ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

4-2

 オレンジの温かみのある色のはずなのにどうしてこうも艶ぽく、むしろエロティックに感じてしまうのだろうか。薄暗い部屋にオレンジ色の間接照明の中、くっきりと分かってしまう彼のシルエット。本郷が今、羽美の隣に座っていた。「見やすいからさ」と言ってホテルに備え付けられていたガウンを着た本郷から感じる熱。その熱は車で助手席に乗っていた時よりももっと近く、熱く、濃厚に感じ取れてしまい、羽美の身体を強張らせている。


「あ、あの、本気ですか……?」


 羽美の緊張で震えた小さな声を聞き取ろうと本郷が顔を寄せてきた。


「本気って、言い出したのは大倉だろ?」


 囁くような甘い声が羽美の耳元を擽る。


「そう、なんですけど……」


(いや、本当そうなんだけど、雰囲気全く違う人になってません……?)


 羽美が身体を見たいと痴女発言してから本郷の雰囲気がガラリと変わってしまった。私と自分の事を呼び、穏やかな優しい印象だったはずの本郷がなぜか自分のことを俺と言うようになり、どちらかとワイルドに近い雄の目をした男に早変わりしてしまったのだ。大倉と呼び捨てされてもなんの違和感もない。


 今までは猫かぶってて穏やかな雰囲気を出していたのだろうか。この自信に満ち溢れたような雰囲気の海斗が今の本当の姿なのだろうか。子供の頃、羽美の後をひょこひょことヒヨコのように可愛く着いてきていた海斗じゃない。しっかりとした大人の男になったんだなぁと羽美はこんな場面の中でも少し感心してしまった。


「身体、見たいんでしょう?」


 本郷に揶揄され、羽美は目を泳がせた。


「っ……見たいです。でも、その、あの、なんだか本郷さん雰囲気変わりすぎじゃないいですか?」


 羽美は身体を少し本郷から離す。


「さっきまでは仕事モードで大人しく紳士らしくしてたけど、大倉にこうも大胆に誘ってもらったら、本性でちゃったな」


 くすっと意地悪な笑みを見せた本郷になるほど、仕事モードだったのかと羽美は妙に納得してしまった。今、目の前にいる彼が本当の姿なのだと。


 自分に素の姿をみせてくれたのかと思うと、嬉しくなり少しだけ緊張が和らいだ。羽美はちらりと本郷を見る。すると本郷はくすりと笑い「緊張してるのか?」と羽美の髪を撫でた。


 緊張はしている。男の人とこういったラブホテルにはいるのも羽美は初めてだ。本郷が海斗である確信を得たい一心で身体を見せてなんていってしまたけど、そうなんだけど――


(ん? まって、誘ったってそっちの意味として捉えられてる!?)


 誘った=セックスになってる!?


 今更ことの重大さに気がついた羽美はあんぐりと大きく開いてしまった口を隠すように両手で覆った。


(あぁぁ、どうしよう。よく考えなくても男女でラブホテルだなんて、やることは一つだけよね。どどどどどうしようっ)


 羽美は焦る脳内で必死に今の現状をまとめた。お互いいい歳した大人だ。男と女がホテルに入って何もしないで出るということは世間一般上ありえないことなのだろう。背中みたさに重大なポイントをすっかり見落としていた。
 うぅっと唇を噛み締めて、羽美はもう腹をくくるしか無いと決心した。


(処女だけど、大丈夫かな……?)


 恋愛経験0の羽美はもちろん処女だ。


「まぁ、そんなに緊張するなよ」


 ガッチガチに固まって脳内パニックを起こしていた羽美に本郷はぽんっと羽美の肩を軽く叩いた。おそるおそる羽美は本郷をちらっと見ると、目が合った。


「俺の身体を見て後悔すんなよ?」


 目尻を下げて少し切なげな表情でボソリと本郷は呟いた。寂しげな瞳を向けてくる。


 後悔という言葉が羽美の頭の中に引っかかった。本郷がどういう意図で後悔という言葉を口に出したのかは分からない。もし、本郷の背中に三つのホクロがなかったら自分は彼が海斗本人じゃなかったことに後悔するだろうか。


 ギシリとベッドが軋み、本郷が更に羽美との距離を詰めてきた。


「じゃあ、見る……?」


 本郷は羽美の方に身体を向け、お互い向き合う形になった。艶めいた黒い前髪から覗く瞳は獲物を捕らえるような雄の目つきをしている。それでもその瞳の奥は少し寂しげに感じるの気のせいだろうか。羽美は緊張しているはずなのに、その瞳から視線を逸らすことが出来なかった。


 本郷と羽美は見つめ合う。自分で身体を見せてほしいと大胆に誘っておきながら緊張で手が細かく震えてしまいそうだ。本郷のちらりとガウンから覗く鎖骨が妙に色っぽくて羽美の鼓動を早くさせる。羽美はごくりとツバを飲み込んだ。


「み、ます」


 緊張と不安で声が震えそうになる。


「ん、じゃあ大倉が脱がして? 勝手に見ていいから」


 本郷は羽美の手を優しく取り自分の着ているガウンに触れさせた。これから決定的証拠が確認できる。そう思っているから羽美の手が小さく震えているのか、それとも単にこの状況に緊張して震えているのかは分からない。分からないけれど羽美は震える手で少しずつ、本郷の身を包んでいるふわふわの白いガウンを下におろしていく。少しずつ露出される肌の面積が増え、本郷のきめ細かい肌に一つの大きな傷と数個の火傷の痕が見えた。


「驚いた? 事故の時の傷なんだけどこの腹のは手術の跡で火傷の痕は車が爆発したみたいなんだよね。っても俺は全く覚えてないんだけどさ。火傷の痕もレーザーとかやってみたんだけど薄くなるくらいでキレイには消えなかった。まぁ思い出ってやつだな」


 腹の傷をさすりながら、本郷はハハっと笑っているけれど、その瞳は寂しげで羽美がよく見たことのある幼き頃の記憶の中にいる海斗の顔と重なった。自分の感情を殺して、我慢して、人に心配をかけまいと無理やりつくった笑顔だ。胸がきゅうっと苦しくなる。大人になった今も過去が彼を苦しめているのだ。


「車が爆発だなんてドラマみたいですね。本当に生きていてよかったです。この傷は本郷さんが生きてくれている証なんですね。本当に貴方が、本郷さんが生きていてよかったです」


 羽美は暗い雰囲気にならないよう微笑んで、そっと本郷の身体の火傷痕に触れた。言葉には出さなかったけれどこの傷跡は羽美も見たことのあるものだった。確かに腹の傷は事故のときの手術後だろう。けれど、車が爆発して火傷を負ったというのは多分そのことを伝えてくれた人なりの優しさなのかもしれない。羽美は何度も海斗の身体に湿布を張ってあげたから分かるのだ。幼い頃、海斗が母親に受けた傷跡が未だに残っていた。タバコを押し付けられた痕が数か所、火傷の痕の色は薄くなっているけれど、気づく人は気づくだろう。


 羽美は本郷の身体から手を離さない。


「痛かったですよね……」


 羽美はボソリと呟いた。


「まぁ確かに事故から目が冷めたときは体中が痛かったな。大倉は俺の身体見ても平気、なのか? 結構引かれる事が多いから人前では脱がないようにしてるんだよ」
「もちろん平気に決まってます。あ、あの、後ろを向いてもらってもいいですか……?」
「後ろ? いいけど」


 本郷に背を向けてもらい、羽美はゴクリと喉を鳴らした。


 ああ、ついに確認が出来る。確信が持てる。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品