【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)

月ヶ瀬 杏

Promise.Ⅱ〈1〉

「えー。それで、その高級エンゲージリングはハナちゃんが持ったままなんだ?」
「そうなんです。イケメンの連絡先はわからないし。だからと言って、勝手に質屋に持っていくわけにも……」
「質屋? それ、もう売る前提なんだね」

 週末に犯した大失態を職場の先輩である麻耶さんに話したら、彼女は興味津々で最後まで話を聞いて、何故だか大爆笑してくれた。

「だって、セレブが婚約者にぽんっとプレゼントしちゃったりする、あの有名ブランドのエンゲージリングですよ? 一般人だって、一度はちょっとくらい夢見ちゃうやつですよ?」

 冷静になってから自宅でネット検索してみたら、イケメンが私の左手薬指に残していったエンゲージリングは、値段のゼロの数を三度見してしまうほどの代物だった。それは今のところ、1DKの私の住まいにおける唯一の高級品だ。

 あのイケメンだって、婚約破棄をされた悲しい記憶を忘れたったのかもしれない。だからといって、あんな高価なものを行きずりの女に託して姿を消すなんて……。お金を持っている人が考えることはよくわからない。

 もう必要ないから私に託したのか、それとも婚約者を寝取られた私を憐れんで、戯れに指につけたままで忘れていったのか。そのへんのところがよくわからないから、扱いに困っている。

「三ヶ月経ってもそのイケメンと再会できなければ、質屋に売っちゃえば?」
「三ヶ月?」
「届けた落し物が拾い主のものになるのって、三ヶ月過ぎたらじゃなかったっけ?」

 怪訝な顔の私を見て、麻耶さんが愉快げに笑う。

「またそんな……」

 エンゲージリングなんて、普通道端で拾わないでしょ。

 苦笑いを浮かべながら、出来上がったばかりのブーケをケースに入れて、お客様の名前が書かれたカードを添える。ピンク系の花で纏めたブーケは、依頼をしてくれた花嫁様のイメージにぴったりだ。柔らかな笑顔が印象的だった花嫁様の顔を思い浮かべながら、それを既に配達準備のできているほかのブーケの横に並べる。

 作業を終えて顔を上げると、麻耶さんがちょうど作業用のエプロンを外すところだった。

「準備ありがとう。じゃぁ、打ち合わせがてら届けに行ってこようかな」
「契約がうまく行くといいですね!」
 
 私は準備したブーケのケースをふたつ、店のロゴ入りの紙袋に収めて、麻耶さんに手渡した。

「うん。じゃぁ、午前中はお店のことよろしくね」
「任せてください」

 私が力強く頷くと、麻耶さんは笑顔で出かけて行った。

 私が働いているのは麻耶さんが運営しているブライダル専門の花屋だ。店先では切り花や小さな鉢植えも売っているのだけど、ブライダル用の生花やプリザーブドフラワーで作ったブーケの販売をメインで行なっている。

 麻耶さんは元々、私が新卒で入った会社の六つ上の先輩だった。新人の私の教育担当に付いてくれた麻耶さんは優しいお姉さんのような存在で、私たちはプライベートでも仲が良かった。

 会社員として働いていた頃からフラワーアレンジメントの勉強をしていた麻耶さんは、三十歳を目前に会社を辞めて、フローリストとしてネット注文によるブライダル向けの手作りブーケの販売を始めた。

 しばらくは細々と運営していた麻耶さんの手作りブーケは、口コミで広がって人気になり、ニ年ほど前についに実店舗を出せることになったのだ。

 私がフラワーコーディネートの勉強を始めたきっかけは、麻耶さんが作ったブライダル用ブーケの試作品を見せてもらったこと。

 いつか結婚式をするときに、自分でブーケを手作りできたら素敵だなーなんて。そんな単純な動機で始めたはずが、気付けばその魅力にハマってしまっていた。

 いつか麻耶さんみたいに仕事にできたらと、漠然と思いはじめたのがちょうど二年前。そんなとき、実店舗を持つ話が具体的になった麻耶さんに、「よければアシスタントやらない?」と声をかけてもらったのだ。

 結果的に自分の結婚式用のブーケはまだ作れずじまいなのだけど、麻耶さんと一緒に好きな仕事をするのは楽しい。

 ネット販売のときからの口コミで広がった麻耶さんのお店は、ブライダル雑誌にも特集されることがあり、それを見た花嫁さんたちから沢山の問い合わせをいただく。店の近くにある結婚式場として人気のホテルとも、提携先の花屋のひとつとして契約させてもらっている。

 口コミや評判によって、麻耶さんのお店がたくさんの人に知られていくのはすごく嬉しい。だけど……。そのことによって、私の不運が起きた。

 私を裏切った元婚約者のアイツと知人の女が結婚式場に選んだのが、麻耶さんの店と提携しているホテルだったのだ。

 アイツは私が花屋で働いていることは知っていたけど、その店が挙式予定のホテルの提携先になっていることまでは知らなかったらしい。

 ブライダル雑誌の情報で麻耶さんの店のことを知っていた知人の女は、ホテルから紹介されたいくつかの花屋の中から麻耶さんの店を選んだ。

 アイツの名字はそのへんによくころがっているような名前だったから、提携先のホテルから打ち合わせ希望のお客様についての連絡を受けた段階では、それが元婚約者だとは気付かなかった。他のお客様との打ち合わせがあった麻耶さんの代わりに、花屋の担当者として提携先のホテルに出向いた私は、そこで数ヶ月ぶりにアイツらと最悪な再会を果たしたのだ。

 私とアイツと、それから彼を奪った知人の女。ブライダル客専用の個別ブースで顔を合わせた私たちのあいだに、しばらく妙な沈黙が流れる。

 だけど、この修羅場をうまく潜り抜けようと一番に口を開いたのは、強かな知人の女だった。

「わー、すごい偶然。びっくり! ね、そうちゃん」

 女の声に、アイツがやっと我に返る。

 私が呼んでいたのと全く同じ呼び方でアイツのことを呼び、さも自然なことのように彼に腕を絡める彼女。

 打ち合わせに出向いた取引先のホテルで個人的な感情を露わにすることもできず、私は唇を噛み締めて、彼らの接客に応じるしかなかった。

 婚約を破棄した女の前で別の女との結婚式準備を進めることにはさすがに気まずさを隠しきれなかったのか、打ち合わせのあいだ、アイツは下を向いたまま終始押し黙っていた。そんな彼の横で、彼女は1人で浮かれて話し続ける。

 ウエディングドレスとカラードレスのイメージに合わせたそれぞれのブーケをどんなものにしたいか。好きな色合いや入れたい花の種類。

 次々と要望を出してくる彼女の言葉をメモしながら、私は吐き気を堪えるのに必死だった。

 感覚的にいつもの倍以上の時間がかかったように思えた打ち合わせが終わり、お客様であるふたりに形式的に頭をさげる。そのときに、アイツを奪った彼女が信じられないセリフを吐いた。

「ねぇ、蒼ちゃん。ハナちゃんも結婚式に招待していい? ここで再会できたのも何かの縁だし」

 驚いて目を見開いた私に複雑そうな視線を送りながら、アイツが低い声で牽制するように彼女の名前を呼んだ。

怜那レイナ!」

 あの瞬間を、私は生涯忘れられないと思う。



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