ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

3-5

 堅苦しい店じゃないから、そう言われ車に揺られて三十分ほとで到着した場所は見るからに高級そうなイタリアンレストラン。外観も店内もシックでモダンな作り。


 本郷のスマートなエスコートで席に着くとここは会員制のイタリアンレストランであることが判明した。しかもスタッフの対応を見れば本郷はここの定連かと思われる態度だ。全席個室の完全予約制レストラン、メニュー表を開けば意味のわからない暗号のような英語がつらつらと書かれており、金額が記載されていない。


 これは紛れもなくお金持ちが金額を気にせず美味しいものを楽しむレストランだ。堅苦しい店じゃないからと言っていたのに、こんな高級レストランだとは思っていなかった羽美は緊張で身体に余計な力が入ってしまう。唯一の救いはしっかりとお洒落をしていたことくらいだ。


「大きい野菜以外に嫌いなものはない?」


 本郷は意地悪な笑顔で羽美を見てくる。もうっ! と口を尖らせたくなったがここは高級レストラン。いくら個室でもエレガントな振る舞いをしなければと「ありません」と羽美は堅めの返事を返した。


「ははっ、じゃあ適当にお店のおススメをお願いしようか。それでね、ここはデザートが凄く美味しいらしいんだけど、季節のフルーツを使うからその都度デザートが違うものなんだ。だから今日は季節もののデザートでもいいかな?」
「もちろんです、お願いします」
「あの、それでさ……その……」


 本郷が初めて羽美の前で口を籠らせた。なんだか少し照れくさいと言ったような顔を見せてくる。そんな顔も可愛い。


「どうかしました?」
「その……また、半分個にして食べませんか? ほら、そしたら色んな種類のケーキを頼めるかなぁ、なーんて」


 照れくさそうに笑う本郷はなんだか小さい時の海斗を見ているようで心がぽっと温かくなった。違う人物だとは分かっているはずなのに羽美は嬉しくて優しく微笑み「もちろんです」と返事を返す。


「あ〜よかった。いつも誰かと来てもお腹いっぱいで二個目とか食べられなくてね。でも季節ごとにデザートの種類は変わっていくから食べられないものとかが出てくると悔しくて。今日は大倉さんが一緒だから最低二種類食べれるから嬉しいな」


 上機嫌な本郷はスタッフにオススメのものをとオーダーし、最後にきっちりデザートはシェアしたいという旨を伝えていた。誰と来たんだろうなんて小さな嫉妬心はゴクンと飲み込もう。


 オススメのコース料理で運ばれきた鮮魚のカルパッチョやスープ。スープはとても魚介の味が濃厚で旨味がぎゅっと凝縮されたような満足する味わい、と言いたいところだが緊張で全く味がわからなかった。


(飲んでも飲んでも緊張で喉が乾くわ……)


 メインの黒毛和牛ヒレ肉のステーキにナイフを入れながら羽美は今日のこのチャンスを逃すべからずと思い色々と本郷に質問しようと意気込んでいた。もっとたくさん彼のことを知りたいという好奇心。欲。


 いざ質問をしようとすると緊張で喉が閉まりだす。羽美は必死で緊張を飲み込み声を出した。


「あっ、あの!」
「ん?」


 本郷が首を傾げて優しく見つめてくる。


(うぅ……顔面が、キラキラしてて見れないぃぃ)
「お、美味しいですね。このスープ」


 味なんて分からなかったくせに、つい本郷がかっこよすぎて目を逸してしまった。


(うぅ、今までイケメンというイケメンに出会ったこと無かったからイケメン耐性がなさすぎる……)


「美味しいですね」と和かに笑って返事を返してくれる本郷に胸のトキメキは永遠に続き身体が火照りすぎて額にじわりと汗をかいてきた。


「そういえば大倉さんのご自宅ってN駅から近いですか? 今日私が勝手に待ち合わせをN駅にしてしまって、遠かったですかね?」


 気を使わせてしまったのだろうか。本郷から話題を振ってくれ、羽美は慌てて返事を返す。
「いえ! 電車で数駅なのですぐ着きます。本郷さんの、あ、社長とお呼びしたほうがいいですかね?」


 本郷は「プライベートなんだから社長とは呼ばないで」と目を細めて言った。プライベートという言葉にどきりとしながらも「じゃあ本郷さんと呼ばせて頂きます」ともう一度質問し直した。


「本郷さんのご自宅はN駅周辺なんですか?」
「私は仕事柄会社にすぐ行かないといけないことも多いからね。小さい時からずっとこの辺に住んでるよ」
「小さい時から、家族経営の三代目社長さんですもんね。そっかぁ、ずっと地元がここなんですね」


 小さい時からと言われ、海斗に似ている本郷海斗は別人だとやっと確信をもて、納得できたような気がした。多分心のどこか奥底でどうしても似ている雰囲気をまだ海斗なんじゃないかとすがるように期待してしまっていたのだろう。


「あ、でも」


 本郷がポンッと思い出したかのように明るく話始めた。


「小さい頃は海が近い田舎町に住んでたみたいなんだよね。っても記憶がなくて全く覚えてないからもうここが地元のようなものかな」


 なんだろうか、会話からの違和感を感じたのか羽美の身体の細胞がざわめき出す。


「……き、記憶がない? あぁ! うろ覚え的な感じですか? それなら私も幼稚園のころの記憶なんてほっとんどないですよ」


 違う、違う、違う。この人は本郷海斗。そう確信していたはずだ。なのに、本郷の意味深な発言に振り回されそうになる。


「幼稚園か〜」


 本郷はしみじみした口調で言った。


「多分この先私と一緒に仕事していくとなるとこのことも大倉さんの耳にいれておいたほうが良いと思うから今言っておきますね」


 ヒレ肉にナイフを入れていた本郷の手が止まり、しっかりと羽美と目が合う。本郷の表情は至って穏やかなものだが、羽美の心臓が壊れそうなくらい大きく早く動いていた。


 ――聞くのが怖い。


 率直にそう感じた。


「小学五年生の時に事故にあって、それまでの記憶が一切ないんだ。まぁ一種の記憶喪失ってやつかな。ほら、会食で小さい頃の話とか出された時に隠してるわけじゃないし、風のうわさで聞いたことがあるって相手から言われたりするからさ。記憶喪失だなんてドラマみたいだよね」


 ハハハっとあっけらかんとして笑う本郷に羽美は今何が起こっているのか瞬時に理解することが出来なかった。頭の中の思考がコードのように絡み合いなかなか解くことが出来ない。身体が宙に浮いたような浮遊感。くらくらする。今自分はちゃんと椅子に座っているのだろうか。「お〜い、大倉さん?」と本郷がフリーズしている羽美の前で困惑した表情を浮かべて手をひらひら振っている。


「じ、こ……記憶、喪失……」


 羽美は喉の奥から振り絞り出すようにして声を発した。


「あ、驚かせちゃたかな? 記憶喪失っていってもなんも不便もないから大倉さんは気にすることはないからね。ただ耳に入れておいたほうが今後戸惑わないかなぁって話の流れで言っただけだから」


 本郷は驚きを隠せていない羽美に「気にしないでよ?」と、困ったような笑顔を見せた。


「……生きていてよかった」


 羽美はぽそりと呟いた。生きていてよかった。記憶がなくなるほどの事故だったと思うとおぞましい光景が脳内に広がっていく。身体が震え上がりそうになり、羽美は両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。


 もし、もしも今自分の考えてしまっている事が当たっていたらと思うと、堪えていても涙が湧き上がってきそうなる。胸がくるしくて、鼻の奥がつんと痛んでいた。泣くな、泣くなときつく奥歯を噛みしめる。


 記憶喪失、海の近くに住んでいた幼少期、小学五年生、同じ海斗という名前のよく似た容姿。これだけのピースが揃っていて今自分の目の前にいいる人がずっと探し求めていた人じゃないなんて思わないはずがない。羽美の本能はもう彼を中嶋海斗としか思えなかった。初めて出会ったあの日に直感で感じたものはやっぱり海斗本人だったから、あの出会いは運命のようなものだったんだ。


 ただ、本郷が中嶋海斗だという決定的な証拠がない。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品