ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

6.喪失-8

「一緒に暮らし始めてからは……言われてない……」
 俺はテレビボードの上のカレンダーを見た。
「一緒に暮らして一か月くらいか……」と、名達が言う。
「じゃあ……今は二か月……かな?」と、結城さんが言う。
「二か月って……つわりとか……?」
「うん。個人差があるけど、二か月に入ったくらいから始まるんだと……」
 二人の会話がやけに遠くに感じた。

 朱音が……妊娠……。

「幕田! 朱音さんの体調に変わったところはなかったのか?」
「カレーを作れるなら、つわりは始まってないんじゃないかな」

 俺の子供……。

「でも、安定期には入っていないから、無理は出来ないはず」
「なら、早く朱音さんを見つけないと――」

 俺と……朱音の子供……。

 目の前がグラグラ揺れる。
 全身がやけに寒い。
 震えが止まらない。

 朱音――――!

「おいっ! 幕田!」
 名達に肩を揺すられて、俺は我に返った。
「しっかりしろ! とにかく、落ち着いて考えよう」
「考えるって……何……を……」
「妊娠がわかっていながら、何も持たずに出て行くなんて、よっぽどの理由があったんだろう。それを考えるんだよ!」

 理由……?

「幕田、落ち着いて聞けよ。間違いならいいが、俺は朱音さんは脅されて出て行ったんじゃないかと思う」
 名達の言葉の意味が、理解できなかった。

 脅されて……?

「朱音さんは元カレからの束縛から逃げるために引っ越して転職までしたんだよな? で、なぜか金曜の夜だけは早く帰ろうとしなかった。そして、定期的にかかってくる非通知の着信。俺は、朱音さんがストーカーされていたんだと思う」
「ストーカー……?」
 俺の代わりに結城さんが復唱した。
「似たような話を聞いたことがあるんだよ。間違いならそれでいい。とにかく、影井の姉ちゃんに頼んで、朱音さんの元カレの様子を確認してもらおう」
 名達がスマホを取り出し、素早く操作する。
 俺はそれを、驚くほど冷静に見ていた。
 いや、きっと冷静ではない。
 だって、あの時と同じだ。

 母さん――――っ!

 冷たくなった母さんを抱きしめ、ただ茫然とする自分を眺める俺がいる。
 両手で頭を鷲掴みにして蹲っていると、パシンッと膝を叩かれた。
 顔を上げると、名達が俺を睨みつけている。
「しっかりしろ!」
 名達に押さえつけられた足が小刻みに揺れる。
 貧乏揺すりなんてしたことはなかった。
 恐怖に身体が震えている、という表現が正しいかもしれない。
 俺は歯を食いしばり、震える足に力を込めて、立ち上がった。

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