ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

11-3

「よし、終わった!」


 海斗が大量の資料に全て目を通し終わったのは定時時刻ぎりぎりだった。やってやったぜとドヤ顔で安藤を見ると「社長ってば好きなこのためならなんでも頑張れちゃうタイプだったんですね」と小声で冷やかされた。


 ンンッと海斗は咳払いをする。


(本当はそんなタイプじゃなかったんだけどな、俺)


 海斗をそうさせたのは紛れもなく羽美の存在だ。


 今日こそは素直になってやる、と海斗は意気込み秘書室のドアをトントンとノックした。


「大倉いるか?」


 中から「はい、います」と羽美の声が聞こえてくる。ドアはすぐに開き、どうしたのだろうかと不思議そうな表情で羽美は海斗を見た。


「社長、どうかなさいましたか?」
「いや、今日はもう仕事が終ったから久しぶりに食事にでも行かないか?」
「きょ、今日ですか……」


 いつもなら尻尾を振り回して笑顔全開でよろこぶはずの羽美がどうしようかと顔を少し歪ませている。


「あの、大変申し訳無いのですが、今日は先約がありまして、急いでいるのでお先に失礼いたしますっ!」


 羽美は海斗の脇をすり抜け風のように去っていった。


「え……まじで?」


 一人ぽつんと取り残された海斗は余りにも受け入れがたい現状に棒立ちしていた。


「あらら、社長があまりにも愛情表現がないから大倉さんも愛想尽かしちゃったんじゃないですか? 今日なんだか彼女一日中ソワソワしてたし、なんだかいつもよりお洒落してたと思いません? 今日も変なこと聞いてきたし」


 安藤が取り残された海斗の背中をどんまいと宥めるようにぽんっと叩く。


 そう言われると確かにいつもと同じスーツだったが髪型が違っていた。普段はさっとポニーテールにして結い上げている髪の毛も、今日はなんだか細かく編み込まれていたような気がする。


「くそっ!」


 海斗はデスクの上からスマホだけを取り、勢いよく走り出してオフィスを出た。


(あいつ、どこ行ったんだ!? とりあえず駅に行くしかないか)


 海斗は駅に向かって走り出す。うじゃうじゃとカラフルな点がいっぱい動いている中、海斗はたったひとつその色だけが輝いて静止しているかのように見えた。


「いたっ!」


 ちょうど電車に乗り込もうとしていた羽美を見つけた。すぐに手を伸ばして引き留めようと羽美の近くに行こうとしたが何故か足に重りがついたように動かない。


(ま、まさか本当に愛想つかして他の男のデートだったら……)


 ブンブンと頭振り海斗は羽美の乗った電車に乗り込んだ。すぐに「大倉」と声をかければいいものの、何故か口が、身体が躊躇してしまう。結局すぐに話しかける勇気が出ずに海斗は少し離れた場所から羽美を見ていた。


 けれど羽美はなかなか電車からも降りず、自宅のある駅も通り過ぎた。その間にスマホをいじったりすることもなくただぼうっと羽美は電車の外を眺めているだけだ。


(な、なんだ。安藤の考えすぎじゃないか、本当にただなにか予定があっただけなんだろう。こんな後つけるような真似してみっともねぇな)


 海斗は頭をガシガシと掻き、自分の嫉妬心丸出しの行動にため息をついた。


(ストーカーみたいでキモいから次の駅で降りて引き返すか)


 電車内にある液晶画面に表されている次の駅はちょうど仕事案件でなんどか訪れていたK街がある駅だった。この場所は海斗が少しだけ記憶を取り戻した場所だ。


 ふと興味が湧いた。もう一度ここに訪れたらあの時、頭の中に流れ込んできた映像の謎がとけるんじゃないかと。


 電車が停まり、海斗はふらっと降りた。

 いつもは仕事のため、車で来ているから電車で来るのは初めてだ。駅を降りて見慣れない景色をなにも考えずに、目の前に真っ直ぐに伸びる道を海斗はゆっくりと歩き進めた。のどかな田舎道、小さな喫茶店があったと思えばしばらく店などは何もなく、だただた街灯の明かりに小さな虫が群がっている。


(こっちのほうは調査対象に入っていなかったから、なんだか新鮮だな)


 契約するK街のアパートは海斗が歩いている道の反対側。周りも少し歩いた場所にスーパーやコンビニなどの店があり、同じ街でも今海斗が歩いている場所とは別の街のよう。ここは殺風景だ。でもなんだろう、同時に凄く落ち着く道でもあった。なにもなく、ガヤガヤと煩い音も光もない。ただ静かにゆらゆらと光る街灯と、夜空に見える星が綺麗に輝いている。風の音と、たまに通る車のエンジン音。大きく息を吸うと微かに潮の香りがした。


(海でも近いのか?)


 海、うみ……羽美……


 はっと羽美の笑った顔が浮かんできて海斗は頭を抱えた。


(って、おぉぉい!!! 連想とかキモいだろ!)


 羽美は自分の誕生日にわざわざ遠くまで何の約束があるっていうんだろう。一緒に過ごしたかった、なんて羽美を独り占めしたい欲が頭の中を占領していく。海斗はブンブンと頭を振って歩き始めた。


(そうとう、好きだよな、俺)


 羽美と一緒にいると自分の足りなかったなにかをいとも簡単に埋めてくれるのだ。すっぽりと、最初からそこにあったかのように。


 歩き進むと潮の香りが強くなり、海が見えた。


(海なんて、記憶にある限りじゃ初めてだな……)


 小学生五年生からの記憶は殆ど勉強していた自分。夏休みも家庭教師が家に来て勉強。同年代の友達と楽しく海に遊びに行く、なんて事は記憶にある限りない。青春時代の思い出は全く華やかしいものはないけれど、勉強ばかりしていたお陰で海斗の父親も早くに社長のポストを引退することができ、今は母親とのんびり暮らしている。少しは親孝行できたのかな、と海斗は思い、学生時代の過ごし方に全く不満は見つからない。


 でも、なんとなく、初めての海に興味が湧いた。


 スーツに革靴だがそんなことを気にする素振りもなく海斗は砂浜に足を乗せた。近くで感じる潮風は穏やかで、海面もほとんど波立たず静かだった。けれど立ち止まるとかなり寒い。羽美を追いかけるために慌てて飛び出した海斗はコートもなにも羽織っていない。冷たい風が身体を纏わりついてくる。海斗は両手で肘を抱え、砂浜から道路へと出た。


「冬にスーツだけで海は凍死案件だな」


 ゾクゾクと震える身体をさすりながら海斗は駅へ戻ろうと考えた。ふと周りを見渡すと小さな明かりが見える。気になり歩いて少し近づいてみるとコンビニだった。


(ラッキー。コンビニだ。何かあったかい飲みのもでも買うか)


 海斗は寒さをしのごうとコンビニに歩き進める。


 コンビニまであと五十メートルのところでコンビニから誰かが出てきた姿が見えた。その姿は海斗も自分の目を疑う人物だ。


(お、大倉!?)


 コンビニから大事そうに買ったものが入っているであろう袋を大事に胸の前で抱えている羽美が出てきた。周りに人の気配はなく、確実に一人だ。


「お……」


 海斗は羽美に声を掛けようかと手を伸ばしたが、止めた。あまりにも羽美が真っ直ぐに視線を上げて海に歩いていくものだから、なぜか声が掛けられなかったのだ。海斗は寒い感じていたことも忘れその場に立ち止まった。


 海斗の視線の先にいる羽美は全く海斗の存在に気が付かない。羽美は防波堤に腰をかけ、がさごそとコンビニ袋から買ったものを取り出した。けれど遠いし、暗いしよく見えない。


(自分の誕生日なのに、こんなところで一人で過ごすつもりなのか?)


 羽美の考えることは出会ったときから突拍子もなく、どこかぶっとんだ発言をしてくるところも多かったが今回はトップレベルで驚いた。さすがにこの寒い中、しかも海の近くでさらに冷えているというのに、こんな場所で自分の誕生日を一人で過ごそうとしている事が海斗には分からなかった。普通なら恋人と、好きな人と過ごしたいと思うのが普通じゃないのだろうか。少なくとも海斗はそう思ったからこそ、今日の羽美の誕生日は一緒に過ごしたいと思っていたのに。


 海斗はゆっくりと羽美との距離を詰めた。防波堤に座っている羽美は全く海斗の気配に気が付かず、真っ直ぐに海を見つめている。海斗は羽美の背中を見つめた。


「海斗……」


 羽美がボソリと呟いた。


(えっ……)


 ドキリとした。いつも社長か、本郷さんと海斗の事を呼ぶ羽美が初めて自分の名前を呼んだのだ。


「どうしていいのか分から、ない……怖い……」


 羽美の声が、背中が震えだした。


「海斗っ、かいと……」


 何度も何度も羽美が自分の名前を呼んでいる。呼んでいるはずなのに自分の事を呼んでいるようには感じなかった。愛おしくて懐かしい、そんな想いが籠もっているような声で羽美は泣き続けている。震えている羽美の背中を抱きしめたい。それなのに海斗と名前を泣きながら連呼する羽美に海斗はなかなか声を掛けられず、金縛りにあったかのように指一動かなかった。


 ――あぁ、彼女は俺じゃない。初恋の海斗の名前を呼んでいるんだ。


 悲しみと怒りが湧き上がる。海斗はだらんと下げていた両手をぐっと握りしめた。自分のことを好きだと言っていたくせに初恋の相手をまだこんなにも思っていた羽美に対しての悲しみと怒り。けれどそれ以上に海斗は羽美の初恋の相手に苛立ちを覚えた。羽美をこんなに泣かせて、こんなに愛されているのにどうして姿を現さない? 俺のほうが彼女のことを好きだ。愛してる。絶対に手放したくない、離れたくない。


 羽美は俺の恋人だ。

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