売れ残り同士、結婚します!

青花美来

12話 不穏①

年始早々やることが山積みで、気が付けばあっという間に年が明けてから二週間ほどが経過していた。


「大河原先生、来月の豆撒きのことなんですけど……」

「はい、どうしました?」

「毎年園長先生に着てもらってる鬼の着ぐるみあるじゃないですか。あれが──」


二月は豆撒き、三月は卒園式に進級準備と年度終盤も変わらず忙しい。


「……やば、そろそろ戻らなきゃ」


時計を見るとすでに十七時目前。慌ててひまわりのお部屋に戻る。

十七時はお迎えラッシュの時間のため次々にやってくる保護者の方にできるだけ話しかける。
にじいろ保育園では年少クラスからは連絡帳が無いため、今日一日の園児の様子を保護者に細かく伝えるのも保育士の仕事だ。


「おかえりなさーい。ひなたくんのお母さん、すみませんちょっと良いですか?今日近くの公園にお散歩に行ったんですけど、そこでひなたくんが石に躓いて転んでしまって、ここ少し擦りむいてしまったんですよね。消毒して絆創膏貼ってまして、その後は特に痛がったりとかはしてません。給食もおかわりしてもりもり食べてます。少し様子見ていただいてもよろしいですか」

「あ、そうだったんですね。わかりました!
「ズボンが少し汚れてしまったので、園に戻ってきてから手洗いしてます。汚れ物入れに入ってるのですみませんがお持ち帰りもお願いします」

「わかりました!ありがとうございます」

「本当にすみません、よろしくお願いします」

「いえいえ、ありがとうございます。じゃあさようならー」

「さようなら。ひなたくんバイバイ」

「しずくせんせーばいばーい!」


どんなに些細な怪我でも、保育園での怪我は全て保育園側の責任だ。

その場合は必ずどんなに些細な擦り傷でも青あざでも保護者に報告しなければいけない。

他にも気になることがあればその都度報告するため、保護者の方との会話の時間はとても大切。


「こんにちはー」

「あ、おかえりなさーい。ひまりちゃーん、お父さんきたよー」

「パパー!」


お父さんやお母さんがお迎えに来ると、一目散に走っていく姿が愛くるしい。


「今日ひまりちゃんと一緒にお絵描きしたんですけど、動物の絵描くの最近すごく上手になりましたよね」

「そうなんですよね。好きみたいで」

「今日もたくさん描いてくれて保育士に見せて回ってました」

「これだよパパ」

「お、すごいじゎん。あとでママにも見せてあげような」

「うん!」

「よかったねひまりちゃん」

「うん、しずくせんせいバイバーイ」

「バイバイ。さようなら」


そんな調子でお迎えラッシュを終えると、上がる時間になった。

タイムカードをきると、なんだか一気にどっと疲れが押し寄せてくるような気がした。

多分、心にあんまり余裕が無い。

ここ最近は冬馬もいくつか大きな案件を抱えているらしく、あれ以来全然会えていなかった。

連絡は毎日取ってはいるものの、最近は寝落ちしてしまうことも少なくないらしく、電話もあまりできていない。

……少し、寂しい。いや、かなり寂しい。

会いたい。けど、冬馬も忙しいのを知っているから、あんまり会いたいと言えていない。

お正月ずっと一緒だったからか、その反動はなかなか大きかった。


「お先に失礼します。お疲れ様です」

「お疲れ様でーす!」


沈んだ気持ちを誤魔化すために明るい声を出し、同僚の声を背に保育園を出る。

すっかり葉を無くしたイチョウ並木を通り抜け、公園の横も通り抜けようとした時、急にブワッと冷たい風が吹いて、コートが捲れ上がるのを慌てて直した。


「さっむ……」


乾いた風が顔をこわばらせる。

その風から逃げるようにマフラーに顔を埋めながら駅へと足を進めていると、


「──の!あの!これ、落としましたよ!」


と後ろから声をかけられた。


「え?」


走って私を追いかけてくる姿は、スーツを着た男性。


「これ、貴女のでしょう?」


その手にあるのは、ネイビーのシンプルな定期入れ。

見覚えのありすぎるそれを見て、思わず鞄の中を漁るもののやはり無い。


「……あ。そうです、私のです。すみません」


そういえば朝急いでてコートのポケットに入れたままだった。さっき風に煽られた時に落ちたのだろうか。

何にせよ、わざわざ拾って追いかけてくれるなんてありがたい。


「助かりました。ありがとうございました」

「いえ」


両手で受け取り、去ろうとした時。


「……ひょっとして……、貴女もしかして、茅ヶ崎のお知り合いの方ですか?」


そう聞かれ、冬馬の名前に咄嗟に


「え?あ、はい……そうですが……」
と頷いた。


「やっぱり。実は数ヶ月前にそこの公園のあたりで茅ヶ崎と話しているところを見かけまして。クライアントと事務所の者以外の女性と話してるところなんてほとんど見たことないから、驚いてしまって記憶に残ってたんです。……って、急にそんなこと言われても困りますよね。驚かせてしまってすみません」

「いえ……」


数ヶ月前といえば、冬馬と再会してすぐお互いの職場が近いとわかった時のことか。

改めてそう思うと、もうあれから数ヶ月も経っていることに驚きを隠せない。


「……あ、申し遅れました、私はこういう者です」


圧倒されているうちに渡された名刺。そこには御崎総合法律事務所の文字。


「山田さん……弁護士なんですね」


よく見るとその胸には冬馬と同じひまわりのバッチが見える。


「はい、茅ヶ崎の同期なんです」

「そうでしたか。私は大河原と申します」


「大河原さん、初めまして」


オールバックにセットされた黒髪が、いかにも仕事ができそうな雰囲気を醸し出していてかっこいい。

仕事終わりなのかこれから仕事関係の外出なのかはわからないけれど、なんだか軽そうな……いや、見るからに明るい人だ。

スラっとした山田さんは、おそらく冬馬と同じくらいの高身長。

冬馬もスタイルお化けだけど、この山田さんも負けず劣らずスタイルが良すぎる。

弁護士って皆こんな美形ばっかりなの……?

頭が痛くなりそうだ。

そのまま少し山田さんと立ち話をしていると、山田さんの後ろから


「────おい、山田。てめぇ人の女に何してんだ」


と冬馬がやってきて、山田さんの首根っこを掴む。


「ちょっ!茅ヶ崎!?やめろって!」


ベリっと剥がすように山田さんを移動させて、代わりに冬馬が私の目の前に立った。


「……冬馬」

「しずく。こいつに何かされなかったか?変なこと言われたりしてないか?」

「ううん。私が定期落としちゃって。それを拾ってくれたの。それでご挨拶してただけ」

「そっか。何もされてないならよかった」

「うん。急いで来てくれたの?ありがとう」


山田さんそっちのけで私の心配をする冬馬に、再び後ろから声がかかる。


「なんだよ人を不審者みたいに言いやがって。あと首はやめろ、苦しいわ。……っつーか茅ヶ崎、人の女って……もしかして」


私と冬馬を何度も見比べる山田さんに、冬馬ははぁ、とあからさまなため息を吐く。


「……白昼堂々俺の婚約者を口説こうとするなんて良い度胸だな」

「こ、婚約者?おいマジかよ、だってお前……」
「あ?」

「いや……でもお前いつのまにそんなことになってんの?」

「うるさい。お前はとっとと行け。仕事中だろ」

「それはわかってるけどさ」


心底うざったそうにシッシッと手で払いながら山田さんの視界に私が入らないように腰を抱く冬馬。

山田さんは物珍しそうな表情で冬馬を見つめ、そして諦めたようにフッと笑う。


「まぁいいや。茅ヶ崎、今度詳しく聞かせろよ。じゃあ大河原さんも、またねー」

「え、あ、はい……」


定期も拾ってもらったこともあり、大きく手を振っているから一応会釈しようとすると、


「あんな奴に返事しなくていいから」


とグッと身体を引き寄せられる。

……なんか、機嫌悪い?

偶然とはいえ久しぶりに会えたのに険しい顔をしている冬馬に、私は何も言えずにただ頷くことしかできなくて。


「悪いな。俺もまだ仕事中なんだ」

「そっか、大変だね。最近疲れてるみたいだし、あんまり無理しないでね」

「あぁ、わかってる。……しずく、こっち」

「え?」


そのまま別れるかと思いきや、腰を抱かれたまま公園の横を通ってビルとビルの間の路地に入る。

表通りからは死角になる場所で、冬馬は私を引き寄せたかと思うと荒々しくキスをした。


「ん……ふ、あ……」


真冬の外は寒いのに、絡み合う舌が熱を帯びる。

久しぶりのキスに夢中になっていると、だんだんと意識がぼやけていく。

乾いた風が周りの音を遮断して、お互いの熱い呼吸の音だけが響く空間。

唇が離れて、足に力が入らなくて倒れ込むように冬馬の胸に身を預けた。

寒さで白く染まる息が、冬馬のコートに溶けていくように見える。


「……悪い、久しぶりに顔見たら我慢できなくて」

「うん……冬馬、会いたかった」

「俺も」


きつく抱きしめられて、その苦しさが心地良くすら感じる。


「お仕事、まだ残ってるんでしょ?行かなくていいの?」


本当はまだこうしていたい、もっと一緒にいたい。けれど、仕事の邪魔はできない。

しかし身体を離そうとした私を、冬馬は両腕で阻止するように再び抱きしめた。


「……冬馬?」

「……しずく。全然足りない。もう少しだけ充電させて」

「……うん。私も」


冬馬の時間が許す限り、何度も熱いキスを繰り返した。

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