運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

14章:2.5m

 朝、早めに目が覚めたのに、直さんはもう出勤していた。
 直さんがいたであろう隣のシーツを触ってもそこは冷たくて、随分前にいなくなっていたことがわかる。時計を見たら、まだ5時前だ。

「相変わらず早いなぁ……」

 『付き合ってるんだし一緒のベッドに寝るのが当たり前だよね?』と言われて、真偽がわからないうちにそうさせられているのだが、結局私が先に寝て、私が後に起きているので、あまり一緒に寝ている実感はない。

 しかし、どういうわけだか朝起きるとキスマークが増えている。
 それを見ると、直接言われてなくても『好きだよ』『愛してる』って直さんの声が聞こえるみたいでいたたまれない。

 実際につけるときに言いながらつけられてそうだし、そういうことを当たり前にやるからかもしれない。
 なのに、それが嫌でなくて、むしろ嬉しいなんて思う自分がもっといたたまれない。

「あの人はほんと何やってんだ! 私も何だよ、嬉しいって! そんなこと思うから直さんがどんどん調子に乗るんだ!」

 叫んで頭をガシガシかいた。

 その日は仕事を定時まででこなして、帰りに亜依を探すために外科の方まで行くと、外科の医局の扉が開いていた。
 つい中を覗いてみると、直さんと廉がいて思わず立ち止まる。

 廉が直さんに何かの書類を渡しているのがチラリと見えた。

「これ、チェックお願いします」
「あぁ、前期研修レポ―トかぁ。他の研修医よりは厳しめに見るから覚悟しておいて」
「う……」
「まぁ、厳しく見てもよくできてるんだけどね。さすが廉だよ」

 直さんはそう言って微笑み、廉の頭をぐりぐり撫でる。
 廉はやめろよな、とブスっとしながらも諦めたようにされるがままになっていた。

 廉は直さんのこと、お兄ちゃんとしても医師としても認めているみたいだし、好きだと思う。だって、昔から廉は直さんのことが好きだし……。

 小さい頃、廉は直さんについて回ってた。
 考えてみればそんな廉に私もついて回ってたから、直さん大変だっただろうなぁ……と思うと笑ってしまう。

 やっぱり直さんは昔からみんなのお兄ちゃんなんだ。みんな頼りにしてて、優しいお兄ちゃん。

 前はみんなのお兄ちゃん、で終わってた感情が、今はそれも嬉しくて、なんだかカッコいいかも、なんて思ってるってことにも気付いてしまった。

(一体この短期間でどれだけ直さんを好きになってるんだよ……)

 自分で自分が恥ずかしくてたまらない。

 次に外科の永井先生が医局に戻ってくると、直さんは永井先生に紙の束を渡す。

「この論文、そのままでもいいと思いますが、少し検討してもいいかなってところに付箋で貼って赤入れしてます。もし修正されるようでしたら、また持ってきてくださればまた見ますね」
「お忙しいのに、ありがとうございました」
「いや、僕の勉強にもなりました。こちらこそありがとうございます」

 直さんは笑顔だけど、きびきび指示して、みんなに信頼されてる。

 家では発言も変だし、恥ずかしいことばかりしてくるのに。

 ――まるで全然違う人みたいだけど、病院の直さんも、家の直さんも同じ人で、私の好きな人なんだよなぁ。


 そんなことを考えてまた自分で自分が恥ずかしくなっていると、

「直先生、論文チェックまで抱え込んでるのね。身体いくつあるんだろう。大変なのに、なんかものすごく機嫌いいし……」
と後ろから声をかけられた。

 振り向くと亜依が立っていた。
「……あ、亜依」

 亜依は直さんの方を見ると、やっぱりかっこいいわよねぇ、とうっとりした声で言っている。

(い、言わなきゃ! 私は直さんが好きで、一緒に暮らしてるって!)

 私は自分の手を握り締めると、亜依を見つめた。

「あ、あのね! 今日時間ないかな? 話したい事がある」
「うん? いいけど……」

 亜依が頷いたその時、あちらから看護師が慌てた様子で走ってきて医局の中の直さんの方まで行った。

「直先生! 指田さんの腹部大動脈瘤のオペで、患者さんが原因不明のショック状態で真岡先生が直先生呼んでほしいと。申し訳ありませんがお願いできませんかっ」
「うん、すぐ行く」

 直さんが飛び出すや否や、亜依も、

「先生、私も行きます! ごめん、よもぎ。また今度でいい?」
「うん、もちろん」

 私は頷き、2人の背中が見えなくなるまで見送っていた。
 2人の後姿が見えなくなると、小さく息を吐く。

「今更だけど、直さんって想像以上に忙しそうだなぁ」

 前も職場は病院だったし、姉も医師、幼馴染の矢嶋3兄弟も医師だから、医師という存在自体は、私にとっては割と身近なものだった。

 だけど、直さんはその中でもとびぬけて忙しそうだ。

 朝も早いし、夜は遅い。病院では、副院長、外科医、救急医という役割を飄々とこなしているが、松井さんや亜依も言うように、その仕事量は膨大だ。

 なのに、病院でも家でも疲れた顔一つしないし……弱音を吐くのも聞いたことがない。

 ――直さんが本音を話して、ゆったりできる場所に自分がなれたらなぁ……。

 でも、私は直さんにしてもらってばかりで、何か直さんにできたことはない。
 そんなことを考えると、なんだか落ち着かなくなった。

 帰ってからなんとなく唐揚げをひたすらに揚げていた。
 私は昔から唐揚げが大好きで、食べるのも、作るのも好きなのだ。ちなみに大好きすぎて、一番最初に作った料理が唐揚げだったりする。

 とはいえ、直さんは帰ってくるのは遅いだろうし、深夜に揚げ物と言うのもどうだろうか……と考え、軽く食べられる物も何品か作っておいた。

 作り出したら楽しくて、作り置きにもなるからどんどん作っていて、いつの間にか時間が過ぎるのも忘れていた。

 気付いたら深夜になっている。そして、後片付けが落ち着いた頃、直さんが帰ってきた。

「おかえりなさい!」

 私はエプロンをしたまま、玄関まで直さんを迎えに行っていた。
 すると直さんは私を見るなり、なぜか口元を手で覆う。

「……かわいい」
「はい?」
「あ、ごめん。本音が漏れた。ただいま」

 そう言って、いきなり抱きしめられる。
 そのままキスをしてその場で脱がされそうだったので、慌てて手を突っぱねると、抱き上げられた。

 リビングまで連れていかれて、ソファに下ろされると、のしかかられてキスをされながら服に手をかけられる。

「んっ……! ちょっ! な、直さん! 今日、疲れてるでしょ! 何でそんなにすぐ脱がせるんですか!」

 私が慌てて言うと、直さんは私の顔を見て、不思議そうに首を傾げる。
 それから、真っ直ぐ私を見つめると、本気で悲しそうな目で訴えかけてきた。

「だめ? よもぎに触れた方が、疲れは取れるんだけどな……」

「うぐぅっ……!」

(そんな悲しそうな目でまっすぐ私を見ないで!)

 言葉に詰まった私を、直さんは微笑んで見たと思ったら、もう一度キスを交わして、少し緩んだ唇から舌を差し入れた。それから舌を絡ませながら、身体に触られる。

「んっ! あ、ちょっ……ぁっ!」

(この人、全然休む気ないな!)

 そんなことに少々むっとしながら、私はない知恵を絞って一生懸命考えた。
 直さんをどうすれば休ませられるのか……と。

「待って、まって。直さん……あの……お風呂! お風呂入って!」

 私が叫ぶと、直さんの動きがぴたりと止まって心底申し訳なさそうな顔をする。

「臭い? ごめん、今日一日汗かいてそのままだから……」

 私は慌てて手を横に振った。

「ちがっ! 違います! 直さんのその頑張ってきた匂いは好きなんですけど……んんっ!?」

 何故かまたキスされて、唇を嬉しそうにペロリと舐められる。

(おい、なんでキスした! 舐めた!)

 そう思ったらぎゅう、と抱きしめられる。

「……もう、いちいちかわいすぎる」
「訳わかんないこと言ってないで! 私は、直さんにゆっくりお風呂入ってご飯食べて、少しでも寝てほしいだけなの!」

 私は頬を膨らませて叫ぶ。
 すると直さんは嬉しそうに目を細めた。それから私の頬を撫でる。

「そっか……ありがとう。でも大丈夫だよ? 僕は体力は結構ある方だから」
「……い、いくら体力あるって言ったって、直さん、お休みも土曜だけだったでしょ? 土曜もバーベキューでみんなをねぎらってたし。普段は仕事仕事でずっといないし……。これでもちょっとは心配してるんですから……」

 最後の方はなんだか恥ずかしくなってきて、自分の指を触りながら言う。

 すると、直さんは分かってくれたのか私の頭をぽんぽんと叩き、微笑んだ。

「うん。じゃ、お風呂入ろうかな」
「ほんとですか!?」

(やっとわかってくれたのね!)

 私が嬉しくてそう言うと、直さんは私の手を掴む。
 そして何故だかまた抱き上げられた。

「うん、よもぎも一緒にね」

(それは思ってたのと違う!)

「そ、そういうことじゃないんですけど!」
「そうだ。洗い合いっこしようか。そしたら疲れなんて吹っ飛びそう」

 そう言いながら直さんは笑って、私を抱いたまま勢いよくずんずんと歩き出す。

「勝手に変なこと決めるなぁあああ……!」

 私の声が室内をこだましたころには、すべて直さんの思い通りにコトは運ばれていた。


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