ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

4.彼の傷-7

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 二週間後、紫苑の部屋の荷物はすっかり私の部屋に運び込まれた。とはいえ、家電はリサイクルショップで処分したし、大きな家具もなかったから、ワゴン車をレンタルして、名達さんと影井さんに手伝ってもらって済んだ。
 一緒に暮らし始めてから、紫苑は睡眠導入剤を飲む回数を少しずつ減らしていった。明け方、うなされることはあったけれど、目が覚めた紫苑は憶えていなかった。
 けれど、うなされていなくても、突然夜中に目を覚まして、狂ったように私を抱くことがあった。
 何度も理由を聞こうと思った。でも、聞けなかった。
 紫苑が私の過去を深く聞こうとしないのと同じ。
 拒絶されるのが……怖かった。
 けれど、思いがけない人の来訪で、私は彼の心の闇を知ることになる。

*****

 土曜日の午前。
 日頃、残業は多くても休日出勤することのなかった紫苑が、システムのトラブルで緊急事態だと出て行った。私は部屋の掃除をして、久々の一人の時間を録画した映画を見ながら過ごしていた。
 インターホンが鳴った時、私は冷蔵庫の中を見ながら、夕飯のメニューを考えていた。
 モニターを見て、その男性が誰だかすぐにはわからなかったけれど、声を聞いてハッとした。
『突然すみません。今――幕田紫苑の父で――』
 男性が言い終える前に、私はロックを解除した。
「――すぐに降りますから、エレベーター前でお待ちください」
 私は部屋の鍵を掛けて、エレベーターでエントランスまで降りた。扉が開くと、紫苑によく似た四十代後半くらいの男性が立っていた。
「乗ってください」
 私はエレベーターから降りずに、そのまま五階に戻った。
「初めまして。葉山朱音です」
「紫苑の父です。突然、申し訳ありません」
 紫苑のお父さんは黒のスーツを着て、磨かれた黒の革靴を履いていた。
 身長は、紫苑の方が少し高いと思う。
 私は紫苑のお父さんを部屋に招き入れた。
「紫苑……さんは仕事でいませんが、連絡しますか?」
「いえ、あれは私には会いたくないでしょうから……」
 私は紫苑のお父さんにコーヒーをブラックで用意した。
「息子がお世話になっています」と言って、紫苑のお父さんは深々と頭を下げ、名刺を差し出した。
「いえ、私こそ息子さんにはお世話になっています」と言って、私は名刺を受け取った。
 名刺には、一瞥では頭に入ってこない長い肩書が書かれていた。肩書の最初には『警察庁』とある。
「葉山さん、失礼ですが息子とあなたのことは少し調べさせていただきました。大学時代からの付き合いのようですが、ずっと連絡を取り合っていたのですか?」
 失礼ですが、と言いつつも無遠慮な質問に、私は背筋を伸ばして答えた。
「いえ、私が大学を卒業してから連絡は取っていませんでした。春に再会するまでは」
「そうですか。では、あれの母親のことはご存知ですか?」
 息子を『あれ』、自分の亡くなった妻を『あれの母親』と呼ぶことに、初対面ながら苛立ちというか、嫌悪感をもつ。
『俺も母さんも、父さんにとっては装飾品でしかない』
 昔、紫苑が父親のことをそう言っていた。

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