運命の赤い糸が引きちぎれない
12章:5m②
――しっかり検討しておいて。僕は夜勤明けでもいつでも……よもぎを抱きたいって思ってるし、いつでも大歓迎だからね。
「って、そんなの決断できるか! こっちは20年以上片思いした男に告白すらロクにできなかった女だぞ! 直さんのバカぁぁああああああ!」
私は部屋に戻るなり、直さんの言葉を思い出して、叫んでいた。
私はバーベキューのあと、一緒に帰るのもまずいので誰よりも先にこっそり帰ってきていたのだ。
部屋の中を一人でウロウロする。
落ち着こうと思うのだけど、全く落ち着けない。
「いや、そもそもなんで直さんと最後までする前提なんだ。いっそ今すぐ糸を引きちぎって逃げ出したい」
私はそう呟いて、自分の言葉を反芻する。「……そうか! 初心にかえる! そうすればいいんだ!」
(すっかり忘れていたけど、いっそ糸を切ればいいんだ! それで逃げて、もう私は誰とも恋愛しないままのんびりと余生を過ごせばいい……!)
そう叫んで思った瞬間、
「何が『そうすればいいんだ!』なの? どうしてそう、すぐに逃げる方向に行くのかなぁ」
「ふぉっ!」
直さんの声が聞こえて、私の身体は数センチ跳ねた。
振り返ると、やっぱり直さんがいる。あからさまにため息をついて……。
「なんで!? 聞いてたんですか!」
「さすがにこれは読唇術じゃなくても聞こえた」
直さんはそう言い、私の前まで歩いてくる。
直さんの手があがって、びくりと身体を震わせると、するりと頬を撫でられた。
「人の言葉にいちいち本気で動揺して、かわいいよね。まったく。廉がからかう気持ちがよくわかるよ」
その手の温度が思った以上に冷たくて、私は直さんを見上げる。
そして冷たいまなざしを向けられ、私は慌てて口を開いた。
「……な、ななななな直さん! きょ、今日、仕事は?」
「さすがに少しでも飲んだ後は、ね。今日はちゃんと休みとってるから」
「っていうか、そうなら! なんであんなところでキスなんてしたんですか! 休みなら、うちでいつでもできるじゃないですか!」
(さっきの外でキスされた緊張感を返せ!)
そう思って言ったけど、すぐに自分の失言に気づき口を手で覆うと、直さんは目を細める。
「ふうん。うちならいつでもしていいんだ?」
「そ、そうじゃなくて!」
そのまま自分の口を塞いでいた手を取られ、その手にキスをされる。
「ひゃっ……!」
慌てて直さんの方を見ると、その真剣な顔に、目に、心臓がおかしなほど脈打って、思わず目をそらせてしまった。
なのに直さんはさらに追い詰めるように口を開く。
「誰も見てないから、たくさんキスさせて」
私はふるふると首を横に振った。
おかしなくらい心臓がドクドクと言っている。
(ここでたくさんキスされたら、心臓が一生分拍動して死んでしまう!)
「ほ、ほんと、ご、ごめんなさい! もう勘弁してください。もういろいろとキャパオーバーなんです!」
「だめ」
直さんが無情にもそう言ったと思ったら、唇が重なった。
――それから数分後。
「本当に広いんですねぇ!」
部屋に入ってくるなり、そうはしゃいだのは亜依だ。
亜依に続いて、廉まで入ってくる。
そう。あれから一回キスしてすぐ、廉と亜依が直さんの部屋に突撃訪問してきたのだ。
「でもびっくりした。よもぎがいるなんて」
亜依が言って、直さんが
「実はよもぎは……」と言いかけたのを、私は慌ててかぶせる。
「実は! 私、ここで家事とかしてるの! 直さんほら、独り身だからっ!」
「……」
急に黙り込んだ直さんの目線が痛い。
私は顔を極限まで直さんからそらす。
「へぇ、そうなの?」
「うん! そう! ほんといくら昔から知ってるからって、遠慮ないよね!」
私がそう言って何度もこくこくと頷くと、亜依は安心したように息を吐く。
それから亜依は直さんの方を見ると、かわいく微笑んだ。
「よければ私がしますよ? 私、家事も得意なんで」
「それは遠慮しておくよ」
「でも、一回くらい私の料理食べてみてくださいよぉ」
直さんは苦笑して返事をしているが、亜依はなおも攻めている。
そんな二人を横目で見ながら、私はそそくさとキッチンに走った。
コーヒーを淹れていると、廉が私の隣に立つ。
私はじとっと廉を睨んだ。
廉が居心地悪そうにポリポリと頰を掻く。
「お前、そんな目をするなよ。亜依がどうしても行きたいって言って仕方なかったんだ。今日なら間違いなくいるだろ?」
「ふうん。まぁ、あのままだと心臓もたなさそうだったから助かったけど……」
「あのままって?」
「いや……えっと、なんでもない」
私が言うと、次は廉にジトっと見られた。
その後、直さんと亜依に目を向けた廉が、
「ところで、直、なんか怒ってない?」
と耳元で小声で言った。
私も直さんを見てみたが、直さんはいつもどおりのお兄さんスマイルで、亜依に接している気がする。というか、いつもより笑顔が多い気すらする。
「そう? 若い子に言い寄られて、喜んでるんじゃないの」
私はそれを見て、頬を膨らませていた。
(まぁ、普通の男の人なら、亜依にあれだけ言い寄られたら嬉しいよね)
私には嬉しそうに見えていたけど、廉は首を傾げた。
それから息を吐くと口を開く。
「何にしても、直は推しに弱そうだし、実際押しには弱いし、取られるのは時間の問題だな」
「っ……!」
(私もそう思ったけど! そんなはっきり言わなくても!)
「お前さ、今度こそはっきり伝えてるの?」
「へ? な、何が……」
「自分の気持ち」
「……」
私が思わず黙り込むと、廉が私の方を見てにやりと笑う。
「そんなことだろうと思った」
「だ、だって……そんなの私にはハードルが高すぎるもん」
こと恋愛に関しては、本音を出さないようにしすぎて、いつのまにか本音なんて出せなくなっていた。
(それに直さんをこの力に巻き込むことも分かってるのに言えるはずないじゃない……!)
「伝えられないなら、やっぱりそれほど好きじゃないんだよ」
はっきりそう言われて、私が涙目になった時、
「二人とも、何、立ち話してるの?」
耳元で低い声が聞こえて、私と廉は二人で飛び上がった。
「音も立てずに移動してくるなよ!」
「ひゃっ! わ、べ、べつに何もないから!」
2人で慌てて言うと、直さんがニコリと笑う。
それからコーヒーを4人分出すのを手伝ってくれた。
それから4人でコーヒーを飲み、コーヒーが飲み終わるより前、直さんが口を開いた。
「ごめん。まだ、しなきゃいけないことがあるんだ。そろそろお開きにしてもいいかな?」
(もしかして仕事だろうか?)
私は首を傾げ、
「あ、すみません。失礼しました。そろそろ行きますね。また明日、病院で」
亜依も慌ててそう言うと、席を立つ。
「じゃ、私も一緒に」
私も席を立とうとすると、ガシリと手首を掴まれた。
え……と思って掴んだ人物を見てみると、直さんがニッコリした笑顔で言う。
「よもぎはちょっと残ってくれるかなぁ?」
「えぇ……」
「返事は?」
「……は、はい」
目だけは笑っているのに、まったく否定を許さない声色。
掴まれた手首も一ミリも動かせない。
――あれぇ……? ほ、本当に何か怒ってる……?
どこに帰るつもりでもなかったけど、この場に残ったことはやっぱり失敗だったかも。
廉にすがりついてでも一緒に部屋から出ておけばよかった。
静かな室内に二人。私の背中には冷たい汗が流れていた。
だって直さん、何も言わないし……。
空気がとっっっっても重い!
「……どういうこと?」
直さんがやっと口を開いたと思ったら、それだけぶっきらぼうに言った。
「どういうって……」
「佐久間さんが僕に興味を持ってくれてるのはよく分かるけど、そんな相手になんで、僕とよもぎが何でもない風に装うわけ?」
直さんの目が私を刺すように見つめる。
(直さん、亜依の好意にも気づいていたんだ……)
「そ、それは……」
「よもぎと暮らしてるし、よもぎを愛してるって、すぐに言おうかと思ったよ」
「ちょっ! 待って! 待って! それは……いや、暮らしてるっていうのは……じ、自分で言いますからっ!」
私が慌てて言うと、直さんは目を細めて私を見て、きっぱりと言う。
「優柔不断なよもぎに任しておいたら、いつまでも言わないだろうから僕が言う」
「だめぇ!」
(変な言い方されたくない! 亜依は私の友達だし、傷つけたくない)
直さんは一つため息をついて口を開く。
「とりあえずよもぎに任せるけど、一週間たっても言えないようなら僕から言う」
「一週間って……!」
(短すぎない?)
直さんは慌てる私をまっすぐ見つめた。
真剣な眼差しで……。
「あのね、こういうのは先延ばしにしないほうがいいの。それに、今回の件は僕だって傷ついた」
「……え?」
「よもぎは、僕と佐久間さんをくっつけようとしてるのかと思って傷ついた」
私をまっすぐ見て、辛そうな顔で、声で、直さんが言う。
(私の態度のせいでこの人を傷つけたんだ……)
それに気づくと、胸が痛んだ。
「そんな……そんなこと、……ないです」
「本当にない?」
そう問われて、私は少しして頷く。
そんな私を見た直さんが苦笑して言った。
「うーん、この手はあまり使いたくないんだけど……。ま、今さらか」
「はい?」
直さんは私の唇にそっと口づけて、それから私の髪を撫でる。
そして私の目をじっと見つめた。
「よもぎ。いい子だから、もう少し素直になってよ。よもぎの素直な今の気持ちを僕は知りたい」
(素直な気持ち……)
――今度こそはっきり伝えてるの? 自分の気持ち。
――伝えられないなら、やっぱりそれほど好きじゃないんだよ。
廉の言葉が頭をよぎる。
(違うの……)
私は、直さんが好き。
ちゃんと好きになってる。
でもこれは、私の知ってる恋愛じゃなくて。
いつだって一緒にいると心臓が破裂しそうで。
これ以上、自分の知らない場所に踏み込むのが怖かった。
「……私は、ずっと廉に片思いしかしてなかったから、恋愛はなにもわからないんです」
「……うん。それで?」
そう優しく問われて、その声に私の口は勝手に動き出す。
「キスだってそれ以上だって、好きな人とすることなんてないと思ってたし。だから絶対無理です! キスだけでも、なんなら、直さんの顔見るだけでももうドキドキして無理です! こんな状態でなにも言えるはずも、できるはずもないでしょ!」
いつの間にか頭がぼーっとなって叫んでいた。
それから、正気に戻ってガバリと顔を上げると、自分の頭をガシガシ掻く。
(ちょ、ちょっと待って! 私は一体、今、何を言った!?)
「わ、私は何を言ってるんだ……! やっぱり外に行って頭冷やしてきます!」
「待ってよ」
直さんに手を掴まれる。
恥ずかしくて泣きそうになって直さんを見上げると、直さんは目を細めて私を見た。
「そんなこと思ってるなんて、それは予想以上だった。思った以上にくるね……」
「どういう意味ですか……」
それから頬を撫でられ、キスをされる。
それから額をくっつけて、直さんは微笑む。
「僕はよもぎが好きだし、愛してる。いつだってキスしたいし、もちろん、それ以上もしたいよ」
そう言って、突然、ひょいとお姫様抱っこをされる。
「さ、よもぎの気持ちも分かったし、先に進もうか」
(先って……。まさか、まさか……!)
直さんが歩きながら微笑んで私を見る。
私の思っていることは当たってるよ、とでもいうように。
「ちょっ! し、仕事は?」
「仕事?」
「『しなきゃいけないことがある』って言ってました!」
「あぁ、それは、今日一日、廉と仲良く話していたよもぎにオシオキしようかなぁって思っただけ」
「なにそれ! こわっ……! 怖すぎる……!」
「でもよもぎの気持ちが予想以上で嬉しかったからさ。オシオキじゃなくて、気持ちいいことに変えるね」
「どっちにしても怖い!」
(そんなのニッコリと笑って言う事じゃない!)
私が暴れても、直さんは楽しそうに笑っているだけで、下ろしてくれる気配はない。
私は泣きそうになって、むしろ泣いて、直さんに許しを乞う方向にシフトした。
「ごめんなさい! 無理! 無理ですからっ! きょ、今日、け、検討しておいてって言ったじゃないですか! なんで、こんなすぐ……今日じゃなくても……!」
(心の準備も身体の準備も何にもできておりませんよ! ダイエットもしてないし!)
気付いたらもう直さんの部屋。
ベッドの上まで連れていかれて、下ろされた。
直さんが上からのしかかって、頬にかかった私の髪を退かす。
「僕はね、こういうタイミングは逃したくないんだ」
目の前でそう言う直さんは、熱を孕んだギラギラした目をしていた。
***
「ふぁっ……! んっ……!」
さっきから身体が熱い。
全部脱がされているのに、全部が熱いのだ。
口づけられる場所から熱をもって、さらに身体が跳ねる。
そうなると直さんは喜んでもっと追い詰めるように舌を這わせる。
「んっ……! も、やっ……!」
「大丈夫、すぐに最後まではしないから」
「ど、どういう意味……ですかぁ!」
他の人に見られたこともない場所も、触られたことのない場所も、全部暴かれる。
恥ずかしくて泣いてもやめる気はないと言うように、何度も高みに追いやられた。
自分がはくはく息を吐く音が耳を通って、直さんの声も切れ切れにしか聞こえない。
「……って、来週、約束ね」
「な、なにが? んっ……!」
「約束してくれないと、やめない」
「んっ、わかった! わかったからぁ! 約束! 約束するっ!」
「ありがと、よもぎ」
ちゅ、と汗の流れる額に口付けられて、手が緩められ、ほっとした。
なのに、次にするりと手に指を絡められ、目の前で優しく微笑まれると、胸がぎゅうと掴まれて、目の前の人がやけに愛しくなる。なぜか、欲しい、なんて思う。
「……直さん」
「うん、なに?」
「キスしてください……」
呟いた言葉は、懇願に近かった。
直さんはにっこりと微笑むと、
「でも、僕は今キスしてしまうと、キスだけでやめられそうにないなぁ……」
その言葉に絶望した気分になる。
さっきまで散々触られ、その気持ちよさに泣かされ、もうこれ以上あの感じを覚えたくないと本気で思っていた。だけど、今、どうしてもキスしてほしくてたまらない。
いつの間にか、握られている手を強く握り返していた。
「そ、それでもキスしてっ……」
叫んだ言葉を聞き終わらないうちに、直さんは分かっていたように唇を重ねる。
それから、先ほどよりもさらに私の身体も、心も、追い詰める。何度も何度も、空が白み始めるまで。
「な、直さん……! んんっ! もっ、だめ! もう、限界ぃ……! 限界なの!」
「そっか」
目の前で直さんが微笑む。そして続けた。
「分かっててよもぎがキスしてって言ったんだから、その限界を超えてみようね」
「鬼……!」
直さんはその言葉通り、思ってた限界を何度も超えさせ、私に知らない景色を何度も見せ続けた。
「って、そんなの決断できるか! こっちは20年以上片思いした男に告白すらロクにできなかった女だぞ! 直さんのバカぁぁああああああ!」
私は部屋に戻るなり、直さんの言葉を思い出して、叫んでいた。
私はバーベキューのあと、一緒に帰るのもまずいので誰よりも先にこっそり帰ってきていたのだ。
部屋の中を一人でウロウロする。
落ち着こうと思うのだけど、全く落ち着けない。
「いや、そもそもなんで直さんと最後までする前提なんだ。いっそ今すぐ糸を引きちぎって逃げ出したい」
私はそう呟いて、自分の言葉を反芻する。「……そうか! 初心にかえる! そうすればいいんだ!」
(すっかり忘れていたけど、いっそ糸を切ればいいんだ! それで逃げて、もう私は誰とも恋愛しないままのんびりと余生を過ごせばいい……!)
そう叫んで思った瞬間、
「何が『そうすればいいんだ!』なの? どうしてそう、すぐに逃げる方向に行くのかなぁ」
「ふぉっ!」
直さんの声が聞こえて、私の身体は数センチ跳ねた。
振り返ると、やっぱり直さんがいる。あからさまにため息をついて……。
「なんで!? 聞いてたんですか!」
「さすがにこれは読唇術じゃなくても聞こえた」
直さんはそう言い、私の前まで歩いてくる。
直さんの手があがって、びくりと身体を震わせると、するりと頬を撫でられた。
「人の言葉にいちいち本気で動揺して、かわいいよね。まったく。廉がからかう気持ちがよくわかるよ」
その手の温度が思った以上に冷たくて、私は直さんを見上げる。
そして冷たいまなざしを向けられ、私は慌てて口を開いた。
「……な、ななななな直さん! きょ、今日、仕事は?」
「さすがに少しでも飲んだ後は、ね。今日はちゃんと休みとってるから」
「っていうか、そうなら! なんであんなところでキスなんてしたんですか! 休みなら、うちでいつでもできるじゃないですか!」
(さっきの外でキスされた緊張感を返せ!)
そう思って言ったけど、すぐに自分の失言に気づき口を手で覆うと、直さんは目を細める。
「ふうん。うちならいつでもしていいんだ?」
「そ、そうじゃなくて!」
そのまま自分の口を塞いでいた手を取られ、その手にキスをされる。
「ひゃっ……!」
慌てて直さんの方を見ると、その真剣な顔に、目に、心臓がおかしなほど脈打って、思わず目をそらせてしまった。
なのに直さんはさらに追い詰めるように口を開く。
「誰も見てないから、たくさんキスさせて」
私はふるふると首を横に振った。
おかしなくらい心臓がドクドクと言っている。
(ここでたくさんキスされたら、心臓が一生分拍動して死んでしまう!)
「ほ、ほんと、ご、ごめんなさい! もう勘弁してください。もういろいろとキャパオーバーなんです!」
「だめ」
直さんが無情にもそう言ったと思ったら、唇が重なった。
――それから数分後。
「本当に広いんですねぇ!」
部屋に入ってくるなり、そうはしゃいだのは亜依だ。
亜依に続いて、廉まで入ってくる。
そう。あれから一回キスしてすぐ、廉と亜依が直さんの部屋に突撃訪問してきたのだ。
「でもびっくりした。よもぎがいるなんて」
亜依が言って、直さんが
「実はよもぎは……」と言いかけたのを、私は慌ててかぶせる。
「実は! 私、ここで家事とかしてるの! 直さんほら、独り身だからっ!」
「……」
急に黙り込んだ直さんの目線が痛い。
私は顔を極限まで直さんからそらす。
「へぇ、そうなの?」
「うん! そう! ほんといくら昔から知ってるからって、遠慮ないよね!」
私がそう言って何度もこくこくと頷くと、亜依は安心したように息を吐く。
それから亜依は直さんの方を見ると、かわいく微笑んだ。
「よければ私がしますよ? 私、家事も得意なんで」
「それは遠慮しておくよ」
「でも、一回くらい私の料理食べてみてくださいよぉ」
直さんは苦笑して返事をしているが、亜依はなおも攻めている。
そんな二人を横目で見ながら、私はそそくさとキッチンに走った。
コーヒーを淹れていると、廉が私の隣に立つ。
私はじとっと廉を睨んだ。
廉が居心地悪そうにポリポリと頰を掻く。
「お前、そんな目をするなよ。亜依がどうしても行きたいって言って仕方なかったんだ。今日なら間違いなくいるだろ?」
「ふうん。まぁ、あのままだと心臓もたなさそうだったから助かったけど……」
「あのままって?」
「いや……えっと、なんでもない」
私が言うと、次は廉にジトっと見られた。
その後、直さんと亜依に目を向けた廉が、
「ところで、直、なんか怒ってない?」
と耳元で小声で言った。
私も直さんを見てみたが、直さんはいつもどおりのお兄さんスマイルで、亜依に接している気がする。というか、いつもより笑顔が多い気すらする。
「そう? 若い子に言い寄られて、喜んでるんじゃないの」
私はそれを見て、頬を膨らませていた。
(まぁ、普通の男の人なら、亜依にあれだけ言い寄られたら嬉しいよね)
私には嬉しそうに見えていたけど、廉は首を傾げた。
それから息を吐くと口を開く。
「何にしても、直は推しに弱そうだし、実際押しには弱いし、取られるのは時間の問題だな」
「っ……!」
(私もそう思ったけど! そんなはっきり言わなくても!)
「お前さ、今度こそはっきり伝えてるの?」
「へ? な、何が……」
「自分の気持ち」
「……」
私が思わず黙り込むと、廉が私の方を見てにやりと笑う。
「そんなことだろうと思った」
「だ、だって……そんなの私にはハードルが高すぎるもん」
こと恋愛に関しては、本音を出さないようにしすぎて、いつのまにか本音なんて出せなくなっていた。
(それに直さんをこの力に巻き込むことも分かってるのに言えるはずないじゃない……!)
「伝えられないなら、やっぱりそれほど好きじゃないんだよ」
はっきりそう言われて、私が涙目になった時、
「二人とも、何、立ち話してるの?」
耳元で低い声が聞こえて、私と廉は二人で飛び上がった。
「音も立てずに移動してくるなよ!」
「ひゃっ! わ、べ、べつに何もないから!」
2人で慌てて言うと、直さんがニコリと笑う。
それからコーヒーを4人分出すのを手伝ってくれた。
それから4人でコーヒーを飲み、コーヒーが飲み終わるより前、直さんが口を開いた。
「ごめん。まだ、しなきゃいけないことがあるんだ。そろそろお開きにしてもいいかな?」
(もしかして仕事だろうか?)
私は首を傾げ、
「あ、すみません。失礼しました。そろそろ行きますね。また明日、病院で」
亜依も慌ててそう言うと、席を立つ。
「じゃ、私も一緒に」
私も席を立とうとすると、ガシリと手首を掴まれた。
え……と思って掴んだ人物を見てみると、直さんがニッコリした笑顔で言う。
「よもぎはちょっと残ってくれるかなぁ?」
「えぇ……」
「返事は?」
「……は、はい」
目だけは笑っているのに、まったく否定を許さない声色。
掴まれた手首も一ミリも動かせない。
――あれぇ……? ほ、本当に何か怒ってる……?
どこに帰るつもりでもなかったけど、この場に残ったことはやっぱり失敗だったかも。
廉にすがりついてでも一緒に部屋から出ておけばよかった。
静かな室内に二人。私の背中には冷たい汗が流れていた。
だって直さん、何も言わないし……。
空気がとっっっっても重い!
「……どういうこと?」
直さんがやっと口を開いたと思ったら、それだけぶっきらぼうに言った。
「どういうって……」
「佐久間さんが僕に興味を持ってくれてるのはよく分かるけど、そんな相手になんで、僕とよもぎが何でもない風に装うわけ?」
直さんの目が私を刺すように見つめる。
(直さん、亜依の好意にも気づいていたんだ……)
「そ、それは……」
「よもぎと暮らしてるし、よもぎを愛してるって、すぐに言おうかと思ったよ」
「ちょっ! 待って! 待って! それは……いや、暮らしてるっていうのは……じ、自分で言いますからっ!」
私が慌てて言うと、直さんは目を細めて私を見て、きっぱりと言う。
「優柔不断なよもぎに任しておいたら、いつまでも言わないだろうから僕が言う」
「だめぇ!」
(変な言い方されたくない! 亜依は私の友達だし、傷つけたくない)
直さんは一つため息をついて口を開く。
「とりあえずよもぎに任せるけど、一週間たっても言えないようなら僕から言う」
「一週間って……!」
(短すぎない?)
直さんは慌てる私をまっすぐ見つめた。
真剣な眼差しで……。
「あのね、こういうのは先延ばしにしないほうがいいの。それに、今回の件は僕だって傷ついた」
「……え?」
「よもぎは、僕と佐久間さんをくっつけようとしてるのかと思って傷ついた」
私をまっすぐ見て、辛そうな顔で、声で、直さんが言う。
(私の態度のせいでこの人を傷つけたんだ……)
それに気づくと、胸が痛んだ。
「そんな……そんなこと、……ないです」
「本当にない?」
そう問われて、私は少しして頷く。
そんな私を見た直さんが苦笑して言った。
「うーん、この手はあまり使いたくないんだけど……。ま、今さらか」
「はい?」
直さんは私の唇にそっと口づけて、それから私の髪を撫でる。
そして私の目をじっと見つめた。
「よもぎ。いい子だから、もう少し素直になってよ。よもぎの素直な今の気持ちを僕は知りたい」
(素直な気持ち……)
――今度こそはっきり伝えてるの? 自分の気持ち。
――伝えられないなら、やっぱりそれほど好きじゃないんだよ。
廉の言葉が頭をよぎる。
(違うの……)
私は、直さんが好き。
ちゃんと好きになってる。
でもこれは、私の知ってる恋愛じゃなくて。
いつだって一緒にいると心臓が破裂しそうで。
これ以上、自分の知らない場所に踏み込むのが怖かった。
「……私は、ずっと廉に片思いしかしてなかったから、恋愛はなにもわからないんです」
「……うん。それで?」
そう優しく問われて、その声に私の口は勝手に動き出す。
「キスだってそれ以上だって、好きな人とすることなんてないと思ってたし。だから絶対無理です! キスだけでも、なんなら、直さんの顔見るだけでももうドキドキして無理です! こんな状態でなにも言えるはずも、できるはずもないでしょ!」
いつの間にか頭がぼーっとなって叫んでいた。
それから、正気に戻ってガバリと顔を上げると、自分の頭をガシガシ掻く。
(ちょ、ちょっと待って! 私は一体、今、何を言った!?)
「わ、私は何を言ってるんだ……! やっぱり外に行って頭冷やしてきます!」
「待ってよ」
直さんに手を掴まれる。
恥ずかしくて泣きそうになって直さんを見上げると、直さんは目を細めて私を見た。
「そんなこと思ってるなんて、それは予想以上だった。思った以上にくるね……」
「どういう意味ですか……」
それから頬を撫でられ、キスをされる。
それから額をくっつけて、直さんは微笑む。
「僕はよもぎが好きだし、愛してる。いつだってキスしたいし、もちろん、それ以上もしたいよ」
そう言って、突然、ひょいとお姫様抱っこをされる。
「さ、よもぎの気持ちも分かったし、先に進もうか」
(先って……。まさか、まさか……!)
直さんが歩きながら微笑んで私を見る。
私の思っていることは当たってるよ、とでもいうように。
「ちょっ! し、仕事は?」
「仕事?」
「『しなきゃいけないことがある』って言ってました!」
「あぁ、それは、今日一日、廉と仲良く話していたよもぎにオシオキしようかなぁって思っただけ」
「なにそれ! こわっ……! 怖すぎる……!」
「でもよもぎの気持ちが予想以上で嬉しかったからさ。オシオキじゃなくて、気持ちいいことに変えるね」
「どっちにしても怖い!」
(そんなのニッコリと笑って言う事じゃない!)
私が暴れても、直さんは楽しそうに笑っているだけで、下ろしてくれる気配はない。
私は泣きそうになって、むしろ泣いて、直さんに許しを乞う方向にシフトした。
「ごめんなさい! 無理! 無理ですからっ! きょ、今日、け、検討しておいてって言ったじゃないですか! なんで、こんなすぐ……今日じゃなくても……!」
(心の準備も身体の準備も何にもできておりませんよ! ダイエットもしてないし!)
気付いたらもう直さんの部屋。
ベッドの上まで連れていかれて、下ろされた。
直さんが上からのしかかって、頬にかかった私の髪を退かす。
「僕はね、こういうタイミングは逃したくないんだ」
目の前でそう言う直さんは、熱を孕んだギラギラした目をしていた。
***
「ふぁっ……! んっ……!」
さっきから身体が熱い。
全部脱がされているのに、全部が熱いのだ。
口づけられる場所から熱をもって、さらに身体が跳ねる。
そうなると直さんは喜んでもっと追い詰めるように舌を這わせる。
「んっ……! も、やっ……!」
「大丈夫、すぐに最後まではしないから」
「ど、どういう意味……ですかぁ!」
他の人に見られたこともない場所も、触られたことのない場所も、全部暴かれる。
恥ずかしくて泣いてもやめる気はないと言うように、何度も高みに追いやられた。
自分がはくはく息を吐く音が耳を通って、直さんの声も切れ切れにしか聞こえない。
「……って、来週、約束ね」
「な、なにが? んっ……!」
「約束してくれないと、やめない」
「んっ、わかった! わかったからぁ! 約束! 約束するっ!」
「ありがと、よもぎ」
ちゅ、と汗の流れる額に口付けられて、手が緩められ、ほっとした。
なのに、次にするりと手に指を絡められ、目の前で優しく微笑まれると、胸がぎゅうと掴まれて、目の前の人がやけに愛しくなる。なぜか、欲しい、なんて思う。
「……直さん」
「うん、なに?」
「キスしてください……」
呟いた言葉は、懇願に近かった。
直さんはにっこりと微笑むと、
「でも、僕は今キスしてしまうと、キスだけでやめられそうにないなぁ……」
その言葉に絶望した気分になる。
さっきまで散々触られ、その気持ちよさに泣かされ、もうこれ以上あの感じを覚えたくないと本気で思っていた。だけど、今、どうしてもキスしてほしくてたまらない。
いつの間にか、握られている手を強く握り返していた。
「そ、それでもキスしてっ……」
叫んだ言葉を聞き終わらないうちに、直さんは分かっていたように唇を重ねる。
それから、先ほどよりもさらに私の身体も、心も、追い詰める。何度も何度も、空が白み始めるまで。
「な、直さん……! んんっ! もっ、だめ! もう、限界ぃ……! 限界なの!」
「そっか」
目の前で直さんが微笑む。そして続けた。
「分かっててよもぎがキスしてって言ったんだから、その限界を超えてみようね」
「鬼……!」
直さんはその言葉通り、思ってた限界を何度も超えさせ、私に知らない景色を何度も見せ続けた。
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