完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます

小達出みかん

夢を現実に

 もう我慢できない。何度目かわからないその言葉を、花園は今一度言った。帰る時間すら待てない。今すぐ君がいるって確かめたい――。
 なので郁美は、いったんおりたエレベーターを、花園と共にまた上がっていた。部屋に着くなり、後ろから抱きしめられる。
「郁美……ほんとに俺と、つきあってくれるの」
「喜んで、って言ったじゃないですか」
「俺の事……本当のところは、どう思ってるの」
 そう言われて、郁美は振り返って花園と向き合った。
「彰さん、なんだかあぶなっかしくて……。もう、放っておけないです」
 少し苦笑して、ぽかんとした花園の唇に唇を重ねる。
「好きです、彰さん」
「ん……ぁ、郁美……」
 名前を呼ぶその甘い声は、郁美の口の中でアイスみたいに溶けて消えた。開いたその唇に、そっと舌を入れてみる。ためらうように震える彼の舌に、そっと触れてみる。
「……ぁ、ふ……っ」
 柔らかい、濡れた唇。郁美の事をけなし、けれど好きだと震えながら告白した舌に、自分の舌をからめる。
 花園の息遣いが、浅くなる。郁美を抱きしめたまま、目を閉じてされるがままだ。
「ん……は……」
 唇を離すと、花園の顔はインモラルなほどに蕩けていた。
(そんな顔して……大丈夫なの?)
「は……初めて、郁美から、キス……してくれた」
 その呼吸が荒い。抱きしめる花園の下半身は、ひどく熱い。
「ん……はぁ、もっとキス、したい……」
 今度は郁美が、ベッドに押し倒された。ホテルのふかふかのベッドに、背中が沈む。
「郁美……」
 花園が、郁美の唇を食んだ。そのまま口の中を、彼の舌が探りまわる。そして、お互いを分け合うように、舌を絡め合う。お互いの呼吸と唾液で、口の中が満たされる。お互いがお互いを、食べさせる。脳の中まで浸食されるような、濃密で優しい口づけ。
(最初とは違う――。)
 次に唇を離した時、花園はすっかり出来上がっていた。盛りのついた犬のように、郁美の胸に顔を埋める。
「身体……熱くて、おかしくなりそう」
 郁美は自分で服を脱いで、彼の前に自分を差し出した。
「ほら、彰さんも脱いで。せっかくのスーツ」
「うん……っ」
 言われた通り素直に、彼は服を脱いだ。若者らしく引き締まった身体が露わになる。郁美は初めて見るような気持ちで、上から覆いかぶさってくる花園を見た。
(最初は、ただただ、怖かった。他人だった。けど今はもう……)
 仲間? 親しい人? 友人? 年下の同僚?
 ――さまざまな言葉が郁美の頭をよぎったが、どれもしっくりこない。潤んで情欲をにじませたまなざしを受けていると、なんだか郁美もつられて胸がどうしようもなくドキドキしてくる。
(そうだ……もう彼は、『恋人』なんだ)
 そう感じる郁美は、彼の身体に自分の手で触れてみた。花園は少し面食らいながらも、嬉しそうに郁美の好きにさせていた。やがて、花園の方からも、郁美に触れる。
 前よりも、その前よりも深く抱きあう。身体のその奥の、心の中まで繋がるように――

「ねぇ……さっきの、もう一回言って」
 ベッドで裸のまま横たわったまま、花園は郁美にささやいた。少し恥ずかしそうな声で。
 だから郁美は、きっちり彼の目を見て言った。
「彰さんが、好きです」
 すると彼は、郁美から目をそらして顔を枕に埋めた。
「うそっ……信じられない……」
 まるで乙女のようなその反応に、郁美は思わず笑った。
「本当ですよ」
 身体を起こして、枕に埋もれた顔の、真っ赤になった耳たぶの下にちゅ、とキスする。
「うわあっ!?」
「そんな驚きます?」
「ダメ、そういうの……!」 
 なぜか声を荒げる彼に、郁美は首をかしげた。
「何が駄目なんです」
「それは……その。ずうっと片思いだったから……いきなりそんな態度とられると……」
花園は再びシーツで顔をかくした。
「キャパオーバー、っていうか……」
「え……」
 散々やっといて、そこが恥ずかしいとか……? 郁美は疑問に思ったが、胸がよじれたようにきゅんと痛くなったのも、事実だった。
(もしかしてこの人……そうとう可愛い性格だった……?)
 郁美は苦笑して、うつぶせのその頭をなでた。さらりとした髪が、指にからむ。
「じゃあ、彰さんが苦しくないように、ちょっとずつ恋人になっていきましょう」
 すると、花園はシーツから少しだけ顔を上げ、上目づかいで郁美を見た。
「ごめん、うそ。ほんとは……ほんとは今みたいにもっと、キスとか、してほしい……」
 再び郁美の胸が、ねじり上げられたようになる。きゅんとした、甘美な痛み。
 郁美ははあとため息をついた。
「あの、彰さんもたいがいですよ、それ」



 夏の盛りは過ぎたものの、この東京はまだまだ暑い。夏のバーゲンも終わって少し忙しさも落ち着いた閉店間際のある日、郁美と加奈は秋もののスーツのためのトルソをいち早く数点コーディネートしていた。
「こんな感じでどうですか、中野さん!」
「うん、すごくいいと思う!チャコール色のスーツに海老茶色のネクタイがマッチしてて」
「えへへ、ありがとうございますぅ」
 閉店作業をしつつ、郁美は時計をちらりと見た。今日は久々に、花園と金曜日の夜を過ごせそうなのだ。予定さえ合えば、最近はこうして週末、一緒に過ごしている。もう、淳史の事を気にすることもない。なぜなら彼も、週末は外であちこち飛び回って充実した時間を過ごしているからだ。
時計を気にする郁美に気が付き、加奈は覗き込んだ。
「中野さん、最近なんか、ちょっと変わりましたよね」
 郁美はドキッとしつつも、平静を装った。
「え? そうかな?」
「なんだか……服装とか、バッグとか、ちょっと変わりましたよね。あとたまに、終業の時そわそわしてます。もしかして……」
 加奈の顔に、好奇心めいた笑みが浮かぶ。
「彼氏、ですかっ?」
「えっ……いや、その……」
 何しろ相手が花園だとは、さすがに一斤の同僚には言いにくい。郁美は口ごもった。しかし加奈は頓着せず、はぁとため息をついて宙を見た。
「あ~あ、いいなぁ。みんなどんどん彼氏ができてって……とうとう郁美さんも、とられちゃった」
 その無邪気な発言に、郁美はフフッと笑った。
「なぁにそれ。三浦さんには、気になる人とかいないの?」 
 すると、加奈の目はぱっと輝いた。
「あっ、いいですね、こういう話! 中野さんとするの、初めてです!」
 しかし次の瞬間、加奈はしゅんとした。
「でもいないんですぅ。どこかにいい人いないかなぁ。千鶴さんなんて、最近イケメンなお医者さんと付き合い始めたんですよぉ!」
「そ、そうなの」
 郁美は少し驚きつつも、控えめにうなずいた。千鶴とはその後、すれ違えば挨拶をするくらいの仲になっていた。が、加奈は生来の明るさが彼女に気に入られたらしく、その後時々ランチをするくらいの関係になっているらしい。
「そうなんです! 写真見せてもらったけど、韓国系の黒髪イケメンでした。いいなぁ~」
「なるほど…?」
 郁美はとぼけた顔をしてうなずいた。
 つまり彼女は、塩顔のイケメンに特化した面食い……だったのかもしれない。
 

 彼氏がどんな相手か聞き出そうとしてくる加奈をなんとなく交わし、郁美は終業後、花園の住むマンションへと向かった。合鍵で入ると、中は真っ暗だった。
「あ……まだ花園さん、帰ってきてないか」
 なら、先に夕飯の準備でもしておこうかな。郁美はそう思って電気をつけたが、その前にばっと誰かが後ろから抱き着いた。
「わぁっ!?」
 郁美は驚いたが、誰の仕業かすぐにわかった。だってここは彼の部屋なのだから。
 ぱっと電気がついて、へへっと耳元で悪戯めいた声がする。
「驚いた?」
「もう、彰さんったら」
 そう言いながら身体を話そうとすると、彼は何やら郁美の首の後ろで手を動かしている。
「な……なんですか、これ」
 首に、ネックレスが掛けられていた。繊細なベネチアンチェーンに、白く輝く石が光っている。
「あげる。今日……俺たちが付き合いだして、一か月目だよ」
 一か月。あの日から、もうそんなに経っていたのか。郁美はしみじみとした気持ちになった。が。
「たった一か月なのに……こんな高価そうなもの、頂けないですよ」
 すると花園は少しむくれた。
「なんだよ。一か月だぞ、付き合って! これっておめでたい事だろ」
「そ、そうですが」
「うれしくないの?」 
 その声が少し寂し気だったので、郁美は彼に向き直って首を振った。贈り物にケチをつけたかったわけではないのだ。
「ううん。もちろん、嬉しいですよ」
 郁美の鎖骨の下で、キラキラとその石は輝いている。何面にもカットされているとそれは、電気の光でもプリズムのように眩く光っていた。
「すごい……綺麗です。ありがとうございます」
 やっとお礼を言った郁美に、花園は笑った。
「よっし。じゃあ2か月記念は指輪でいい?」
「えっ、いやいや」
 断ろうとする郁美の手を、花園が取る。左手の薬指をなぞられて、郁美ははっとした。
「ペアのやつで、ここにつけるやつ」
 言わんとする事を理解して、郁美の胸が高鳴った。
「で、でも、さすがに2か月は早すぎるんじゃ……」
「早いも遅いもないよ。俺、毎日郁美が一斤で仕事してるのが不安なんだよ。ここに指輪がないと、勘違いする男が出てくるんじゃないかって」
 その的外れの心配に、郁美は苦笑した。
「まさか。勤めて5年目ですが、職場で口説かれた事なんてありません」
 すると花園は、郁美の耳元で低く言った。
「何言ってんの。あるじゃん。それで俺と付き合ってるんでしょ」
「あ……そうでした」
 すっかり花園を勘定に入れるのを忘れていた。もっとも、あの始まりは『口説き』とは言えない気もするが。
「ねぇダメ? 来月指輪、買いにいこうよ。俺たちの関係も、秘密にしないでちゃんと発表したいし」
 郁美の希望で、二人は付き合っている事をまだ言っていなかった。
 花園の手が、郁美の指に指をからませ、ぎゅっと握る。
「俺、早く郁美と結婚したいな」
 まだ付き合って一か月なのに――そう言われて、郁美の心は揺れていた。
(待って待って、とんだスピード婚じゃない。もっとよくよく、考えてからにしないと……)
「郁美と一緒に住みたい。週末だけじゃなくて、毎日同じ家に帰りたいし、朝いちばんにおはようって言いたい。俺が」
 耳元で、花園はそんな願望を囁く。その言葉に、揺れる胸がまたもきゅんと締め付けられる。こういうところが、本当にずるい。
 年下で、甘えたで、郁美をどこまでも求める、花園の本当の顔。
 こんなに求められれば、郁美も応えてあげたくなってしまう。
 彼を安心させて、喜ぶ顔が見たくなる。
(来月……私、結婚するのか)
 その瞬間、郁美の心は決まった。ふと職場の事を思い出す。
(三浦さんには……一番に報告しないとな)
 上司よりなにより、まずはいつもそばに居て助け合った彼女に、伝える義務があるだろう。そんな事を考えながら、郁美は花園を見上げて笑いかけた。
「来月の今日ですね。楽しみにしています」
 すると花園は、痛いくらいに強く郁美を抱きしめた。
「やったぁっ……!! ほんとうに、いいの!?」
 ぎゅうっと抱きしめられて、息が苦しいほどだ。
「はい、今、決めました」
 きっぱりそう言った郁美に、花園はくしゃりと笑って、ごしごし目を擦った。
「へへ……っ郁美と、結婚、かぁ……」
 擦った紅い目で笑う。
「うれしいな……夢じゃないかな」
 その目じりの涙が、照明の光を受けてきらりと光る。
 ――今もらった宝石よりも、その光に郁美の目は奪われた。
(もうっ、あざといのはどっちよっ)
 そう思いながらも、郁美は優しく微笑んで彼を抱きしめ、軽く背中を抓った。
「夢じゃないですよ、ほら、痛いでしょう」
「ほんとだ」
 抱きしめあいながら、二人は見つめあって、そして笑った。








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