ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

2-1

 九月五日月曜日、大倉羽美はまだまだ真夏ともいえるほどギラギラと日差しが照りつける太陽の下にいた。少し身体に感じる風でさえ熱風のように熱くて「砂漠なの……?」とリクルートスーツを身にまといながらブツブツと独り言を言う。額から流れ落ちる汗をハンカチで拭き取りながら、羽美は肩を落として街中を歩いていた。


「うわ、ひどい顔……」


 オシャレな服が並んだショップの大きな窓ガラスに羽美の歩く姿が反射して映し出されていた。落ち着いたブラウンの色に染まっている長い髪はしっかりとポニーテールに纏め上げ、メイクは薄めに、けれど細くしっかりとかきあげたアイライナーのおかげかキリッとした印象の瞳が出来上がっている……はずだったのに汗でアイメイクはよれよれだ。


 羽美の容姿は他人には仕事のできる女のように見えるらしい。けれど現実は最近まで秘書として勤めていた会社が倒産し、二十八歳にして職を失っていた。つまり仕事のできる女どころかニートなのだ。職が、無い。


 手に握りしめていたスマートフォンがジリリリリンと現代の音とは思えない、昔ながらの黒電話の音が鳴り響いた。この音が一番電話が来た時に気づきやすいと羽美自ら設定した音だ。


「はい、大倉羽美です」


 羽美は慌てて電話をとるとすぐにズーンと漫画のワンシーンのように肩を落とした。


「そうですか……はい。ありがとうございました、失礼します」


 だんだんと覇気のない声に落ちていく。


(あぁぁ、また駄目だった……どうすんのよぉ〜!)


 また面接に落ちた。二十八という年齢もあり面接の時など直接は言われないがどうせ結婚してすぐ辞めちゃうんだろう〜という雰囲気がビンビンに伝わってくる。年齢のせいもあるのか、自分に問題があるのか、いわゆる就職難民になってしまったのだ。


「もうダメだ。とりあえず……ケーキ食べに行こう」


 羽美はボソリと呟いた。落ち込んだ時や元気の出ないときは必ずと言っていいほど羽美は甘いのもを食べて気持ち持ち上げるようにしている。コンビニで買ったスイーツのときもあれば、(最近のコンビニスイーツは値段が高いだけあって美味しい)オシャレなカフェに入ってクリームがたんまりのっかったオシャレな甘いドリンクを頼んだり、今日はケーキの気分になったのでケーキ屋に向かうことにした。


 食べたいケーキは既に決まっている。羽美の大好物のショートケーキだ。甘いものは基本なんでも好きだがショートケーキは羽美にとっては特別。この世で一番好きな食べ物であり、大事な思い出のあるケーキ。一番大好きでよく食べるけれど、幼い頃に食べたコンビニのショートケーキよりも、美味しいと感じるショートケーキにはまだ巡り会えていない。


 あの日、海斗と一緒に防波堤のうえで一緒に食べたコンビニのショートケーキ以上の美味しいケーキがいつか現れるだろうか。たくさんのショートケーキを食べてきたがあのケーキ以上に美味しいケーキが現れるわけないと心の奥底で思っているからきっと現れないんだろう。


「あのケーキを超えるケーキなんて現れるのかなぁ」


 羽美はふぅ、と深いため息をつきながらスマートフォンで近くのケーキ屋を調べているとちょうど近くにイートインスペースのあるケーキ屋が検索にヒットしたのでそこに向かうことにした。険しい顔をしながら足早で通り過ぎるサラリーマンや、ベビーカーを優しい顔で押しながら歩く女性。昼間の街中をいろんな人とすれ違いながら羽美も落ち込んでられない、と気持ちを切り替えながら足早に歩く。気温が高くて垂れてくる汗を何度も拭きながら目的地のケーキ屋に着いた。


(い、生き返る〜)


 お店の自動ドアが開いた瞬間の冷気が冷たくて、火照っていた羽美の身体の表面温度を少しだけ下げた。見渡す店内はとても可愛らしく、お店のあちこちに妖精の小さな置物が置かれていて洋画にでも出てきそうなオシャレ空間だ。鼻に抜けていく空気は甘く、とても癒やされる。羽美は可愛くて綺麗なケーキたちが並んで入ったショーケースをじぃっと見つめた。何を食べようか少し迷ってしまったが、やっぱりショートケーキが好きな羽美は奇跡的に一つだけ残っていたショートケーキを指さした。


「「これください」」


 羽美の声の上に誰かの声が綺麗に重なった。ショートケーキを刺す指は何故か二本見える。


「えっと……」


 驚いて横を見ると羽美と同じタイミングで隣に居たのであろうスーツを着た男性が残り一つしかないショートケーキに指さしていたのだ。相手も驚いたのか羽美の顔を見たので、しっかりと目が合う。


 綺麗な黒髪、流された前髪から覗く瞳はハッキリとして、大きいのにどことなくさみしげで、なぜか懐かしさが込み上げてくる。せっかく冷房で冷えてきた身体がなんだか急に熱くなり、心臓が不自然にバクバクと大きく動き出した。


(な、なんだろう。この人の目……すごい吸い込まれそうになる。でもなんか見たことあるよう、な……?)


「あっと、すいません。私はいいのでどうぞ」


 フリーズしている羽美にどうぞ、と手のひらを伸ばし小さく会釈をした男性はハニカムようにヘラっと笑った。羽美がハッと我に返ったその瞬間、頭の中に何故かフラッシュバックするように羽美の初恋の相手、中嶋海斗の顔が浮かんだのだ。


 ――笑った顔が海斗に凄く、似ていた。


 海斗は笑うとふにゃりと優しい雰囲気なる。その感じさえもこの男性は海斗にすごく似ていたのだ。


「あの、本当に私は大丈夫なんで、どうぞ」
 困ったような声で男性は羽美に話しかける。
「あっ、す、すいません! ちょっとぼうっとしてしまいました」


 つい、男性を凝視してしまっていた羽美は背筋をぴんっと伸ばして軽く頭を下げた。


 店員さんは「どうしますか?」と困った笑みを浮かべている。そりゃそうだ。目の前で一つのケーキを譲り合っていたら他のお客様の迷惑になる。けれど、どうしても海斗に似た男性から羽美は目が離せなかった。


 男性は困ったように小さく苦笑いし、ショーケースに並んでいるケーキ達に目線を変える。
 

「じゃあ、私は――」 


 男性の指はショートケーキじゃないなにか違うものを指さそうとしている。


「あ、あの! あそこで一緒にケーキを食べませんか!?」


 羽美は男性の言葉に覆いかぶさるように大きな声で咄嗟に大胆な発言をした。もちろん言われた方の男性は困惑した顔だ。けれど海斗に似たこの男性のことが気になって、このバクバクと高鳴る胸の原因を羽美はどうしても確かめたかった。海斗本人かどうか確かめたい。

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