ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

10.笑顔で-1

 帰りの新幹線に酔って動けなくなった私は、そのまま病院に運ばれた。付き添う紫苑の方がよっぽど顔色が悪かった。
 疲れとつわりで、私の身体は食事を一切受け付けなくなり、入院を余儀なくされた。
 入院中、結城さんが毎日のように会いに来てくれて、身の回りの世話をしてくれた。会社には彼女から事情を説明してもらい、今のところは休暇中となっている。
 入院して一週間が過ぎ、以前から会いたいと声をかけてくれていたたまきさんが訪ねて来てくれた。紫苑の同期の影井さんのお姉さん。
「久し振りね、葉山さん」
「お久し振りです」
 二年ぶりに会った環さんは相変わらず自信に満ち溢れた表情で、眩しかった。環さんは三日前に後藤田不動産を辞め、独立に向けて最終調整中だという。
「社長夫人の不倫と横領が公になって、経営陣が一新されることになったわ。専務は次期社長を辞退して、海外事業部に異動願を出したって」
「え……?」

 海外事業部……?

「自分から専務を退任したいと申し出たそうよ。で、副社長が社長に就任することに決まったの。後藤田の人間ではないし、創業から社長の片腕として働いてきたから適任だって」
「そう……ですか」
 仁也さんは最初から、会社を守ろうとしただけで、会社を継ごうとは思っていなかったのかもしれない。
「昨日、専務と会ったわ」と言って、環さんはバッグから封筒を取り出し、私に差し出した。
「私が独立すると知って、お祝いに初仕事をくれたの。で、これを預かったわ。私があなたをスカウトするつもりだと、誰かからか聞いたみたいね」
 私は封筒を受け取った。
「今頃……雲の上じゃないかしら」
 なぜか、寂しさ悲しみは感じなかった。
 一緒にいた頃、仁也さんが話してくれた夢を思い出した。
『家の温もりを知らない子供たちのために、帰る家を作りたい』
「先月まで長期出張で海外に出ていたのも、今回の事業の準備だったみたい。貧困地域に孤児の為のシェアハウスを建てるんですって」

 仁也さんは……夢を叶えに行ったんだ――。

 環さんは仁也さんに託された初仕事の内装の全てを私に任せたいと言ってくれた。日本屈指の大企業の次期社長の邸宅で、三百坪の敷地に自分の家と、夫人のご両親用が宿泊されるための離れを建てるという。夫人は妊娠されていて、半年後に双子が生まれるのだそうだ。
 これから地質調査が始まるので、完成に一年はかかるらしく、それまでに内装のデザインを完成させて欲しいと言われた。打ち合わせで出社する以外は、自宅で作業しても構わないとも言ってくれた。
 私は紫苑とも相談するため、考えさせてほしいと環さんに伝えた。
「そうそう! 私、影井じゃなくなったの」
 帰り際に、環さんが言った。
「私の母親と弟の父親は再婚同士でね。私は独立と同時に実の父親の籍に移ったの。あ、でもすぐにまた影井に戻るんだけどね」
「え……?」
「結婚するの、弟と」
 ビックリし過ぎて、話が理解できない。
恭介きょうすけ……ずっと迷ってたんだけどね、あなたと幕田さんを見ていて覚悟を決めたって」
「だから、夫婦ともどもこれからもよろしくね!」
 呆けた顔を隠せずに驚いている私に笑顔で手を振って、影井さんは爽やかに去って行った。

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