ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

5.温もり-4

「うまくいってないんでしょう?」
 店員が飲み物を運んできた。夕飯時で、店内が賑わってきた。
「どうして……そんな……」
 背後で聞こえる叔母さんの声は、明らかに動揺していた。
 通路を挟んで隣の席の小さな子供が、身を屈める俺たちを指さし、母親がその指を軽く叩いた。
「紫苑のお母さんが亡くなって四年以上になります。誤解を解くにしても、話し合うにしても充分な時間だったと思います。けれど、あなたとご主人は紫苑を一人にした。今更、心配だの和解したいだの、本心とは思えません」
「そんな――」
「――それでもあなたが私と紫苑のことを調べて会いに来たのは、ご主人が私と会ったと知ったからでしょう? 偶然にしてはタイミングが良過ぎますから」
「私は本当に――」
「――二人の関係が良好なうちは紫苑のことは気にも留めなかったのでしょう? でも、気持ちに変化があって、ご主人は紫苑に会いに来た。焦ったんじゃないですか? だから、紫苑と和解できればご主人の気持ちを繋ぎ止めておけると考えた」
「朱音さん……すげぇな」と、名達が呟いた。
「朱音を本気で怒らせたら……こんなもんじゃ済まないんだよ……」と言いながら、俺はため息をついた。
「格好いいです、葉山さん」と、結城さんがうっとりと言った。
 俺と名達は顔を見合わせる。
「私は本当に紫苑の誤解を――」
「――何が誤解ですか?」
「だから、姉さんが亡くなったのは――」
「――どんなに夫婦関係が冷めきっていたからと言って、姉の夫と不倫していい理由になりますか? あなたのしたことは、どうあがいても正当化できることではないと思います」
 影井と結城さんも大体の事情を察して、気まずそうにうつむいた。
「あなたは紫苑から父親も母親も奪った。あなたはそれを紫苑に謝ったことがありますか?」
「わかったように言わないで!」
 叔母さんが声を荒げた。一瞬、店内が静まり返ったが、すぐに喧騒が戻る。
「姉さんを追い詰めたのは、紫苑よ」
 叔母さんが静かに言った。
 俺の心臓がドクンと跳ねた。
「あの日、私と主人が一緒にいるところを姉さんに目撃させたのは……紫苑よ。紫苑が余計なことをしなければ、姉さんが死ぬことはなかった」
 母さんの泣き叫ぶ姿が脳裏に浮かぶ。
 母さんの冷たくなった身体の感触がよみがえる。
 息の仕方が、わからない。
「本気でそう思ってるんですか?」
 朱音の言葉に、俺は何とか息を吸い込んだ。
「そうよ。紫苑は不仲な両親がいつまでも夫婦でいることが不満だった。だから――」
「――決定的な現場を目撃しなければ、紫苑のお母さんは亡くならなかったと……? そんなわけないでしょう? 紫苑のお母さんが亡くなったのは、本人の弱さからです。そして、死にたくなるほど追い詰めたのはあなたとご主人です。紫苑に責任はない」

『紫苑に責任はない』

 朱音の声が頭に響く。
 ずっと、誰かに言ってもらいたかった言葉。
「随分な事を言うのね。あの子にも同じことが言える? あなたの母親が死んだのは、弱かったからだって」
「言えます。それで私を軽蔑しても、紫苑が母親の死の責任を感じ続けるよりずっとマシだわ」

 何度……惚れ直すのだろう。
 俺は、どれだけ朱音を求め続けるのだろう。

 朱音にはわからない。
 その言葉で、俺がどれほど救われるか。

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