ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

5-1

 朝、スマホのアラームで飛び跳ねるように起き、洗面所に映し出された羽美の顔はひどいものだった。本郷不動産に初出勤だと言うのに羽美の目の下はまっくろなクマが目立つ。考えれば考えるほど、なかなか眠れなかった。


 ――あと三ヶ月で海斗は誰かとお見合い結婚してしまう。


 羽美は洗面所に両手をつき深いため息をついた。海斗は三ヶ月後に結婚相手がいないと親にお見合い結婚させられるらしい。大手企業の家族経営ならではの悩み、跡継ぎ問題といったところが親が海斗に早く結婚を求める理由だろうか。現に二十八歳の羽美と海斗は結婚して、子どもがいてもおかしくない年齢だ。周りの友達だって早い子は二十代前半で結婚し子どもだっている。だが、今は晩婚も普通の時代で女性が三十代になってからの結婚なんて全くおかしくない。けれど子どものことを考えると三十五歳までに結婚して産みたいと思う女性が大半だろう。羽美も海斗に出会えた今、海斗と結婚して子ども……なんて淡い期待を胸にそうなったら素敵だな、と未来を想像してしまったわけだ。


 ――女の人を好きになった事がない。


 よくよく考えてみれば記憶を失ってから好きな人が出来たことがないと言っているようなものだ。全面所の鏡に映る羽美の顔がニヤリと口角を上げていた。


「記憶にないけど、初恋は私のままで、私しか好きになったことがないっっていうことだよね。記憶にはないけど」


 ニヤリと上がっていた口角はいとも簡単に重力に逆らえず下を向く。自分で口に出しておきながら羽美は凹んだ。記憶にない、忘れられている、これがどんなに苦しいことか。二人の楽しかった思い出を海斗は全て忘れてしまっている。毎日一緒に登下校した小学校。毎年お互いの誕生日にはおめでとうって誰よりも早くお祝いして、あの日海斗にお祝いしてもらった最後の誕生日。初めてキスした日。あの日のケーキも花火も全て海斗は忘れてしまっているのだ。


 思い出して欲しい、思い出して思い出を共有したい。それでも海斗には無理に自分のことは思い出してほしくはない。矛盾する気持ちが羽美の身体を侵食する。


 幼少期にたくさんの痛い思いを堪えてきた海斗。元にそれが身体に証拠として残っているのだ。思い出したくないからこそ、記憶が無くなってしまった。だから、思い出しそうになると身体が危険信号を出して激しい頭痛におそわれてしまう。海斗の話を聞いた時、最初は羽美もなんの疑いもなくそう思った。


 けれど家に帰り冷静になってもう一度色々とよく考えてみると一つの疑問がぽっと浮かんだのだ。


 幼少期、海斗は苦しい思いを耐えながらも母親のことは一切責めず、むしろ大切にしていたのだ。一度だって母親の悪口を海斗の口から聞いたことはない。お母さんは悪くないんだ、と海斗はよく言っていた。だからだろうか、羽美は少し引っかかり、気になった。何が一番の原因で海斗の記憶を眠らせたのだろうか、と。


「って、会えなかった期間が長すぎて海斗の性格はまるで別人だし、やっぱり原因は本人しかきっとわからないよね。本当性格は違う人みたいなんだけど……今の、大人になった海斗も、いい」


 笑みがこぼれる口元を羽美は両手で覆った。本郷不動産での面接日の一連を思い出すと胸がドキドキと高鳴り、下腹部がキュンと小さく反応する。


「あ……でも……」


 羽美の感情が朝からジェットコースターのように急降下したり、そのままの勢いで上がったりと大忙しだ。


「あと三ヶ月しかないんだよね」


 もう一度初めからやり直して思い出を新しく作っていこうなんて思っていた矢先。三ヶ月後問題の壁にぶち当たった羽美は「あぁぁ」と髪をぐしゃぐしゃに掻き叫んだ。


「あぁっ、考えたって考えたって海斗が好きだからどうしようもないよね!」


 うだうだ悩むのは性に合わない。今日から必死で海斗にアピールして三ヶ月以内に好きになってもらはなくちゃ、と羽美は意気込み、鏡に映る自分をキッと睨んだ。


 ぐしゃぐしゃになった髪を綺麗に梳かし、目の下の真っ黒なクマを必死でコンシーラーで隠す。身なりはビシッと出来る女に見られるようクリーニングに出したてのピシッと張りのあるスーツに着替え気合十分で羽美は会社へと向かった。


(っていっても、どうやって好きになってもらえるのか、なんにも作戦考えてないのよね)


 電車に揺られながら羽美は考えた。どうやったら自分の事を好きになってくれるのか。


(自分のことを好きになった場合のいいところをプレゼンするとか?)


 羽美はブンブンと顔を横に振った。それはあまりにも固すぎる。


 N駅まで五駅分電車に揺られながら考えても考えても海斗が好きってことだけで、打開策はなにも思いつかなかった。

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