ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

4-1

 食事を終えた後、車のエンジンをかけた本郷はなんの名残惜しさもなさそうに「家まで送りますよ」とナビを弄りだした。


 羽美は明後日から本郷不動産の秘書として働き始める。そしたら必然的に一緒にいる時間は長く増えるだろうことは分かっているが、どうしてもまだ一緒に居たいと後ろ髪を引かれていた。


 本郷は過去として羽美のことも一緒に綺麗サッパリと忘れていた。忘れられてしまっているのは悲しいと思ったけれど、よく考えたら悲しいだけじゃない。ケーキ屋で一緒にショートケーキを食べた時、記憶を忘れてもなお、本郷がショートケーキが特別好きだと言っていた。その言葉が羽美にとって自分の存在が微かにも海斗のなかにいるんだ、と一筋の希望の光が見えたのだ。


 本郷が自分のずっと探し求めていた中嶋海斗なのかしっかりと確かめたい。その方法はただ一つ。本郷の、いや、海斗の辛かったのであろう記憶を思い出させるのではない。本郷の背中のホクロを確かめる事だ。


 羽美はナビをいじる本郷の手を止めようと手を重ね、ぎゅっと握りしめた。本郷も驚いた顔で羽美の顔を見る。


「……大倉さん?」
「あ、あの、その……」


 羽美は口籠った。なんて言って引き留めようか何も考えてなかったのだ。とっさに出してしまった手を引っ込めるにも引っ込められない。触れてしまったその手の熱に溶かされ、溶接されてしまったかのように離す事ができなかった。  


「ん? どうしました?」


 本郷は不思議そうに首をかしげた。


「身体っ、本郷さんの身体を見せてください!!!」


 羽美は背筋をぴんっと伸ばした。羽美の強張った身体から張り出した声が真っ直ぐ本郷に突き刺さる。


「私のから、だ?」


 本郷は一瞬目を見開き少し顔を強張らせた。それはそうだ。身体を見せてくださいだなんて。


(ただの痴女じゃないのよぉぉぉおッ!!!)


 羽美は自分の驚くべき痴女発言に本郷からバッと顔を反らした。なんて言い訳をしたらいいのかパニックに陥っている頭で考えるが何も打開策が浮かんでこない。


「大倉さん?」


 本郷は羽美の顔を覗き込む。しっかりと目が合ってしまいますます恥ずかしさが込み上げてかぁと一気に顔が赤く染め上がった。


(えぇぇぇい! もうどうにでもなれ!)


 羽美は恥ずかしい思いを飲み込んできゅっと口を結び、本郷と目を合わせた。


「私の身体が見たいんですか?」


 本郷は揶揄せずに真顔で聞き返す。羽美はコクコクと大きく首を縦に振って頷いた。


「ははっ、こんな誘われ方初めてだよ。あ〜やっぱり大倉は面白いなぁ。いいよ、俺の身体見せてあげる」


 ――俺? 大倉? 


 急に一人称が私から俺に変わった本郷は人も変わったかのように雰囲気もガラリと変わった。優しく穏やかだった本郷はどこへいってしまったのか、今羽美の目の前にいる本郷はニヤリと口角を上げ、鋭い目つきで羽美を捉えている。


「えっと……いいんですか?」


 本郷の変わりように驚きつつも身体を見せてもらえると言われ羽美はほっとしたため息を漏らした。  


「うん、そのかわり――」


 羽美がナビの動きを制していたはずの手をぎゅっと捕まれ、驚いたと同時に腕を引き寄せられた。


「きゃっ、本郷、さ……」


 瞼を閉じて近づいてくる本郷の顔が美しすぎて羽美は目を見開いたまま、奪われるように荒く唇が重なった。


 強引に手を引かれ、羽美の合意もなく重なったはずの唇なのに、あの日海斗と一緒に過ごした最後の日に重ねた唇の温もりと同じように感じた。荒々しく唇を食べられてしまっているような激しいキスのはずなのに、その温かさに涙が出そうになる。もう、彼の事を海斗としか思えない。


 本郷の舌先が閉じている羽美の唇の隙間をちろちろと開けてこようとする。けれどあの日以来キスというものをしたことのなかった羽美にはその意図がわからず口を開けようとはしない。ただただ唇の表面が隙間なく押し付けられ、触れているだけでも大きく満たされ、そしてキャパオーバーだった。


「なぁ、口開けて」


 はふはふと息を切らした羽美に本郷は甘い声で囁いた。羽美はわけも分からず言われた通りに口を少し開く。


「ったく、……可愛いなぁ」


 ぼそりと呟いた本郷は赤く火照った顔の羽美の口に容赦なく舌を侵入させ、絡めてきた。羽美の口から甘い吐息が漏れ出す。


「っあ、……んぅ……ん……」


 ――こんなキス知らない。


 海斗との幼き日にしたファーストキスから今まで羽美は一度だって誰とも唇を重ねたことは無かった。ずっとずっと守ってきた海斗との温もりを九九パーセント海斗であるはずの本郷にいとも簡単に奪われたのだ。それもこんなにも激しく、自分は求められているんじゃないか、と勘違いしそうになるほど。羽美の身体はキスには慣れていない。なのに身体はすんなりと本郷を受け入れていた。


 体の芯から燃え上がり蕩けそうなキス。


 ゆっくりと唇を離した本郷は満足そうな笑みを浮かべてぺろりと舌で唇を舐めた。けれど気のせいだろうか、本郷の顔もほんのり赤く紅潮しているように見えるのは。


「身体を見せてなんて大胆な誘い方嫌いじゃないよ。大倉の見たがってる俺の裸、見せてあげる。でも見て後悔しても知らねぇぞ?」


 とろけるような微笑みと、鼓膜を擽る声。後悔とはなんだろうと思いつつも羽美は蕩けた顔で「裸じゃなくて、身体です……」なんて対して意味の変わらない訂正を入れていた。

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