ねぇ、笑って……?

深冬 芽以

3.彼女の過去-5

*****

「朱音が笑わなくなったのは――」
 セックスの後で、俺は朱音を抱き締めて聞いた。
「――元カレのせい?」
 朱音は小さく頷いた。
「話したくない……?」
 俺は彼女を抱く腕に力を込めた。
 朱音は俺の肩に頭をのせて、ふるふると首を振った。
「紫苑が聞いた通りのことよ。束縛の……強い人で、私が自分以外の人に笑顔を見せることを嫌がったの……」
 彼女がすごく言葉を選んでいるのがわかる。
 きっとそんな単純なことじゃない。
 朱音は芯の強い人間だ。
 恋人に言われて、素直に何でも言うことを聞く女じゃない。それが、自分の意にそぐわないことであれば、絶対に従ったりしない。
 それに、ほかの男に媚びるように笑うのはどんな男だってイヤだが、笑顔自体にそこまで過剰反応するなんて異常だと思う。

 ここまでまったく笑わなくなるほどなんて……。

「朱音……」
「……」
 無言は拒絶か。不安か。

 今は話せないのなら、それでもいい。

 俺は身体を傾け、彼女の顔を覗き込む。
「この前の返事、聞かせて?」
「あ……」
 明らかに困った表情。それでも、これだけは譲れない。
「俺は朱音が好きだよ。付き合っていた頃と変わってないところも、変わってしまったところも。朱音は……? 変わってしまった俺は好きじゃない?」
「そんなことない……けど……」と言いながら、朱音は目を逸らした。
 俺はゆっくりと起き上がって、脱ぎ捨てたシャツを羽織った。
「先輩が……俺のネクタイを結びたかったって言ってくれたの……嬉しかったよ。俺も、同じだったから。俺も思ってたよ。『先輩』が『先輩』じゃなくなる時まで一緒にいたいって……」
「え……?」
 タオルケットで胸を隠しながら起き上がった朱音に、俺はあまり着ていないTシャツを渡した。
「願掛け……みたいなものだったんだ。あの頃の俺が先輩を名前で呼ばないこと……」
「願掛け……?」
 俺のTシャツを着た朱音は、四年前よりずっと可愛くて、色っぽかった。
 いつも後頭部の低い位置できつくひとつに束ねられている髪は、解くと脇の下まである。輪ゴムのあとがつきやすいからと束ねるを嫌がっていた大学生のころは、肩までの長さだった。
 首の位置で大きくうねっているところを見て、思い出した。
「先輩が卒業して、先輩じゃなくなったら……って。先輩が卒業しても、ずっと一緒にいたいって……思ってた」
「紫苑……」
「あなたが『先輩』のままでいたいなら、俺は『後輩』のままでいるよ。二度と触れられなくても、顔も見れなくなるよりはずっとマシだ」
 本当は、先輩と後輩の関係に戻るつもりなんてない。少しでも繋がっていられるなら、俺は彼女を諦めたりしない。
 けれど、今の朱音には考える時間が必要なのではないかと思う。
 そう自分に言い聞かせることで、焦る気持ちを静めていく。

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