか?」
わかってはいることだけど、他人に指摘されるのは少し悔しい。ジトっと上目遣いにタローさんを見ると、彼がゆるく握った手を口元にあててクスリと笑った。
「そういうことじゃないよ。俺は、ハナちゃんの作るブーケの、打算のない素直な感じを、新しいゲストハウスのイベントで取り入れたいんだ」
「打算はありますよ。作るときに、めちゃくちゃ考えてます」
「そう? でも、元婚約者を奪った女のブーケを作るときですら、一本一本の花にふたりの……、もしかしたら彼の、幸せを願ったんじゃない? 初めて会った日にハナちゃんがくれたブーケ、すごく素敵だと思ったよ。だから、今回の依頼は俺からの本気のラブコール」
にこっとタローさんに笑いかけられて、いろんな意味で胸がざわついた。
初めて出会った夜に、バーで横流しにしたブーケ。それを見て、私の切なくて複雑な気持ちを丸ごと読み取ってしまうなんて。タローさんの洞察力は凄すぎる。
そんなふうに褒め殺されて、必要とされたら、引き受けないわけにいかない。
「あの、もしよかったら、新婦のドレスデザインも見せてください。それとチャペルの雰囲気とを見て、ブーケのデザインを考えてみます。タローさ……、じゃなくて、舘内社長の期待にどこまで添えるかはわからないですけど……」
膝の上で両手を握りしめて、おずおずとそう伝えると、タローさんが嬉しそうな明るい笑顔を見せた。
「ありがとう、ハナちゃん。あ、これからは広谷さんって呼ぶべきか」
タローさんは私に友好的に笑いかけてくれているのに、その言葉で彼との距離がこれまでより遠くなるような気がした。
「ハナ、でいいです。ハナのままで」
少し声のトーンを落としてそう言うと、タローさんが僅かに目を見開く。けれどすぐに笑顔になって、私に右手を差し伸べてきた。
「よろしく、ハナちゃん」
軽く首を横に傾けて握手を求めてくるタローさんの手を、ドキドキしながらそっと握る。
ただのビジネス上の握手でしかないのに、タローさんの大きな温かい手のひらに包まれた右手は、緊張ですぐにも汗ばみそうだった。
「よろしくお願いします」
平静を装って発した声が、微かに震えているような気がする。優しく微笑むタローさんを前に、私の胸はドクドクと暴れ始めていた。
「ハナちゃん、少しいい?」
事務所から出てきたのは、麻耶さんひとりきり。嬉しそうな笑みを浮かべた麻耶さんが、私を手招きする。
なんだろう。麻耶さんに歩み寄ると、彼女がまだタローさんがいる事務所のほうを気にしながら、私にこそっと訊ねてきた。
「ねぇ、ハナちゃん。イベント用のブーケを作ってみる気ない?」
「イベント用、ですか?」
「そう。来月、Tateuchi Bridalが新しくオープンするゲストハウスで、オープン記念を兼ねたブライダルフェアを行うんだって。たった今、舘内社長から、イベントの模擬挙式で使うブーケをうちに依頼したいっていうお話をいただいたんだけど……ハナちゃんが作ってみない?」
「え、私がですか?麻耶さんじゃなくて?」
「そう、私じゃなくてハナちゃん」
麻耶さんが私の肩を人差し指でちょんっと突いて、にこりと笑う。
「この前ブーケの取り違えのミスがあったとき、舘内社長が梨木様のブーケをゲストハウスまで届けてくれたでしょ。舘内社長、あのブーケの雰囲気がすごく気に入ったんだって」
「え、ほんとですか?」
麻耶さんの言葉が俄かに信じられなくて、大きく目を見開く。
あの日取り違えてしまった、ピンクを基調に纏めたブーケは、私がアレンジしたものだった。麻耶さんに比べたらまだまだ技術は劣るけど、ふわっとした柔らかな雰囲気の花嫁様をイメージして、想いを込めて一本一本花を選んだ。それが気に入られたのなら、すごく嬉しい。
「そもそも舘内社長がうちにコンタクトを取ってみようと思ったのも、ハナちゃんが作ったブーケがきっかけだったみたいなのよね」
「どういうことですか?」
「何ヶ月か前にハナちゃんが、Tateuchi Bridalで挙式された若いご夫婦のウエディングドレス用ブーケを作ったのって覚えてる?」
「上野様、ですかね……。花嫁様が、まだ大学出たばかりくらいの」
「そうそう。モデルさんみたいに綺麗な顔立ちをしていた花嫁さん。ハナちゃんがその方をイメージして、大きめの花をいくつも使ったすっごく可愛くて華やかなブーケを作ったじゃない?そのブーケが、舘内社長がうちの店にコンタクトを取ろうと思う決め手になったみたい」
「それ、本当ですか?」
「もちろん、たった今聞いたばかりの本当の話よ。ハナちゃんのブーケがなかったら、舘内社長はうちにコンタクトを取ってこなかったかもしれない。だから、今回のTateuchi Bridalからの初仕事は、ハナちゃんに担当してもらうのがいいんじゃないかと思ってる」
麻耶さんが、そう言って笑いかけてくる。
麻耶さんの言葉はありがたいし、タローさんが本当に私の作ったブーケを気に入ってくれていたのならとても嬉しい。
でも、Tateuchi Bridal Companyからの初仕事を、店のオーナーである麻耶さんを差し置いて私が……、というのはいくらなんでも抵抗があった。
「私に遠慮しないでね。これは、ハナちゃんに巡ってきたチャンスなんだから」
困っていると、麻耶さんに笑顔でぽんと肩を叩いてくる。
「Belle Fleur《ベル・フルール》は私が立ち上げたけど、今やもうハナちゃんあっての店なのよ。だから、今回はハナちゃんに任せてみたいと思ってる。どうかな?」
肩に置かれた手や、ジッと見つめてくる眼差しから、私に対する麻耶さんの信頼がひしひしと伝わってくる。
これは、断るほうが良くないのかもしれない。かなり迷ったけれど、私は最終的に麻耶さんの言葉に頷いていた。
「そこまで言ってもらえるなら、やってみようかと思います」
「ありがとう、ハナちゃん。そうと決まれば、舘内社長に挨拶しに行こう。ハナちゃんを紹介したあとは私が店番を変わるから。イベントについての詳しい説明を、社長から聞いておいてくれる?」
「はい」
緊張気味に返事した私に、麻耶さんが柔らかく笑いかけてくる。
「ハナちゃん、そんなに緊張しなくても大丈夫。舘内社長、優しくて話しやすい人だよ」
「はい」
タローさんが優しくて話しやすいことは、私もよく知っている。でも、これから仕事相手として対面するのだと思うと緊張する。
私は大きく深呼吸すると、昂る左胸を抑えながら、麻耶さんの後をついて事務所へと足を踏み入れた。
「舘内社長。こちらが、先程お話しした広谷です」
「アシスタントをしている、広谷 玻奈子です。よろしくお願いします」
麻耶さんに紹介されて、応接ソファーに座るタローさんに名刺を差し出すと、立ち上がった彼が素知らぬ顔で私からそれを受け取った。
「舘内です。よろしくお願いします」
名刺の名前をよく確認したのちに、タローさんが軽く会釈して笑いかけてくる。強張った顔で会釈を返すと、麻耶さんがさりげなく私の肩に手をのせた。
「舘内社長、広谷にはイベントについて簡単に説明してあります。私は店を無人の状態にはできないので、詳細は社長からお話していただけますか?」
「わかりました。それでは少しお時間をいただいて、広谷さんと打ち合わせをさせていただきます」
「よろしくお願いします。お話が終わったら、お声かけください」
「わかりました」
丁寧に頭を下げて事務所を出て行く麻耶さんを、タローさんが笑顔で見送る。
麻耶さんの姿が完全にドアの向こうに消えてしまうのを確認してから、タローさんが応接ソファーにドスッと腰かけた。
「座らないの?」
長い脚を組んだタローさんが、私を見上げて優美に微笑む。
私の前にいるタローさんはとても寛いでいて、店に入って来たときの他人行儀な態度とは全然違う。タローさんの態度の変化に困惑していると、私の名刺を指に挟んだ彼がそれを見てクスリと笑った。
「ちゃんと本名だったんだね、玻奈子って」
「今さらですか? ていうか、疑ってたんですか?」
「初めて会った夜に『ハナコだ』って言われたときは、少しだけ。もしかしたら適当な偽名なのかな、って」
「だから、そちらも『タロー』だって名乗ったんですね」
「俺も一応立場があるからね。むやみやたらには、身分や名前を晒せない」
「だから、一度目に店に来たときも、今日も私とは他人のフリをしたんですか?」
ジトっとした目でタローさんを睨むと、彼が私を見上げて頬を緩めた。
「どっちも俺なりの気遣いだよ。一度目は、あんな出会い方をした男が急に仕事相手として現れたら戸惑うんじゃないかと思ったから。今日は、この前君がしてくれたことを店長さんに知られたくないんじゃないかと思ったから」
気遣いだと言われたら、なんとも反論できない。唇を真横に引き結ぶと、タローさんが私を見上げて口元に笑を浮かべた。
「それとも、フレンドリーに話しかけて店長さんにいろいろバラしたほうがよかった? 酔っ払ったハナちゃんと一夜を過ごしたときのこととか、店との業務提携のためにハナちゃんが俺の婚約者役を引き受けたこととか」
「いえ、それは困ります……」
ボソッと答えて顔を赤くすると、タローさんがクスクスと笑った。
「そうでしょ? わかってくれたなら、そろそろ仕事の話をしよう。拗ねてないでそこに座ってもらってもいいかな?」
「拗ねてません」
「それはごめんね。俺には、ハナちゃんが他人のフリをしたことを怒っているみたいに見えたから」
タローさんが組んだ脚の上で頬杖をついて、揶揄うような目で私を見上げてくる。これ以上タローさんの挑発に乗せられていてはキリがないので、私はおとなしく彼と向かい合って腰かけた。
「それでは、改めて。今回、ハナちゃんが俺の要求を聞き入れてくれてよかった」
無言の私に、タローさんが優美に笑いかけてくる。
「今までうちが出してきたゲストハウスは、ヨーロッパ風のお洒落な雰囲気だったり、非日常の中のラグジュアリー感を演出してみたり、割と華やかな感じの式場が多かったんだけどね。来月オープンするゲストハウスのコンセプトは『ナチュラル・ウェディング』なんだ」
「緑のガーデンで式を挙げるような、そんな感じですか?」
「イメージはハナちゃんの想像で合ってると思う。あんまり形式ばらずに、自然体で結婚式をあげてもらえる式場を目指してる」
「じゃぁ、オープンイベントのときもガーデンで模擬挙式を?」
「ガーデンでの挙式や演出はもちろん可能なんだけど、今回のイベントではお客様にチャペルのほうを見せたいから。模擬挙式はそっちでするつもり。チャペルは雰囲気はこんな感じ」
タローさんが説明しながら、応接テーブルに置いてあったタブレットで式場の写真を見せてくれた。
石畳を思わせる床に、木目調の椅子。バージンロードには緑で装飾されたキャンドルが並べられ、ほぼ全面ガラス張りのチャペルには自然光が眩く差し込んでいる。
特別天気の良い日に撮られた写真なのだろうけど、つい見惚れてしまうほど美しいデザインのチャペルだった。
「新婦役のモデルさんには、エンパイアラインのウェディングドレスを着てもらおうと思っていて。ブーケもドレスやチャペルの雰囲気に合わせてナチュラル感のあるものにしたいんだ。店長さんの作るブーケも洗練されてて、華があってすごく魅力的なんだけど、新しいゲストハウスのイメージに合うのはハナちゃんの作るブーケかなって」
タブレットの写真を見ながら話を聞いていた私は、タローさんの言葉にふと思うことがあって顔をあげた。
「それって、麻耶さんの作るブーケには非凡さが見られるけど、私の作るブーケは平凡だってことですか?」
わかってはいることだけど、他人に指摘されるのは少し悔しい。ジトっと上目遣いにタローさんを見ると、彼がゆるく握った手を口元にあててクスリと笑った。
「そういうことじゃないよ。俺は、ハナちゃんの作るブーケの、打算のない素直な感じを、新しいゲストハウスのイベントで取り入れたいんだ」
「打算はありますよ。作るときに、めちゃくちゃ考えてます」
「そう? でも、元婚約者を奪った女のブーケを作るときですら、一本一本の花にふたりの……、もしかしたら彼の、幸せを願ったんじゃない? 初めて会った日にハナちゃんがくれたブーケ、すごく素敵だと思ったよ。だから、今回の依頼は俺からの本気のラブコール」
にこっとタローさんに笑いかけられて、いろんな意味で胸がざわついた。
初めて出会った夜に、バーで横流しにしたブーケ。それを見て、私の切なくて複雑な気持ちを丸ごと読み取ってしまうなんて。タローさんの洞察力は凄すぎる。
そんなふうに褒め殺されて、必要とされたら、引き受けないわけにいかない。
「あの、もしよかったら、新婦のドレスデザインも見せてください。それとチャペルの雰囲気とを見て、ブーケのデザインを考えてみます。タローさ……、じゃなくて、舘内社長の期待にどこまで添えるかはわからないですけど……」
膝の上で両手を握りしめて、おずおずとそう伝えると、タローさんが嬉しそうな明るい笑顔を見せた。
「ありがとう、ハナちゃん。あ、これからは広谷さんって呼ぶべきか」
タローさんは私に友好的に笑いかけてくれているのに、その言葉で彼との距離がこれまでより遠くなるような気がした。
「ハナ、でいいです。ハナのままで」
少し声のトーンを落としてそう言うと、タローさんが僅かに目を見開く。けれどすぐに笑顔になって、私に右手を差し伸べてきた。
「よろしく、ハナちゃん」
軽く首を横に傾けて握手を求めてくるタローさんの手を、ドキドキしながらそっと握る。
ただのビジネス上の握手でしかないのに、タローさんの大きな温かい手のひらに包まれた右手は、緊張ですぐにも汗ばみそうだった。
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