ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

7.鎖-6

*****

 眠れなかった。
 仁也さんの言った通り、明日にでも社長夫人が乗り込んで来るかもしれないと思うと、どうしても考えさせられた。

 私は何が出来るだろう……。

 仁也さんは私に『見届けて欲しい』と言った。
 聖也君の出生の秘密。会社の行く末。仁也さんと私の関係。

 全てが終わって、私は紫苑の元に戻れるだろうか……。

 私は無意識にお腹に手を当てた。

 紫苑……どうしてるだろう……。

 ポツポツ……。
 窓に雨が当たる音に気がついた。
 次第に音は大きく、早くなっていく。あっという間に、ザーッっと激しい雨音に変わった。
 眠れる気がしなくて、私はベッドから起き上がった。ストールを羽織り、部屋を出る。静かに階段を下りて、キッチンで水を一杯飲み、トイレを済ませて、また静かに二階に戻った。
 仁也さんの部屋の灯りは消えていた。
 雨音に交じって、声が聞こえた気がした。
 私は仁也さんの部屋の前に歩みを進め、耳を澄ました。部屋の中から仁也さんの声が聞こえる。
 聞覚えのある、苦しそうな呻き声。
 私はゆっくりとドアノブに手を掛けた。
 入るべきではない。
 頭ではわかっているのに、ドアノブを押す手に力がこもる。
 仁也さんはベッドの隅で小さく蹲り、うなされていた。泣き声にも聞こえる。
 私はベッドに腰を掛け、ゆっくりと彼の髪に触れた。汗で湿った髪に指を絡める。
「仁也さん……」
「うう……っ」
 きつく閉じた目から涙がこぼれ、仁也さんの額に汗が滲む。
「仁也さん」
 仁也さんは両手で自分の肩を抱き、小さく震えている。
「くる……な」
「仁也さん」
 私は彼の肩を揺すり、名前を呼んだ。
「やめ――」
「――仁也さん!」
「来るな!」
 仁也さんは自分の声に驚いたように、目を見開き、飛び起きた。肩を上下させて、浅く息を吐く。
「仁也さん……」
「朱音……?」
「大丈夫?」
 私が仁也さんの頬に手を伸ばすと、彼の目から涙が溢れた。同時に、力強い彼の腕に抱き寄せられた。
「朱音……」
 肩に彼の涙の感触。
 私は彼の首に腕を回し、力を込めた。
「朱音……」
 仁也さんの息が耳にかかり、私の体温が一度上がった。
 仁也さんの唇が私の首に押し付けられ、パジャマの裾から彼の手が素肌に触れた。
「朱音……」
 雨の音に負けない大音量で、私の心臓がリズムを刻む。
 彼の手がゆっくりと私の胸を撫でる。
「じん……や……さ――」
「――朱音」
 仁也さんの唇がゆっくりと私の唇を塞ぐ。

 紫苑……。

 仁也さんのキスに応えながら、私は心の中で呟いた。

 ごめんね、紫苑……。

 キスをしながら、仁也さんに促されるままにベッドに身体を横たえた。彼の手が私のパジャマのボタンを外していく。私の頬に、涙の雨がこぼれた。
「朱音……」
 仁也さんの唇が私の唇から顎、首筋、胸へと下りていく。彼の手が私の胸からお腹、さらに下着の中へと下がっていく。
 仁也さんに触れられるのは初めてではない。けれど、彼に抱かれたことはなかった。
 仁也さんは勃起不全で、どんなに私に触れても、私が触れても、出来なかった。そして、彼は私に言った。
『出来ないのは、朱音が汚れているから』と。
 私はその言葉を受け入れることで、彼のプライドを守った。

 今また、彼が私に欲情しなかったら……。


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