【コミカライズ配信中!】社長、この偽婚約はいつまで有効ですか?(原題:花束と婚約指輪)

月ヶ瀬 杏

Promise.Ⅰ〈1〉

「ハナちゃん、ハナちゃん」
 身体を左右に揺すられたせいで、快眠が妨げられた。
 不快感に眉を寄せると、身体を揺する何かを跳ね除けて寝返りを打つ。

 どうせ今日は休みなんだから。もう少し眠りたい。
 背中を丸めて布団の中に深く疼くまろうとしていると、それは私の身体から容赦無く引き剥がされた。

「ハナちゃん、そろそろ起きないと。チェックアウトの時間、遅らせる?」

 チェックアウトって、一体何の話? それよりも、寒いんだけど。

 引き剥がされた布団を取り返すために、まだ眠たい目を擦る。

「ハナちゃん、やっと起きた?」

 声の聞こえたほうをぼんやりと見上げると、スーツ姿の男がクスリと笑いながら私の顔を覗き込んできた。

 彼と目が合った私の頭から、サーっと血の気が引いて一瞬にして目が覚める。

 この人誰?

 ていうか……、ここ、どこ?

 よく見たら、自分の部屋ではない。

 そのことに気がついた私は、慌ててベッドから飛び起きた。

 白い壁に囲まれた部屋には、おしゃれなデザインのスタンドライトや質の良さそうなダークブラウンの棚、脚の細い丸テーブルにクッション性が高そうなソファなんかが置いてある。家具は高級そうだけど、なんとなく生活感の感じられない部屋だ。

「ハナちゃん?」

 ベッドに座ってきょろきょろしている私に、スーツの男が声をかけてくる。

「あ、あなた誰ですか?」

 私が警戒して後ずさると、男が目を見開いて数回瞬きをする。それから彼が、込み上げてくる笑いを必死に堪えるように、口元を押さえた。

「誰ですかって、ひどいなハナちゃん。俺達、昨日の夜、結婚の約束までした仲なのに」
「は?何言ってるんですか?」

 だって私は昨日、元々結婚を約束していたはずの人の結婚式に出席してきたのだ。目の前の男のことなんて知らないし、ましてや結婚の約束なんてありえない。

 この人、絶対、頭おかしい。

 ジロリと睨むと、男はうっすらと口元に笑みを浮かべながら私の左手をつかんだ。

「だったら、これはなんだと思う?」

 男がそう言いながら、私の左手を顔の前まで引っ張り上げた。
 クスリと楽しげに笑う彼の視線の先。私の左薬指で、何かがキラリと光る。そこで輝きを放っていたのはダイヤのついた指輪だった。それがどういう意味を持つものであるかは、一目見ればすぐにわかる。

 エンゲージリング、だ。

 かつて結婚を約束していた人が、「婚約指輪は好きなブランドのものを選んでいいよ」と言ってくれた。その言葉を信じて疑いもしなかった私は、いつか婚約指輪が左薬指に嵌ることを夢見て、いろんなブランドのカタログを集めまくった。

 けれど結局私は無駄な夢を見ただけ。その労力は、全て無駄に終わってしまった。

 それなのに……。どうして私の薬指にダイヤの指輪が嵌っているんだろう。

 しかも、それは一粒ダイヤが付いているだけのシンプルなものではなくて、リングの部分にも細かなダイヤがぐるっとあしらわれた、一目でわかるくらいに効果そうなものだ。なんとなくデザインにも見覚えがあるような気がする。

 困惑しながらふと視線を落とすと、自分が白いバスローブを身に纏っていることに気がついた。

 あれ。指輪もだけど、どうして私はこんなもの着ているんだろう。

 だいたい、どうして今私はこの男とこんなところに?

 額を押さえて、朧げな記憶の糸を手繰り寄せる。

 昨日はアイツの結婚式に出席して、それが終わったあと結婚式会場だったホテルのバーでひとりでヤケ酒して。それから……。

 そこまで思い出してはっとした。

「あっ!」

 思わず大声をあげた私を見下ろしながら、男が笑いかけてくる。

 それから私に顔を近づけると、耳朶に唇を這わすようにしながら囁いた。

「思い出した?ハナちゃん」

 耳にかかる男の熱い吐息。それに、ぞくりと身体が震える。

 そうだ、この男の顔。思い出した。

 私は昨日の夜、この男とホテルのバーで偶然に出会って。それから……。

 もしかして、一夜をともにしちゃった──?




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