嘘と微熱〜甘美な一夜から始まる溺愛御曹司の愛執〜

桜月海羽

三章 嘘の代償/二、鈍色の鎖【3】

「でも、そういうことならこれからは僕と話しましょう」
「え?」
「毎日ってわけにはいきませんが、ランチを一緒に摂りませんか? 会社で茉莉花さんと話す口実ができますし、お互いのことを知っていけますし、どうでしょう?」
「えっと……」


お見合いのことは、会社では伏せておくべきだと思う。
この先どうなるかわからないし、私はまだ前向きに考えられない。


「あっ……すみません、唐突すぎますよね」
「……私の方こそ、すみません」


お互いに謝罪を零し合い、気まずい雰囲気が流れる。


「正直に話しますね」


少しの間を置いて、山重さんが深呼吸をひとつし、そう前置きしてから続けた。


「僕は最初、社長から今回の話をいただいたとき、とても戸惑いました。仁科では普通の社員で、海外事業部はうちの肝いり部署と言われてますが、特に大きな実績もありません。そんな僕に茉莉花さんとの縁談なんて……と。荷が重いですし、今どき社長の娘とお見合いなんて……という気持もありました」


彼の本音に嫌味はなく、素直な気持ちで共感できる。小さく頷くと、真剣な表情を向けられた。


「でも、今日こうして茉莉花さんとお話してみて、僕はもっとあなたのことを知りたいと思いました。はっきり言うと、茉莉花さんとの未来を前向きに考えてます」
「え……?」
「ですが、茉莉花さんはこの縁談に対して前向きではありませんよね?」


予想外の言葉と、本心を見透かされたこと。
両方に戸惑って目を見開けば、山重さんは「わかりやすい人ですね」と笑う。


「今はそれで構いません。ですが、僕はあなたに選んでいただけるよう、精一杯努力します。ですから、まずはプライベートで食事に行きませんか? こんな素敵な料亭は無理ですが、もっと気楽に過ごせて料理もおいしいお店にお連れします」


明るく冗談めかした彼が、「会社でのランチはもっとあとからお誘いします」とにこやかに付け足す。
いい人で、いい人すぎて……。宙ぶらりんの気持ちのままこの場にいる自分が、とても情けなくて恥ずかしかった。


「急いで先に進もうなんて考えてません。茉莉花さんの心が追いつくまでゆっくり時間をかけたいと思ってます。だから、今日だけで判断しないでくれませんか?」


優しくて謙虚で、私に対する気遣いもある。
私のことを『いい意味で普通』と言ってくれた山重さんも、いい意味で普通の男性だと思う。父や兄たちから信頼されているため、彼の人柄も申し分ないに違いない。
それでも、心が動かないのは、オミくんのことばかり考えてしまうから……。
昨夜の電話で囁かれた彼の言葉が、ちっとも消えてくれないのだ。


「これ、おいしいですね。鱧でしょうか」


戸惑う私を慮るように、山重さんがサラッと話題を変えてくれる。
上手く笑えなかったけれど、私は相槌を打つように微笑み、ときおり繰り出される彼からの質問に答えながら箸を進めていく。
笑顔の山重さんを前に、罪悪感でいっぱいだった。彼はなにも悪くないからこそ、まるで鎖に縛られているような息苦しさに見舞われていた。

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