ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜
9-3
今まで口を噤んでいた会長が羽美を見て口を開いた。
「海斗は君の写真を、数少ない荷物の中に大切そうにしまってあったんだ。けれど私達は昔のことは思い出してほしくなくて写真を隠した。安藤君から新しい秘書を採用したと聞いて履歴書を見せてもらった時震えたよ。写真の子だってね。面影がそっくりだ」
会長がバックの中から一枚の写真を取り出した。羽美と海斗のツーショット写真だ。羽美の家を訪れた時に海斗が見てしまった写真と全く同じもの。運動会のときに羽美の母親が撮ってくれた写真で同じものを羽美は今も大切に写真立てに入れ玄関に飾ってある。あの写真だ。
「っ――」
ずっと、ずっと堪えていたのに、羽美の頬からツーっと涙が流れた。溢れ出す涙が膝の上に落ちてシミを作り出す。
「事故にあった時は君の存在を隠す事が、それがその時は最善の策だと思ったんだ。全てを忘れた海斗に新しい人生を歩んでもらおうと。けれど最近の海斗の様子を聞くと、頭痛も何度か起こっているんだろう? 君が現れるまでは年に一回あるかないかくらいでこんなに頻繁に起こるものではなかったから……私達は思ったんだ。海斗は記憶を思い出したいんじゃないかって。君を好きだった時の自分を呼び起こそうと海斗の本能が叫んでるのだろうと」
会長の話を聞いて更に羽美の瞳からは大粒の雫がボタボタと落ちていく。
泣いて話すことの出来ない羽美を見つめながら会長は話しを続けた。
「私達夫婦はどうしたらいいか悩んでいた。嘘をついている罪悪感、君が海斗の前に現れてからの海斗の様子を聞いて、本当のことを海斗に話すべきか、話さないべきか。そんな時に海斗から彼女が出来たと聞いて驚いたよ。今まで恋愛なんて面倒だといって彼女を私達に紹介してくれた事なんて一度も無かったのに、真剣な顔で私達に話してくれたんだよ。だからお見合い話はなしにしてくれってね。君のことを話す時、海斗はすごく優しい顔をしていた。海斗のこんなにいい笑顔を引き出した女性は誰なんだろうと気になった。本当、驚いたよ。記憶のないはずの海斗が君の事を彼女だと口にしたものだから。この子は記憶がなくてももう一度君に恋をしたんだってね。あぁ、この子達は運命なんだ。引き裂かれてももう一度巡り合う運命だったのか、ってね」
「運、命……」
泣きながらボソリと呟いた。
海斗に対して幼きあの日、駆け落ちをしようと連れ出してしまった申し訳ない気持ちと、付き合いだして早々に彼女だと両親に紹介してくれた嬉しい気持ちがぐちゃぐちゃに溶けて混ざり合い更に涙が溢れる。言いたいことはたくさんあるのに泣きすぎて、言葉が喉でひっかかって出てこない。
「大倉羽美さん、私達は海斗の幼馴染であり、彼女である君にお願いがあって今日ここに来ました」
真剣な眼差しを会長は羽美に向ける。羽美もその視線と雰囲気に流れていた涙を手の甲で拭い取り大きく息を吸って真っ直ぐに二人を見た。婦人の肩に手を添えていた会長の手に力が入ったことが目に見えて分かる。
「私達夫婦はこの通りもう互いに七十を過ぎている。私達が死んで残された海斗がたった一人で記憶を取り戻してしまったら、あの子はいくら大人といえど心が壊れてしまうじゃなかと心配で海斗には早く結婚相手を見つけなさいと催促していました。もし見つからなければお見合いしろとも言ってありました。けれど海斗の口から彼女が出来たと聞いて支えてくれる人が出来たんだと心から安堵した。いずれ海斗は遅かれ早かれ記憶を取り戻すかもしれない。もしかしたら嘘をついていた私達のことを許してはくれないかもしれない。だから君に、羽美さんにお願いがあります。君はこの写真を隠し貴女の存在を海斗から消し去った私達を許せないと思う。記憶のない海斗に嘘をついたことも、幼い海斗にもっと早くに手を差し伸ばしてやらなかった私達のことを。けれど私達は本当に海斗の事が心配で……自分勝手と思われても仕方ない、羽美さん、海斗のこと、隣で支えてやってほしいんです。きっと海斗は記憶喪失にならなければ君のことを忘れることはなかったと思うし、心の支えにしていたんじゃないかと思うんだ。こんな身勝手なお願いを会社まで来て急に言ってしまって申し訳ないと思っている。それでも、私達には海斗は可愛い孫で、苦しんでほしくなくてだな……」
会長は肩を震わせながら言葉を詰まらせた。海斗が自分のことを彼女だと紹介してくれ、嬉しいはずなのに。会長夫婦が自分を頼って会いに来てくれたのに。この話を聞く前の自分ならここで「任せて下さい、私が海斗を支えます」と即答出来ていたはずなのに、声が詰まる。
海斗と駆け落ちした日に海斗の母親は自殺した。もしかしたら海斗は自分に対して怒っているかもしれない。虐待を受けていても海斗は母親を大切にしていたのを羽美はよく知っている。自分が駆け落ちしようなんて誘い出さなければ海斗は母親の自殺を止められたのかもしれない。
――海斗が記憶を取り戻してしまうことが怖い。
海斗が記憶を取り戻して過去の記憶が蘇り、自分に対してどう思っているのか、それを知ることが怖い。確かに何度か海斗が頭を痛めているところは見ているが自分の知らないところでも思い出しそうになり痛みに堪えていたのだろうか。今は外傷的な痛みだけを耐えればいいのだろうが、記憶を取り戻したら精神的な傷をもう一度負うことになる。会長夫婦が心配する気持ちが痛いほど分かった。海斗にパートナーがいれば支えてくれる、そう願っている会長夫婦の思いを自分で成し遂げる事が出来るかと聞かれたら正直不安しか無い。海斗がもしも自分のことを恨んでいたらと思うと怖くて、なんて返事を返せばいいのか羽美は返事をすぐに返せないでいた。
「すまなかった。君を困らせるつもりじゃなかったんだ。元はと言えば私達が悪いのだから」
会長が申し訳無さそうに深く羽美に対して頭を下げた。
「会長、顔を上げてください……」
喉もカラカラで声を真っ直ぐ発することが精一杯だ。それでも、海斗のことをこんなにも思い、考えてくれている会長夫婦がいるのに、自分だけが怖いからと逃げるわけにはいかない。なによりも、もし、海斗に嫌われていたとしても諦められないと思う気持ちのほうが大きかった。
羽美は声を絞り上げた。
「私が側にいることでもしかしたら海斗は苦しんでしまうことも少なくはないと思います。それでも、私はずっと海斗のことが好きで、幼い頃からずっと海斗のことを守りたいって思っていました。私は、彼のことを守りたい。記憶を取り戻して、もしかしたら私のことを恨んでいるかもしれない。それでも……私は彼から離れるという選択肢はありません。出来るかはわかりませんが、私が海斗を守り、支えてあげたいって思います」
全神経を集中させて話したせいか息がはぁはぁと息が切れている。会長夫婦はお互いに目を合わせ、ほっとした優しい笑みを溢した。
「羽美さん、ありがとう」
婦人の柔らかな声が羽美をそっと包み込む。
この二人が悩んできたことを一緒に共有出来てよかった。悩むところはたくさんある。あるけれど、海斗を好きな気持は一ミリたりとも変わらない。変わらないで好きで、好きで、好きなはずなのに、どうしてこんなに不安なのだろうか。
「海斗は君の写真を、数少ない荷物の中に大切そうにしまってあったんだ。けれど私達は昔のことは思い出してほしくなくて写真を隠した。安藤君から新しい秘書を採用したと聞いて履歴書を見せてもらった時震えたよ。写真の子だってね。面影がそっくりだ」
会長がバックの中から一枚の写真を取り出した。羽美と海斗のツーショット写真だ。羽美の家を訪れた時に海斗が見てしまった写真と全く同じもの。運動会のときに羽美の母親が撮ってくれた写真で同じものを羽美は今も大切に写真立てに入れ玄関に飾ってある。あの写真だ。
「っ――」
ずっと、ずっと堪えていたのに、羽美の頬からツーっと涙が流れた。溢れ出す涙が膝の上に落ちてシミを作り出す。
「事故にあった時は君の存在を隠す事が、それがその時は最善の策だと思ったんだ。全てを忘れた海斗に新しい人生を歩んでもらおうと。けれど最近の海斗の様子を聞くと、頭痛も何度か起こっているんだろう? 君が現れるまでは年に一回あるかないかくらいでこんなに頻繁に起こるものではなかったから……私達は思ったんだ。海斗は記憶を思い出したいんじゃないかって。君を好きだった時の自分を呼び起こそうと海斗の本能が叫んでるのだろうと」
会長の話を聞いて更に羽美の瞳からは大粒の雫がボタボタと落ちていく。
泣いて話すことの出来ない羽美を見つめながら会長は話しを続けた。
「私達夫婦はどうしたらいいか悩んでいた。嘘をついている罪悪感、君が海斗の前に現れてからの海斗の様子を聞いて、本当のことを海斗に話すべきか、話さないべきか。そんな時に海斗から彼女が出来たと聞いて驚いたよ。今まで恋愛なんて面倒だといって彼女を私達に紹介してくれた事なんて一度も無かったのに、真剣な顔で私達に話してくれたんだよ。だからお見合い話はなしにしてくれってね。君のことを話す時、海斗はすごく優しい顔をしていた。海斗のこんなにいい笑顔を引き出した女性は誰なんだろうと気になった。本当、驚いたよ。記憶のないはずの海斗が君の事を彼女だと口にしたものだから。この子は記憶がなくてももう一度君に恋をしたんだってね。あぁ、この子達は運命なんだ。引き裂かれてももう一度巡り合う運命だったのか、ってね」
「運、命……」
泣きながらボソリと呟いた。
海斗に対して幼きあの日、駆け落ちをしようと連れ出してしまった申し訳ない気持ちと、付き合いだして早々に彼女だと両親に紹介してくれた嬉しい気持ちがぐちゃぐちゃに溶けて混ざり合い更に涙が溢れる。言いたいことはたくさんあるのに泣きすぎて、言葉が喉でひっかかって出てこない。
「大倉羽美さん、私達は海斗の幼馴染であり、彼女である君にお願いがあって今日ここに来ました」
真剣な眼差しを会長は羽美に向ける。羽美もその視線と雰囲気に流れていた涙を手の甲で拭い取り大きく息を吸って真っ直ぐに二人を見た。婦人の肩に手を添えていた会長の手に力が入ったことが目に見えて分かる。
「私達夫婦はこの通りもう互いに七十を過ぎている。私達が死んで残された海斗がたった一人で記憶を取り戻してしまったら、あの子はいくら大人といえど心が壊れてしまうじゃなかと心配で海斗には早く結婚相手を見つけなさいと催促していました。もし見つからなければお見合いしろとも言ってありました。けれど海斗の口から彼女が出来たと聞いて支えてくれる人が出来たんだと心から安堵した。いずれ海斗は遅かれ早かれ記憶を取り戻すかもしれない。もしかしたら嘘をついていた私達のことを許してはくれないかもしれない。だから君に、羽美さんにお願いがあります。君はこの写真を隠し貴女の存在を海斗から消し去った私達を許せないと思う。記憶のない海斗に嘘をついたことも、幼い海斗にもっと早くに手を差し伸ばしてやらなかった私達のことを。けれど私達は本当に海斗の事が心配で……自分勝手と思われても仕方ない、羽美さん、海斗のこと、隣で支えてやってほしいんです。きっと海斗は記憶喪失にならなければ君のことを忘れることはなかったと思うし、心の支えにしていたんじゃないかと思うんだ。こんな身勝手なお願いを会社まで来て急に言ってしまって申し訳ないと思っている。それでも、私達には海斗は可愛い孫で、苦しんでほしくなくてだな……」
会長は肩を震わせながら言葉を詰まらせた。海斗が自分のことを彼女だと紹介してくれ、嬉しいはずなのに。会長夫婦が自分を頼って会いに来てくれたのに。この話を聞く前の自分ならここで「任せて下さい、私が海斗を支えます」と即答出来ていたはずなのに、声が詰まる。
海斗と駆け落ちした日に海斗の母親は自殺した。もしかしたら海斗は自分に対して怒っているかもしれない。虐待を受けていても海斗は母親を大切にしていたのを羽美はよく知っている。自分が駆け落ちしようなんて誘い出さなければ海斗は母親の自殺を止められたのかもしれない。
――海斗が記憶を取り戻してしまうことが怖い。
海斗が記憶を取り戻して過去の記憶が蘇り、自分に対してどう思っているのか、それを知ることが怖い。確かに何度か海斗が頭を痛めているところは見ているが自分の知らないところでも思い出しそうになり痛みに堪えていたのだろうか。今は外傷的な痛みだけを耐えればいいのだろうが、記憶を取り戻したら精神的な傷をもう一度負うことになる。会長夫婦が心配する気持ちが痛いほど分かった。海斗にパートナーがいれば支えてくれる、そう願っている会長夫婦の思いを自分で成し遂げる事が出来るかと聞かれたら正直不安しか無い。海斗がもしも自分のことを恨んでいたらと思うと怖くて、なんて返事を返せばいいのか羽美は返事をすぐに返せないでいた。
「すまなかった。君を困らせるつもりじゃなかったんだ。元はと言えば私達が悪いのだから」
会長が申し訳無さそうに深く羽美に対して頭を下げた。
「会長、顔を上げてください……」
喉もカラカラで声を真っ直ぐ発することが精一杯だ。それでも、海斗のことをこんなにも思い、考えてくれている会長夫婦がいるのに、自分だけが怖いからと逃げるわけにはいかない。なによりも、もし、海斗に嫌われていたとしても諦められないと思う気持ちのほうが大きかった。
羽美は声を絞り上げた。
「私が側にいることでもしかしたら海斗は苦しんでしまうことも少なくはないと思います。それでも、私はずっと海斗のことが好きで、幼い頃からずっと海斗のことを守りたいって思っていました。私は、彼のことを守りたい。記憶を取り戻して、もしかしたら私のことを恨んでいるかもしれない。それでも……私は彼から離れるという選択肢はありません。出来るかはわかりませんが、私が海斗を守り、支えてあげたいって思います」
全神経を集中させて話したせいか息がはぁはぁと息が切れている。会長夫婦はお互いに目を合わせ、ほっとした優しい笑みを溢した。
「羽美さん、ありがとう」
婦人の柔らかな声が羽美をそっと包み込む。
この二人が悩んできたことを一緒に共有出来てよかった。悩むところはたくさんある。あるけれど、海斗を好きな気持は一ミリたりとも変わらない。変わらないで好きで、好きで、好きなはずなのに、どうしてこんなに不安なのだろうか。
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