【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)

月ヶ瀬 杏

Promise.Ⅲ〈2〉

 タローさんに連れて行かれたのは、一般客室より上層階にあるスイートルームだった。

 広いリビングを抜けてベッドルームへと導かれた私は、先にドアを開けたタローさんの後を緊張気味に付いていく。ベッドルームに足を踏み入れると、タローさんがおもむろに振り向いた。

「いくつかハナちゃんに似合いそうなのを選んだから、試着してみて。着付けは彼女たちが手伝ってくれるから」

 その部屋で起こるであろうオトナなシチュエーションを想像して緊張していた私は、彼の言葉に目を丸くした。

 大きなキングベッドが置いてある広い部屋には、スーツを着て白い手袋を嵌めた女性が数人立っていて。ベッドの脇には数種類のパーティドレスが掛けて並べられている。

「あの、これはいったい……」
「ハナちゃんが好きなのを選んでいいよ。ドレスが決まったら、ヘアメイクもしてもらって。俺はリビングで仕事をして待ってるから」

 タローさんは、訳がわからず戸惑っている私にそう言うと、スーツの女性たちにいくつか指示をして部屋から出て行った。

「あの、これはいったい……」

 タローさんに置き去りにされた私は、一番近くに立っている女性に困惑気味に声をかける。

 いくつか年上に見える彼女は、困り顔の私に向かってにこやかに微笑んだ。

「さぁ、準備にとりかかりましょう。ハナコさん、でよろしかったですか?」
「そう、ですけど。あの、このドレスは何のために……」
「ハナコさんのお好みの色はありますか?もしご要望がなければ、私がお見立てしますので」

 どうやら彼女は、ここにいる女性たちのリーダー格のようだ。疑問がいろいろあるけれど、彼女も私の問いかけに答えるつもりはないらしい。

「いくつか試着してみましょうか」

 彼女に強引に促され、最後には着ていたものを身包み剥がされた。

 唖然としながらされるがままになっていると、着せ替え人形のようにあれこれと違った色のドレスを試着させられ。そこにいたスーツの女性たちの全会一致の意見で、最終的に淡いブルーのドレスを着せられた。それに合わせて、ネックレスとイヤリング、それから靴が選ばれる。

 着付けが済んだあとは鏡の前に座らされ、メイク直しとヘアアレンジをされた。丁寧に時間をかけてメイクアップされた私は、この部屋へ入ってきたときとはまるで別人だ。

「お支度は全て整いましたので、私たちはこれで」

 メイク効果で、普段よりもずっとぱっちりとして大きく見える目を瞬いていると、私の後ろでスーツの女性たちが丁寧に頭を下げた。

「あの……」
「舘内様にお声掛けしてまいりますので、こちらでお待ちください」

 リーダー格の女性がにこやかに私に告げる。

 目的も知らされないままに突然こんなふうにドレスアップされてしまって、困惑しかない。そんな私を置いて、女性たちはベッドルームから出て行った。

 お待ちくださいって言われても……。

 鏡に映る見知らぬ自分が直視できなくて、顔を背ける。逸らした視線の先には、大小さまざまなサイズのクッションがいくつも置かれた豪華なキングベッドがあった。

 ふと一瞬、煌びやかなドレスを身に纏った自分の身体が、タローさんの手でそこに沈められるのを想像してしまって頬が燃えるように熱くなる。

 まさか、着飾った姿でタローさんとここで一夜を共にするのが麻耶さんの店との提携契約を進めてくれる条件なのでは……!?
 
 そんな想像に身体を震わせたとき、ベッドルームのドアが開いた。

 入ってきたのはもちろんタローさんで、さっき私をドレスアップしてくれた女性たちは一人もいない。

 後ろ手にドアを閉めて、真っ直ぐに歩いてきたタローさんが私の数歩手前で立ち止まる。思わず肩をびくつかせた私を、タローさんは上から下まで吟味するようにゆっくりとチェックした。

「悪くないね。俺も、ハナちゃんにはそのドレスが一番似合うんじゃないかと思ってた」

 私と視線を合わせたタローさんが、満足げに微笑む。

「あの、どうして私はこんな格好を……」

 ここでタローさんと一夜を過ごすとして、正装させられた意味は何なのだろう。そばにあるベッドを意識してしまい、赤くなってうつむく。すると、タローさんがそっと私の左手をとった。

 手に触れられただけで、緊張が高まって表情が強張る。そっと視線をあげると、タローさんが優しく微笑みながらスーツのポケットから何かを取り出した。それは私がさっき彼に返したばかりの、エンゲージリングが入ったジュエリーケース。
 
 何をするのかと思ったら、タローさんがそこから指輪を取り出して、私の左手の薬指にゆっくりと押し嵌めた。

「あの、これ……」

 返したばかりのエンゲージリングがまた私の元に戻ってきてしまい、頭が混乱する。

 何これ。正装して、エンゲージリングを嵌められて……。そういうシチュエーションでするっていう……、そういうプレイなの?

 左手の指輪とタローさんを交互に見て目を白黒させていると、彼がクスリと笑った。

「あぁ、ごめん。君に逃げられないようにするために、わざと説明しなかったんだ」

 逃げられないように、って。やっぱり……。

 次の展開を想像して息を飲む。

 だけど、タローさんの次の行動は私が想像していたものとは全く違っていた。

「実はこれから、このホテルで知人の婚約披露パーティーがあるんだ」
「パーティー、ですか……?」
「そう。実はもう三ヶ月以上も前に、パートナー同伴で招待されていたんだけど……。ハナちゃんも知ってのとおり、結婚予定の女性に婚約を破棄されてしまったから、パートナーがいないんだ。代りに出てもらおうと思っていた女性も都合がつかなくなってしまった。だからハナちゃんには、俺の婚約者のフリをしてパーティーに同伴してほしい」
「パーティーに、同伴……」

 それで、こんなふうに正装させられたのか。

 広い豪華なベッドルームで起きるかもしれない別のことを想像していた私は、タローさんの話を聞いた途端にものすごく恥ずかしくなった。

「タローさんたちみたいにセレブな人たちは、結婚式だけでなくて婚約披露のパーティーまでするんですか?」
「俺はそういうことはしなかったけど、今回のパーティーは社交場の意味もあるから」

 私の言葉に、タローさんが苦笑する。

「俺たちの婚約破棄についてはまだ正式に発表されていない。今夜のパーティーは、他業種の重役も集まる社交の場であるから、婚約者という肩書の同伴者がいないと困るんだ」

 なるほど。タローさんのほうの事情はだいたいわかった。私なんかを脅して騙してこんなところに連れてくるくらいに、人材に困っていたんだろう。

「でも私、ちゃんとしたパーティーに出たことなんて一度もないですよ?」

 タローさんとここで一夜を過ごすのも、結構覚悟のいることだと思ったけれど。会社の経営者クラスの人たちが出席するようなパーティーに同伴するなんて。そんな大役が私に務まるのか、かなり不安だ。

「大丈夫。俺の隣でにこにこしていておいてくれたら充分だよ」
「でも……」
「君の勤めるお店と業務提携するかどうかがかかってるんだったよね?」

 私に微笑みかけてくるタローさんの目は、本気で笑ってはいなかった。

 そうだ。麻耶さんの店の将来が……。

 脅しをかけてくるタローさんも人が悪いけれど、彼にとってもそれだけ大事なパーティーなのだろう。

「わかりました。協力させてもらいます。だけど、あなたも約束を守ってくださいね? 麻耶さんとの打ち合わせもう一度……」
「あぁ、約束は守る」

 微笑んだタローさんが、少し姿勢を低くして私の左手を持ち上げる。そうして、手の甲にそっと口付けた。

「今夜はよろしく、ハナちゃん」

 上目遣いに見上げてくるタローさんの瞳が、魅惑的に光る。その眼差しに、たしかに胸が高鳴った。


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