婚約破棄されたのだが、兄上がチートでツラい

フジミヤ

兄上絶好調

 ……兄上、絶好調ですね…身分社会ですよ?
 さらっと演繹法と帰納法を混ぜ合わせた事実と推測が、あたかも殿下「が」陛下と我が家「に」敵意をもっているのだと示す。
 実際は、主導しているのはそのお嬢さんだろうし、つけられた難癖はきっちりただの難癖でしかないことを証明してはいるのだが。

「ハーディ!、貴様!!」
 兄上に向かって殿下が声を上げるが、兄上にとってはどこ吹く風、だ。

「ひどぉい、エスターさまぁ、私を無視するなんてぇ。もぉー、ぷんぷん」
 ぷくり、と頬を膨らませてから、小首を傾げてにこり。兄上の手を離さない。
 兄上は上座に冷たい視線をやって、顎先をちょい、と動かした。

 弾かれたようにキュベレ君と宮廷魔術師長の孫であるディーン君ことディーン・ドロテア・ディードナルド君がティルナシア嬢の元に駆け寄ると、彼女を兄上から引き離した。兄上の目力に負けたようだ。

 ディーン君が背後から彼女を抱えるように引き離したが、いやぁん、えすたぁさまぁん、と口走り、その細い腕を兄上に向けてぱたぱたと動かす。慌てて彼女の口を押えるディーン君。
 とりあえず、キュベル君、その髪飾りを返してもらいたいのだが。

 浄化の魔法を身に纏う兄上。
 キラキラしい光に包まれてから、客席に顔を向けた。

『さて、そもそも、私が≪写真≫の魔具を作り出すきっかけとなったのは、此処にいる我が妹、淑女の鑑たる美しきローズ・ロレーヌ・ローザリアの言葉からでした』

 兄上の(盛っている)言葉に、私は客席に向かって一礼した。


 昔々のお話で、正直に言うならば、あまり知られたくない話でもあるのだが。

『あの日のローズは、今思い出しても、とてもとても可愛らしいものでした』
 彼方を見る優しい眼差し、微かに笑む口許。
 私は拷問に耐えるつもりで心と耳に蓋をした。

『二番目殿下の婚約者にと、皇帝陛下から我が公爵家に打診がありましたのは、ローズがまだ五歳の時でした。お人形のように可愛い私の小さな姫君、どんなに美しい人形も、ローズの輝く銀の髪--朝日を受けさざ波たつ湖のきらきらと反射するあの美しさを持ちませんし、煌めく宝石のような魅惑的な瞳を、妙音で歌う小鳥よりも可愛らしい声も、何よりローズの浮かべる愛らしい笑顔を持ちません。そんな可愛い可愛いローズ、そんな愛くるしい私の妹姫に目を付けた皇帝陛下は、こともあろうに…っ』
【……兄上、お時間が…】
 耐えられなかった私は兄上にぽそりと告げる。

『…………。とりあえず、愛くるしいローズが、ある日、王城から戻ってきて言ったのです。ねぇ、おにいちゃま、時が止まらないって、とてもざんこくだわ。いっしゅんを、とどめおくことは、わたくしたちには、できないのでしょうか、と』

 私の名誉のために言わせていただけるならば、そんなポエミーなことは口にしておりません、だろう。

 思い返せば、あの頃の殿下はまだお可愛らしかった。今では見る影もないが。まぁ、お顔やスタイルは相変わらずそこそこキラキラしい(勿論、兄上には完敗している)けれども。性格は顔にでると私は思う。
 とりあえず、それはともかくそんなポエッティになった覚えはない。

 私は父母から、皇室から下賜された宝飾類等の取り扱いについて、大変手間のかかる作業が付随することを教示され、下賜された瞬間、下賜された品の両方を簡単に記録できればどんなに良いだろう、という意味のことを口にしたのだ。

 下賜された品は、記録される。
 勿論、爵位や土地家屋以外にも、ある一定の値打ちを持つものはすべて、財産目録に記録されるのだが、下賜された品は、それとはまた別の目録に記録される。皇家の公印付きだから。
 
 目録は文章のみではない。下賜された日付や理由はもちろんのこと、美術品ならば、作者、来歴詳細、写しとして特徴をとらえた細密画が描かれる。
 さすがに絵などは、それを模写するのは難しいのだが。真贋判定が必要なものはその鑑定書もつけられる。宝飾品やドレスなどは美術品と同じく来歴詳細のほかに石の名前や素材、ことによればやはり細密画も描かれる。

 通常の下賜品は、下賜する側も目録を持っていて、写しが発生する。勿論両方に同じ内容が記載され、違いは「下賜した」か「下賜された」か、だ。そうやって「名品」と謳われるものは来歴がはっきりするからこそ、尚、価値が高まる。

 よって、それが例え、「子供のお小遣い」で贖った範囲の品物でしかなかったとしても、下賜された以上、本来、目録は発生する。ただ、この時、皇家は子供のすること、と目録を作成しなかった。
 正確に言えば、「目録作成の方が高くつく」ので、作成しなかった。

 皇家は目録を作成しなかったが、公爵家は一つの事例がすべてを表す、と目録を作成することにした。兄上が作るべきである、と。勉強になる、練習にもなる、と。私は原本と写しの二つを作製しなければならなかった。
 そして一つは原本として公爵家が持ち、一つは写しとして王城が管理することとなった。
「よかったね、一つで二回分学べるよ。一粒で二度おいしい、だね」とは当時の兄上の言葉だが。今ならば思う、色々間違えている、と。

 それまで、叔父上でもある陛下から私が戴いたものは、父母が私の財産として目録化を行っていてくれたのだが、父母と兄は、今後殿下から私に下賜されたものはすべて、私の財産目録に別途記載管理することを義務付けた。七歳だったが。そして七歳の私には、それは非常に大変な作業であった。

 だから、下賜された瞬間、そして下賜された現品を、一瞬にして記録できればどんなに楽であろうかと、いただいた時間はたったの一瞬なのに、目録作成にはその何十、何百倍何千倍もの時間や手間ひまがかかることに、時間が足りない、と思ったのだ。

 もっとも、その「殿下から私への下賜目録」はその一頁きりで増えなかったのだが。

 その一頁は、追記のみが増えた。兄上の魔改造のたび、である。
 そして、こちらの追記が増えるたび、「写し」が保管されている王城に「原本」と「対象物」と共に出向き、同様の追記をした。
 本来は下賜品に手を加えるなど不敬な行為ではあるが、「価値」が変わるし、所詮は子供の作成したもの、管財を預かるおじさま方も、生暖かい視線で追記を許してくれ、ぽん・ぽん・ぽんと公印を押してくれた。
 
 これについては王城内の横連携がないことが、公爵家に有利に働いた。
 多分魔法省の方々に知られていたら、もっと初期から≪写真≫の魔術式は皇家に知られることになっただろう。

『私は、可愛いローズのその詩的な言葉を耳にした瞬間、着想を得ました。時よ止まれ、と詠うローズの声。まさに天啓。我が妹姫は女神なのでしょう…』
 天を思うかのような荘厳さを纏う兄上。だが兄上よ、私はポエマーではない。
 
『その天啓を生み出したきっかけこそが、今、そちらにいるキュレルール伯爵子息の手にある髪飾りなのです。そしてその髪飾りは、私とローズが≪写真≫を生み出した、その歩み、その歴史、その証でもあるのです』

 兄上が、キュベレ君が手にしたままの髪飾りの方に揃えた指先を向ける。

「何をっ、これはティ…」
『さて、此処で本来は魔術式の簡単なレクチャーを行う予定でしたが、折角ですので、お恥ずかしながら、皆様に≪写真≫の歩みをご確認していただけたらと思います』
 身分社会の闇を光る笑顔で跳ね返し、兄上は続ける。

 元々は兄上が魔術式を図解するために用意していた白板、それを舞台袖から出すよう指示を飛ばす。
『折角ですので、キュレルール伯爵子息、その髪飾りを手に白板の前に』
 兄上の声にキュベル君の足は動かない。が、はっきりとした拒絶もできずにいる。

「何故…僕がそんなことを…」
『私がそれを手にすると、すり替えた、と言われかねませんから。ああ、ディードナルド魔術師長のお孫さん、君も中央へ、あ、第二皇子殿下、貴方はその暴漢を押さえておいてください』

「私に命令するなっ!」
『おや、私がどうにかしてよろしいのですか?』
「きゃっ、やだぁ、エスター様、どうにかする、なんて。恥ずかしぃですぅ」

 暴漢発言はスルーなのか。命令されたと反発する殿下と何故か頬を染めるティルナシア嬢の姿に、あからさまな拘束の魔術式を展開する兄上。

 口許を引きつらせた殿下がティルナシア嬢の腰を抱く。
「ティナ、危ないから下がるんだ。俺が守ってやる」
「カイ様ぁ」
 この大勢の人前でぴったりと抱き合える二人に私は半ば感心した。

 だが、茶番はどうでもよいらしい兄上は、白板の前に残った男子二人を呼び寄せると彼らに指示を出す。
 何かを言い返そうとするたび、彼らは兄上に黙らさられる。
 おやおや、その娘を信じているのだろう?、と。彼らが反発するたび、信じているならこちらに協力したほうが良いと思わないか、と。
 
『さて、こちらの髪飾りには七つの魔石がはまっております。白を中心に、赤、紫、青、緑、黄、橙とふちを飾っているシンプルな形のものです。あまりよく見えないとは思いますが、まずはこの中心の白い魔石にのみ、魔力を注入します』
 そういって兄上が白板の半分ほどに図を書く。

 ディードナルド君たちはお互いの顔を見合わせるだけで、魔力の注入を行わない。その様子に、兄上が冷たい目線を向ける。
 おやぁ、魔術師長のお孫さんともあろうものが、魔力注入が出来ないと?、おやおや。繊細な技術が必要だから、無理なのかい?、下級も下級の力任せに魔力をたたきつけることしかできないのかな?
 拡声の魔法を使わない声は、彼ら二人だけに向けられる。

 カッ、とディードナルド君は目を見開いて兄上を見ると、ゆっくりと目を眇め、キュベレ君の持つ髪飾りの白い魔石に魔力を注入始めた。

 騙されているよ、ディードナルド君。それは兄上が「子供が使う」事を前提に作ったのだから、魔力を叩きつけても壊れたりはしない。
 …叩きつけで白魔石だけに魔力の注入をするのは、それはそれで高度な技術が必要そうではある。

 ゆっくり、繊細に魔力を流し込む様子に、兄上は、遅いなぁ、と小さく呟いてわざとらしくため息をついて見せた。
 同感だが、額に汗して頑張っているのだから、煽るのはどうかと…もっとやってください、兄上。

 やがて、白い魔石に組み込まれた魔術式が起動する。髪飾りの上に、淡い金色で描かれた魔術式が浮かび上がる。
 ふっ、と白い板に映し出されたのは、少年の笑顔だった。
 満面の笑み、星や光が降りそうな、美しい---

「きゃーっっっ、超レア・ショタ・エスター様の笑顔スナップーっっっ、やっぱりそれに入ってると思ってたーっっっ」

 叫んだのはティルナシア嬢だった。

 その写真はふいに消えて、次の写真が白板に映し出された。
 何のことはない風景写真だ。ただ美しい風景。庭と、空と、館。我がローザリア公爵家領地の城の中にある、「夏の館」だ。
 客席にいらした何方達か、ああ!、と声を上げていらっしゃる。この館に滞在を許されるものは少ないから、知る人ぞ知る風景。
 次は酷くぼやけた写真。映るのは、父上と母上だ。お若い姿にどよっと会場が鳴った。

『ああ、今のものが初めて撮られた≪写真≫です。ご存じの方はもうお判りでしょうが、ローザリア公爵家夫妻の若し頃、です。あ、今でも十分若いので、追及はしないでください』
 茶目っ気な兄上の声に会場が沸く。
『先ほど、「夏の館」の写真でもお声を上げていらっしゃいましたね。…ああ、これは王宮ですね。もう結構ですよ、お孫さん』

 兄上が王宮、と言った写真は、殿下と宰相子息が食べ物をお互いに食べさせあっている場面だった。殿下の十歳の誕生祝。婚約者である私は殿下とダンス一曲。その後はただ招待客な何処ぞのご令嬢方々に嫌がらせを受けていた。なのに殿下は側近候補の友人たちとああやって笑いあっていた。

 正しく写真が再生されたなら、嫌がらせをしてきた令嬢方の顔写真が続く中に、ぽつんとこの写真が挟まっていたはずだ。私は囲まれて心無い言葉を受け続けているのに、ふと視線を外した先に、彼らの笑顔があったのだ。

 その時の虚しさがわかるのは、同じ思いをしたことのあるご令嬢だけだろう。

 私は思う。そんな婚約者は無意味だ、と。捨ててしまえばいい、と。私のように、自ら婚約の破棄も解消もできないとしても、心ならば己のものだから、相手を捨てることは可能だ。まずはそこからだ、と。

『本来は、「古い」写真から再生されるはずなのですが、注入された魔力が揺れるとこのように並び順を無視した再生になるようですね。無作為性再生も面白そうなので、今後開発いたします。お孫さん、面白い現象をありがとう。それはそれとして、先程ご案内した通り、一番古い≪写真≫は我が公爵家の姫君、麗しのローズが八歳の誕生日を迎えた時のものとなります。順番としましては、父母の写真、私の写真、夏の館、王宮、と並びます。ローズが映っていないのは、ローズが"撮影者"だからですね。つまり、公爵夫妻の笑顔も私の顔も、夏の館も、ローズだからこそ写せた真実ということです』

 兄上は白板に描かれた髪飾りの魔石の配置に書き込みを入れる。
 黄色と書かれた下に、公爵夫妻、九年前、と書き込み、
『勿論、≪写真≫の魔具をすでにご存じの貴兄にはお分かりかと思いますが、そもそも、何故今まで魔道具は大きくて扱いにくかったのか、そして、どうして小型化することが出来たのか。そう、魔道具の、魔具の歴史が変わったのは、愛らしいローズの可愛いお願い、そしてこの髪飾りからなのです』 

 髪飾りの図をコツコツと叩く兄上。長くなりそうな予感に、時間を意識してもらうためにハンドサインを送る。

『先程、芸術伯子息は、魔石を使っただけの安物と判じていました。土台は香木、縁取りは魔銀となります。確かにこの髪飾りそのものには芸術的価値はなく、大した値はつかないでしょう。皇子殿下とはいえ、子供が子供に贈ったものですから、まぁ致し方ありません。私でしたら、可愛い公爵家の姫君であるローズに釣り合うものをと、必死に考えますが。しかし、この、いかな子供とはいえ皇子殿下が婚約者に贈るものとしては評価できない、何の変哲もなさそうな髪飾りの、香木と魔銀と魔石の組合わせ、この組合せこそが魔道具の歴史を変えたのです。この髪飾りを作った者は、魔道具界に新風を吹き込み、新たな魔具の歴史の刻む第一人者となりました。……まぁ、それを成したのは愛らしいローズの可愛いお願い、そして不肖私ではありますが、それは土台となる天使ローズの髪飾りがあってこそ。そういう意味ではこの髪飾りの価値は計り知れぬもの。まさに歴史に刻まれる逸品であり、九年前からその価値は上がり続けているのです』

「何を!、それはティ…」
 ハンドサインは兄上に無視されたが、兄上の言葉にぎょっとしたようにキュベレ君は自分の手の中にある髪飾りを見る。
 殿下の声も無視され、兄上が言葉を続ける。
 
『さて、大まかに解説いたしますと、公爵夫妻の≪写真≫がぼやけているのは、当時、私が考えた術式が「一瞬」を捉えにくかったからです。術式を埋め込んだ中央の魔石は、この髪飾りの両端にある魔石に魔銀を介して起動され、映像を記録するのはこちらの黄色の魔石…と術式の手数が多いことがその理由です。しかも記録の術式も当時はまだ無駄が多く、実のところ、公爵夫妻の≪写真≫一枚のみで、黄色の魔石は容量を満たしてしまいました』
 
 貴賓席に座る魔具愛好家の方などは体が自然と前かがみになって兄上の話に耳を傾けている。

『記録の再現は術式に組み込んでありましたから、家族ですぐに確認したのですが、その時のローズの言葉が、またしても私に新たな天啓を与えました。曰く、おにいちゃま、これは、わたくしがみたものなのですか?、それともこのかみかざりがみたものなのですか?、と。形而上学的なこの問いかけに、私は雷に打たれた思いでした。ローズはまさに天の御使い…』

 うっとりと呟き、一呼吸。兄上は白板の図を指す。
 だから兄上よ、私はポエマーでもドリーマーでもない…

『髪飾りが見たのか、ローズが見たのか、それは即ち、魔術式の起動点にほかなりません。ローズが見る、魔術式が起動する、ローズが見ているものを髪飾りに認識させる術式が展開する、髪飾りが記録術式を展開して事象を記録する。いくら短い時間でこれらの式を展開させたとしても、結果は公爵夫妻の≪写真≫が物語るように、"ぼやける"のです。これは、ヒトはその一瞬を憶え続けてはいられない、という真理が作用しています。そう、今、この一瞬もやはり、一瞬の積み重ね、ヒトはそれを上書きして上書きして上書きし続けているのです』

 兄上が興にのってきている。時間が…ああ…

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