ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

11-4

 膝の上には毎年恒例のコンビニのショートケーキがちょこんと乗っている。子供の頃は今年もショートケーキが残ってる、ラッキーとしか思わなかったが今は違う。毎年毎年、必ずといっていいほどコンビニにショートケーキが一つだけ残っているのだ。大人になってから気がついた。ここのコンビニの店員が毎年この日のためにショートケーキを用意してくれているのだと。


 羽美は毎年いる店員のおじいさんに「今年で最後にします。今までこの日のために何も言わずケーキを用意してくださりありがとうございました」と頭を下げると店員はにっこりと穏やかで優しい笑顔を羽美に向けた。


「海斗……」


 羽美はボソリと呟いた。


 海に来る前、珍しく海斗に誘われた。普段の日なら尻尾を振ってよろこんで行っただろう。けれど今日だけは、どうしてもこっちを優先させたかった。もう、ここに来るのは今年で終わりにする。そう決めていから。


 このショートケーキを食べて元気を出す。この不安な気持ちは、臆病な気持ちは今日ここに捨てていく。


 海斗が何か記憶を思い出しても、必ず側にいる。支えてみせると会長夫婦に誓った言葉に嘘はない。けれど、消えたと思ったら不安も少しずつ戻ってきてしまい、どうしても怖くなってしまうのだ。  


 ――大好きな人に拒絶されてしまったら自分はどうなってしまうのだろう。


「どうしていいのか分から、ない……怖い……」


 好きな気持は幼い頃から変わること無く、ずっとずっと海斗だけを思い続けてきた羽美。海斗が自分の前から忽然と姿を消した時、毎日のように泣いて、泣いて、泣きはらしてやっと前向きな気持になれた。


 ずっとずっと海斗を思っていたから神様は味方してくれたのだ。運命的な再会を果たして、心も身体も両思いになった。幸せに浸った途端に怖さがじわじわと羽美の身体を侵食し始めたのだ。


「海斗っ、かいと……」


 羽美の身体が小刻みに震えだし、ぽたりぽたりと大きな雫がショートケーキの上に落ちる。


 この不安な気持ちは今日ここに捨てていくんだ。たくさん考えて、たくさん泣いて、もうこの場所には来ない。ここに来ても子供のころの羽美を知っている海斗が現れることはないのだから。


 新しい恋を守っていこう。海斗が記憶を取り戻した時、拒絶されても挫けない。弱い自分はもうここに流し捨てた。


(よし、もう大丈夫)


 羽美はしゃんと背筋を伸ばして流れていた涙を手で拭った。


「大倉!!!」


 大きな感情を背中にぶつけられたような大きな声に驚いた羽美は肩をビクッと大きく震わせた。聞き間違いなはずがない。海斗の声が聞こえ、バッと後ろを向いた。


「かっ、本郷さん!? どうしてここに!?」


 羽美は大きく目を見開いている。なぜ記憶のないはずの海斗がここにいるのか、全く分からない。


 ――もしかして、思い出した?


 動揺する羽美をよそに、海斗は険しい表情で羽美の事を射抜くように見つめてくる。


「いいから。こっちへ来い」


 海斗のこれ程までに真っ直ぐで大きな声を聞いたことがない。


「来ちゃ駄目です! あなたはここに来ちゃいけない!」


 咄嗟に羽美は叫び、勢いよく立ち上がる。羽美の膝から何かが滑り落ちべしゃっと音をたてて落ちた。防波堤の上にはショートケーキがぐちゃりと形を変えている。


(ここに海斗が来たら、また頭痛を引き起こすかもしれない!)


 海斗は落ちたショートケーキを驚いた顔で見ていた。海斗がショートケーキに目を奪われているすきに羽美は防波堤から飛び降り、走り出す。少しでもこの場所から海斗を遠ざけたい。


「ちょっ、逃げるな!」


 海斗も走り出して必死で羽美を追いかけてくる。いくら不意をついたからとはいえ、背の高い海斗のほうが足が長いし、男の人のほうが体力もある。海斗はすぐに羽美に追いつき、あと少し海斗が手を伸ばせば捕まってしまいそうだ。


「なんで逃げるんだよ! そんなに海斗って男との思い出の場所に俺に来てほしく無かったってことかよ!」
「違うっ、そうじゃない! 私が好きなのは海斗だもん!」


 羽美は泣き叫ぶように海斗が好きだと走りながら言った。もう自分がどうして海斗から逃げているのかも分からなくなってくる。海斗が好き、海斗が好き。ただそれだけなのに。  


 羽美はグイグイ進んでいき、目の前に現れた階段を飛ぶように駆け上がった。後ろをちらっと振り返れば海斗も苦しそうな表情で階段を駆け上がってきていた。


「はぁっ、はぁっ、じゃあ、じゃあっなんで俺から逃げるんだよ!」


 羽美の腕を海斗はぎゅっと掴んだ。しっかりと囚われてしまった腕は力を入れて振りほどこうとしてもびくともしない。


「海斗っ……」


 羽美は涙でぐしゃぐしゃの顔で振り向いた。海斗のほっと一安心したような表情が涙のせいでぼやけて見える。 


「はぁ、はぁ……やっとこっち向いてくれた。っツ――!」


 眉間に皺を寄せる海斗。


「海斗!? 大丈夫!?」
「ああっ、大丈夫だ。やっと、追いついた。もうお前を離さないからな」


 不自然に息を切らし、顔を歪めても海斗は羽美を見続ける。


「頭、痛いんじゃないんですか!?」


 海斗に羽美は急いで近寄った。海斗との距離はあと一段。真冬なのに額から汗を流す海斗は明らかに辛そうな顔をしている。


「大丈夫だから。もう、俺から逃げんな」
「に、逃げたわけじゃないんです。なんだか身体が勝手に走り出しちゃって……そのっ」
「俺は、大倉が好きだ。一生お前の手を手放すつもりもないし、誰にもやらない。初恋の相手なんかに負けてたまるかよ」


 海斗は強い眼差しで羽美を射抜く。恥ずかしがらずに、真っ直ぐに気持ちを伝えてくれた。


 嬉しい、嬉しい、嬉しい。


 それが羽美にとってどんなに嬉しいことか。


「私も本郷さんから離れませんっ!」


 抱きつきたい。あと一段、羽美が一歩海斗の元へ踏み出した瞬間、履いていたヒールがポキっと折れた。勢いよく身体のバランスを崩した羽美は海斗の横をすり抜け、下へ落ちそうになった。


「っきゃあっ!」


 落ちる――そう思った瞬間、「大倉!」と海斗の声が聞こえ、力強く引き寄せられ、抱きしめられた。ゴロゴロと転げ落ちる感覚に、怖さでギュッと目を瞑むる。


 動きが止まった。羽美は焦り、急いで瞑ってしまった瞳を開く。


「あっ、あっ……」


 自分のせいだ。


「海斗っ――」


 静かな真冬の夜空に羽美の声がキーンと鳴り響いた。

 

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