運命の赤い糸が引きちぎれない
7章:10m②
何度もキスして、少しだけ合間に息を吸ったら、またキスして……。
そんな繰り返し。
そのうちぼんやりしてきて、このキスをもっとしたいって、それだけを考えてた。
やっぱり直さんとのキスが気持ちいいなんて変だ。
ふと我に返ると、私はハタと自分の状況を見て慌てて直さんを押す。
「な、直さん!?」
「ん?」
「なんで脱がせてるんですか!」
私はいつの間にか、上半身は下着とキャミソールだけになっていたのだ。
キスしながら器用にルームウェアを脱がされたらしい。
(あなたはマジシャンか何かか!)
状況に気づいて赤くなる私に、直さんが、ハハと笑って、
「ごめん。つい」
「つい、で脱がさないでください!」
(何だこの人! 流れるように脱がされたぞ!)
あまりにも自然に脱がされていたので、この流れのまま気づいたら処女が勝手になくなっていた、なんてことになったら笑い話にもならない。
っていうか、うすぼんやりしたエッチの知識しかなかったけど、大人の男の人ってこんなに簡単に相手を脱がすものだったの……!
なんかすっごいヤラシイ! 直さん、さわやかに笑ってるけど、すっごくヤラシイ!
それに、なんでそんなに流れるように、すぐにしようとするの!
私は胸元を隠すと、直さんを睨みつける。
「直さん、これまでピュア恋愛してきたんじゃないんですか。キスまでするのも、最後までするのも、相当時間かかったって」
「だから、あれはあっちに押されて……」
「それで、一回エッチしたら、ポイってひどすぎません?」
「捨てたわけじゃないけど……そんな話、よく覚えてるねぇ」
そう言って、直さんが困ったように笑う。
(あれぇ? 確かに、私、そんなことよく覚えてるなぁ)
まぁ、いろいろな意味で衝撃的だったし……。
それなのに私に対してだけは、これだけ性急で、隙あらばしようとするのもなんだか嫌だ。
普通に考えてみれば、大事にされていると感じるのは、ゆっくりなパターンであろう。
(なのに、『本気になるとすぐにでも襲いたくなっちゃう衝動』ってなんだよ!)
いや……もしかしたら、それも嘘かもしれないな。
エッチされたら、私もポイッとされるのかもしれない。
(する予定はないけど、もしそうなら許さないからっ!)
そんなことを考えてガルルッと直さんを睨むと、直さんはなだめるように私の頭をポンポンと叩く。
「そういう浅はかな恋愛は15年も昔のことだよ。高校とか大学の時のこと。周りは男と女がいれば、付き合うとか付き合わないとかそういう空気で……好きでもないのに告白された子と付き合った。何もしないでいたらせがまれてキスして、それでもその後しないでいたら、『手を出さないなんてよっぽどあたしに興味ないんだ』って泣かれて、した。でもやっぱり愛着とか湧かなくて、自分からキスもセックスも『したい』って思えなくてね。そんな気持ちが伝わったのか、あっちから振られた。同じパターンで3人」
飄々と直さんが言う。
「そ、そうなんですね……」
「だから、自分には、『恋愛感情』ってものが欠如しているんだなぁってずっと思ってた」
そう言った少し寂しそうな直さんの顔を見つめて、私は口を開く。
「……じゃあ、なんで私のこと好きになったの。いつ?」
なんだか、聞いてみたくなったのだ。
「明確な線引きはハッキリとはないんだけど……。そうだね、あるとしたら、よもぎが高校を卒業する手前くらい……かな」
「……高校?」
直さんがまっすぐ私を見つめる。
私は自分の高校の頃の事を思いだして、どきりとした。
今も変わらないが、あの頃の私は、廉ばかり見ていた。
そして、赤い糸が切れることを知ったのも……あのころだ。
私が眉を寄せると、直さんは軽いキスをして、髪を撫でる。
「それからずっと好きでね。7年くらいかなぁ。もう今は『恋愛感情ないのかな』なんて全く思うこともないよ? なんなら好きすぎて、少しでも隙があればすぐに何度も抱きたいって思ってるから」
「ひっ! こわっ! そんなこと言われて安心してここで過ごせるわけないですよね?」
私が慌てて直さんの胸を押すと、その手を直さんは掴んで、「大丈夫、なけなしの理性振り絞って我慢するから」と言うと、そのままキスをする。
「んっ」
そのまま首筋に、鎖骨に、直さんの唇が落ちる。
まだ上半身は下着とキャミソールのままだったので、キスは二の腕にも、腕にも、そして、お腹にも落ちた。
そのキスの感覚に、ピクリと身体が跳ねだす。
いつの間にか、唇だけでなく身体にされるキスすら気持ちいいと身体が認識し始めていた。
私はあわてて叫ぶ。
「ひゃっ! 我慢するんでしょ! ぜ、絶対、最後まで、し、しませんよ! させませんよ! 絶対ですからね!」
「そんなに怖がらなくても。分かってるよ、抱くのは我慢するって」
直さんはそう言うと、もう一度鎖骨と胸の間のギリギリのところにキスして、
「でも、もう少しだけ、キスさせて」
そう言って、最後は唇に口づけた。
朝起きたら、昨日の夜の自分と直さんのことを思い出して、ベッドの上で悶絶する。
「何を許してんだ! 私はっ!」
あれからさらにキスされた。
首筋、鎖骨、二の腕、指先。ついには足まで。
ふくらはぎに口づけられた時、恥ずかしさの限界がきて、私は自分の部屋に逃げ込んだ。
それから直さんは、部屋の外から
「やりすぎちゃったね、ごめん」
と、絶対に反省していないであろう声色で謝ったのだった。
――直さんって、ああいう男だった!
自暴自棄になって、油断した私がバカだった……!
私は前々から処女を捨てるつもりだったけど、直さんに処女を捧げるつもりなんてこれっぽっちもないのだ。もし直さんと最後までして、糸がさらに短くなって、もしも結婚なんてことになったら、私は廉の義姉になる。
(どんな状況だよ……)
廉との恋がうまくいかないとしても、廉は何年もずっと好きだった人だ。
そんな人の義姉って……。
それだけは絶対に阻止したい。
そんなの、廉のことが気になって気になって、私の神経では耐えられそうにないからだ。
――だから矢嶋兄弟には絶対関わりたくなかったのに……!
そう思って、今日も先に出勤している直さんの作った朝食を食べ、朝の身支度を済ませ病院に行ったところで、すぐ廉に声をかけられた。
会いたくない人ほど会うものである。
(今、会いたくない人ナンバー1なのにぃ……)
わざわざ人が通りにくい道を通ったのに、意味がなかったらしい。
泣きそうな顔を笑顔でごまかし、おはよ、と笑った。
「あのさ、昨日何か言いかけなかった? ずっと気になってたんだけど」
珍しく、廉が真面目な顔で言う。
(昨日は……告白しようって思ったけど)
亜依の登場とか、部屋のこととか……
いろいろあって、すっかり私のそんな気持ちはしおれてしまっていたのだ。
「ううん、なんでもない」
私が微笑むと、廉は私の顔をじっと見る。
その目を見ると、悪いことをしているわけじゃないのにドキリとする。
……いや、悪いことしてるんだよね。
廉が好きなのに直さんとキスして、それが気持ちいいって感じて何回もしてることは悪いことだ。
私は慌てて目線をそらせて「なに?」と聞く。
すると、廉が私の首筋を指さした。
「これ」
「これって……?」
「これ、キスマークじゃないの? 本気で処女捨てたんだ」
そう言われて私は顔が青くなる。
(そういえば昨日、首筋にやたらキスされると思った! 直さん、また勝手につけてるっ!)
「これは!」
言い訳しようと思ったけど、そうしない方がいいと思って口を噤む。
ふと顔を上げると、廉が怒った顔で私を見ていた。
(なんか、見たことないくらい廉が怒ってる! こ、こわい!)
一旦逃げようと、踵を返した時、突然、ドン! と壁に手をつけて、廉に行く手を阻まれる。
「れ、れれれれれれ廉!?」
「ちゃんと付き合ってんの? その相手と」
「ちゃ、ちゃんとってわけでは……」
私が言うと、廉から、ゴゴゴゴゴ……とドス黒い空気が溢れる。
(ひぃいいいいい……! 何 誰とも付き合ってないから怒ってるの!? どういうこと? こんな廉知らないぃいい!)
顔から血の気が引くのが自分でもわかった。
誰か助けてくれ! と思うのだが、廉に見つからないために廊下からの死角を通ったことが裏目に出てしまい、誰も通りかからない。
「まさか自分が日和ってる間に、こんなことになると思わなかった。自分がバカで心底腹が立つ」
廉は低い声で呟くと唇を噛む。
(そっちなのね? わ、私に対して怒ってるわけでは……)
そう思いかけた時、ギロリと睨まれ、身体が縮み上がった。
「よもぎも俺が好きなんじゃないのか? よもぎ、何考えてんだ」
「ご、ごめんなさい」
なぜか謝ってしまった私に、廉は目を細めて、するりと私の唇を撫でる。
その感触に、ギュッと目を瞑った。
「もう強引に行くしかないだろうな」
そんな低い声が聞こえて顔を上げると、廉が「週末時間作れ」と、続けて言った。
「へ? あ、でも」
「でも、はナシ。土日泊りで旅行。絶対な」
「ちょ! 廉!」
聞こうとしたけど、廉は行ってしまった。
「……土日泊りで」
――って、泊りって言った!?
自分からは告白なんて諦めて引いたはずなのに……。
何この状況。
泊りで廉と旅行って……。
――いけるはずないじゃん!
昼休み、混乱しつつ、でもいつも通りの唐揚げ定食を箸でつついて考えていた。
(どうしよう、どうすればいい……!?)
相談したいけど相談できる相手もおらず、かといって今日は姉の姿も見当たらない。
そうこうしていると、亜依が私の背を叩いた。
「ここ、いい?」
「うん、もちろん」
(今、会いたくない人ナンバー2にまで会ったじゃないか!)
そう思いながら、そう思うのも失礼な話だよな、と自分で思い直す。
だって、亜依は友だちだし、別になにも悪いことはしていないのに……。
そんなことを考えて反省していると、亜依は、
「私、寮に引っ越せることになったの!」と笑う。
その言葉に、ズキンと胸が痛んだ。
「そ、そうなんだ。よかったね」
まだ心からそう思えない自分の小ささに泣きそうになりながら笑う。
すると、亜依はぱちん、と手を合わせると頭を下げた。
「今日の夕方、時間があれば買い物に付き合ってくれない? 夜、ご飯おごるから!」
「な、なんで?」
「色々雑貨とかも見たいの。よもぎならセンスいいし、安心だから」
亜依はそう言って笑う。
断る理由もなくて、私はおずおずと頷いた。
「わ、分かった」
私が言うと、亜依は、やったぁ、と飛び上がる。
その姿を見て、私はつい笑ってしまう。
「ほんと、イイコだよね。亜依って」
「はぁ? 何言ってるの」
――そう、もちろんいい子だ。
これが、せめて嫌な子だったら、なんのしがらみもなく、廉に告白していたんだろうけど……。
そう思って、自分の腹黒さに泣きそうになって頭を抱えた。
「それにしても、よもぎ、相変わらずすごい食べるのね」
「亜依は、よくそれで足りるね。看護師って体力勝負じゃない?」
私は唐揚げ定食、しかもご飯大盛り。
対して亜依は、煮魚定食にご飯は小盛だ。
「私は常にダイエットしてるの。ほんとよもぎは昔からいくら食べても太らないのよね、うらやましい」
「そんなことないよ、合コンの前はダイエットも頑張ってたし。最近行けてないけど……。それに、私は、亜依のその胸のほうがうらやましい」
亜依は別に太ってもないし、さらに胸が非常に豊満だ。
見たところEカップ以上ある。
私は太りにくいのは確かだが、なにをやろうが胸だけは大きくならない。
亜依の胸はうらやましくて仕方ない。
「高校の時より2カップ増えたのよ。だから今は、Gカップ」
「なにそれ! いいな!」
「よもぎは相変わらず……」
「うっ……」
私が泣きそうになると、早々に食べ終えた亜依が、私の後ろに回った。
そして私の胸に手を回すと、何の遠慮もなしに服の上から揉みだす。
「うーん、形は悪くないのよね。たれなくていいじゃない」
「でも、大きくはなりたい」
遠慮もやらしさもないし、服の上からなので放っておいたら、まだ揉んでいる。
そしてそのまま亜依は言う。
「大きくなりたいって、このキスマークの彼氏のため?」
「へ?」
「キスマークよ。首筋についてるやつ。あ、もしかして、廉?」
そう言って亜依が笑う。
私はその存在を思い出し、真っ赤になった。
「ちがっ!」
「赤くなっちゃってぇ……!」
違うって! と振り向こうとしたとき、
「だめだよ、二人とも」
と声が聞こえて、振り向くと白衣を着た直さんがいる。
「直さん」
「直先生!」
(今、会いたくない人ナンバー3までも!)
結局会いたくないな、と思っていると、そう思っている人全員と会うらしい。
私がそんなことを思ってると、直さんは苦笑して私の胸を指さす。
「そんなことしてたら、男の人、みんな釘付けだからやめておこうね」
「え……」
私は自分の胸に目を向ける。
そこでまだ、亜依が私の胸を揉んでいたことに気づく。
(あまりにも自然で忘れてたわ……)
「あ、す、すみません」
慌てて頭を下げる亜依に、直さんはお兄さんスマイルで優しく目を細めた。
「それより、佐久間さん。真田さんが探してたよ?」
「うっわ! そうだ、検査準備、やばい! 直先生、ありがとうございます! よもぎもあとで連絡する!」
「うん」
亜依は食器をもって風のように去って行く。
私は亜依を見て苦笑すると、自分も食べ終えた食器をもって立ち上がった。
その手を、突然、直さんが掴んで制止した。
「な、直さん?」
掴まれた腕が全く動かせない。
不安になって直さんを見上げると、直さんは目を細めて私を見た。
「僕以外にあんなことさせるなんて、よもぎは悪い子だね」
「って、相手、亜依ですよ? 女の子ですよ?」
「性別なんて関係ないよ」
直さんがそう言って薄く笑って……
それを見て、私は直さんが怒っていることに気づいた。
(なんで直さんまで怒ってるの!?)
そう思っていると、直さんが耳元に唇を寄せる。
「帰ったら覚悟して」
直さんの低い声に、私の身体がピクンと跳ねる。
全然何を覚悟するかもわからないのに、
その低い声に、急に昨日のことを思い出したのだ。
顔が一気に赤くなっていくことを感じる。
(なにこれなにこれなにこれーーーー! 何で赤くなるの! 何されるの!?)
もう今日は、完全に厄日だ。
こんな日は飲みたい。いっそ飲んだくれて全て忘れたい……。
そう思ったとき、今日は亜依と買い物に行く約束を思い出して慌てて口を開く。
「で、でででででも、今日! 亜依に買い物付き合ってって言われたんです! ご飯も食べて帰ります! 遅くなります!」
「ふうん。まぁ、僕も遅くなりそうだからいいけど……。でも、もう、さっきみたいなことはないようにね」
「……は、はい」
私が言うと、直さんはほっとしたように息を吐いて、私の頭を撫でる。
「あと、あまり飲みすぎないようにね」
直さんは分かっているようにそう言った。
(……何でもお見通しだなぁ)
そうは思ったけど、それが嫌じゃない自分もいて、複雑な心境だった。
***
「「かんぱーい!」」
その日の夜、私と亜依は買い物のあと、韓国料理の店に繰り出していた。
二人、ビールで乾杯する。
「今日は付き合ってくれてありがとう。一通りそろえられてよかった」
「一人暮らししてたのに処分しちゃったんだね」
私が言うと、亜依は苦笑する。
「そうなの。私ね、彼氏と別れたんだけど……」
と亜依が話し出して、私は驚きのあまり目を開く。
っていうかこんなにかわいいんだし、彼氏がいたくらいは当たり前か……。
そして今いないことも同時にわかり、心の中でツキリと小さな音が聞こえた。
私が「そ、そうだったんだ」と頷くと、亜依が嫌なことを思い出したように眉を寄せ、勢いよくビールを飲み干してグラスをドンっと置く。
「その彼が別れてからもしつこくて……! 勝手に合鍵作ってたみたいでいない間に勝手に入られたりしたのよ! 盗聴器も仕掛けられて怖くて気持ち悪くて、家具も全部処分!」
「なにそれ、完全に不審者じゃん!」
(直さんの言っていた不審者って元彼氏のことか……)
私がそんなことを思っていると、亜依は続ける。
「それで、さらに前に勤めてた病院にも来て大騒ぎしたりして、居づらくなっちゃったんだ」
亜依は昔からかわいくて、性格も嫌味なくさっぱりしているから、男女ともにモテる。
しかし、モテすぎると言うのも大変そうだ。
そんな風に男の人にされれば、怖いのは間違いないし……。
私は、亜依が寮に入れてよかったと心から思った。寮ならセキュリティの面は安心だ。
私は息を吐くと、しみじみ呟く。
「大変だったんだね」
「うん。もうやめるしかないって時に、ここの病院の看護師募集見て、【矢嶋】って名前見てたら、なんだか高校時代が懐かしくなって受けたの」
「そっか……」
「直先生はそのあたりの事情も知ってて、採用もすぐ決めてくれて……。それでも、何かあれば言ってくれって親身になってくれたんだ。副院長なのにさ……ほんと一人一人のスタッフを大切にしてるんだなぁって尊敬した」
亜依が思い出したように言う。
そうだよね、直さん優しいもんね……。
直さんは、恋愛が絡むとちょっと意地悪で変だけど、仕事では職場のみんなに全幅の信頼を寄せられている。それは見ていてわかるし、優しいのに救急などではきびきび指示もしていて、さすが副院長だとも思う。
私がウンウン、と頷いていると、亜依は突然、私の両手を取った。
そして、真剣な目で私を見つめる。
「それで、あのね! よもぎに聞きたいことがあるの!」
「なに?」
私でわかることならなんでも……
そう思ったとき、亜依はゆっくり口を開いた。
「直先生って結婚はしてないよね。彼女はいるのかな?」
「……はい?」
(どういうことだ……?)
私が首を傾げた時、
「私、直先生が好きになった!」
そうはっきり言った亜依の目は、真剣そのものだった。
そんな繰り返し。
そのうちぼんやりしてきて、このキスをもっとしたいって、それだけを考えてた。
やっぱり直さんとのキスが気持ちいいなんて変だ。
ふと我に返ると、私はハタと自分の状況を見て慌てて直さんを押す。
「な、直さん!?」
「ん?」
「なんで脱がせてるんですか!」
私はいつの間にか、上半身は下着とキャミソールだけになっていたのだ。
キスしながら器用にルームウェアを脱がされたらしい。
(あなたはマジシャンか何かか!)
状況に気づいて赤くなる私に、直さんが、ハハと笑って、
「ごめん。つい」
「つい、で脱がさないでください!」
(何だこの人! 流れるように脱がされたぞ!)
あまりにも自然に脱がされていたので、この流れのまま気づいたら処女が勝手になくなっていた、なんてことになったら笑い話にもならない。
っていうか、うすぼんやりしたエッチの知識しかなかったけど、大人の男の人ってこんなに簡単に相手を脱がすものだったの……!
なんかすっごいヤラシイ! 直さん、さわやかに笑ってるけど、すっごくヤラシイ!
それに、なんでそんなに流れるように、すぐにしようとするの!
私は胸元を隠すと、直さんを睨みつける。
「直さん、これまでピュア恋愛してきたんじゃないんですか。キスまでするのも、最後までするのも、相当時間かかったって」
「だから、あれはあっちに押されて……」
「それで、一回エッチしたら、ポイってひどすぎません?」
「捨てたわけじゃないけど……そんな話、よく覚えてるねぇ」
そう言って、直さんが困ったように笑う。
(あれぇ? 確かに、私、そんなことよく覚えてるなぁ)
まぁ、いろいろな意味で衝撃的だったし……。
それなのに私に対してだけは、これだけ性急で、隙あらばしようとするのもなんだか嫌だ。
普通に考えてみれば、大事にされていると感じるのは、ゆっくりなパターンであろう。
(なのに、『本気になるとすぐにでも襲いたくなっちゃう衝動』ってなんだよ!)
いや……もしかしたら、それも嘘かもしれないな。
エッチされたら、私もポイッとされるのかもしれない。
(する予定はないけど、もしそうなら許さないからっ!)
そんなことを考えてガルルッと直さんを睨むと、直さんはなだめるように私の頭をポンポンと叩く。
「そういう浅はかな恋愛は15年も昔のことだよ。高校とか大学の時のこと。周りは男と女がいれば、付き合うとか付き合わないとかそういう空気で……好きでもないのに告白された子と付き合った。何もしないでいたらせがまれてキスして、それでもその後しないでいたら、『手を出さないなんてよっぽどあたしに興味ないんだ』って泣かれて、した。でもやっぱり愛着とか湧かなくて、自分からキスもセックスも『したい』って思えなくてね。そんな気持ちが伝わったのか、あっちから振られた。同じパターンで3人」
飄々と直さんが言う。
「そ、そうなんですね……」
「だから、自分には、『恋愛感情』ってものが欠如しているんだなぁってずっと思ってた」
そう言った少し寂しそうな直さんの顔を見つめて、私は口を開く。
「……じゃあ、なんで私のこと好きになったの。いつ?」
なんだか、聞いてみたくなったのだ。
「明確な線引きはハッキリとはないんだけど……。そうだね、あるとしたら、よもぎが高校を卒業する手前くらい……かな」
「……高校?」
直さんがまっすぐ私を見つめる。
私は自分の高校の頃の事を思いだして、どきりとした。
今も変わらないが、あの頃の私は、廉ばかり見ていた。
そして、赤い糸が切れることを知ったのも……あのころだ。
私が眉を寄せると、直さんは軽いキスをして、髪を撫でる。
「それからずっと好きでね。7年くらいかなぁ。もう今は『恋愛感情ないのかな』なんて全く思うこともないよ? なんなら好きすぎて、少しでも隙があればすぐに何度も抱きたいって思ってるから」
「ひっ! こわっ! そんなこと言われて安心してここで過ごせるわけないですよね?」
私が慌てて直さんの胸を押すと、その手を直さんは掴んで、「大丈夫、なけなしの理性振り絞って我慢するから」と言うと、そのままキスをする。
「んっ」
そのまま首筋に、鎖骨に、直さんの唇が落ちる。
まだ上半身は下着とキャミソールのままだったので、キスは二の腕にも、腕にも、そして、お腹にも落ちた。
そのキスの感覚に、ピクリと身体が跳ねだす。
いつの間にか、唇だけでなく身体にされるキスすら気持ちいいと身体が認識し始めていた。
私はあわてて叫ぶ。
「ひゃっ! 我慢するんでしょ! ぜ、絶対、最後まで、し、しませんよ! させませんよ! 絶対ですからね!」
「そんなに怖がらなくても。分かってるよ、抱くのは我慢するって」
直さんはそう言うと、もう一度鎖骨と胸の間のギリギリのところにキスして、
「でも、もう少しだけ、キスさせて」
そう言って、最後は唇に口づけた。
朝起きたら、昨日の夜の自分と直さんのことを思い出して、ベッドの上で悶絶する。
「何を許してんだ! 私はっ!」
あれからさらにキスされた。
首筋、鎖骨、二の腕、指先。ついには足まで。
ふくらはぎに口づけられた時、恥ずかしさの限界がきて、私は自分の部屋に逃げ込んだ。
それから直さんは、部屋の外から
「やりすぎちゃったね、ごめん」
と、絶対に反省していないであろう声色で謝ったのだった。
――直さんって、ああいう男だった!
自暴自棄になって、油断した私がバカだった……!
私は前々から処女を捨てるつもりだったけど、直さんに処女を捧げるつもりなんてこれっぽっちもないのだ。もし直さんと最後までして、糸がさらに短くなって、もしも結婚なんてことになったら、私は廉の義姉になる。
(どんな状況だよ……)
廉との恋がうまくいかないとしても、廉は何年もずっと好きだった人だ。
そんな人の義姉って……。
それだけは絶対に阻止したい。
そんなの、廉のことが気になって気になって、私の神経では耐えられそうにないからだ。
――だから矢嶋兄弟には絶対関わりたくなかったのに……!
そう思って、今日も先に出勤している直さんの作った朝食を食べ、朝の身支度を済ませ病院に行ったところで、すぐ廉に声をかけられた。
会いたくない人ほど会うものである。
(今、会いたくない人ナンバー1なのにぃ……)
わざわざ人が通りにくい道を通ったのに、意味がなかったらしい。
泣きそうな顔を笑顔でごまかし、おはよ、と笑った。
「あのさ、昨日何か言いかけなかった? ずっと気になってたんだけど」
珍しく、廉が真面目な顔で言う。
(昨日は……告白しようって思ったけど)
亜依の登場とか、部屋のこととか……
いろいろあって、すっかり私のそんな気持ちはしおれてしまっていたのだ。
「ううん、なんでもない」
私が微笑むと、廉は私の顔をじっと見る。
その目を見ると、悪いことをしているわけじゃないのにドキリとする。
……いや、悪いことしてるんだよね。
廉が好きなのに直さんとキスして、それが気持ちいいって感じて何回もしてることは悪いことだ。
私は慌てて目線をそらせて「なに?」と聞く。
すると、廉が私の首筋を指さした。
「これ」
「これって……?」
「これ、キスマークじゃないの? 本気で処女捨てたんだ」
そう言われて私は顔が青くなる。
(そういえば昨日、首筋にやたらキスされると思った! 直さん、また勝手につけてるっ!)
「これは!」
言い訳しようと思ったけど、そうしない方がいいと思って口を噤む。
ふと顔を上げると、廉が怒った顔で私を見ていた。
(なんか、見たことないくらい廉が怒ってる! こ、こわい!)
一旦逃げようと、踵を返した時、突然、ドン! と壁に手をつけて、廉に行く手を阻まれる。
「れ、れれれれれれ廉!?」
「ちゃんと付き合ってんの? その相手と」
「ちゃ、ちゃんとってわけでは……」
私が言うと、廉から、ゴゴゴゴゴ……とドス黒い空気が溢れる。
(ひぃいいいいい……! 何 誰とも付き合ってないから怒ってるの!? どういうこと? こんな廉知らないぃいい!)
顔から血の気が引くのが自分でもわかった。
誰か助けてくれ! と思うのだが、廉に見つからないために廊下からの死角を通ったことが裏目に出てしまい、誰も通りかからない。
「まさか自分が日和ってる間に、こんなことになると思わなかった。自分がバカで心底腹が立つ」
廉は低い声で呟くと唇を噛む。
(そっちなのね? わ、私に対して怒ってるわけでは……)
そう思いかけた時、ギロリと睨まれ、身体が縮み上がった。
「よもぎも俺が好きなんじゃないのか? よもぎ、何考えてんだ」
「ご、ごめんなさい」
なぜか謝ってしまった私に、廉は目を細めて、するりと私の唇を撫でる。
その感触に、ギュッと目を瞑った。
「もう強引に行くしかないだろうな」
そんな低い声が聞こえて顔を上げると、廉が「週末時間作れ」と、続けて言った。
「へ? あ、でも」
「でも、はナシ。土日泊りで旅行。絶対な」
「ちょ! 廉!」
聞こうとしたけど、廉は行ってしまった。
「……土日泊りで」
――って、泊りって言った!?
自分からは告白なんて諦めて引いたはずなのに……。
何この状況。
泊りで廉と旅行って……。
――いけるはずないじゃん!
昼休み、混乱しつつ、でもいつも通りの唐揚げ定食を箸でつついて考えていた。
(どうしよう、どうすればいい……!?)
相談したいけど相談できる相手もおらず、かといって今日は姉の姿も見当たらない。
そうこうしていると、亜依が私の背を叩いた。
「ここ、いい?」
「うん、もちろん」
(今、会いたくない人ナンバー2にまで会ったじゃないか!)
そう思いながら、そう思うのも失礼な話だよな、と自分で思い直す。
だって、亜依は友だちだし、別になにも悪いことはしていないのに……。
そんなことを考えて反省していると、亜依は、
「私、寮に引っ越せることになったの!」と笑う。
その言葉に、ズキンと胸が痛んだ。
「そ、そうなんだ。よかったね」
まだ心からそう思えない自分の小ささに泣きそうになりながら笑う。
すると、亜依はぱちん、と手を合わせると頭を下げた。
「今日の夕方、時間があれば買い物に付き合ってくれない? 夜、ご飯おごるから!」
「な、なんで?」
「色々雑貨とかも見たいの。よもぎならセンスいいし、安心だから」
亜依はそう言って笑う。
断る理由もなくて、私はおずおずと頷いた。
「わ、分かった」
私が言うと、亜依は、やったぁ、と飛び上がる。
その姿を見て、私はつい笑ってしまう。
「ほんと、イイコだよね。亜依って」
「はぁ? 何言ってるの」
――そう、もちろんいい子だ。
これが、せめて嫌な子だったら、なんのしがらみもなく、廉に告白していたんだろうけど……。
そう思って、自分の腹黒さに泣きそうになって頭を抱えた。
「それにしても、よもぎ、相変わらずすごい食べるのね」
「亜依は、よくそれで足りるね。看護師って体力勝負じゃない?」
私は唐揚げ定食、しかもご飯大盛り。
対して亜依は、煮魚定食にご飯は小盛だ。
「私は常にダイエットしてるの。ほんとよもぎは昔からいくら食べても太らないのよね、うらやましい」
「そんなことないよ、合コンの前はダイエットも頑張ってたし。最近行けてないけど……。それに、私は、亜依のその胸のほうがうらやましい」
亜依は別に太ってもないし、さらに胸が非常に豊満だ。
見たところEカップ以上ある。
私は太りにくいのは確かだが、なにをやろうが胸だけは大きくならない。
亜依の胸はうらやましくて仕方ない。
「高校の時より2カップ増えたのよ。だから今は、Gカップ」
「なにそれ! いいな!」
「よもぎは相変わらず……」
「うっ……」
私が泣きそうになると、早々に食べ終えた亜依が、私の後ろに回った。
そして私の胸に手を回すと、何の遠慮もなしに服の上から揉みだす。
「うーん、形は悪くないのよね。たれなくていいじゃない」
「でも、大きくはなりたい」
遠慮もやらしさもないし、服の上からなので放っておいたら、まだ揉んでいる。
そしてそのまま亜依は言う。
「大きくなりたいって、このキスマークの彼氏のため?」
「へ?」
「キスマークよ。首筋についてるやつ。あ、もしかして、廉?」
そう言って亜依が笑う。
私はその存在を思い出し、真っ赤になった。
「ちがっ!」
「赤くなっちゃってぇ……!」
違うって! と振り向こうとしたとき、
「だめだよ、二人とも」
と声が聞こえて、振り向くと白衣を着た直さんがいる。
「直さん」
「直先生!」
(今、会いたくない人ナンバー3までも!)
結局会いたくないな、と思っていると、そう思っている人全員と会うらしい。
私がそんなことを思ってると、直さんは苦笑して私の胸を指さす。
「そんなことしてたら、男の人、みんな釘付けだからやめておこうね」
「え……」
私は自分の胸に目を向ける。
そこでまだ、亜依が私の胸を揉んでいたことに気づく。
(あまりにも自然で忘れてたわ……)
「あ、す、すみません」
慌てて頭を下げる亜依に、直さんはお兄さんスマイルで優しく目を細めた。
「それより、佐久間さん。真田さんが探してたよ?」
「うっわ! そうだ、検査準備、やばい! 直先生、ありがとうございます! よもぎもあとで連絡する!」
「うん」
亜依は食器をもって風のように去って行く。
私は亜依を見て苦笑すると、自分も食べ終えた食器をもって立ち上がった。
その手を、突然、直さんが掴んで制止した。
「な、直さん?」
掴まれた腕が全く動かせない。
不安になって直さんを見上げると、直さんは目を細めて私を見た。
「僕以外にあんなことさせるなんて、よもぎは悪い子だね」
「って、相手、亜依ですよ? 女の子ですよ?」
「性別なんて関係ないよ」
直さんがそう言って薄く笑って……
それを見て、私は直さんが怒っていることに気づいた。
(なんで直さんまで怒ってるの!?)
そう思っていると、直さんが耳元に唇を寄せる。
「帰ったら覚悟して」
直さんの低い声に、私の身体がピクンと跳ねる。
全然何を覚悟するかもわからないのに、
その低い声に、急に昨日のことを思い出したのだ。
顔が一気に赤くなっていくことを感じる。
(なにこれなにこれなにこれーーーー! 何で赤くなるの! 何されるの!?)
もう今日は、完全に厄日だ。
こんな日は飲みたい。いっそ飲んだくれて全て忘れたい……。
そう思ったとき、今日は亜依と買い物に行く約束を思い出して慌てて口を開く。
「で、でででででも、今日! 亜依に買い物付き合ってって言われたんです! ご飯も食べて帰ります! 遅くなります!」
「ふうん。まぁ、僕も遅くなりそうだからいいけど……。でも、もう、さっきみたいなことはないようにね」
「……は、はい」
私が言うと、直さんはほっとしたように息を吐いて、私の頭を撫でる。
「あと、あまり飲みすぎないようにね」
直さんは分かっているようにそう言った。
(……何でもお見通しだなぁ)
そうは思ったけど、それが嫌じゃない自分もいて、複雑な心境だった。
***
「「かんぱーい!」」
その日の夜、私と亜依は買い物のあと、韓国料理の店に繰り出していた。
二人、ビールで乾杯する。
「今日は付き合ってくれてありがとう。一通りそろえられてよかった」
「一人暮らししてたのに処分しちゃったんだね」
私が言うと、亜依は苦笑する。
「そうなの。私ね、彼氏と別れたんだけど……」
と亜依が話し出して、私は驚きのあまり目を開く。
っていうかこんなにかわいいんだし、彼氏がいたくらいは当たり前か……。
そして今いないことも同時にわかり、心の中でツキリと小さな音が聞こえた。
私が「そ、そうだったんだ」と頷くと、亜依が嫌なことを思い出したように眉を寄せ、勢いよくビールを飲み干してグラスをドンっと置く。
「その彼が別れてからもしつこくて……! 勝手に合鍵作ってたみたいでいない間に勝手に入られたりしたのよ! 盗聴器も仕掛けられて怖くて気持ち悪くて、家具も全部処分!」
「なにそれ、完全に不審者じゃん!」
(直さんの言っていた不審者って元彼氏のことか……)
私がそんなことを思っていると、亜依は続ける。
「それで、さらに前に勤めてた病院にも来て大騒ぎしたりして、居づらくなっちゃったんだ」
亜依は昔からかわいくて、性格も嫌味なくさっぱりしているから、男女ともにモテる。
しかし、モテすぎると言うのも大変そうだ。
そんな風に男の人にされれば、怖いのは間違いないし……。
私は、亜依が寮に入れてよかったと心から思った。寮ならセキュリティの面は安心だ。
私は息を吐くと、しみじみ呟く。
「大変だったんだね」
「うん。もうやめるしかないって時に、ここの病院の看護師募集見て、【矢嶋】って名前見てたら、なんだか高校時代が懐かしくなって受けたの」
「そっか……」
「直先生はそのあたりの事情も知ってて、採用もすぐ決めてくれて……。それでも、何かあれば言ってくれって親身になってくれたんだ。副院長なのにさ……ほんと一人一人のスタッフを大切にしてるんだなぁって尊敬した」
亜依が思い出したように言う。
そうだよね、直さん優しいもんね……。
直さんは、恋愛が絡むとちょっと意地悪で変だけど、仕事では職場のみんなに全幅の信頼を寄せられている。それは見ていてわかるし、優しいのに救急などではきびきび指示もしていて、さすが副院長だとも思う。
私がウンウン、と頷いていると、亜依は突然、私の両手を取った。
そして、真剣な目で私を見つめる。
「それで、あのね! よもぎに聞きたいことがあるの!」
「なに?」
私でわかることならなんでも……
そう思ったとき、亜依はゆっくり口を開いた。
「直先生って結婚はしてないよね。彼女はいるのかな?」
「……はい?」
(どういうことだ……?)
私が首を傾げた時、
「私、直先生が好きになった!」
そうはっきり言った亜依の目は、真剣そのものだった。
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