ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

6.喪失-7

「幕田さんの為に用意したのかもしれないけど、自分がいなくなったら幕田さんが食事どころじゃないって朱音さんならわかるだろうし……」
「…………」
 いくら疑問点や憶測を並べたところで、答えなんかわかるはずがない。
 ただ、黙って一週間も彼女の帰りを待つだけなんて考えられない。
 そんな状態、頭がおかしくなるのは確かだ。
「あの……、お手洗い借りていいですか」
 結城さんにトイレの場所を伝え、彼女がリビングを出ていくのをじっと見ていた。
 そして、ドアがパタンと小さな音を立てて閉じると同時に、深い深いため息を漏らした。
「何でこんなことに……」
 人間、追い詰められるとそんな陳腐な言葉しか出てこないらしい。
「お前が気にしてた非通知からの着信だけど……、相手に心当たりはないのか?」
「ない。朱音からも聞いたことがなかったし……」
 俺はゆっくりとコーヒーを口にふくんだ。口内から喉、食道がゆっくりと温まり、同時にヒリヒリと痛む。
 吐きそうだ。
 手の平で頬から口を覆って鼻呼吸を繰り返す。
「元カレは?」
「え……?」
「いや。考えすぎならいいんだけど、前に杏菜が言ってただろ? 朱音さんが毎週金曜日だけ帰宅を遅らせていたって。その理由を朱音さんに聞いたこと、あるか?」
「いや」
 名達に言われて気がついた。
 結城さんからその話を聞いた時は、『朱音が不倫しているかもしれない』という噂の原因の一つ程度にしか考えなかった。
「じゃあ……朱音さんが元カレと別れた理由は?」
「束縛が強すぎて……って……」
「…………」
 名達が眉間に皺を寄せて、黙り込んだ。
「あの……」
 結城さんがリビングのドアの横で、青い顔をして立っていた。
「杏菜? どうした……?」
「トイレのごみ箱にこれが……」
 結城さんが手に持っていたものを差し出した。俺と名達が歩み寄り、覗き込む。
「これ……」
 結城さんはプラスチックの白い棒を持っていた。
「妊娠検査薬……です……」
「にんっ――」
「――朱音さん! 妊娠してます」

 朱音が……妊娠……?

 可能性がないわけではない。だから、朱音の口から聞かされたのであれば、驚くこともなく喜んだと思う。けれど、この状況で他人から聞かされてしまうと、思うことは一つだった。

 どうして朱音は出て行った?
 妊娠が分かっていながら、出て行った――?

「幕田……も知らなかったみたいだな」と、名達が言った。
「……」
 俺はよろよろとソファに戻った。
「杏菜、これがいつ頃のか……とかわからないか?」
「陽性の印がはっきり出ているし、多分二、三日中に使ったんだと……。あ、幕田さん! ここって燃えるゴミの日は何曜日ですか?」
「え……? 確か……火曜と金曜……」
 金曜の朝、俺と朱音は一緒にごみを持って部屋を出た。
「なら、これは金曜日にごみを出した後に使ったんだと思う」

 じゃあ、俺がいない間に……?

「幕田さん……あの……」と、結城さんが言いにくそうに口ごもった。
「朱音さんがいつから生理きてないか……わかりませんか?」
「幕田にわかるわけ――」
「――その……生理を理由に、その……」
 俺は重い頭で考えた。
 そういえばしばらく朱音に拒まれていない。

 最後に『今日は出来ない』と言われたのはいつだった……?
 一緒に暮らし始めてから、言われたか――?


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