運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

11章:5m

 ――それから二週間後の土曜日。

 私は親睦会のバーベキューのために、病院にほど近い広い公園にいた。

 ここは、申請すればバーベキューも可能な場所で、病院のスタッフ関係のイベントはここで行われることが多いらしい。

「事務も一緒なんだ……」

 私はてっきり事務は関係ないものと思い込んでいたけど、どうやら去年から事務もそれぞれの科に振り分けられて一緒に参加するようになっているようだ。

「さくらと伸は別かぁ……」
 二人は別の班みたいだ。「私もさくらたちの方が良かった……最近話せてないし。それに……」

 ――それに、なんでこの班はこのメンバーなんだ!

 私のいる班には、廉と亜依、さらに直さんまでもがいるのだ。

(なんてチームわけだ! いますぐチーム分けした奴出てこい!)

 そんなことを思ったとき、直さんがお皿にお肉をのせて私に渡してくれた。

「よもぎ、はい。たくさん食べてね」
「ど、どうも」

 私はそれを受け取ると、直さんを見た。
 一瞬目が合うと、思わずそらしてしまう。

 最近は本当に直さんも忙しくて、家でもほとんどと言っていいほど顔を合わせないし、話す時間もなかった。
 あのとき、あの話をしてからずっと。

「一緒に暮らしてるのに、こうしてゆっくり話せるの久しぶりだね」
「そ、そうですね……」

 それに私は自分の気持ちを自覚してからさらに、直さんの近くにいると、やけに胸がドキドキして落ち着かなくなっていた。

 何を話せばいいのかもわからなくて、つい黙り込んでしまうのだ。

(あぁ、なんで直さんをこんなに男の人として意識してるんだろう!)

 まったく直さんを男の人として意識してなかった過去の自分を引っ張り出してきたいけど、もうそんな自分はどこかへ行ってしまっている。

 そう思って泣きそうになったとき、少し遠くの方で亜依が手を挙げた。

「直先生! 一緒に焼いてくださいよー」
「うん。……ごめん、よもぎ。ちょっといってくるね」

 直さんが私にそう告げて、歩き出す。
 私はその直さんの後姿を見つめていた。

 ――その時。

「『私のものなのに』とか思ってる?」
 隣に廉が来て、私にビール缶を渡しそう言って微笑む。

「まさか!」
「でも、わが兄貴ながら、モテるよなぁ。ホント……」

 意地悪く言った廉の目線の先を見ると、バーベキューコンロの近くで、直さんを囲んで看護師や事務の女性たちがきゃっきゃと楽しそうに話しているのが見えた。

「うかうかしてたら取られるからな。すぐにでも」

 廉が意地悪く言うので、むすっと口を開く。

「廉も人気あるんだから、あの輪に入ってきなよ。すぐに彼女できるよ」
「そんなの好きな奴にモテなきゃ、意味ないだろ。だから俺はここ」
「ぐっ……」

 あっさり打ち返されて、私は言葉に詰まった。
 普段ならすぐに言い返せるのに、あの日からそういうことを言われると言葉に詰まってしまう。

 泣きそうな私を見て、廉が苦笑した。

「勝手に俺が好きで告白しただけだから気にするなよ。俺だって振られるのは覚悟してたし……お前の気持ちなんて、お前以上に分かってるんだよ。だから、気にせずこれまで通りでいろ」
「……うん」

 私は小さく頷く。
 廉は、よし! と言って私の頭をぐりぐり撫でた。

 廉の持つ、私に気を遣わせないようにするそういう優しさに、今更気づいた気がした。
 しかし、次の瞬間、その廉の手が私の頭上でぴたりと止まる。

「おい、よもぎ」
「へ?」
「肩に虫ついてるからちょっと動くな」

 その言葉に一瞬止まって、私は青ざめた。
 虫関係は昔から大の苦手だ。

「ひゃああっ! と、と、とととととと取ってぇ!」
「動くなって」
「やだぁっ!」

 廉は私の右腕を掴んで固定すると、ひょい、と肩についた虫をとってそのまま草むらに逃がす。

「もう取れた。大丈夫か?」
「う、うん、ありがとぉおおおお!」
「泣くなよ、こんなことで。ほんと昔から、虫がダメだよな」
「だってぇ……」

 私はいつの間にか泣いていたらしく、廉は苦笑してその涙を拭ってくれた。


 バーベキューも終盤に差し掛かったころ、

「よもぎ、洗い物手伝ってくれる?」と笑顔の直さんに声をかけられ、炊事場で洗い物を手伝うことになった。

 考えてみれば、今日の直さんのとなりにはいつも女の人がいて、久しぶりに話せる機会だったのに、全然話せていない。

 そう思うけど、二人きりになったらなったで緊張もするし、何を話せばいいのか全くわからなくなった。
 そんなわけで、私は洗い物に徹することを決める。

「直さん、洗剤くださ……っ」

 手を伸ばした時、右腕を掴まれて引き寄せられ、キスをされた。

「んんっ!」

(おい、外だ! ここは外だぞ!)

 慌てて直さんを押すが、直さんはやめてくれない。
 炊事場はバーベキュー場から少し離れているとはいえ外だし、いつ病院の関係者に見られるかもわからない場所だ。

「直さん? ……っ!」

 またキスされて、それからさらに唇は首筋に落ちる。トップスの右肩をずらされ、肩にまで口付けられた。

 私は慌てて直さんを押して、精一杯の小声で叫ぶ。

「な、何して……! 何してるんですか! み、見つかったらどうするんですか!」
「見つかって困るのは、よもぎだけでしょ」
「何言って……」

 直さんが動きを止めて私の目を捉えた。

「僕はいつだって、全員に公表していいと思ってる。僕はよもぎが好きだってことも。僕以外には触れられるのも嫌だってことも」

 独占欲を隠すこともしないストレートな言葉。

 考えてみたら、キスをされた場所はさっき廉に触れられた場所だ。
 直さんを見つめると、直さんは、さらに私の髪を一房取ってそこにもキスをする。

 そうされるとさらに胸が痛くなるほど鳴り出す。

(なんでこんなにドキドキするんだろう)

 そのまっすぐな言葉のせいか……
 それとも、私だけを見つめている態度のせいか。

 どちらにしても嬉しいと思っている自分だっている。

 ただ私は、自分の気持ちに気づいたとはいえ、手放しに喜んで『では、直さんと付き合いましょう』というような判断はできないのだ。


 誰かを好きだって思ったとき。
 そしてそれが自分の赤い糸がつながっている相手だったとき……。

 ――簡単に付き合えない事情だってある。


 私が黙り込むと、直さんは私を正面から見つめる。

「よもぎ?」
「直さんは……こんな変な力を持ってる人間のどこが好きなんですか」

 力のことはもう知られているので、その点は諦めてそう聞いてみることにした。


 直さんはきょとんとした顔をしたあと口を開く。

「どこって……そういうよもぎだから好きになったっていうのは、理由にならない?」
「……?」

(どういうこと……?)

 そう思って直さんを見ると、直さんは私の頭をポンポンと叩いた。

「よもぎにとっては、その力は『マイナス』なんだろうね」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか! だって、このせいで誰かを好きになっても行動に制限がつく」

「おかげで、よもぎは突っ走って廉に告白することも、告白を受けることもできなかった」

 直さんははっきりそう言い、言葉に詰まった私を見て笑って加える。「そのおかげで僕はよもぎの最初から全部もらえるし」

(勝手に最初から全部もらおうとするな!)

「な、何言いだしたんですか!」
「だって本当のことだし」
「絶対あげませんよ!」

 私が叫ぶと直さんは、急に私を強く抱きしめる。
 そんなことされると、心臓が限界まで早鐘をついた。

 そして、さらに直さんが、
「もう覚悟したら? 僕のものになる覚悟」
と低い声で、耳元で囁く。


 さらに心臓が跳ね、私は叫ぶ。

「そ、そそそそそそんな覚悟、一生しません!」
「でも、廉の告白、ちゃんと断ったんでしょ?」
「なんでそれを!」

(廉が言ったの?)

 私が直さんを見ると、直さんは先ほどまで私と廉がいた場所を指さす。

「話し、してたでしょ。さっきあっちで」
「あの距離で聞こえてたんですか?」

(見ただけでも10m以上ありますけどね! どんな耳してるんですか! 直さん!)


 そう思ったとき、直さんがニコリと笑って予想外なことを口にする。

「読唇術だよ。唇の動きで何言ってるかわかるの」
「えぇ!」

(読唇術って! 治療だけじゃなくて、そんなことまでできるの!?)

 混乱する私に、直さんは笑って加えた。

「ふふ、糸の話をちゃんと聞いてから今日までで身につけたんだ。これだって『特別な力』だよ。だって、よもぎにはできないでしょ?」
「なんでそんなこと……! っていうか最近身に着けたんですか」

(あなた忙しい中で何してるんですか! ただでさえも寝る時間もないっていうのに!)

 そう思ったとき、直さんは私の髪を優しく撫でた。

「話聞いて分かったけど、よもぎ、赤い糸が見える『特別な力』があることが嫌そうだったからさ。さっきもその力は『マイナスだ』って言ってたでしょ」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか!」

 私にとってはマイナス以外の何物でもなかったし、きっとこれからもそうだ。

 そう思って眉を寄せた時、直さんは私の顔を見て愛おしそうに目を細める。

「確かに、読まなくていいもの読んじゃったり、知らなくていいことも知っちゃうよね。できるとなると、だめだと思ってもつい見ちゃう。それは僕も一緒」
「一緒……」
「うん」

 直さんは頷いて続けた。

「僕はね、よもぎが僕といる時に、少しでもその『特別な力』にネガティブにならないで済むように、これを身に着けたんだよ。よもぎの隣にいるのにふさわしい人間になりたくてね」

 直さんは本当にあっさりと、当たり前みたいにそんなことを言った。

(なんで、直さんはこんな変な力にも真摯に向き合ってくれるんだろう)

 そんなことが嬉しかったけど、素直に嬉しいと言えなくて下を向いて、足先を見つめる。

「な……なんていうか、器用ですね」
「ありがとう」
「べ、別に褒めてませんけど」

 私がかわいげもなくそう返したのに、直さんは楽しそうに笑っていた。

 それから直さんは、私の頭を撫で、まっすぐ私を見て続ける。

「僕はね、よもぎがまだはっきりと気持ちが固まってなくても、廉のこと断ってくれたことが嬉しいよ」
「あれはただ……私に廉と付き合う勇気がなかっただけです」

「僕はそれでも嬉しかったし、結構自惚れた。糸の件も含めて、よもぎが僕の方を向いてくれてるんじゃないかって思ったんだ」

 そんなことをまっすぐ言われると、どうしてもドキドキしてしまう。

(直さんはわかって言っているんだろうか? こういうタイミングでこういうことを言うところが狡いと思う……)

「わ、私は……付き合っても、結婚しても……この糸が見えることで、私も直さんも、絶対幸せにはなれないと思ってます」
「どうしてそう思うの?」

 直さんが首を傾げる。

 私は……大人になって、糸の意味を考える機会も増えた。
 そして、同じ力があった曾祖母についても考えていた。

 夫とうまくいかなくなった曾祖母。

 ――きっとそれは……。

「同じように赤い糸が見えたひいおばあちゃんだって、幸せな家庭じゃなかったんです。でも、私にはその理由がわかる気がする」
「理由?」

「そう。だって……もし直さん浮気したら……。身体じゃなくても、気持ちでもね? 私以外に、『あぁ、この人好きだなぁ』って思う人ができたら、それだけでも糸の長さが伸びて、私は直さんの気持ちが離れてるってすぐに分かるんですよ?」

 そんなことに気づいて、そして私はいちいち傷ついて……
 いつのまにか一緒にいるのがつらくなるはずだ。

 私はこの力のせいで、たとえ、糸がつながっている相手であってもうまくいかないのだと思う。

 私が言うと、直さんは眉を寄せた。

「そう。よもぎは僕が信用できないんだ?」
「信用できないわけじゃ……。でも、人の気持ちなんて変わるでしょ。私だって、あんなに廉が好きだった気持ち、こうやって直さんに向いて少しずつ変わってる……んんっ!」

 私が言うなり、また口づけられた。
 さらに後頭部を抑えられ、キスは続く。

「んんーーーーーー!」

(ちょっと待てぇえええええええ! なんで突然またキスをするの!?)


 数分後、やっと解放されると、直さんは心底嬉しそうに目の前で微笑んでいた。
 私はキスの間、息をすることも忘れていたので、ぜえぜぇと肩で息をする。

(今、結構真剣な話してたのに! なんなんだ! この人は!)

「な、なに? 何ですか!」
「そういうの聞かされると、僕が自惚れちゃうのわかる? 嬉しくなって余計止まらなくなる」

 直さんはもう一度軽くキスをした。

「なっ! な、なんですか、どこに自惚れる要素があるんですか……!」
「『あんなに廉が好きだった気持ち、こうやって直さんに向いて少しずつ変わってる』なんて、僕にとっては告白されてるのと同じだよ」

 そう言われて、自分の失言に気づく。
 直さんは甘く蕩けるような目を私に向けた。

「僕はこのまま変わらない。だってこの7年、僕はよもぎの想像以上に、おかしくなるくらいよもぎのことだけが好きだし、毎日もっと好きになってるから……」

 そんなことを真摯に言われて、胸が高鳴らない女性がいたら会ってみたい。
 きっとこれは直さんの本心だということも分かる。

「……でも、私はこんな力もあって……、それに他にも色々問題も……」
「『でも』ばっかりだね、よもぎは。……だからこそさ、最後まで身体を重ねてみたらわかることがあると思うよ」

 直さんはそんなことを当たり前のように言った。

(おい、突然何言いだした!)

「さ、最後まで、し、してって、何でそんなこと言い出したんですか!?」

 戸惑う私に直さんは続ける。

「僕はね、よもぎのそういう頑ななところは……きっと最後までしてないからだと思う。肌を合わせたら感覚でわかることって、『赤い糸』とか、『言葉』とか、そういうもの以上にあると思うから」

 それを聞いて私は眉を寄せる。

 そういうことは、最後までしたことのない私には分からないことだ。
 だけど、直さんに触れられてから、私が直さんの気持ちを信じ始められているのも事実だ。

 ――最後まですれば、もっとわかることがあるのかなぁ……。


 そう思って、私はふと止まる。

(っていうか……何なの、このやけに説得力のある話術。さすが若くして副院長。騙されてる気もするんだけど……)

「ま、しっかり検討しておいて。僕は夜勤明けでもいつでも……よもぎを抱きたいって思ってるし、いつでも大歓迎だからね」

 悩む私の頭を軽く叩いて、直さんはそう言ってにっこりと微笑んだ。

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