【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)
Promise.Ⅱ〈3〉
そわそわしながら何度も時計と店の入り口を交互に見ていた私の視界が、ようやく見覚えのある高級車の姿を捉える。それは、お客様がブーケを受け取りに来る予定時刻の五分前だった。
「ごめんね、ハナちゃん。もう来られてる?」
「まだです」
ブーケの入った箱を抱えて店の中に走りこんできた麻耶さんの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
「あー、よかった。舘内社長が車で送り届けてくれなかったら、確実に間に合わなかった」
「ごめんなさい、麻耶さん。私のミスでこんなことに……」
カウンターにブーケの箱を置いて息をつく麻耶さんに、おでこが膝にくっつきそうなくらい体を折り曲げて頭を下げる。
本当に、間に合ってよかった。
最近は元婚約者や知人の彼女のことを恨んで自分のことばっかり考えていたから、こんなミスをしてしまったんだ。どれだけ謝っても、頭を下げても、麻耶さんには償いきれない。
「ハナちゃん、頭上げて。そんなに気にしなくて大丈夫。ちゃんと間に合ってうまくいったし、梨木様にも喜んでもらえたんだから」
麻耶さんが優しい言葉かけとともに、私の肩を励ますように軽く叩く。けれど、仕事のひとつひとつに全力を注いでいる麻耶さんの足手まといになってしまったことが申し訳なくて仕方なくて。頭が上げられなかった。
「ハナちゃん、本当にもう大丈夫よ。もうすぐこのブーケを受け取りにお客様がやってくる時間だし。笑顔でお出迎えしないと。顔上げて」
何度もそんなふうに声をかけられてようやく顔を上げると、麻耶さんが優しく笑いかけてくれる。その笑顔を見たら、ますます申し訳なさでいっぱいになった。
同時に、もうひとつ大切なことを思い出す。
「あ、そうだ。Tateuchi Bridalとの打ち合わせはどうなったんですか?」
今日私が犯した失敗はふたつ。お客様のブーケを入れ間違えたことと、大切な打ち合わせの時間変更の引き継ぎミスだ。
Tateuchi Bridal Companyの社長だった『タローさん』は、私のミスを知ってとても険しい顔をしていたけれど……麻耶さんを車で店まで送り届けてくれたということは、Tateuchi Bridal Companyと提携店舗として契約は結んでもらえそうなのだろうか。
淡い期待を抱いて麻耶さんを見つめると、彼女が困ったように小さく首を竦めた。
「うーん。うちの店がTateuchi Bridalの提携店舗になるかどうか、という話はとりあえず保留なの。ここまで送ってもらう車の中で舘内社長とはいろいろとお話ができて、そのときの感触は悪くはなかったんだけど……。今後の話については、また向こうから連絡をくれるって。ただ、今回はTateuchi Bridalのお客様にも社長ご本人にもすごくご迷惑をかけてしまったし。どうかなー」
麻耶さんの口ぶりからすると、Tateuchi Bridal Companyとの提携の話は無効になる可能性が高いのかもしれない。
「そんな……」
Tateuchi Bridal Companyとのつながりができたら、さらにビジネスチャンスが広がる、と嬉しそうに話していた麻耶さん。それなのに私のミスのせいで、とても尊敬している大好きな先輩の、未来の芽を摘んでしまった。
「こんにちは!」
ショックで言葉を失っていると、店の入り口からお客様の声が聞こえてきた。十一時にブーケの受け取り予約をされていたお客様だ。
「いらっしゃいませ!」
お客様の姿を視界に捉えた麻耶さんの声と表情が、接客用の笑顔に変わる。
「ハナちゃん、お客様だよ」
対応するために入口の方に歩き出した麻耶さんが、さりげなく私の肩を叩いて小さく声をかけてくれる。
麻耶さんに言われてお客様のほうを振り向いたけれど、私は彼女のように声や表情に笑顔を取り繕うのが難しかった。
そんな私の視界の端に、白の高級車が映る。タローさんの車はまだ店先に停まったままだ。スマホを耳に当てているタローさんは、難しい顔をして電話で何か話している。
今ならまだ間に合うかもしれない。
不意にそう思った私は、店内にお客様がいることも忘れて、一目散にタローさんの高級車に向かって駆け出していた。
「ハナちゃん?」
お客様対応をしている麻耶さんの驚く声が後ろから聞こえてきたけれど、立ち止まることなくタローさん目指して一直線に走る。
「待ってください!」
店の前に横付けされた高級車の前で立ち止まって叫ぶと、ちょうど電話を終えて運転席に乗り込もうとしていたタローさんが私を振り向いた。
「あぁ、『ハナちゃん』か」
タローさんが私を見下ろして、明らかにわかるくらいの愛想笑いを浮かべた。それは、初めて出会った夜に浮かべていた優美な笑みとは全く違う。きっとこれが、彼の社長としての表情なのだろう。
整った綺麗な顔立ちも、優美な立ち振る舞いにも代わりはないけれど、タローさんの目はあの夜のようには笑っていない。「何しに来た?」と、無言で私を蔑んでいるようだった。
「あの……」
「ごめんね。急ぐんだ」
「待ってください。少しだけ話を聞いて欲しくて……」
運転席に半分座りかけているタローさんを引き止めようと必死で声をかけると、彼は助手席に座る綺麗な女性に無言の視線を向けた。
秘書の方なのだろうか。それだけで何かを察した女性が、助手席から降りる。
無表情で近付いてくる女性が、私を追い払おうとしているのが雰囲気でわかった。そうされてしまう前に、運転席側のドアが閉められないように車体とドアの隙間に体を滑り込ませてタローさんの腕を夢中でつかむ。
「あの、今日のことは本当に申し訳ありませんでした!」
タローさんが去ってしまわないように強く腕を握りしめたまま、頭を下げる。
「全て、私ひとりの責任なんです。アシスタントである私が未熟なばかりに、今回ミスをしてしまいました」
頭を下げて必死に謝罪をする私に、タローさんは何も応えてはくれなかった。
「今回のミスに、麻耶さんは関係ないんです。だからどうか、お店をTateuchi Bridalの提携店舗に入れていただく話を取りやめないでください。麻耶さんの作るブーケは、本当に素敵なんです。お客様からもすごく評判がよくて。だから、どうかもう一度……」
「チャンスが欲しい?」
必死に話していた言葉が、タローさんの冷たい声に遮られた。
顔をあげると、タローさんがどこかを一点を見つめていることに気が付く。視線を辿っていくと、彼が見ていたのは私の手元だった。
「指輪は?」
「え?」
「あの夜、君に預けた指輪」
「あ、えっと……、それなら、家に……」
あの指輪を返したら、今回のミスを見逃してもらえるということなのだろうか。
「じゃぁ、今週の土曜日の夜の予定は?」
戸惑い気味に見上げる私に、タローさんが続けて訊ねてくる。
「空いてます、けど……」
「それなら、君にひとつ頼みたいことがある」
「それを聞いたら、店との提携の件を考え直してくれるんですか?」
真剣な目でじっと見つめると、タローさんはちょっと考え込むように間をあけてから「そうだね」と小さく頷いた。
「わかりました。なんでもします。私に頼みたいことって何ですか?」
例えそれがどんなに無理難題であったとしても、絶対にやり遂げないといけない。それが、麻耶さんに迷惑をかけた償いになるのなら。
何を言われるのだろうと緊張して身構えていると、タローさんが秘書に視線で何か合図した。それを受けた秘書の女性が、カバンからペンとメモを取り出してタローさんに渡す。
無駄のない連携プレーに感心していると、メモにペンを走らせ始めたタローさんが、それを無造作に破り取って私に差し出してきた。
「今週の土曜日、この前の夜に預けた指輪を付けて、夜の六時にこのホテルのロビーに来て欲しい」
渡されたメモに視線を落とすと、そこには私が未だ足を踏み入れたことのない高級ホテルの名前が書かれていた。
「俺の電話番号もそこに書いておいたから、着いたら連絡してもらえると助かる」
そう言うと、タローさんは車の運転席に乗り込んだ。
「あの、ここに行って何を……」
ドアを閉めようとするタローさんを慌てて呼び止めると、彼が振り向いて口角を引き上げた。
「来たらわかるよ。指輪だけは忘れずに」
「でも、あの……」
高級ホテルに指輪をつけてこい、って……。そのことにどんな意味があって、何が目的なのかが謎すぎる。
困り顔でタローさんを見ると、彼が不意に私のほうに手を伸ばしてきた。そうして、手のひらで私の頬を包むように触れる。
「店の将来がかかってるんだろ? 必ずおいで。待ってるから」
そうささやいたタローさんが、あの夜のように優美に微笑む。その笑顔にドキリとさせられているうちに、頬に触れた手が離れて車のドアが閉まる。
エンジンがかかる音を聞いてうしろに下がると、タローさんがハンドルに片手を載せながら車の窓を開けた。
「またね、ハナちゃん」
いつかのようにそう言って、タローさんと秘書を乗せた車が去っていく。
残された私の手の中には、彼から受け取ったメモ用紙。そこに書かれた彼の字をしばらく見つめたあと、それをぎゅっと握りしめて仕事用のエプロンのポケットに押し込んだ。
「ごめんね、ハナちゃん。もう来られてる?」
「まだです」
ブーケの入った箱を抱えて店の中に走りこんできた麻耶さんの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
「あー、よかった。舘内社長が車で送り届けてくれなかったら、確実に間に合わなかった」
「ごめんなさい、麻耶さん。私のミスでこんなことに……」
カウンターにブーケの箱を置いて息をつく麻耶さんに、おでこが膝にくっつきそうなくらい体を折り曲げて頭を下げる。
本当に、間に合ってよかった。
最近は元婚約者や知人の彼女のことを恨んで自分のことばっかり考えていたから、こんなミスをしてしまったんだ。どれだけ謝っても、頭を下げても、麻耶さんには償いきれない。
「ハナちゃん、頭上げて。そんなに気にしなくて大丈夫。ちゃんと間に合ってうまくいったし、梨木様にも喜んでもらえたんだから」
麻耶さんが優しい言葉かけとともに、私の肩を励ますように軽く叩く。けれど、仕事のひとつひとつに全力を注いでいる麻耶さんの足手まといになってしまったことが申し訳なくて仕方なくて。頭が上げられなかった。
「ハナちゃん、本当にもう大丈夫よ。もうすぐこのブーケを受け取りにお客様がやってくる時間だし。笑顔でお出迎えしないと。顔上げて」
何度もそんなふうに声をかけられてようやく顔を上げると、麻耶さんが優しく笑いかけてくれる。その笑顔を見たら、ますます申し訳なさでいっぱいになった。
同時に、もうひとつ大切なことを思い出す。
「あ、そうだ。Tateuchi Bridalとの打ち合わせはどうなったんですか?」
今日私が犯した失敗はふたつ。お客様のブーケを入れ間違えたことと、大切な打ち合わせの時間変更の引き継ぎミスだ。
Tateuchi Bridal Companyの社長だった『タローさん』は、私のミスを知ってとても険しい顔をしていたけれど……麻耶さんを車で店まで送り届けてくれたということは、Tateuchi Bridal Companyと提携店舗として契約は結んでもらえそうなのだろうか。
淡い期待を抱いて麻耶さんを見つめると、彼女が困ったように小さく首を竦めた。
「うーん。うちの店がTateuchi Bridalの提携店舗になるかどうか、という話はとりあえず保留なの。ここまで送ってもらう車の中で舘内社長とはいろいろとお話ができて、そのときの感触は悪くはなかったんだけど……。今後の話については、また向こうから連絡をくれるって。ただ、今回はTateuchi Bridalのお客様にも社長ご本人にもすごくご迷惑をかけてしまったし。どうかなー」
麻耶さんの口ぶりからすると、Tateuchi Bridal Companyとの提携の話は無効になる可能性が高いのかもしれない。
「そんな……」
Tateuchi Bridal Companyとのつながりができたら、さらにビジネスチャンスが広がる、と嬉しそうに話していた麻耶さん。それなのに私のミスのせいで、とても尊敬している大好きな先輩の、未来の芽を摘んでしまった。
「こんにちは!」
ショックで言葉を失っていると、店の入り口からお客様の声が聞こえてきた。十一時にブーケの受け取り予約をされていたお客様だ。
「いらっしゃいませ!」
お客様の姿を視界に捉えた麻耶さんの声と表情が、接客用の笑顔に変わる。
「ハナちゃん、お客様だよ」
対応するために入口の方に歩き出した麻耶さんが、さりげなく私の肩を叩いて小さく声をかけてくれる。
麻耶さんに言われてお客様のほうを振り向いたけれど、私は彼女のように声や表情に笑顔を取り繕うのが難しかった。
そんな私の視界の端に、白の高級車が映る。タローさんの車はまだ店先に停まったままだ。スマホを耳に当てているタローさんは、難しい顔をして電話で何か話している。
今ならまだ間に合うかもしれない。
不意にそう思った私は、店内にお客様がいることも忘れて、一目散にタローさんの高級車に向かって駆け出していた。
「ハナちゃん?」
お客様対応をしている麻耶さんの驚く声が後ろから聞こえてきたけれど、立ち止まることなくタローさん目指して一直線に走る。
「待ってください!」
店の前に横付けされた高級車の前で立ち止まって叫ぶと、ちょうど電話を終えて運転席に乗り込もうとしていたタローさんが私を振り向いた。
「あぁ、『ハナちゃん』か」
タローさんが私を見下ろして、明らかにわかるくらいの愛想笑いを浮かべた。それは、初めて出会った夜に浮かべていた優美な笑みとは全く違う。きっとこれが、彼の社長としての表情なのだろう。
整った綺麗な顔立ちも、優美な立ち振る舞いにも代わりはないけれど、タローさんの目はあの夜のようには笑っていない。「何しに来た?」と、無言で私を蔑んでいるようだった。
「あの……」
「ごめんね。急ぐんだ」
「待ってください。少しだけ話を聞いて欲しくて……」
運転席に半分座りかけているタローさんを引き止めようと必死で声をかけると、彼は助手席に座る綺麗な女性に無言の視線を向けた。
秘書の方なのだろうか。それだけで何かを察した女性が、助手席から降りる。
無表情で近付いてくる女性が、私を追い払おうとしているのが雰囲気でわかった。そうされてしまう前に、運転席側のドアが閉められないように車体とドアの隙間に体を滑り込ませてタローさんの腕を夢中でつかむ。
「あの、今日のことは本当に申し訳ありませんでした!」
タローさんが去ってしまわないように強く腕を握りしめたまま、頭を下げる。
「全て、私ひとりの責任なんです。アシスタントである私が未熟なばかりに、今回ミスをしてしまいました」
頭を下げて必死に謝罪をする私に、タローさんは何も応えてはくれなかった。
「今回のミスに、麻耶さんは関係ないんです。だからどうか、お店をTateuchi Bridalの提携店舗に入れていただく話を取りやめないでください。麻耶さんの作るブーケは、本当に素敵なんです。お客様からもすごく評判がよくて。だから、どうかもう一度……」
「チャンスが欲しい?」
必死に話していた言葉が、タローさんの冷たい声に遮られた。
顔をあげると、タローさんがどこかを一点を見つめていることに気が付く。視線を辿っていくと、彼が見ていたのは私の手元だった。
「指輪は?」
「え?」
「あの夜、君に預けた指輪」
「あ、えっと……、それなら、家に……」
あの指輪を返したら、今回のミスを見逃してもらえるということなのだろうか。
「じゃぁ、今週の土曜日の夜の予定は?」
戸惑い気味に見上げる私に、タローさんが続けて訊ねてくる。
「空いてます、けど……」
「それなら、君にひとつ頼みたいことがある」
「それを聞いたら、店との提携の件を考え直してくれるんですか?」
真剣な目でじっと見つめると、タローさんはちょっと考え込むように間をあけてから「そうだね」と小さく頷いた。
「わかりました。なんでもします。私に頼みたいことって何ですか?」
例えそれがどんなに無理難題であったとしても、絶対にやり遂げないといけない。それが、麻耶さんに迷惑をかけた償いになるのなら。
何を言われるのだろうと緊張して身構えていると、タローさんが秘書に視線で何か合図した。それを受けた秘書の女性が、カバンからペンとメモを取り出してタローさんに渡す。
無駄のない連携プレーに感心していると、メモにペンを走らせ始めたタローさんが、それを無造作に破り取って私に差し出してきた。
「今週の土曜日、この前の夜に預けた指輪を付けて、夜の六時にこのホテルのロビーに来て欲しい」
渡されたメモに視線を落とすと、そこには私が未だ足を踏み入れたことのない高級ホテルの名前が書かれていた。
「俺の電話番号もそこに書いておいたから、着いたら連絡してもらえると助かる」
そう言うと、タローさんは車の運転席に乗り込んだ。
「あの、ここに行って何を……」
ドアを閉めようとするタローさんを慌てて呼び止めると、彼が振り向いて口角を引き上げた。
「来たらわかるよ。指輪だけは忘れずに」
「でも、あの……」
高級ホテルに指輪をつけてこい、って……。そのことにどんな意味があって、何が目的なのかが謎すぎる。
困り顔でタローさんを見ると、彼が不意に私のほうに手を伸ばしてきた。そうして、手のひらで私の頬を包むように触れる。
「店の将来がかかってるんだろ? 必ずおいで。待ってるから」
そうささやいたタローさんが、あの夜のように優美に微笑む。その笑顔にドキリとさせられているうちに、頬に触れた手が離れて車のドアが閉まる。
エンジンがかかる音を聞いてうしろに下がると、タローさんがハンドルに片手を載せながら車の窓を開けた。
「またね、ハナちゃん」
いつかのようにそう言って、タローさんと秘書を乗せた車が去っていく。
残された私の手の中には、彼から受け取ったメモ用紙。そこに書かれた彼の字をしばらく見つめたあと、それをぎゅっと握りしめて仕事用のエプロンのポケットに押し込んだ。
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