ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

4.彼の傷-8

「四年……五年ほど前に亡くなったとしか……」
 紫苑のお父さんが険しい表情で、私を見ていた。私の言葉の奥を覗こうとしているのがわかる。
「自殺でした」
 濁しもせず、はっきりと言った。
 その噂は瑠衣から聞いていた。
「第一発見者は紫苑でした」
『第一発見者』という言い方に、胸がざわつく。
「そう……ですか……」
 私はうつむいて、ポツリと言った。
「すみません。こんな話……」
「いえ……」
「私はあれが心配なんですよ。母親を亡くしてから、あれはすっかり変わってしまった。私から離れ、勝手に姓も変え、就職してからは電話の一つも寄越さない」
 正直、紫苑を心配しているようには感じられなかった。
「紫苑さんはもう立派な大人です。以前からの関係を考えても、親と疎遠になることも不思議ではないでしょう。真面目に仕事もしていますし、元気です。ご心配には及びません」
 失礼な物言いなのは自覚していた。けれど、目の前の男性に遠慮する気にも敬う気にもなれない。
「薬を……飲んでいますか?」
「え……?」
「春から、通院を怠っているようですが、薬はちゃんと飲んでいますか?」

 それを……確かめに来た……の――?

 ふと、そう思った。
 いや、確信した。

 この人は、紫苑が薬を飲んでいるかを確かめに来たんだ――。

「飲んで……います」
 私は嘘をついた。
「何の薬かはご存知ですか?」
「眠れないことが……あるから……と」
「そうですか……」

 あの薬は……何――?

 幼い頃から、私は勘がいい方だ。
 目の前の、『息子を心配する父親』を演じている男が何かを隠していることはわかった。
「母親の自殺の現場を目撃するという衝撃的な体験をしたのですから、不眠症なり鬱なりは仕方ないでしょう。ですが、きちんと薬を飲んでいれば日常生活に支障はないはずです。あなたからも、息子にきちんと通院して薬を処方してもらうように促していただきたい」
 原稿を読み上げているような、抑揚も感情もない台詞。
 今日、この場に紫苑がいなくて良かったと思った。
「わかりました」
「息子のことで何かありましたら、名刺の番号に連絡ください」
 紫苑のお父さんはソファから立ち上がった。
 私は彼を引き留めはしない。
 紫苑には会わせたくない。
「今後とも、息子をよろしくお願いします」
 上質なスーツを着て、磨き上げられた靴を履いた彼はそう言って頭を下げた。
 紫苑同様、他人を見下して虐げる人間は嫌いだ。特に、『親』の立場を乱用する人間は。
 思い出したくない誰かと重なって見えて、私は黙って見送れなかった。
「奥さまの自殺の原因は……彼の言う通りですか?」
 彼の背中に緊張が走ったのが、見て取れた。けれど、すぐに平静を取り戻す。
「息子は誤解しているんですよ。鵜呑みにしないでください」
 初めて、紫苑のお父さんの声に『感情』を見た。
 彼は振り向かずに出て行った。

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