ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

4-5

 ――こんなに気になる存在は初めてだ。


「おはよう」
「社長、おはようございます。コーヒーです」
「ん、さんきゅう」


 朝、羽美を駅まで送り海斗は一度着替えに自宅へ帰ってから会社へと出社した。出社してすぐに秘書の安藤晴美あんどうはるみが淹れてくれたコーヒーを飲む。この朝一のコーヒースタイルはいつの間にか一日の始まりのルーティーンとなっていた。今じゃこのコーヒーから始まらないとなんだか頭がしゃきっとしないくらいだ。ごくんと一口飲み、海斗はマグカップをデスクの上に置いた。


 本郷不動産の事業もうなぎのぼりのように順調だ。秘書一人では流石に大変だと安藤が漏らし始めたのでもう一人秘書経験のある人材を雇うことになった。経歴や、面接態度などトータルして大倉羽美を採用したのだが、ここまで自分を翻弄して、意識させるなんて……


 海斗はご機嫌な様子でまた一口、コーヒーを飲んだ。


「社長、なんか今日は機嫌よくないですか? なにかイイことでもありました〜?」


 安藤がすかさず機嫌のいい海斗の理由を探ってきた。長い付き合いの安藤は海斗の変化に敏感に気づいてくる。


「ん? 別に普通だろ」


 そう、普通にいつもどうり女性の誘いは適当に断って、家まで送っていくはずだったのに。海斗は羽美の誘いをどうしても断れなかったのだ。いや、断らなかったと言ったほうがあっているか……


 初めて出会ったときから海斗にとって羽美は他の女とは違う、特別な存在だった。


 大倉羽美と一緒に半分個して食べたショートケーキは甘い味がした。


 幼い頃、記憶を無くしてからショートケーキだけは好物なはずなのに、何故か味がしなかったのだ。空気を食べているように無味だった。他のケーキを食べた時はちゃんと味がするのにショートケーキだけは味がしない。不思議な現象が起きていたのだ。それなのに、どうして彼女と食べたケーキは美味しい、と味を感じたのだろうか。不思議に思いあの後一人でもう一度確かめるためにショートケーキを食べてみた。けれど彼女と半分個したショートケーキのように美味しいとは感じず、また、味がしなかった。


 何故、あの時食べたケーキはあんなにも甘い味で美味しく感じたのか。海斗は色々と考えているうちに彼女と一緒だったから美味しく感じたのかもしれない。何故だか素直にそう思えてしまった。いきなり人違いされ、人違いと分かったはずなのに一つのケーキを半分にして食べるという奇行。普通じゃ考えられない羽美の発想に驚かされて、楽しませてくれた。だから美味しく感じたのだろうか。


 羽美に海斗は何度も驚かされた。不思議な存在の彼女がまさか自分の会社の面接に現れるなんて思ってもいなかったのだ。向こうも驚いた様子だったので自分がここの経営者だとは思ってもいなかったのだろう。昨日一緒にケーキを食べた相手が会社の社長で面接官だなんて驚いただろうな……羽美の面接室に入ってきた時の驚いた顔を思い出しただけで可笑しくて笑みがこぼれてくる。


 どうしてだろう。大倉羽美と一緒にいると不思議な感情に自分の脳がついていかない。


 昨日だってそうだ。いきなり身体を見せてくれと言い出し、その姿が余りにもいじらしくて、可愛くて、でも面白くて吹き出しそうになった。けれどそれと同時にこの子もきっと自分の身体を見たら去っていくだろう、そう思った。海斗の身体は事故の後遺症でお腹には手術の跡が、薄くはなっているものの火傷の跡も少し残っている。昔少しだけ女性とも付き合ったりしたけれど付き合ってきた女性は海斗の傷を見るなり嫌そうに顔を引き攣らせながらも本郷不動産の跡取りだから、とか、顔がいいから付き合っていたらしい。別れる時は大抵この言葉を言われた。


 自分に女を見る目がなかったのかもしれないが、海斗自身をしっかりと見てくれる人はいなかったのだ。かと言って海斗自身も相手を本気で好きになった事がなかった。お互いに相手のことをしっかりと見ていなかったという証拠だろう。


 実の親だってそうだ。事故によって記憶を失った息子が可愛そうなのか、海斗をみる両親の目はたまに憐れみを含んでいる。


 きっと羽美も自分が社長だから好きだと言い出したのかもしれない、そう心の奥底で海斗は思っていた。けれど彼女は真っ直ぐに、なんの汚れもない無垢な瞳で海斗を見つめ続けた。羽美だけが唯一自分の身体を見て引かなかったのだ。それどころか自分の事を好きだと言い出し、彼女は全く引かずに体中の傷にキスをしてくれたのだ。そんなの……


(嬉しいだろうがっ! 可愛すぎんだろうがっ!)


 海斗は頭を抱えてデスクに突っ伏した。その様子を見ていた安藤が「社長、また頭痛ですか? 薬は?」と心配してくる。


 海斗は記憶に関してなにか思い出しそうなとき頭が割れるような痛みが走るが、結局はいつも思い出せないままだった。幼少期の記憶は一切思い出せない。


「いや、違う。大丈夫だ」


 安藤は「なら、恋の病でもかかったんですかね〜」と笑いながら冷やかしてきた。


 ――恋? 俺が?


 そんなことは有り得ない。恋なんて興味ない。恋なんて感情あったのかさえも分からない。遠の昔に消え去った。そう思っていたはずなのに……


(好きとかは別として、大倉は凄い可愛く見えちまうんだよ!)


 どちらかと言うと黒髪ロングのキリッとした瞳の羽美は可愛いと言うより第三者から見たら綺麗のほうがしっくり当てはまるだろう。けれど、海斗にはすごく可愛く見えてしまっていた。


 大倉羽美という女は本当に海斗にとって不思議な存在だ。海斗は普段から人の気配を感じると眠れない。社長に就任してからは尚更気を張っているのか人の気配がどうしても気になってしまうのだ。家で一人だとぐっすり眠れるが会社の仮眠室でも横になるくらいで徹夜明けでどんなに疲れて眠いときでも眠ることは無かった。それなのに、海斗は羽美を抱いた後、彼女のあどけない寝顔を見ていたらいつの間にか自分も寝落ちていたらしい。彼女がそばに居ても嫌じゃない、気にならない。むしろ包み込まれているような優しい温かさに安心さえしてしまっていた。あの時、羽美に髪を触られていなかったら朝までぐっすり寝ていた可能性も高いだろう。


(しかも……処女って、まじでもえたわ)


 自ら自分は処女だと喧嘩腰に打ち明けてきた羽美。恥ずかしそうに顔を真赤に染めているくせに勢いよく海斗の上に羽美は跨ってきた。その姿が胸が締め付けられるくらいいじらしくて魅力的で、その積極的なところも可愛くて悶絶寸前だった。けれど同時に何故かムカッとした。自分が初めての男になった嬉しさと、ケーキ屋で話していた自分によく似た人物の存在。この年までずっと自分の容姿に似た海斗という男のために純潔を守ってきたのかと思うと、会ったこともない海斗という男に腹が立ってしまったのだ。得体のそれない男に海斗は奥歯をギリッと噛み締めた。羽美は海斗の感情を大きく揺さぶる天才なのかもしれない。


「はぁ……」


 海斗は気持ちを落ち着かせようとコーヒーを一口飲む。


(俺が女を好きになるなんて有り得ない。だけど大倉はなんか特別な感じがして、結婚して一緒に住んだとしても眠れるかなぁと思ったんだよな)


 そんな軽い気持ちで契約結婚でもどうだ? と提案したらまた海斗の予測を上回る回答に腹の底から笑った。


 ――結婚は両思いの人とするものです。


 うん、それは確かにそうだ。


 ――なら、私を好きになればいい。


 はい?


 どうしたらそこまでぶっ飛んだ考えが瞬時にでるのか羽美の脳内を見てみたい。つい思い出し笑いをしてしまいそうになり、海斗は口元を片手で覆った。


 羽美の言葉にはなんだか妙に説得力があり、この女なら本当に自分を惚れさせるんじゃないか、とまで海斗に思わせるほど。羽美は真っ直ぐに思いを伝えてくる。


 羽美とホテルにいた短い時間、本気で自分のことを惚れさせてやるという気持ちがひしひと伝わってきた。けれど好きだと言ってくれる羽美に対して海斗にはひとつ引っかかることがある。


 どうして彼女は自分のことを急に好きだと言い出したのだろうか。初恋の男に見た目が似ているから? まさかとは思うが本郷不動産の社長と知ったから……? 冷静になると色々と疑問が浮き上がってきた。


(いやいや、まさかそんな財産目当てな事大倉が考えるか……?)


 けれど現に金や権力を目当てに言い寄ってくる女はたくさんいた。だから海斗は恋なんてしたくない、そう思うようになってしまったのだ。でもなぜだろう、羽美だけは違うような気がした。ちゃんと真っ直ぐに本郷海斗という一人の男をちゃんと見てくれている、そう思えたのだ。


(だから……抱いちゃったんだよなぁ。理性には自信あったはずなんだけど止められなかった。だって、かわいすぎるだろっ! 好きにはならないだろうけど、可愛いとは、うん、思うな)


 コーヒーを一口、と思ったら既に飲み終わっていたようだ。ふぅとため息をつき海斗はパソコンを開いた。頭の中は大倉羽美で埋め尽くされてるようなものだ。


(三ヶ月かぁ……)


 羽美に伝えた通り三ヶ月後、海斗は恋人がいないとお見合い結婚が決まっている。と言うより親に勝手に決めたような物だ。海斗の両親が余りにも恋沙汰のない息子を心配して十二月になっても生涯を誓い合えるような相手が現れなかったらお見合い結婚をして歳をとった父母を安心させてくれと言い出した。


 確かに海斗の両親は歳をとってから生んだ息子だからか年齢的にはおじいちゃんと言ってもおかしくない年齢だ。自分たちが死んだ後一人残される息子を心配して言い出したことなのか、単純に会社の跡取りのことを心配して言ったのかは分からない。けれど正直言って海斗は結婚をしたいとは一ミリも思っていなかった。誰かと一緒に生活をすることが考えられないし、人の気配に敏感な海斗には結婚ほど至難なものはない。


 お見合い結婚をしろと言い渡されたのが約三ヶ月前。半年の猶予をもらっていたがあっという間に三ヶ月経ってしまっていたところに大倉羽美という面白く、気の引かれてしまう不思議な存在が現れた。わけのわからんお見合い相手と結婚するより、羽美とならうまくいきそうだと思ったら口が先走って言ってしまっていた。


(でも、上等ですとか言って、可愛すぎたな。気の強い女も、悪くない)


 思わず頬が緩みそうになり、海斗はまた手のひらで口元を覆った。彼女は残り三ヶ月で自分を惚れさせるためにどんな突拍子もないことを言い出すんだろうか。


 海斗はパソコンに溜まったメールをチェックしながら羽美のことを思い出し口角が少し上がっていた。

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