ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

10-3

――今夜、抱かせて。 


 木霊するように熱く耳に残っている。


 仕事終わり、そのまま海斗に手を引かれ羽美は流れるようにここまで来ていた。


 初めて入る海斗の家。これから海斗に抱かれる、そう思うと身体が熱くなり、下腹部が疼く。こんな気持ち知られたらそれこそ痴女だと思われてしまうかもしれない。気づかれないよう、羽美はいつもどおり、平常心を心がけた。
 自分のアパートとは比べ物にならないセキュリティー万全の高層マンション。どうりで羽美のアパートのセキュリティーを心配されたわけだと納得できた。


「お、お邪魔します……すっご……」


 入った瞬間、玄関はとんでもなく広く、羽美のリビングくらいあるのではないかと思うくらいの広さだった。ブラウンを基調としたリビングも言葉にならないほど広く綺麗で、モデルハウスに匹敵するくらいのセンスの良さ。羽美はつい周りをキョロキョロと見渡してしまう。


「適当にくつろいでていいから。ご飯、タラコパスタと和風パスタどっちがいい?」


 スーツのジャケットを脱ぎながら海斗が羽美に尋ねる。


「へっ!? 本郷さんが作ってくれるんですか!?」
「もちろん。ペペロンチーノでもいいけど、口がニンニク臭くなったらキスするのに困るだろう?」


 海斗はくすっと笑い羽美の顔を覗き込んでくる。


「か、からかって! タラコがいいです。タラコ!」


 羽美はぷいっとそっぽを向いて口先を尖らせた。心臓がどくどくと力強く脈打ち、体温が上昇していく。今日のこの先を期待して。


「ははっ、オッケー。じゃあ準備してくるから座って待ってて」


 海斗はピッとリモコンでテレビをつけキッチンへ向かった。羽美は恐る恐る大きなカウチソファに腰掛け、テレビを見る。


(て、テレビこれ何インチなんだろう?)


 羽美の家にあるテレビの軽く五倍はある大きさの画面にはリアルタイムで流れてるお笑い番組がついていた。


 カウンターキッチンから紺色のエプロン姿の海斗が見える。羽美はテレビをみるよりも海斗を見ている方が楽しくて、料理をしている海斗を凝視していた。その視線に気がついたのか、海斗は少し恥ずかしそうに目を合わせ、すぐにそらされてしまった。


「できたよ。座って」


 ダイニングテーブルに置かれたタラコパスタを見て羽美は目を輝かせた。おしゃれに刻んだ大葉まで添えられている。


「すごいっ。本郷さん料理上手なんですね! すごく美味しそうです」
「簡単な料理ならな」


 海斗と向い合せに座った羽美の目の前に置かれたワイングラスにトクトクと赤ワインが注がれていく。
 

「あの、私だけですか? 本郷さんは?」


 羽美のグラスは熟れた赤色のワインがとっぷりと注がれ、海斗のクラスには透き通った液体が入っている。


「俺、酒弱いんだよ。だからもっぱら水しか飲まない」
「意外ですね。お酒が弱いなんて。でも会食のときとかはどうしてるんですか?」
「気合で乗り切って、家で死んでる。ほら、冷めないうちに食べるぞ」
「あ、はいっ。いただきます」


 くるくるっとフォークに巻き付けて一口。


「んぅ〜! 美味しいです! 絶品です!」


 羽美は満面の笑みで海斗を見た。


「褒めすぎ」


 少し照れた表情を見せた海斗はまんざらでもない様子だ。嬉しそうに目尻を下げている。


「また、作ってくれますか?」


 羽美はフォークを止め、海斗をまっすぐに見た。


 これからも、ずっと海斗と一緒に居たい。海斗がもし記憶を取り戻した時、拒絶されても、今から負けないくらいの思い出を作れば良い。
不安なんて吹き飛ばしてやればいい。


 昼間の出来事で悩んでいた羽美だがこうして海斗と一緒の時間を過ごすことによって少しずつ、いつものポジティブな自分に戻れている気がした。


「当たり前だろう。俺は大倉の彼氏、なんだから」


 しっかりと海斗と目が合った。真っすぐで力強い、意志の強い瞳に羽美は嬉しくて唇を噛んだ。


 なんて心強いんだろう。


「そうですよね! 私達、会長公認のラブラブカップルですもんね!」
「ラブラブカップルは言い過ぎだろ」
「なっ、私達ラブラブじゃないんですか?」


 羽美はむすっと頬を膨らませながらパスタをフォークに巻き付けた。


「拗ねてんの?」


 ニヤッと小さく笑った海斗が下から覗き込むように羽美を見る。羽美はもくもくとパスタを食べた。


「……ラブラブだろ」


 海斗の声に羽美は驚いて顔をあげた。海斗は恥ずかしそうに羽美から視線を外し、口を開く。


「だから今日もこうして俺の家に誘ったんだから。俺はこうしてパスタを食べてる間も早く大倉に触れたいって思ってるよ」


 海斗の耳が真っ赤に染まっていた。恥ずかしくて照れながらも思いを伝えてくえたことが嬉しくて今すぐに抱きつきたくなる。羽美は優しく微笑んだ。


「味わって、早く食べましょう」
「ん、そうだな」


 二人してあっという間にパスタを完食したのは言うまでもない。


「大倉。風呂、一緒に入ろう」
「嫌です」


 羽美は真顔で即答した。


「なんでだ」


 海斗も真顔で羽美を見る。


「なんでも、です。女はちゃんと綺麗にした状態で好きな人に抱かれたいんです」
「でも一番最初の時は、風呂に入ってなかったよな?」
「そ、それは! 致し方ないんです!」
「仕方ないな。じゃあ次は一緒に入ろうな?」


 海斗は腰をかがめて羽美とぴったり視線を合わせた。嫌とは言わせないと目で訴えてくる。いつも恥ずかしがり屋のはずがたまに男を見せてくるのは反則だ。羽美は「次は、ね」と約束を交わした。次がある、その約束が嬉しい。


 羽美は上機嫌でお風呂場に向う。風呂も予想通り大きく、緊張しながら羽美は全身をくまなく洗った。


「で、出ました。あの、これありがとうございます」


 リビングでテレビを見ながらくつろいでいた海斗に声をかける。お風呂上がり、羽美は海斗の用意してくれていたスウェットに着替えていた。


「彼シャツ、ハマりそうだわ」


 海斗が聞こえないくらいの小さな声で呟く。


「え? なんて?」
「なんでもない。じゃあ俺も入ってくるから寝室で待ってて」
「は、い」


 ぽんっと羽美の頭を触り、海斗もお風呂場に向かっていった。


 寝室、とハッキリ言われるとなんだか気恥ずかしい。


(すっご……)


 大きなベッド。一人暮らしのはずなのにキングサイズという贅沢な大きさに海斗が社長なんだと言うことが思い知らされる。


 ベッドに腰掛け、羽美は深呼吸した。


(は、初めてじゃないのに。すごい緊張する。場所の問題かな?)


 羽美はゆっくりと瞳を閉じ、心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。


「お待たせ」
「へっ!? 早くないですか!?」


 海斗の声でバッと目を開いた羽美の前には半裸の海斗が立っていた。


(に、肉体美が眩しいっ!)


 キシっと少しベッドが軋み、羽美の隣に海斗が座った。何度も見てるはずなのに何度見ても新鮮で、背中に見えるホクロを見るたびに胸がキュンとときめく。


「大倉」


 鼓膜を蕩けさせるような甘い声。海斗の大きな手が羽美の頬を包み込む。


「今日、本当に大丈夫だったか? 親父のところから帰ってきたらすごい顔色が悪かったから」


 眉尻を下げて、海斗が不安そうに羽美を見た。


 羽美は海斗の手の上から自分の手をそっと重ね、頬を擦り寄せる。


「本郷さんはとても優しいご両親に育てられたんだなって思いました。本郷さんもこうして私なんかを心配してくれる優しい人。似ている親子だって思いました。この手が、私を離さないでいてくれる限り私はすごく幸せです」


 この手で、抱いて。そして、不安なんて吹き飛ばして。


「大倉……」
「っても、私からもこの手を離す気は全くないので。一生離れることはないと思いますよ?」


 羽美はふふっと照れくさそうに笑った。


「本当、大倉は可愛いことをサラッと言っちまうんだよな」


 羽美の背中に海斗の左手が周り、そっとベッドに背がついた。


「まぁ、そういうところに惚れたんだけどな」
「本郷さん……あっ……ん」


 真っ直ぐな視線が絡み合う。何度も何度もキスを繰り返し、シーツの狭間で何度も何度も愛を囁い合った。





ハッ、ハッ、ハッ。短くて荒い呼吸音で羽美はハッと目が冷めた。隣で寝ている海斗が額に汗をかき、苦しそうに顔を歪めている。


「か、海斗……?」


 唇の隙間からは小さく唸り声も聞こえてくる。


(なにか嫌な夢でも見てるの……?) 


 羽美は海斗の額の汗をティッシュで拭き取り、トントンと海斗の肩を叩いた。一度起こしたほうが夢が途切れるかもしれない。


「本郷さん、本郷さん」
「んんっ……ぅう……」


 身体を小さく捻り、海斗はなかなか目を覚まさない。ツーっと瞳の端から涙が流れた。


(な、泣いてる……?)


 羽美はもう少し大きな声で海斗を呼んだ。


「本郷さん、本郷さん!」


 ゆらゆらと身体を揺らす。


「わぁぁあああッ!!!」


 大きな叫び声とともに勢いよく身体を起こした海斗はハァハァと大きく息を切らしている。


「本郷さん、大丈夫ですか!?」
 

 羽美は本郷の震える背中を撫でながら、海斗の顔色を伺った。薄暗い部屋の中でも分かるくらい、怯えきった顔をしてる。


 海斗は絞るような声を出した。


「あっ……ごめ、夢か。驚かしたよな、悪い」


 海斗は前髪を掻きあげ、大きなため息をついた。


「なにか悪い夢でも見たんですか?」
「いや、なんの夢だったんだろう。覚えてないわ。起こして悪かったな。ちょっと水飲んでくるから、大倉は寝てて」


 耳朶を触りながらベッドを出る海斗、羽美はその仕草を見逃さなかった。海斗は嘘をついている。それでも自分から言い出さないのはきっと心配をかけたくないからだろう。羽美はそっと頷いた。


 いつか海斗から話してくれる時が来るかもしれない。そう願って、羽美は布団に潜った。

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