完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます

小達出みかん

疲れて弱って傷ついて

郁美が秘書氏に案内されたのは、立派な邸宅の一室だった。そこで何があったのか数時間待たされ、また現れた彼は少し慌てていて、再び車に乗り込んだ時には、もう日はとっぷり暮れていた。彼は道路の路肩に車を止めては出て、また出発したかと思ったら止めて、を繰り返していた。様々な場所で、花園の居場所を探しているらしい。

「申し訳ありません中野様。あちこち連れまわしたあげく、こんなにお待たせしてしまって……」

 たしかにその通りだったが、秘書氏のあまりにもの恐縮ぶりに、郁美はとても怒る事などできなかった。

「いえ、大丈夫です。予定もなにもありませんし」

 弟にも、ちゃんと連絡をした。だから今日は遅くなってもかまわない。

「それで、今は花園さんの所に、向かっているんですよね?」

「はい。それが……私が席を外しています時、少しやっかいな方に捕まってしまったようで、どうも居場所がつかめなくて。今しらみつぶしに迎えに行っているんですが」

「あら……」

 彼が郁美を迎えに来ている間に、そんな事になっていたのか。郁美は申し訳ない気持ちになった。

「私も何か、お手伝いできるといいんですが。手分けして、探しましょうか」

「いえ、居るかもしれない場所のリストは、先ほど別の方から頂いたので……。そこにいてお待ちいただいているだけで、ありがたいです。中に人がいるだけで、駐車違反の予防になりますので」

 苦笑しながらそう言った彼は、また路肩に車を止めた。

「ふぅ……すみません。少し行ってきますね」

 郁美はうなずいた。そしてしばらくして、彼がゆっくりと歩いて戻ってきた。その肩には、花園がもたれかかっている。

(えっ、どうしたの? 具合が悪いとか……?)

 郁美は後部座席のドアを開け、自分は助手席に移動しようとした。が。その前に花園が後ろに転がりこむように乗り込んだ。

「わっ……大丈夫、ですか?」

 とりあえず手をかした郁美を見て、花園は顔をしかめるように瞬きした。その目の焦点が合っていない。

「あれ……おまえ、は?」

「出発しますよ」

 バタンとドアがしまって、車が発進した。郁美はあわててシートベルトを締めた。が、花園はやっとのことで座っている、といった感じで、ぐったりしていた。

「う……」

 花園が、気持ち悪そうな声を出した。

「平気ですか? 酔ってます……?」

 郁美はそう言ったが、秘書氏は冷静に言った。

「吐きそうだったら言ってくださいよ」

「ああ、大丈夫だ。よく……ここがわかったな」

「御父上の部下の方から、青山先生が良く行かれる店のリストが送られてきましたので」

「そうか……後で礼を言わなくちゃな」

 秘書は少しため息をついた。

「それにしても……あなたがここまで飲まされるとは」

「そういう人だ。とことん従うしかない。けど……」

 花園は苦し気ながらも、にっと笑った。

「これで、本店に新しい店を誘致できるかもしれない……。粘った甲斐があったよ」

 そう言って、花園は力尽きたように目を閉じて、かすかにうめいた。郁美は心配になって聞いた。

「吐きそうです? 平気ですか?」

「ああ、平気だ」

「あまり平気そうに見えませんが……一体何が」

 そう聞くと、花園はうっすら目を開けて郁美を見た。

「ただの……業務だ。それより、こちらの都合で長い時間待たせて悪かった。これから家まで送らせる、から」

 かすれた声に、上気した頬であえて事務的に話そうとする花園を見ると、郁美はなんともいえない気持ちになった。

(いつも嫌味ばかりのくせに……弱るとさすがにしおらしくなる、ってこと……?)

 しかし、その時車が止まった。ちらりと窓の外を見ると、近代的な門構えのモダンなマンションが、オレンジの灯りをともして堂々と建っていた。秘書氏が振り返る。

「もう着きましたよ、ほら」

「わかった……彼女を送ってくれ。その後は、三ツ矢も帰れ」

 秘書氏にそれだけ言って、彼は降りていった。郁美がいるからか、必死で平然を装って歩こうとするその様は、かえって危なげに見える。

「あ、あの、花園さん、ここでひとりで下ろして大丈夫ですかね……?」

 すると秘書氏は、肩をすくめた。

「これ以上は、プライベートに立ち入る事になってしまいますので。彼もそれは望まないでしょう。私には」

 彼は柔らかな声でそう断ったのち、意味ありげに郁美を見た。

(う、うーん……)

 郁美は再び窓の外を見た。遠ざかっていく花園の背中は、今までみた中で一番頼りなく、まるで普段の彼とは思えなかった。

(なんで……こんな時に限って、私に気遣いなんて見せるんだろう? そんなこと、されたら……)

 いつものように意地悪を言って罵ってくれれば、何の遠慮もなくここで帰れたのに。

 辛そうな花園の顔。肩代わりの借金。お弁当の代案……。様々なことが郁美の頭の中で、ぐるぐる回る。

 弱っている年下の男の子を見ると、どうしても弟の姿を重ねてしまう。辛い目にあって苦しんでいるのなら、なんとか助けてあげなければ。そんな気持ちが、郁美の中に理屈抜きで沸き上がる。

 頭をかかえる郁美に、秘書氏が声をかける。

「それで中野さん、お住まいはどちらですか?」

(ああ、もう! しょうがないなっ)

 郁美は破れかぶれで行って、ドアを開けた。

「大丈夫です、私もここで、おります!」

 マンションのガラス扉が開いて、花園がその中に消えていく瞬間に、なんとか郁美は走って追いついた。

「花園、さん……っ」

「な、んだ……? お前、帰ったんじゃ……」

 驚いたようにそう言う顔は、今まで見た事もないほど無防備だった。

 彼に毒がなければ、こちらも無駄に気を張らなくて済む。郁美は素直に言った。

「こんな倒れそうな人を、放っておけませんよ」

「え……」

「ほら、部屋に行きましょう。ちゃんと休むんです」

 さきほど秘書氏がしていたように、郁美は花園に肩を貸した。

「それに……お弁当の件、すみませんでした。これで、お詫びってことにしてください」

「は、は……殊勝だな」

 花園の部屋は5階にあった。ドアを開けると、広々としたフローリングの空間が出迎えてくれた。が、郁美はまず電気をつけて、寝室のベッドに彼を運んで、水を渡した。

「酔っているなら、とにかく水を飲むといいです。アルコールが薄まって、少し楽になりますから」

 郁美がそう言うと、花園はベッドの上で素直に水を飲み、ぱたんと横になった。閉じた瞼までも、少し紅い。

「ずいぶん大変な……お仕事だったんですね」

「いや……大したこと、ない。ただの会食、だ」

「偉い人と会っていたんですか?」

「ああ。大物だな。あの人が俺のほうについてくれれば……かなりデカイ勝ち札になるんだけど……」

「……勝ち? つく……?」

 その言葉の意味が、郁美にはよくわからなかった。花園は、誰かと戦っているのだろうか。

「そうさ……。本店の売り上げを、どうにかして上げる策を打ち出さないと……そのためなら、砂だって食ってやる。肝臓の一つや二つ、どうなったっていい……」

「どうして……そこまでして」

 郁美には理解しがたかった。だって彼は、御曹司なのだ。そんな血反吐を吐くような思いをしなくたって、裕福に暮らしていけるだろうに。

「どうしてって……それが、俺の役目だからだ……」

 そう言いながら、彼がまぶしげに目を腕で覆った。

「役目を果たさなきゃ、俺の居場所なんてない」

つぶやく声は小さかったが、重たく暗く、彼が何かに追い詰められている事を、郁美は感じた。彼の知られざる一面を垣間見てしまったような気がして、郁美は少し困惑した。

まぶしがる花園のために、電気を落とす。

「とりあえず、肝臓は一つしかないですよ……」

「そうだったっけか」

 そう言って、花園は腕を外して郁美を見た。熱を出した子供が母を求めるような、潤んだ目だった。郁美は観念して、彼の隣にそっと腰かけた。

 花園は、何一つ不自由などした事のない、恵まれた御曹司だとばかり思っていたが――。それはおそらく、見せかけの花園だったのだ。今見せたような顔を、花園は郁美や一斤屋の店員の前では、一切見せていなかった。花園が出張だ、会合だと言ってたびたび空けるのを、遊んでいるのだろうくらいに思っていた自分を、郁美は恥じた。

(私には、嫌な事を言ってくる、意地悪な人だけれど――)

 郁美の知らないところで、花園は郁美よりも辛い目に遭い、意地悪をされながら、必死に仕事に取り組んでいたのかもしれない。そのことに、郁美は今日初めて気が付いた。

「お仕事、頑張っていたんですね。お疲れ様です」

 郁美は横になった彼に、布団をかけてやった。

「何か欲しいものはありますか? コンビニに行って買ってきますよ」

 すると、花園は布団から手を出して、郁美の袖をつかんだ。 

「……朝まで、ここにいて」

 うすく閉じた目が、郁美をじっとうかがっている。見捨てられるんじゃないか、そんな不安げな目だった。

 花園は知る由もないが――郁美はこういった押しに、弱い。

 だから今までの事はいったん忘れて、郁美は穏やかに言った。

「わかりました。ここにいますから」

 すると花園は安心したように、目を閉じた。

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