嘘と微熱〜甘美な一夜から始まる溺愛御曹司の愛執〜

桜月海羽

三章 嘘の代償/二、鈍色の鎖【5】

お見合いから一週間が過ぎ、今夜は山重さんと食事に行くことになっていた。
お店は彼が予約してくれていて、退勤後に向かう予定だ。


父には山重さんから断りが入ったようで、父は昼休みに私を呼び出したかと思うと、上機嫌で『今夜は電話しない』なんて言っていた。
もしかしたら、私が彼のことを気に入ったとでも思っているのだろうか。
前向きな父や山重さんを見ていると、私の心だけが取り残されたまま事が進んでいて、これでいいとは思えないのに未だに自分の気持ちを言えない。


(やっぱりお父さんの言う通りにする方がいいのかな……)


山重さんは毎日メッセージをくれ、一度だけ電話もかかってきた。
連絡頻度に関して彼が無理強いしてくることはないけれど、私が送ったメッセージに対する返事はとても速い。
気遣いがありがたいのに申し訳なくて、罪悪感ばかりが大きくなる。
そんなことを考えていると待ち合わせ時間が迫っていることに気づき、途中だったメイク直しを急いで済ませ、すぐに会社を後にした。


お店は会社から徒歩五分ほどのところだと聞いている。
個室があるイタリアンバルで、駅と逆方向という立地から同僚とも顔を合わせずに済むだろう……という山重さんの配慮が行き届いたセレクトだった。
地図アプリのおかげで迷うこともなく、約束の時間に五分以上の余裕を残して間に合い、ホッと胸を撫で下ろす。


ウェイターに声をかけると、すぐに個室に案内された。
そこにはまだ彼の姿はなく、先にお手洗いを済ませておこうと席を立つ。化粧室の場所を確認して向かうと、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。


「だからさー、出世のためなんだって」


個室専門店ということもあってか、周囲はわりと静かだ。


「小さい会社でもお嬢様はお嬢様だろ? 兄と姉がいるから社長は無理だろうけど、重役の椅子は固いだろうし、次女は長女と違って大人しい性格だから別に結婚生活もどうにでもなるだろうし」


そんな中で、山重さんの声だと確信するのは簡単だった。


「今から食事なんだけど、適当に相手をしたらそっちに行くから。鈍そうなお嬢様だし、結婚後も関係を続けよう」


「俺が抱きたいのはお前だけだよ」と明るく話すのは、本当にあの彼だろうか。
半信半疑で角の向こうをそっと覗くと、そこには山重さんの姿があった。


落ち込まなかったわけじゃない。
彼が見せてくれた優しさも気遣いも自分の出世のためだったというのはショックだったけれど、不思議と傷つきはしなかった。


(よく考えれば、山重さんにも目的がある方がよかったのかもしれないよね……)


好きでもない人との結婚はできないと思った。
けれど、私はきっと父に巻きつけられた鎖からは抜け出せない。
だからといって、山重さんのようないい人を巻き込むのは余計に罪悪感が大きくなりそうだった。
ところが、彼にも自分のための目的があったのだ。


父のために自分の人生を諦めかけている私と、自分の出世のために私と結婚しようとしている山重さん。ふたりとも歪んだ心でこうしているのなら、お互い様だろう。


(私、すごくずるい……)


お見合いをした日からずっと罪悪感を抱いていたけれど、彼の本音を知ったことによって心のどこかで安堵した。
父たちが好青年だと太鼓判を押していた山重さんの本性を知り、本来なら落ち込むべきかもしれないのに……。それよりも、もう自分だけが悪者にならなくていいんだと思うと、途端に心が軽くなったのだ。


電話が終わった気配がして、慌てて個室に戻る。
私の前に現れた山重さんは、お見合いの日と同じように優しく笑っていたけれど、それが張り付けられた仮面だと知った今は心の中で苦笑が漏れる。
この夜、彼と食べた料理の味はなにひとつよくわからず、まるで砂を噛んでいるようだった。


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