運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

6章:10m

 ――あの二人が勘違いしたことは、これから全部本当にするつもりだから。

 って……あの二人は何を勘違いしてるの?


「な、なに……!? ど、どういう意味ですかぁ……!」

 私が聞いても直さんは目を細めて私を見るだけで教えてはくれない。

 代わりに顎に手をかけて、自分の方を向かせると
「ね、もう一回キスしてもいい?」と、楽しそうに問うてくる。

「だめっ、だめです!」
「さっきは、もう少ししてほしそうだったのに」
「別に! そんなこと思ってません!」
「そう?」

 嘘だと見抜いたように笑い、それから私の髪を撫でる。
 噛みつくような目線を向けると、それすらも包み込むような甘く蕩けるような目で見返してきた。

「好きだよ、よもぎ。キスだけじゃなくて、僕自身を好きになってほしいと思ってる」

 さらに切ない声で、まっすぐにそう言われれば、私じゃなくたって女子ならだれでもキュンとしてしまうだろう。

 だから今、やたらうるさくなっている心臓の音は『自然現象』だ。

(分かったから、もうドキドキするんじゃない! 私の心臓!)

 そう思っても心臓の音は止まない。
 ふいっと目をそらすと、そのまま当たり前のように、直さんの唇が額に落ちた。

(おでこ……)

 私は直さんがやっと離してくれた手で額を押さえ、直さんを見る。
 決して唇へのキスを期待していたわけではない。直さんなら唇にすると思っただけだ。

 そう考えて頭を振った。

(いや、そもそも私もなんでキスされるのが当たり前になってきてるのよ! 絶対おかしい!)

 私たちは恋人でも夫婦でもないのに……。

 それに、これ以上赤い糸が短くなるようなことがあってはならない。

 糸が急激に短くなり出したのは、直さんに直接関わり出してからだ。

 ――さらに今のままではなぜか結婚を前提とした同棲ってことになってしまってもっと糸が短くなる可能性まである!

 そう思って、私は口を開く。

「……あの、他の部屋ってわけにはいきませんか」
「え?」
「考えてみたら、ここ、寮ですよね? あいてる部屋とかありませんか?」
「『今』、あいてる部屋は一つあるけど……」

 直さんはそう言って言葉を切る。

「一部屋」

 病院が近くて綺麗で広くて安い。
 間違いなく人気だろう。

 とは言え部屋が空いているなら、安心した。
 ここなら一緒に住んでなくてもバレないだろうし、その間に2人の誤解を知って、その誤解も解けるかもしれない。

 そう思ったところで、直さんはゆっくり口を開いた。

「それね、廉の部屋の隣なんだ」

 それを聞いて息を飲む。

 ーーそこに住むなんて、私にできるのだろうか。

 そんなことを考えた時、いつもより少し早口で直さんが話しだした。

「僕の部屋だと元々あった3部屋を繋げた構造だから、一部屋分より部屋数もあるし、鍵のかかる部屋もある。一緒に住むと言っても、僕は普段は早朝に出て帰ってくるのは深夜。今週はたまたま休みがあったけど、普段は土日もそんなに休めるわけじゃないから、顔をほとんど合わせないし……ルームシェアというか同居に近いと思う」

 なんだかその様子が、声が、必死で、私はその勢いに押される。

(どうしたの? 直さん。余裕しゃくしゃくのいつもの態度と全然ちがう)

「……そ、そうなんですね……」
「ごめん」

 直さんは突然謝ると、前から私を強く抱きしめた。

「ちょっ! え、なに? 何ですか!?」
「……正直に言えば、僕が嫌なんだ。廉の部屋の隣に、よもぎが住むのが……」

 辛そうに抑えた低い声。
 その声を聞いて、不覚にも胸がギュッと掴まれる。

 そして抱きしめられたまま、私は固まってしまった。

 ーー直さんはきっと、私の気持ちを知ってる。

 そして私だって、直さんの気持ちをちゃんとわかってるのだ。
 何回も告げられる『好き』って言葉の魔力のせいで……。


(だから、今、廉の部屋の隣に住むって決めることは、直さんの気持ちも傷つけることなんだ……)

 泣きそうになって悩んでいると、直さんが少し私の身体を離し、額に優しくキスする。
 そして、口を開いた。

「それに、もしそうなったら気になって気になって、僕は毎日よもぎの部屋に入り浸ると思うよ」

 ――それは絶対カオスな状況になる! それだけは私にもハッキリ分かるわ!

 そう思って直さんを睨むと、直さんがいたずらっ子のような目を私に向けた。
 私はそれを見て、頬を膨らませる。

「またそんな、意地悪言って」
「ごめんね。でも廉の部屋の隣に住んでほしくないのは本心だから、僕の気持ちは知っておいて欲しかった」
「うぐぅっ!」

 どうして、こういう最後に押さえるところでしっかり押さえてくるのか。

 そんなこと二度も言われて、直さんのそんな気持ちを知ってしまって……

 廉の隣に住むことを私がすぐに決断できるはずがない。
 まさか、それもわかって、この人はこういうことを言うんだろうか?


 私が言葉に詰まっていると、直さんが優しく微笑んで言う。
 いつでも相手を安心させるお兄さんスマイルで。

「そうだ。もう少しここに住んで考えてみたら? ね、いい子だからそうして」

「そんなの……」
と断りかけて、「ぜ、絶対何もしないんですか?」と聞いていた。

 私にはすぐに代案が浮かばなかったのもあるし、言葉がツルッと滑って出てしまった感じだった。

「よもぎが嫌なことはしない」
「キスはしたくせに!」

 私が噛みつくように言うと、直さんはまた微笑む。

「キスは嫌なことじゃなかったでしょ」
「ぐっ……!」

 ――ああ言えばこう言う!

 変な話だけど、正直に言って、私には分からないのだ。
 好きな人ではない人としたキスが気持ちいいと感じたのは、直さんとしたからなのか、誰としてもそうなのか……。

 だけどどのみち、直さんとキスしたことも、直さんと一緒にいることも、心底イヤというわけでもなくて……。
 私はとりあえず、このままここに住むしかないのかなって、思い始めていた。

「た、ただの同居ですか?」
「うん、ただの同居」
「人に言わない?」
「言いたいけど我慢する」
「キスももうしない?」
「な、なんとか我慢する」
「行き帰りも別々?」
「本当は時間があえば一緒に帰りたいけど……我慢する。だからいいよね?」

 そう押し切られて。
 私はその必死な様子に、思わず「わかりました、もう少しだけ」と小さく頷いた。

「ありがとう、よもぎ!」

 直さんが喜んだ勢いでもう一度私を抱きしめて……
 そのままキスをしようとして、ふと気づいたように止まってからそれを辞めてくれた。

 でも、その直さんの顔がいかにも『我慢しています!』というような顔に歪んで、私はそれを見て苦笑する。

 随分年上なのに……、なんだか直さん、犬みたいだ……。そんな直さんが、ちょっとかわいい、と思うなんて変かな。

 次の日の早朝、かちゃりと音がして、直さんが出勤したことに気づいた。

 昨日の夜、シャワー浴びてから、用意してもらった鍵のかかる部屋に入ると、ふかふかのベッドがあって、そこに飛び込むとおひさまの匂いがして、心地よくてすぐ眠ってしまったんだ……。

(男の人と住むんだし、しかも相手は直さんだし、もっと気をつけなきゃいけないんだろうけど……)

 直さんの部屋は直さんの匂いがして、なんだか安心してしまってついぐっすり眠ってしまった。しかもなんだかいい夢まで見ていた気がする。
 
 もし、相手が廉なら、こうも簡単には行かないだろう。
 緊張とか、不安とか、これまでの長年の想いとか……。

(って思うってことは、やっぱり私は直さんじゃなくて廉が好きなんだよね……)

 そんなことを色々思って、スマホで時間を見ると、まだ朝の5時だった。

(直さん、朝の5時に出勤って、何時起きよ。じいさんか……)

 そう思いながら、もう眠れなくなった私はあくびをして、着替えてリビングに出る。

 テーブルの上には、食パンに具材を挟んで半分に切った大きなサンドイッチとメモが置かれていた。

【自分のついでに作ったからよかったら食べて。コーヒーや冷蔵庫の中のものも自由に飲食していいからね。いってきます。直】

 きれいな右肩上がりの字を見て、私は微笑む。
 直さんらしい字。直さんの字なんて、まじまじと初めて見た。

「いってらっしゃい」

 不思議とそんなことを小さくつぶやいてメモをごみ箱に捨てようとしてから、なんだか捨てる手が止まって、そのままテーブルの見える位置にメモを置きなおした。

 それからキッチンに行ってみると、分かりやすくコーヒーメーカーなども置かれていて、それをカップに注ぐと、テーブルについて「いただきます」とサンドイッチにかぶりつく。

「なにこれ、おいしい……」

 何に秘密があるのか、今まで食べた中で一番美味しくて、私は食べるのが止まらず、大きかったサンドイッチをすべて食べきっていた。

 考えてみたら、家で人の作った料理を食べるのって実家以来かもしれない。
 さくらは本当に料理ができなかったし……。

(同居って意外にいいものなのかな……)

 そう思い始めて、メモとサンドイッチですでに絆されかけている自分に気づいて、頬を叩いた。
 とはいえ、このままここに住めば、廉にバレるのも時間の問題だ。何せ、同じマンションなのだ。しかも職場まで同じで。

 先に話したほうがいいとは思うが、どうやって話せばいいんだろう、と思い悩みながら出勤した。
 更衣室で事務の制服に着替えて受付に向かっていると、通り道の外科の近くで肩を叩かれる。

 振り向くと、今ちょうど考えていた相手の廉本人で、私は転げそうになった。

「おはよ」
「お、おはよ、廉!」

「よもぎさ、今日の朝、寮のマンションから出てこなかった?」

 すぐにそう問われて、私は慌てる。

(すでに見つかってるじゃないか!)

 神様は、私に考える暇も与えてくれないようだ。

(この場合、なんて答えるのが正解!? 『泊ってました!』も意味深すぎる!)

 でも、これからも見かけることもあるだろうし……隠し通せる自信もない。

 そう考えて、私は自分の手を握ると、
「……わ、私、今日から寮に住んでて」と答える。

「そうなの? 早く言えよ! 部屋どこ?」
「お、教えない! 教えるわけないでしょ! ど、どうせ、すぐに部屋に押し入ってくるつもりでしょう!」
「よくわかったな。ほら、教えろよ」

 廉はさらに食い下がる。
 私は泣きそうになった。

(住んでると言ってしまった以上、まさか『直さんの部屋に住んでまーす』なんて絶対言えないし! 次はなんて答えればいいの?)

 この状況、どうしろって言うのよ!
 初っ端から絶体絶命だよ!

 そう思って泣いて、そこでふと我に返った。

 だって、この状況って……
 きっと私が自分の気持ちを後回しにして、逃げ続けてきたからだ。

 もし、直さんの部屋に住んでることがバレるようなことがあれば絶対に終わるし、さくらや伸からバレる可能性だってある。
 もう隠し通すことはできない。

 ならいっそ、全部、廉に伝えてみればいいんじゃないか。

 ーー私の気持ちも含めて。


 そんな考えに至った。

 私はずっと告白できないって日和ってばかりで、そんなんだから、事態がおかしくなってるんだ。

 廉と私の赤い糸は繋がっていなかった。
 だから糸が見える私は廉の言葉を受け入れることも、自分から告白すらすることができなかったけど……。

 でも私はこれまで、色々な夫婦や恋人を見て知っていた。
 世の中には、赤い糸でつながっていない夫婦や恋人だっていることを。

 そして、その人たちが決して不幸せそうではないってことを……。

 決心して息をのむと、私は口を開く。

「あのね、廉……今日の夜……」
「よもぎ! 廉!」

 私の声を遮るように、女性の声が聞こえた。

 廉と振り向くと、そこには、高校の時に同級生だった佐久間亜依がナーススクラブを着て立っていたのだった。


 私は亜依を見て固まる。
 亜依は変わらないかわいい笑顔でニコニコ笑って私と廉を見ると、

「相変わらずね。あなたたちは」
と楽しそうに言った。

 廉は頬を膨らませる。

「そうだよ、ずっとよもぎにアプローチしているけど、全然受け入れてもらえないわけ。一体この完璧な俺のどこが不満なんだよな?」
「まぁ、廉がみんなの王子様だったのは認めるけど……押しすぎなんじゃない? 時々引かなきゃ。恋愛は駆け引きが大事よ」

 亜依がそんなことを言い、私はハッと我に返ると、怒って口を開く。

「廉は勝手に本人の前で変な相談しないで! 亜依も相談にのらない!」
「はは、ごめんごめん。つい高校時代に戻ったみたいでさ」

 亜依は、昔のままの人懐こい笑みで謝る。
 そんな亜依に廉が問うた。

「亜依は看護師だろ? なんだ、そのスクラブ。うちで働くの?」
「そうよ、今日からここの外科で働くことになったの。よろしくね、廉先生」
「そうなんだ」

 それから二人は昔通り微笑み合う。
 恋愛感情のない、心底仲の良い友達同士の笑み。

 ――だけど。

 私は唇を噛み、そこから顔をそらした。

 その時、後ろから白衣姿の直さんがやってきくる。
 直さんはふと私に目線を向けて、真剣な顔で私をまっすぐ見る。その目にドキリとして直さんからも私が目を逸らした時、直さんは亜依に向けて口を開いた。

「佐久間さん。これからよろしくね」
「直先生、こちらこそよろしくお願いします」

 ぴょこん、と勢いよく亜依が頭を下げる。
 直さんは私たちの顔を見回すと、いつものお兄さんスマイルで微笑んで続けた。

「佐久間さん、よもぎと廉の同級生なんだって? ほんと来てくれて助かったよ。患者さん増えてるのに人材不足だったし、すぐに来てくれるって言うから」

 廉は口をとがらせると直さんに言う。

「亜依が入るって知ってたなら教えてくれればよかったのに」
「いや、さっき話してて知ったんだよね。よもぎと廉の同級生だってこと」

 そう言って直さんが微笑めば、亜依が少し赤くなって直さんにかわいい微笑みを向ける。

「はい。でも、すっごく助かりました。直さんと看護師長がすぐに採用をきめてくださったおかげです」
「前の病院辞めたんだ?」

 廉が聞いた。

「うん、ちょっと色々あってね」
「それって……」

 話が続きそうなところで、私は慌てて三人に
「わ、私もう行くね! 事務の朝礼始まるから!」と言う。

 そして遠ざかってから、まだ話していた三人を遠巻きに見た。

「絵になるなぁ……」

 亜依は昔から明るくてかわいくて、なおかつ性格もいい。
 そんな亜依と廉が、お互いに恋愛感情をもってない親友関係だってことも知っている。

 でも、私はそんな彼女が心からうらやましかった。
 ずっと私が亜依だったらって思ってた。

 ――廉と赤い糸でつながっている、亜依だったら、と。

 直さんが帰ってきたのは深夜2時を過ぎてからだった。
 私が玄関まで迎えに出ると、直さんは驚いた顔をして、それから微笑む。

「お、おかえりなさい」
「ただいま。起きて待っててくれたの? 嬉しいな」

 私は直さんにまっすぐ頭を下げた。

「疲れている時にごめんなさい。話があるんです。聞いてもらえますか?」
「うん。じゃ、リビング行こうか。ここじゃ冷えるから」

 直さんはそう言って、私をリビングに連れて行った。

 それから直さんがジャケットを脱いでネクタイを緩めた姿にどきりとして、私は慌ててキッチンに行ってコーヒーを淹れる。

 直さんにコーヒーを渡すと、直さんは、ありがとう、と微笑んで、ソファに私を誘導し座らせると、自分もその横に座った。

 私は息を吸うと口を開く。

「あの……もう、廉にこのマンションに住んでることバレちゃって……。部屋、やっぱり移動したいんです」

(やっぱり、廉の近くにいたい)

 そう思っていた。
 彼女が、亜依が、うちで働くならなおさら早く……。


 私が直さんを見上げると、直さんが申し訳なさそうに眉を下げる。

「実は、他に寮に入りたいって人がいるんだ」
「……へ?」

 一瞬嫌な予感がしてドキリとする。
 しかし、嫌な予感と言うものは大抵が当たるものだ。

「ほら、よもぎと同級生の看護師の佐久間さん。地元だから寮なんかに住まないかと思ってたら、寮がいいって。それにうちはセキュリティもしっかりしてるし。できればすぐにって」
「……」
「だからどうしようかなって思ったんだ」

 そう言って、直さんが困ったように額を掻く。

 もし亜依が寮に住むことになれば、亜依が住むのは廉の隣ってことだ。
 そう思うと、頭が真っ白になる。

「それは……」
「それと、僕も今日聞いたんだけど、少し事情があるみたいでね……」
「事情?」
「前に住んでた家、不審者が入ったみたいで気持ち悪くて出たんだって。でも、実家も帰りにくいみたいで、今はビジネスホテルに住んでるんだよ。でも看護師って不規則でしょ? 体調管理もしづらいし、僕も気になっててね」

 そう言われて、私は口を噤む。
 どう考えても、彼女の方が優先されるだろうし、そうしなきゃいけないと思う。

 ――きっと運命の赤い糸でつながっているということはこういうことなのだ。

 少しでも運命の歯車が回りだすと、すぐに全部繋がるようにできている。
 廉の隣に住むことになるのは、彼女なんだ。

 私は息を吸い、覚悟して口を開く。

「ゆ、譲ってください。亜依に」
「そう? 本当にいいの?」
「……はい」
「うん。わかった。僕はそっちの方が嬉しいからさ」

 直さんが言った言葉も私は聞こえていなくて、なんだかぼんやりしていた。


 私はいつだって日和ってばかりで、全部赤い糸のせいにして逃げてた。

 廉のことだって、小さい時からずっと好きで、でも言うことができなくて……。
 やっと告白する勇気が出た高校の時、亜依に会ってしまって、二人は一貫して友達同士だったけど、赤い糸でつながっていることを知っている自分は、結局、行動なんて起こせなかった。

 それでも卒業してからは、どうにか抗おうと、とにかく赤い糸なんて切ってしまえ! と無茶な行動に走ってみたけど全然上手くいかなかった。
 そうこうしているうちに、亜依と再会して、また同じ悩みを抱えることになってる。

 そして……
 こうやって告白するチャンスを逃した今も、ホッとしているなんて……。

 ――本当に滑稽だなぁ。


 次の瞬間、目じりを指で拭われて、それで自分が泣いていたことに気づいた。
 顔を上げると、直さんが指で私の涙を拭ったとわかる。

「っ、な、なんですか……」
「だって、泣いてるから」
「な、泣いてません! これは、ただの水です!」

 私が叫ぶと直さんは目を細めて笑い、それから私の涙のついた指をぺろりと舐めた。

(おい、なんで舐めた!)

 その行動にドン引きして、私は泣きながら問う。

「ちょ、なにしてるんですか……!?」
「だってもったいないしさ」

(なにがもったいないんだ! 水分が不足しているなら今すぐ水を飲んでくれ!)

 真っ赤になりながら、直さんがまだ自分の指についた私の涙を舐めるのを必死に止めた。

「や、やめてくださいって!」
「こっちも」

 しかし、直さんの方が行動が素早くて、左目の目元まで指で拭われて同じように舐めとられる。

 私はそれを見て恥ずかしさのあまりまた泣きそうになったけど、同じように舐められたらいたたまれないのでなんとか堪えることにした。

 そんな私を見て直さんは微笑む。

「泣き止んだ?」
「な、直さんはおかしいです!」

(普通、好きな女性にこんなことする )

「そうだろうね。僕は、よもぎが好きすぎて、おかしくなってると思うよ」

 そう言って直さんはまた微笑んで、それから私の髪を撫でる。

(変なの……でも、私も変だよね。好きな男の人のお兄さんと、こうやって一緒にいるなんて)

 そんなことを考えていると、直さんは私の手にあるコーヒーカップを取って、ローテーブルに置き、私の目をじっと見つめた。

 そしてなぜか当たり前のように、

「キス、してもいいかな?」と問うてくる。

「なっ……! なんで今、そんなこと」
「今したいって思ったから」

「そんなのっ!」

 なんでいちいち聞いてくるのだ。
 勝手にしてくれ!

 そうは思うが、他の日に勝手にされたのでは困る。

 ――でも今日は、今日だけは……。

 されてもいい、なんて思ってる。
 きっと自暴自棄になっているのだ。

「きょ、今日だけです。別に直さんが好きだからするんじゃないんですから。ただ、色々とどうでもよくなっただけで……んっ!」

 私が言い終わるより前、直さんは私に口づけた。
 一瞬、唇が離れて、それを思わず止めようと右手を伸ばすと、その右手を取られて右手にキスされる。

「な、なに……」

 直さんは顔を上げ、それから困ったように笑うと、また唇にキスを落とした。

 何度も、何度も、唇が重なる。
 ちゅ、ちゅ、とリップ音が室内に響くたび、廉とのこれまでの時間が何度も蘇る気がした。


 ――私は廉が好きだった。

 告白するチャンスも、告白を受け入れるチャンスも山ほどあった。

 なのに全部逃して、今、ここでこうしているなんて。
 私は本物のバカだ。

 直さんは耳元に唇を寄せると、低い声で囁く。

「今は僕のことだけ考えて」
「そんなの……っ! ひゃぁっ……!」

 首筋に唇が落ちる。
 そのまま鎖骨にキスされているうちに、直さんの指が私の手にするりと入り込んで手が繋がれる。

「な、直さん?」
「僕はどんなよもぎも好きなんだから。利用したいだけしていいんだよ」

 優しくそう言って、きゅ、と強く手を握られた。
 その言葉に、指の感触に、息を飲んで直さんを見つめる。

「利用……」
「うん。いい子だから、してほしい事言って?」
「……なら、もっとキスして」

 私が言うと、直さんは嬉しそうに目を細めて笑う。
 そして、次に唇が合わさると、するりと舌が入りこみ、濃厚なキスを交わす。

 そんなキスの途中、
 私はいつの間にか、直さんの手を強く握り返していた。

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