【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)

月ヶ瀬 杏

Promise.Ⅳ〈1〉

「どうしてハナちゃんがそんなにそわそわしてるの?」

 時計を何度も見ては、店の外を気にしていると、麻耶さんが笑いながら声をかけてきた。

「あ、いえ。えーっと……」
「この前のTateuchi Bridalでのミスのことはもう気にしなくていいのよ。舘内社長も、ハナちゃんが丁寧に謝ってくれたことで店の真摯な姿勢が伝わりました、って電話で言ってたし」
「そうですか……」
「ハナちゃんが店を飛び出していったときはビックリしたけど、ありがとね。Tatechi Bridalとの契約がうまくいきそうなのはハナちゃんのおかげだよ」
「いえ、そんなこと……」

 両手を前にして軽く振ると、私は頬をひきつらせながら苦笑いした。

 そもそも、初めから上手くいきそうだった業務提携の話を台無しにしたのは私なのだ。だから、それを元の状況に戻したところで、私のおかげでも何でもない。

 麻耶さんは、Tateuchi Bridal Company側がもう一度業務提携の話を持ちかけてきたのは、私がタローさんを追いかけていって頭を下げたからだ思っている。だけど、実際にはそれだけじゃなかったことを、麻耶さんには口が裂けても言えない。

 麻耶さんの店にタローさんから電話が入ったのは、私がパーティーに出席してから三日後のことだった。

 週が明けても何の連絡もないことにヤキモキし、もしかして約束を破られたのではないのかと心配していたけれど。かかってきた電話の内容は「業務提携に向けての打ち合わせをしたい」と前向きなものだったから、本当に心底ほっとした。

 打ち合わせ日として指定されたのは、電話があったさらに三日後の十一時。予定では、今から十数分後にタローさんが店にやってくる。

 当然だけど、タローさんとはパーティー以降一度もコンタクトをとっていない。

 優美な笑顔を私に見せて、「またね」と別れたタローさん。そんな彼が店にやってくるのだと思うと、出勤してからずっとそわそわして、落ち着かなくて仕方ない。

 もちろん、タローさんに対応するのは店長の麻耶さんだ。私は、麻耶さんの店で働くミスを犯したアシスタント。麻耶さんは、私とタローさんの接点はそれだけだと思っている。だから、何でもないふうな顔をしてタローさんを出迎えないといけない。

 それなのに、もしかしたらタローさんのほうから私に声をかけてくれるかもしれないと、心のどこかで期待していた。

 夢はパーティーの夜に終わったはずなのに。朝からずっと、私の胸はおかしなくらいに騒いでいる。

「そろそろいらっしゃる頃かな?」

 麻耶さんが時計を見ながら作業用のエプロンを外す。ちょうどそのとき、いつかと同じ白の高級車が店の前の道路に停車した。

 遠くでドアが開く音がして、タローさんが車から降りてくる。真っ直ぐに顔を上げて颯爽と歩いてくるタローさんの姿に、私の胸は自然と高鳴った。

「こんにちは。本日十一時に、打ち合わせのお約束をさせていただいた舘内です」

 敷居を跨いで店に入ってきたタローさんが、麻耶さんを見てにこやかに笑む。完璧なまでの営業スマイルだったけれど、私にもそのおこぼれが向けられるかもしれないと思ったら、それだけでドキドキとした。

「お待ちしておりました。どうぞこちらです」

 前に進み出た麻耶さんが、タローさんを奥の事務所へと誘導する。

「ハナちゃん、しばらくお店のことお願いね」
「はい」

 麻耶さんのあとを歩くタローさんは、私のそばを通り抜けるときに、他人行儀な視線をこちらに向けただけだった。

 あまり親しげた態度をとったら、麻耶さんにおかしく思われることは私だって充分にわかっている。だけど、せめて軽く笑いかけてくれるとか、挨拶してくれるとか、そういう心遣いがあってもいいのに。

 期待に膨らんでいた胸が、失望で一気に萎む。

「またね」と、優しく曖昧な言葉で期待させておいて、いざ顔を合わせたら赤の他人のフリなんて。パーティーのときに優しい態度で接してくれたタローさんとは別人みたいだ。

 麻耶さんとともに事務所に消えていくタローさんに、軽く憤りを覚える。だけど少し冷静になってみると、それは当然のことのような気もした。

 今日のタローさんは、一企業の社長として麻耶さんと業務提携の話をしにきている。それなのに、店のアシスタントでしかない私に気遣いや優しさを示してくれるはずがない。

 あのパーティーのときにタローさんが優しく接してくれたのは、私が身代わりでも彼の婚約者という立場にいたからだ。

 そんなことにも気付かずに、何をひとりでそわそわしていたんだろう。自分の勘違い具合が恥ずかしい。

 少し落ち込んでいると、店の電話が鳴った。麻耶さんが打ち合わせのあいだは、私がしっかり店番をしなければいけない。気持ちを切り替えるために深呼吸する。

「はい、こちらBelle Fleur《ベル・フルール》です」
「あの、結婚式の花束の予約をお願いしたいんですけど……」
「かしこまりました。お名前と式の予定日を伺ってもよろしいですか?」

 電話はブーケを注文したいお客様だった。注文の流れをお客様に説明しているうちに、頭が徐々に仕事モードに切り替わっていく。

 いつまでもタローさんのことばかり考えていてはダメだ。私は心の中から、タローさんへの淡い期待を懸命に追い出した。


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